OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

伯牙と鍾子期

2024年02月22日 | 日記

「伯牙絶弦」の故事の話からはじまった一中節の演奏会。

初世都一中没後300年記念ということであるが、家元の了中さんの初めの挨拶のお話であった。

中国の春秋戦国時代の故事というのだから、紀元前である。

伯牙は国随一の琴の名手。それを理解する鍾子期。

その鍾子期が死んでしまって、伯牙は、自分の琴のよさをわかってくれる理解者がいなくなって、琴の弦を切ってしまった、という故事だ。

今日の演奏会は、5段。一中さん,、了中さん以外にも、ベテランや若手も出ていた。

浄瑠璃のなかに了中さんの弟子が出ていて、その方は本来、琴の方だ。

その方が芸大生の頃、たまたま私の個展会場に来ていて会っている。何十年も前の話だ。そのうち、挨拶でもしてみよう。

 

さて、今日は、自分を伯牙にさせてもらおう。

私の筆文字のいくつかを観て、書家の字は好きではないが、あなたのはいい、と言ってくれた方がいた。お茶にも精通して文化全般に通じる方である。その方を、今日は、鍾子期にしてしまおう。

そういう方がいてくれると、なにはなくとも、明日も生きる勇気が湧いてくるのだ。

観る目のないファン一万人より、鍾子期一人でいいだろう。

 

伯牙と鍾子期の話は、田舎のお寺の本堂に、たぶん寄贈された行草書の屏風があり、それを読まされたとき、難解な行草書をなんとか読み進めていくと、『列氏』からだったか、その故事の部分だった。その時、この故事を知った。

 

 

 

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とうとうここまできてしまった。

2024年02月15日 | 日記

新しい書の学びのクラスである。

何か会の名前を付けなくてはいけなかった。

「楽しい、の楽かな」まではよかった。

「先生の名前をいれて」とも。

「廣美はやめてくれ」「熊、つけちゃう!?」と私。

結局、私の雅号もいれて「日々笑書会」と。

書いてこなくてもいいが、笑いを一つ持ってきて、という会になった。

はじめから色んな意味で存続危機かもしれない。

天才は危うきに遊ぶ。

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頭のなか

2024年02月12日 | 書道・筆文字

日曜、一日ワークショップは久々。

10時から19時?20時?くらいまでやっていたかな。

 

書のはじまりの「甲骨金文」をテーマにした。

まともな話はできないですぐ横道にそれる私。

頭の中はいつも?ぐちゃぐちゃ。

白版を客観的に写真に撮ったら、やっぱりぐちゃぐちゃ。

私の部屋もぐちゃぐちゃ。

でも、である。そこの参加者は、すごい。夕方あたりから集中してきて、それなりに書をつかもうとしていく。

ほぼ教えないワークショップ。まずは、ゆっくり観察し、みえてくるものを大切に扱う。そんなのも、いい。

 

終わってから、主催者を交えて残れた方々と夕食をとりながら雑談となったが、ここで私はまた、刺激を受けるのであるが、その話は濃すぎるので、また。

 

ひとつ面白いことといえば、最後に、全紙半分の約70㎝×70㎝に一文字を書くための大筆の穂が一本とれてしまった。

そしたら、軸のない穂だけで、手が墨で汚れてもいい! と書いた人がいた。「井上有一的に、棟方志功的に!」とはっぱをかけた。

その穂だけの筆で書いた時点で、OKだろう。ま、軸のありがたみもわかったが。

 

 

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