gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

迷歩録  きかん

2016-11-14 09:56:21 | 日記
  蒔く種や  雨待ちかねる  畑かな  曇天の空  水を垂らして


                             ひのひら  ろくべえ






    「きかん」とは亀艦という漢字で表現するそうな、意味は手本となること、模範となるもの、と広辞苑にはある。

    この亀鑑を目指しているか否かは人生に大きく影響を与えるのではないだろうか。

     亀鑑とは対人援助職においてはとても重要な行動規制となる。特に対人援助職における教育的要素においては

    日常的に自分たちが教育、指導を行っていることの実践モデルが自分ということになる。そうでなければ口だけの

    人ということにもなりかねない。公言実行という姿勢が問われるのが対人援助職である。教育の場などで道徳教育

    を行う場合、教育を行う先生が、舌の根の乾かぬ内に、実行できない時などは、信頼を失いかねないのである。

     教育の場だけでなく、医療現場、福祉現場にも通じることではないだろうか。特に医療現場、福祉現場で日常生

    活動作の指導、教育をケアを行う時、自分にはできないことなどを、指導、教育、ケアとしていないだろうか。人

    には生活習慣というものがある。この生活習慣をクライアントになったからと言ってすぐに変化させることにはな

    かなか順応できないこともある。だのに施設に入ったからクライアントになったから、起床時間、就寝時間、歯磨

    き、洗面と、まくし立てられても、なかなか苦痛を伴う。特に入浴習慣なのは個別性が強い、そのことを理解せぬ

    ままに、どのような入浴習慣であったかなども情報をとらないままに、施設側の決まりとして、無理意地をしてい

    ないだろうか。自分だったらという視点を失ったままに、指導、教育、ケアをしていないだろうか。このことの点

    検こそが対人援助職の亀鑑ではないだろうか。

     亀鑑という姿勢は、対人援助職の技術の一つであろう。この技術を身につけるだけで対人関係というかかわり方

    も違ってくるのかもしれない。非の打ち所のない、完璧な人間を目指すのでなく、できない人間、ダメな人間とし

    ての亀鑑となることも大切な事なのであろう。

      賢い知識人、品行方正の人達だけが世の中をつくっているわけではない、弱いダメな人間こそが世の中を構

    成していることを忘れてはならない。対人援助職における亀鑑とは、ダメながらも、生きているというエネルギー

    ではないだろうか。
          

最新の画像もっと見る

コメントを投稿