中国留学中に影響を受けたものを、とかのお題で、書道の名品を求めて各地を旅した中から、西安と成都の間の奥まったところにある漢中を訪ねて、念願の石門摩崖群の中から、開通褒斜道刻石を選んだ。
最近は行草やかな系を書くことが多くなって、古隷などは久々。
この摩崖碑はただの書道作品ではない。後漢の時代に、とんでもない山と渓谷の間の斜面の難所続きの場所をのべ76万人以上を使い4年がかりで桟道を切り開いた記念碑の一つだ。李白なども「蜀道難」だったか詩に残している。岩肌が風雨にさらされ、書作品というより抽象絵画の趣。
書を学び始めてまもなくこの臨書作品をみた。
小木太法の力強く独特の捉え方が今でも印象に残る。先生の代表作の一つだ。
その後、仲川恭司先生のおどるような線の臨書。この解釈には驚いた。
今思えばお二人とも、40代、30代の時の作品だろう。
その一生懸命ひたむきに取り組んだお二人の作品を脳裏に思い浮かべながら、いきなり全臨に取り組んで、恥ずかしい限りだが、最近は、開き直ることを覚えた。
この石門摩崖群は今は岩ごと切り取られ、博物館にあるが、元の場所はダムに沈んだ場所にある。
時は30年以上も前の話であるが、西安から夜行の列車で随分奥まったところに来てしまったという印象。
博物館の館長さんが、一人で石門摩崖群をみに訪ねてきた私のために、マイクロバスでダムまで連れて行ってくれたのはありがたかった。
ご自宅で食事をごちそうになったあと、何か書かされたが、単鈎法で筆を持つと、「そんな持ち方では書は書けない」といわれたのを思い出した。
娘さんやその女友達も夏休みで西安外語大から帰省中で、楽しいドライブになった。写真一枚も撮らず、すべてが記憶のなか。
開通褒斜道刻石は私のなかでは、原寸以上に結構大きい作品。
これをきっかけに、しっかり取り組んでみるか!
きっかけをくれた塩ちゃん、田中さんのおかげである。