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迷歩録  たすける

2016-04-18 14:25:07 | 日記
  垂れ込める  雲に乗られ  苦しみや  突き破るかな  新芽の力  


                                にほひら  ろくべえ






    九州熊本、大分地震、多大な被害が日ごと明らかになる。人間の集団力が試される、試すために

   神が意図してるのか、してないのか解らないが、助けるという行為を理屈無しに迫られる状況であ

   る。このような時だからこそ、「たすける」という事を真正面から考えてみる必要もある。

    「助ける」という漢字は、その成り立ちは、手と手を重ねる、つまり力と力を重ねる。という事

   らしい。一人ではどうにもならないが。人に手を貸してもらえれば物事を行うことができる。つま

   り、相手に成り代わるという意味ではない。相手と手を重ねて、共同して物事を行うという意味で

   ある。多くの人が間違うのは「助けるとは」相手の人に成り代わり物事を行う事と思い込んでいる

   ことである。そうではない「助けるとは」相手の力と自分の力を重ね合わせて、物事を行う事であ

   る。このことが重要なのは人間の集団性、人間が人間である証拠でもある。人間は一人では生きる

   ことはできない、それ故に集団性を維持するために「助ける」という行為をDNAの中に持ってい

   るそのことを働かせすぎると、過剰な助けるとなり、相手の力を無くしてしまう事にもなる行為で

   あることも知っておかなければならない。

    「助ける」という行為は、相手を駄目にすることではなく、相手の力と自分の力を重ねて、相手

   がスムーズに物事を行なえるようにすること。この基本的なことが理解されないままに対人援助を

   行っている人もあろう。その人は自分の満足のために相手を駄目にして行っているという事にもな

   りかねない。気をつけなければならないのである。

    助ける、幅が広い概念だが、その基本は共にである。けして上から目線の助けてあげる、助けて

   やってる。助けてやった。などではないのである。、

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