OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

琉歌

2019年02月26日 | 文化・芸術
思いを言葉に、それも沖縄の言葉にして。
そして、その思いに添うように調べをつける。

歌会始などは、どうしても伝統行事という印象が強いが、今回の御作「歌声の響」は、
日本のいにしえから今につながる思いを表現することへの美しさを感じた。

そんな時、ドナルド・キーンさんの訃報もあったが、今回の「歌声の響」をキーンさんならどう聴いたか、知りたかった。
そうとう昔、40年近く前? 埼玉は慈光寺での金子兜太先生とキーンさんの対談がTV放映され、キーンさんの日本文化に対しての深さに驚嘆したのを今でも覚えている。
キーンさんの眼は確かという印象があるなか、陶芸家の土屋さんはキーンさんに認められた一人だ。西武での土屋さんの記念パーティ時、お目にかかったが、観る眼のある方に認められるとは作家冥利につきることだと思う。
そんな方がいると、苦労しても踏ん張れる。

今回の御作とキーンさん、大事な二つ。一つは生まれ、一つは消えた。ともいえるが、不思議なことに、いいものは消えてから尚、生き続ける。


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神羅万象

2019年02月19日 | 覚書
「神羅万象チョコ」なるものがあるようだ。
が、ここでは、
森羅万象
ではなく、その
神羅万象
を、示し申されたもの、としての「神」
つらなる、としての「羅」
とし、
万物やあらゆる現象の「万象」の
示し申されたとおりのすべての現象、とする。

水そのものに流れや力はない。
そこにあるときの流れや力があるだけだ。

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静謐な空間

2019年02月09日 | 文化・芸術
気になった言葉もすぐ流されてなくなってしまう。
でも、気になった言葉を、大事にあたためて、どんな紙に、どんな大きさのどんな形の活字に、どんな色にして、それを表現したら、その人が受けたその言葉が、そこに定着できるのかもしれない。そうした表現は無限なのかもしれない。
活字での表現ではなく、気になった言葉を、フリーハンドで書くのは毛筆も同じだが、ペンを基本に、手で書いて、その思いを字体を変え、紙という素材を自由に遊ばせ、空間に思いをつないだり。

星さんとヒロイヨミ社の山元さんのお二人の奏でたのは、言葉と文字ではあったが、繊細な空間がそこにできていることが新鮮だった。

ロシアの骨董と存在感のある花々に囲まれて、19世紀の洋館にながれているような時間はこんなかんじだったかな、と思った。

「三日月と金星のあいだ」星幸恵 ヒロイヨミ社 

場所 南青山 はいいろオオカミ+花屋西別府商店
日時 明日10日まで。明日は、11時から19時

静謐な空間を離れ、青学前の国連大学前は土日マルシェになる。そこで燻製の肉や卵、無農薬米のおいしいおにぎりなどを提供するコメシルナをめざす。
ぜんぜんインスタ映えしないお弁当ながら、肉も卵もおにぎりも、うまい!
土日、青山界隈に行ったら、コメシルナの移動販売カーをめざせ。



今日はその日にアップした。

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とうり

2019年02月09日 | 日記
大人の一日散歩 上野・鶯谷・日暮里  墨アカデミア 東日本橋教室9人珍道中編

上野 国立博物館 「顔真卿」 ……期待以上の展示。これは行った方がいい、素人の方でも。でも、混んでる。一日そこでつぶす覚悟が必要かも。
10時過ぎで祭姪文稿20分待ちはまだまだよし。中国人の方々多し。
鶯谷 宮川 ……うなぎの名店は鶯谷にもあった。お豆腐料理の有名店もあるが、みんな食べたことがあるというのでうなぎ屋になったが、私はまだ。
子規庵  ……ボランティアの方々が子規庵を守っている。枯れた糸瓜の写真の通り。
     この辺はホテル街である。その対比が、大人の散歩らしい。
書道美術館 ……甲骨文から唐時代まで様々な年代の書に触れて、書の原点を思い出させてくれる当時のままの本館もいいが、掲示文がイケてて笑える。もとの持ち主の中村不折ばりの字で「監視カメラこっそり作動中」とか。 
羽二重団子 ……本店は改装中ながら、日暮里駅前店あり。コーヒーはやめて、抹茶と団子、ぜんざいなど、ホッと空間。
主婦の方はそこで終了。5時。
その後、近くの居酒屋に6人。書の話はほぼなく、TVや雑誌にはけっして公表できない事情通のみなさんの話で盛り上がる。

みんな楽しかったようでなにより。


へちまは、繊維があるので、糸瓜と書くが、〝いとうり〟がつまって〝とうり〟とも呼ばれ、そこから更に、江戸のしゃれなのか、
いろはにほへと ちりぬるを
の「へ」と「ち」の間に、「と」があるので、「と瓜」からの「へ、ち、間」となり、「へちま」となった、らしい。

と、ゲストの平安の大詩人の末裔の方が教えてくれた。
私の書道解説より、よっぽどみんなの記憶に残った。



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誘惑

2019年02月06日 | 日記
骨董品屋さんが店じまいとかで、50%OFFにつられてはいってみたんですが、もッとまけてくれるんですよ、と生徒さん。

そういう言葉に弱い。


おおぎっしり物あり。

硯は端渓と書いてはあるけれど。

ん、黄色い石は田黄!?

安すぎ。
艶もなし。紅皮田黄とは書いてあるけれど。
本物はそうそうないとはわかっているが、宝石以上の価値となってしまった「田黄」という言葉に弱い。

骨董品屋のご主人も悪い人ではない。
陶器には詳しそうだが、硯や石は一応の知識のようだ。

わかっちゃいるが、にわか田黄を二顆買ってしまった。

30年前、ルリチャンで買うことをためらってしまった親指ほどもない田黄の郷愁が、面影になって誘惑するのである。





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