OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

カムイ

2013年11月25日 | 文化・芸術
アイヌ ネノ アン アイヌ

人間 らしく ある 人間

観たかった映画、森谷博監督「東京アイヌ」を中野で観た。

いまは細々と定員15人で、中野の小さな会場で上映会が月一回開かれている。
観客一人でも上映するという上映委員会の心意気がいいしやさしい。

さて、蝦夷といわれた今の北海道を中心に居たアイヌ民族のことをどれほど知っているのか。
日本は単一民族である、という仲曽根発言を知っていたか。
2008年に国としてやっと先住民族としてのアイヌが認められた、ということを知っているか。
同化政策によって、アイヌ語や結婚式などの風習も禁止された、と知っていたか。
ここ日本の首都圏に多くの先住民族アイヌが住んでいる、と知っていたか。

知らぬことばかりである。
原発のことも、日本の文化芸術行政のことも、知った気になる程度である。


ナレーションはいれない。
BGMはいれない。
答えは用意しない。

この映画を作る上で、決めたルールだという。
それっぽい感動を誘わず、意識の誘導をしないのが潔い。

3年半の月日をかけて2010年に完成した映画とか。
今度はアイヌ料理を食べてみたい。
すべてにカムイが宿る。
和人の私も、その精神に共感。
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爪色の雨

2013年11月21日 | 日記
中学を出て、初めての仕事だったのか、最年少の紙芝居の描き手だったようだ。
私が知ったのは喫茶店のマスターとしてであった。

パイプをくわえ、時に着物を着流し、時にはアロハで、よく知らない人は、危ない世界の人にも思われた。モンブランの青の太字で原稿や手紙もみな書いていた。浅草の芸人から役者や作家まで交友もひろかった。

地元に生の演劇を、と鑑賞会をつくり、全国の組織に入らず、独自の嗅覚で鑑賞会を育てた。
私は喫茶店の客から鑑賞会のスタッフの一人となっていた。鑑賞会とは鑑賞するのだが、鑑賞会スタッフはイベント屋にほかならない。そのノウハウは身体で覚えさせてもらった。越前に水上勉さんを訪ねたこともあったが、二十代の私は多くのことをこの方とその周りの方々から学んだ。

破天荒な人生であったので75歳は短いともいえない。夏に亡くなり、先日、偲ぶ会が行われた。西舘好子さんらもかけつけてくれたが、その日のメインは、最後に演劇にしたかったという「万城目 正」をうたうコンサートだった。

私は万城目正なんていう人は知らないと思ったら、懐メロではあるが、今の方も知っている歌がいっぱいだった。「悲しき口笛」、愛染かつらでおなじみの「旅の夜風」、先日逝った島倉千代子さんの「この世に花」、サトウハチロー作詞の「リンゴの唄」…。

その方は、「サトウハチローの世界」という歌と芝居のイベントも成功させたが、サトウハチローが好きであったようで、風貌も晩年似せた感じがある。

「だから夕方はさみしいのだ」「爪色の雨」もサトウハチローの作詞で、その方が好きな歌だったようで、万城目正とサトウハチローを歌うであった。おまけに♪いのちみじかし…♪と「ゴンドラの唄」は、唄った川口京子さんのその方へ送るレクイエムだったのだろう。

昨日は横浜めぐり。横浜美術館では大観の人間性に触れられた思いがした展示であったが、大観が生涯愛飲した酒が「酔心」というのが一番のびっくりで、買ってその日の最後、みんなで飲んだ。美味い!
山本きもの工房で黒の山着を受け取り、談笑。

最後は酒好きな方々と久々に一献。
でも一番印象に残った美味かもんは、土鍋で炊いたご飯。

佐賀県小城産のお米を選んで炊いてもらった。

数学の教師から、メキシコ、アルゼンチンなどで現地の教師などに数学の教授法など講義し、造形作家から和紙造形の仕事なども積極的にやられ、今年亡くなった遠矢浩子さんの故郷産のお米である。

美味しさのなかにきりっとした感じは、遠矢さんゆずりであった。
私の地元市井の御大は、ごった煮でいいダシが利いている感じかな。

お二人の共通点は、反権威。
最近話題の日展を頂点とした芸術界の構造疲弊はそう簡単に変われないかもしれない。ただ、市井にいてみんなの心にホッと残る生き方も、まんざらじゃない。

そんな感性は残しておいた方がいいだろう。



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庶民の味方

2013年11月15日 | 文化・芸術
偽装ばやり、である。
食品ばかりではない。
初心者をカリスマにしてしまうTV業界とかもそうだろう。
自分はどうか?

