OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

つきあい方

2012年02月26日 | 書道・筆文字
今日は久々の小川の体験センターへ。
かしき御礼の感謝ディで、はじめての紙漉きの方も多く、紙漉き補助のお手伝い。

日野から来ている方がいて、日野とのご縁で話が盛り上がったが、その方は今どきの女の子であったが、すでに某団体の書道師範の免許を持っているという。
同じ道を志すものとして、なぜか喜べないいつもの自分がいる。

書が上手、字が上手い、五体が書けるというレベルや、漢字に詳しい、書の歴史に詳しいとか、指導法を学んだとか、で師範というものがあるとしたら、書はいわゆるお稽古ごとでおわるのだろう。
書はもっと多面的に大胆繊細に人間の叡智として機能しなければたいして意味がない、と常々考えている。

だから、と決定的な自分がいるわけではない。
「なぜ書を学ぶの?」とたまに教えている人に聞くと、明確な答えが返ってこないこともある。
聞いて明確な答えがない方が確信をつかんでいるのかもしれない。

数年前、久々に子どもを教えることになって、見学に来た親に同じ質問をしたら、「え? 字が上手になるように」と。
その通りだ、愚問だった。でも、もっと大きな可能性をにらんで指導したいといつも思う。
近年、日本人の文化に対する価値や質の程度は無残すぎる。
いい悪いの基準は自分で持てず、メディア次第。
こんな大人にならないために、子どもの想像と創造を、自然のうちに大きく育てたい。

今日のその女の子は「他を全然知らない」と自分の状況を認識していたので、これから上手く書と付き合ってほしいと願った。
彼もいたので、彼とも上手く付き合ってほしいけど、書との付き合いが長いことの方を祈ろう。

もっとも、体験センターでは師範以下に扱われているオグマであるから説得力のない話しである。



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国字

2012年02月20日 | 文化・芸術
日本で作られた漢字は、国字といわれ、畑とか峠とかなどなどあるのはよく知られている。
「褄」という国字もある。“つま”と読む。衣へんに妻である。
「左褄をとる」とは、芸者の務めをすること。左手でつまを取ることから、らしいが、「右褄」という言葉もあるらしい。
これは、左は芸のみを売ることにたいしての言葉らしいが、伊東深水の作った小唄の読みを調べてての雑学。

伊東深水は深川の生まれ。とても粋だったようだ。
ひな祭りに伊東深水のちょっとした絵付けは似合う。
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松の実

2012年02月16日 | 文化・芸術
能舞台の後ろには、老松。
そこで舞などを奉納し、樹に神が降りてくるのを待つところから、「松」とかで定番である。

この松の実は、仙人食として知られる。
最近はどこでも売っている。が、酸化してしまっているものがほとんどらしい。
真空パックのものを買うべし。

松の実粥は煮たてたら酸化しちゃうので、70度くらいで時間をかけて煮込む。
そうすると黄色い脂分が浮いてくる。これが大事らしい。

そんな松の実粥をいただいた。おいしかった。
ほかにも仙人になるべく仙人食をいただく。

その日、日中はその場を特別にお借りして、書の練成会となる。
興にのってきた頃、時間切れだったが、みんな気合の入った書ができた。
書は集中できると動きもいい。

出口氏が特別ゲストで駆けつけてくれて、身体の使い方なども指導していただいた。
書は手で書くのではない。身体全体で書くし、心を使うのである。

不老長寿を信じ?五石散を服用していた大王も松の実も食べていたかな。
こちらは、そこでおいしいプーアール茶がでたので、それを求め、楽して身体の悪い脂をぬこうと考えている、が安易かな…。




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惹かれる人々

2012年02月11日 | 文化・芸術
昨日は榎倉先生の個展を拝見。
今一番気になるかな作家である。
今年の誕生日で89歳となる大御所であるが、輝きは一層増す。
むかしは冷徹すぎる作品にみえてむしろ嫌いだったが、今は、作品も人柄にも惹かれる。

今日は出口氏から「土曜日は空いてないよね」という連絡だったが、珍しく空いていた。
誘われてモンベル渋谷店で今日から行われている世界の石の風景の写真を撮っている須田郡司氏の個展と講演に行く。
須田氏はなかなかユニークで、敬意を表し、最新刊の「日本の聖なる石を訪ねて」を購入。 
写真展は世界の石の風景が中心で、ギリシャの断崖に建つメテオラ修道院群は行ってみたくなりました。

木の実落つその一点を聖地とす

はある連句の時の私の聖地。

さて、その後、出口氏と高橋女史の3人で、異才の高橋女史の新たなる書道教育指導法を中心にお茶しました。

さてさて、野蒜小の木板の校標、みんな暖かく迎えてくれたそうです。
私の身体を通してみんなで書いた、と思える私の生涯の代表作なのだと思えてきました。

昨日は最後、横浜でしたが、野蒜の話を話題にすると、「そういう方と会うと元気をもらえるでしょ」と長谷川先生。
そう、すごい方と会うといい影響をうけますね。オーラとかなんとかじゃないんだな。

純粋で、輝いている方々にいっぱいお会いした昨日今日でした。一昨日もそうでしたが、それはまたいつか。
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味書く

2012年02月08日 | 書道・筆文字
なんだかんだと忙しい。
写真は先日の、子どものかな古典臨書。
なかなかのびやかでいい。

先週は風邪がなかなかよくならないなか、実力者ながら面白い先生?と対談。
その先生は、書の前にお茶があったという。
そしてお茶での感性が書に関わっているという。
そういう世界があるのは貴重なことだと思う。

その先生は、行草を得意とするが、その線条に思いを託そうとしている姿勢が読み取れる。
行草そのものの価値が素人を中心に考えると難しい時代になって久しいが、
行草作品でも詩情たっぷりの作品のあることを知ると、ほうっておけない。

狂草というアクロバットみたいな草書もあるが、それも面白い。
いま観られる名品は、上野国立博物館の故宮展の黄庭堅か。

草書やかなは動きそのもの。非常に抽象的な世界だが、動きがそのままみられる点ではわかりやすい。

わたしも含め風邪気味多く、その後いただいたせっかくのステーキの味がわからず。

“恥を書いた”あとは、“味書く”なし。








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