OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

日本の夏じたく

2012年05月14日 | 書道・筆文字
いよいよである。
これに行かなければ日本の夏は始まらない、という国民的イベント(にまではなっていないが、人気作家や実力作家が多い、実のある心あるイベントである)「日本の夏じたく」展。
今週金曜日から日曜まで、横浜の三渓園で。

今年は参加しない小熊である。
昨年の私の案内には、「来年はお茶会を考えている」と書いた。
そうなのである。三渓園の山の中の茶室を使って、素人の私の薄茶、プロの方の濃茶を、私の作品などを飾りながら、と考えていたが、その期間、ユニセフだったか、どこかの機関が全茶室を貸し切ったと聞く。
そういうことで、今年は、看板くらいが私の仕事である。

初日に行く予定である。


今日、毎日新聞「女の気持ち」覧に「誠の書」という投稿が載った。
日野の新選組書展に毎年出品している方の、書に対する暖かいまなざしのエッセイである。
“点、はね、払い、一本の線で自分を表現する”と文中にある。
こういう方に出品していただいていると思うと、感激ものである。

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みんなの書展

2012年05月09日 | 書道・筆文字
今日は日野へ。
新選組書展後期展を観に行く。

大型書展も会期が別れての展示があるが、この新選組書展は別れて展示されるものは落選作品である。
いいじゃないか、そういうの。
いい方を変えれば、みんなの作品展である。アンデパンダン展といってもいい。
規模は小さいが、心持ちは上々である。
関係者の関わり方に感謝である。

書家のための様々な書展から子どものお習字展までさまざまであるが、上手さを基準とするものがほとんど。
この新選組書展は、上手いものも選ぶが、書や筆文字の魅力を最大限に考慮する審査である。
遊びを基準にしてはいない。だが、時には遊んだ書も選ぶ。それでも、書の魅力をいつも思っている。
落選作品も輝いている。


帰り道、小川の和紙研修にいらした時代の最先端を歩む某プリンター会社社長を訪問。
機密事項がぎっしりだが、まったく理解できないので、全部みせてくれた。

趣味とする写真は、被写体を富士山とした時の大らかさ、道を撮った時のひろがり、求道精神を感じるものだった。
気持ちいい人との一時だった。

その後、国立ノ―ションへ。
みんな墨磨りは上手い。
墨磨りコンテストがあれば入賞の可能性がある。




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相生相剋

2012年05月08日 | 書道・筆文字
「龍虎相搏つ」という言葉はある。
陰陽五行は相生相克という考え方。

「龍虎相生」なんて言葉はないが、これもあの出口氏の発想で生まれた。

その出口氏の師匠の馮老師が5月5日に亡くなったという。
日本にいる弟子や関係者は葬儀のため北京に駆けつけるという。

あらためて、「龍虎相生」もまた真理なり、と思う。
全紙に一枚一字で書いたものを表装することにする。



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コラボ

2012年05月05日 | 書道・筆文字


出口氏の主宰する自然身法研究会の極意は、自然であること、そこに極意が隠されている。
というようなことになるとおもうが、共感する部分である。

4月29日イベントの写真がとどいた。
昨年は二人とも、震災のことしか考えられず、祈りと復興を願った。
今年はたつどしにちなんで、「龍虎生動」と書くことは決めたが、
出口氏の動きによって書体を変えようとした。

「虎」はもっと様になる字があるが、出口氏の動きに合わせるとこんな感じか、と考えたりした。
「龍」の時は、一瞬意識が飛んだ。冷静に書いていない。
出口氏の太極拳をもとにした動きは定評のあるところであるが、あまり合わせようとすると、こちらはすべる。

昨年はこのコラボで、祈りとしての「鶴」を書いたが、それはその後、いくつかの場で使われ、今度は韓国に持って行って、そこに韓国の方からのメッセージを書いてもらって思いを共有しようと考えている。

自然身法研究会HPの動画に、この2つのコラボがアップされている。
ちょいと私としては恥ずかしいが、出口氏の動きを中心にみてください。

そうそう、きなみさんとのコラボ扇子は日本橋三越本店5階に8日まである。




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ふとした疑問

2012年04月21日 | 書道・筆文字
固有名詞が難しい、といわれ、なるべく一般の方に分かる内容にするべく努力している昨今?、今日はそれでも専門家向きのマニアックな内容ですが、ご容赦を。

九成宮醴泉銘に出てくる「億兆」の「兆」って、隷書体あたりからそのまま楷書になった字で、今の人は普通読めないと思うのですが、中学生に習わせるにあたって、テキストをみせたら、近くにいた3年生、小学生ですよ、読んでしまった。
2年生の時、“しんにょうのある字”を書かせたら、「辷」まで書いてきてしまった。

明治の終わり頃、やはり西川先生などは読めたのかな…。


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