誉められる。
こころ動かずに、また、誉められた真似をする。

それは、贋作だ。

というようなことを画家の中川一政の随筆にあった。
と、このブログに書くのは、確か2回目かもしれない。 

今日は、娯楽天国公演「どんほい」を観る。
17年前のリニューアル公演だという。

そのときは知らず、だが、今回の「どんほい」は、はたまた小倉の演出にはぐらかせられながら、笑った。
私は笑う所で笑わないイヤな客であるが、思わず笑ってしまった。
哀愁の残る笑い、が娯楽天国かもしれぬ。

高畑も鷲巣も関口も小倉も笑った。スターウォーズ遊びも笑った。
今回、温泉に行ったつもりで男どもがパンツやタイツ・ももひき姿になるシーンでは、

ドリー・ファンクJrとテリー・ファンク VS ブッチャ―とタイガー・ジェット・シン

のタッグ王座を賭けた昭和のプロレスの名シーンを再現していれてほしかった。


庶民は美しい、そう訴えているのが、娯楽天国なのかな。

今回、記念の一文を頼まれていて、多くの方が書くのだと気楽に思っていたら、パンフに載ったのはたった5人。
常套句が使えない私は、省いてもいいと思って書かなかった。深く反省し、ここに。

劇団娯楽天国、25周年おめでとう!


すごいもんである。
娯楽天国の笑いは「哀」というスパイスまじりの庶民の味方でできているようである。
来年5月の「ゴド―を待ちながら」、今から楽しみである。

若手もよかった。輝いていた。






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 枯れ蓮

2013年11月03日 | 文化・芸術
枯れ蓮には人の世を重ねやすい。
そんなことを思わせたのは、日展、そして書道界、ひいては文化芸術の世界にまで蔓延している人間の業の深さである。
私には他人事にしてもいい話題であるが、そんな気分にはなれない。

また泥沼から抜け出して再生の大輪を咲かせてほしい。
まずは、徹底的に膿を出し切るしか信頼の道はないだろう。
この一か月、期待できないという声のある内部調査委員会の仕切りに注視していこう。

さて、そんなドロドロした芸術の闇の世界とはうって変わって、枯れ蓮の三渓園には、工芸作家たちが集まって、いい気が充満していた。

白倉さんの陶の狛犬が玄関まわりでお出迎え。作者がいい人すぎて、すっきりしすぎる部分がある。逆に、この方には、人間の業が必要か?
新潟からの建具屋さんまでいて、ここは木のぬくもりなのだが、ここは五十嵐さんの人としての温もりが上回っていた。アクセサリーといわず古代装身具という片桐さんはもともと文化人類学の学究のためネパールにいたとか。桃子の鴛の日本刺繡も深みが合ってよかった。
山本さんの運針のワークショップは、基礎を学ぶことの大事さを違う角度から体験したかったが日が合わず残念だった。

そして、中島さんの「国家珍宝帖」にある色名を当時の絹から再現し草木染めした「いにしえの色」のワークショップは、すばらしかった。
実作者であり、研究者である中島さんの誠実さ、これこそ貴重な日本の財産であると思う。
権威にこだわってきた方々には、見習ってほしいもんである。

中国の本をみながら、絹にもいろいろあることはわかったていたが、どんな違いがあるかはよくわからず。
ちょっとしっかり中島先生の話しが身についてはいないが、
綾は、二種以上の織柄があって、後染めして模様となるもの。絁は粗い平織りで日本では関東方面で税として納められていた。
羅は、言葉で再現できないが、織り方がちがうらしい。
そして私は、紫の根を椿の灰で煮て染めた「紫」の匂い袋をいただいた。

芸術文化の力は美しい。
いきいきと、作家もお客さんも輝いていた。
そう思える文化の日であった。
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