「日月山水」と題された染色家の石原実さんの展示は、天王洲セントラルタワー1階 アートホールで。11月27日まで。
墨染の作品をみたくて出かけた。色彩豊かなマーブリングなども得意とする方だが、幽玄の墨染は実際見ても、また、よかった。
アートホールを持っているビルって、いい。日本でそういうオーナーが増えるといいな。
「日月山水」と題された染色家の石原実さんの展示は、天王洲セントラルタワー1階 アートホールで。11月27日まで。
墨染の作品をみたくて出かけた。色彩豊かなマーブリングなども得意とする方だが、幽玄の墨染は実際見ても、また、よかった。
アートホールを持っているビルって、いい。日本でそういうオーナーが増えるといいな。
土曜日は冬晴れ。というかまだ秋の気分あり、の両国だった。
月曜、またあたたかく、暦のとおりの冬の気分ではなかった。
日本一の川幅といわれる荒川の橋を車で渡りながら、トンビが一羽、輪をかいていたのがみえた。
アホウドリからその場でトンビになり、言葉も入れ替わりながら、
秋思する大空 あほう鳥一羽
と書こうとしていたものが、
大空 秋思す 鳶(とんび)の一羽
と書いた。
言葉を書に落とし込む前に書くと、ただ書いただけ、になってしまった。
その夜、反省し、半紙にあらためて、構成す。
後の祭り。
結果は、今の自分。だからしかたなし。
それもよし。その時の一生懸命。
いつでも、いい天気。
矢崎監督は、やはり文学的であり、詩的である。
今どきウケるだけの映画を作る気はまったく感じられない。
今日初日の映画「さくら」を新宿ピカデリーに観に行く。
コロナで半年延期となったが、さくらは春の花ではなく、犬の名前だ。
西加奈子の小説「さくら」を読んだのは今年になってからだったか。
家族再生の物語。脚本は矢崎組の朝西真砂さん。お話ししたことはないがFBでつながってはいる。原作から、どんな脚本を書き、どう映像になったのか、いつか訊ねてみたい。
それにしても、吉沢亮や寺島しのぶなど売れっ子俳優で固めた家族のなかで、北村匠海もよかったが、三人兄弟の妹役の小松奈菜にはびっくりさせられた。ビビット。TVのCMくらいしか知らなかったが。
お父さん役の長瀬さんには同情し、おかまの加藤雅也さんがアクセントとしては気に入った。
さくら役のわんちゃん、名演を忘れてはいけなかった。
今回、ピアノの音色が劇中,随所に静かに流れる。私の愛する国ハンガリーのピアニスト、アダム・ジョージという方をわざわざ使うのも、矢崎さんの詩的さだろう。朝西さんなのか?
家、食卓、公園、学校、病院という日常。わずかにおかまバー程度しか極端にいうとでてこない映画だ。
裏か表か、ではなくその途中に興味を持てる方がファン層なのかな、と思う。
さて、この映画が話題になった頃、友人の娘さんが就職するにあたり認印を頼まれた。
「さくら」という名前だ。出来上がった印をみて、とても喜んでくれた。
2つ作って余った方を矢崎さんにメールでみせた。
「あまりもの」と正直に書いた。「ほしい」の返事はなかった。じゃんじゃん。
角野くんのパフォーマンスのようなみごとな会場案内をみていて思った。
こんなコロナ禍で、おしゃべりを避けるなら、みんなで手話を少し学んだらいいだろうと。
政府広報CMで毎回、手話をテレビなどで流してくれたらいいのに、と。そしたら聴覚障がいの方との距離が近くなるかな、と。
さて、コロナ禍でできなかった公演もあるなか、毎年この時期の本公演は、練りに練ってのオムニバス公演AからCの3作。
わたしは、座長小倉ではなく新人に近い遊佐明日香作だという作品が1つ入ったのが気になり12日の「Bステージ」を観る。
遊佐はまだ新人でそこらにいる娘と思っていたら、役者としても舞台映えする役者になってきている。
歌も真木のうまさに魅了されたことがあったが、今回、遊佐も堂々のツイン。
「ごはんですよ」のおばあちゃん役に笑い、新作書下ろしの「音羽菊之丞一座」の座長役の気合あるドスのきいた声と自在に変化する高畑をみていると、有名無名関係なく、いいものはいい。面白いものは面白い。とつくづく思う。高畑の演劇に懸ける情熱をあらためて見た。
男優人は手堅い中、今回、澤田が目立ったBステージ。
今回は、みんなよかった、と思えるのは、舞台に立ちたいという“情熱”を感じたからか。
座長小倉の最後の口上は、いつもそこだけ真面目なのだが、今回、演劇人やステージに立つ人間を代表しているような挨拶で、舞台は面白いのだ、世界で日本が一番劇団が多いのだ、この窮状をなんとかしたい、と小倉の言葉に心が泣けた。
公演は、座長による劇団員のコンビニ以外?の外出禁止令からPCR検査等々徹底的。会場の萬劇場でも、手振り身振りで会話なし、座席は一席一席ビニールシートとそこまでやるか、を楽しく演出。
コロナ禍で、なお絆を深めただろう座員たち。
チームとしては最高だろうと、いつも小倉を私は羨ましがっている。
敬愛する空手家さんたちの「拳」ではなくて、本日は「緒形拳」である。横浜市立歴史博物館でなんと、「俳優緒形拳とその時代」展をやっているのである。12月8日まで。
特別展のスペースはそんなに広い展示スペースではないのだが、見ごたえ充分。
“その時代”が今からみればすべてアナログ。すべて人間の営みの美しさがある。当時のポスターや台本をみるだけで、いいな、と思える。
緒形拳は、画家の中川一政や須田剋太や守一、また書家ならば莫山さんなどの影響を受けて、いわゆるヘタウマの書を書いた。が、俳優業と相まって、ただ、ヘタウマぽく書いただけではないのがこの人の深さみたいだと思った。
拳さんは『銀花』を創刊号から持っていた、というのを読んで、なるほど、と思った。
展示の中に、竹下景子さんの直筆発見。ああなるほど、竹下景子という方は、聡明な方だと確信。
緒形拳のいくつかの映画は観た。だが、もっと観てみたいと思った。
展示内の記録動画は、計35分くらい? もっとゆっくりみたかった。