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Amadeusの「京都のおすすめ」 ブログ版(観光)
報恩寺(西陣散策22)
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写真は、本堂の前庭
寅年の正月3日間だけ公開される“鳴虎図”で有名です。
アクセス
場所は、堀川今出川の少し北の上立売通を右折(東)した左手(北側)にあります。
最寄りのバス停は、堀川上立売です。
通常拝観
参道を進んだ右手に重要文化財“撞かずの鐘の鐘楼”があります。
正面に庫裏、右手奥に地蔵堂がありますが、いずれも外部から見るのみです。
大晦日には撞かずの鐘を撞く事が出来ます。
23:45より住職から順に参拝者が撞けます。
西側の小さな扉から入り、鐘の前でお焼香をして1回撞きます。
反対側に出ると粕汁を振る舞ってくださいます。
1:00前にはほぼ列がなくなります。
特別拝観
2012 秋の非公開文化財特別公開で公開がありました。
書院前で拝観料800円を納めます。
まず庫裏の前を通過し、苔のきれいな枯山水の前庭を通って右手の門に入ります。
この奥に本堂とその前庭があります。
前庭もきれいな枯山水庭園です。
本堂内に入ります。
3つの間からなります。
まずは真ん中に阿弥陀三尊像がお祀りされています。
左隣の間の壁に鳴虎図(なきとらず)の複製がありました。
秀吉が所望したのもうなずけるぐらい今にも動き出しそうな虎の絵です。
毛の1本1本や、体の湾曲が平面なのに3Dのようにリアルです。
この間の奥が上段の間で、ここを京の宿舎にしていた黒田長政(官兵衛の息子)はここで亡くなったそうです。
そして1番手前の間のガラスケースの中に重要文化財の“厨子入千体地蔵菩薩”がありました。
なんとこの厨子が20cm弱、ご本尊で3.5cm、周りの900体余りの地蔵尊に至っては7mm程度の小さな、小さなものでした。
しかしこの細かな地蔵尊が非常に精緻に造られています。
庭には雌滝があり、奥には東屋の求楽庵が見えます。
庫裏を出た左手に以前の三門にあった金剛力士像がありました。
寅年 鳴虎図特別公開
2022年の1/1~1/3の9:00~16:00、拝観料500円で鳴虎図の実物が公開されました。
庫裏から入り、左手に進み本堂へ。
本堂の入口で拝観料500円を納めます。
本堂の右手奥に鳴虎図の実物が掛けられていました。
室町時代中国の明で陶佾 (とういつ)によって描かれ、日本にきました。
後柏原天皇から報恩寺に下賜されたのを豊臣秀吉が気に入って聚楽第に持ち帰るも、夜になって鳴くので寺に返されたという伝説があります。
本堂には羅漢像、織田信長像、豊臣秀吉像や書状などの寺宝がたくさん展示されていました。
続く2022/1/8~1/16は京の冬の旅で鳴虎図のホンモノがそのまま公開され、
1/17~3/18は鳴虎図は写しになりましたが、その代わりに内陣左手に通常は国立京都博物館に寄託されている15㎝ぐらいのお厨子に入った大黒天像(重文)が公開されました。
コメント ( 14 ) | Trackback ( )
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現代ならピンセット等小道具が揃ってると思うのですが・・素晴らしかったです
>あのあともどこかに行ってそうな勢いでしたね
あの”前”に行ってきた勢いでした(笑)。
他に行かれた方で、感想をお話ししてくださると有難いです。
Amadeusさま、余力があったら教えて下さい(笑)。
失礼な言い回し、多々ありますが、皆さん宜しくお願いします。
この掲載には、
1回、400~600字ルールがあるので、
それ以上の場合はカット、もしくは2回に分けることにしています。
報恩寺で2回掲載はクドイので、書きたいことから順に字数に達するまでで終了です。
掲載にない部分は、また京極堂さま用に(笑)足して頂ければ幸いです。
東福寺の件ですが、マジボケで信じてしまったのです。決してイケズではありません。ど田舎出身、純朴中年の京極堂、京都には永遠に馴染めないでしょう。京都には終生片想いですわ(笑)。私のイケズは、Amaさまを持ち上げておいて、コケ落とすところにいっぱいあります(笑)。
2級のほうさま、龍吟庵はイイですよ。庭園は言うまでなく、方丈は国宝だし、偃月橋は趣があるし、何だかAmaさまの報告読んでいたら、久しぶりに行きたくなりました。どうする京極堂、手持ちのカードは確実に少ないぞ(笑)。そうだ、私にも若干の小技があった!Amadeusさま程、強力なものではないが…
お二人は、11日の父兄参加は如何されますか?私は登板予定です。予備日も含めて(笑)。
僕は11日なら参ります。
予備日は・・・お寺の日なのでパスです(笑)。
皆さんのコメントで、かなり期待はしていましたが、
充分堪能しました。
個人的には黒田長政がここで亡くなったという事実が
一番ぐぐっときましたね。
コメントにあった信長像、内容からして、もしやと思ったら…やはり、近衛前久が作らせたとされるものでしたね。いつも曖昧な記憶ばかりで、ダメダメの私ですが、上京区のお寺…が記憶の片隅にあったので…
近衛前久は本能寺の変の黒幕に挙げられることもある人物ですが、この画像から知られる様に追善供養を行っており、やはり、信長追慕の思いが強かったと評されています。
ある本の口絵に掲げられ、とても気になっていましたが、本物と対面出来るとは…本当にありがとうございました。
ただ残念なのは、今回の為に作られた図録が完売だったことです。千部限定で、増刷の予定もないとの事。誰か~っ、哀れな中年にその図録を見せて~!
WANさまへ
仁王像、アドバイス通り忘れずに拝見しました。雨模様のせいか、前に立っていたのは私ひとりだけでした。勿論Amaさまの本文中にも触れてありましたが、あのコメントの方が強かったので(笑)。重ね重ねありがとうございます。
確か私が行った時の学生さんの説明では作者不明と言われてました
ガイドさんのおっしゃる通りで、作者は不明であって、
“作らせた”のは秀吉関白任官にも絡む“近衛前久”であるようです。
「東大寺の大仏さまを作ったのは、聖武天皇ではなく、大工さんや!」ではないですけど(笑)。
ただ、私自身は作者は狩野派の人なら面白いな~と思っています。
近衛家は狩野家の得意先である事は、よく知られています(山科言継の日記から)。また、本像は少しデフォルメされた感じを受ける作品ですが、大徳寺所蔵の永徳筆信長像と鼻の表現が似ています(あくまでも個人的感想ではありますが…)。
だから、狩野派だったら面白いな~って、勝手に妄想しています(笑)。だから、お寺側の公式見解として、図録解説が気になるのです。本当に誰か教えてくれないでしょうかね?