思いを言葉に、それも沖縄の言葉にして。
そして、その思いに添うように調べをつける。
歌会始などは、どうしても伝統行事という印象が強いが、今回の御作「歌声の響」は、
日本のいにしえから今につながる思いを表現することへの美しさを感じた。
そんな時、ドナルド・キーンさんの訃報もあったが、今回の「歌声の響」をキーンさんならどう聴いたか、知りたかった。
そうとう昔、40年近く前? 埼玉は慈光寺での金子兜太先生とキーンさんの対談がTV放映され、キーンさんの日本文化に対しての深さに驚嘆したのを今でも覚えている。
キーンさんの眼は確かという印象があるなか、陶芸家の土屋さんはキーンさんに認められた一人だ。西武での土屋さんの記念パーティ時、お目にかかったが、観る眼のある方に認められるとは作家冥利につきることだと思う。
そんな方がいると、苦労しても踏ん張れる。
今回の御作とキーンさん、大事な二つ。一つは生まれ、一つは消えた。ともいえるが、不思議なことに、いいものは消えてから尚、生き続ける。
そして、その思いに添うように調べをつける。
歌会始などは、どうしても伝統行事という印象が強いが、今回の御作「歌声の響」は、
日本のいにしえから今につながる思いを表現することへの美しさを感じた。
そんな時、ドナルド・キーンさんの訃報もあったが、今回の「歌声の響」をキーンさんならどう聴いたか、知りたかった。
そうとう昔、40年近く前? 埼玉は慈光寺での金子兜太先生とキーンさんの対談がTV放映され、キーンさんの日本文化に対しての深さに驚嘆したのを今でも覚えている。
キーンさんの眼は確かという印象があるなか、陶芸家の土屋さんはキーンさんに認められた一人だ。西武での土屋さんの記念パーティ時、お目にかかったが、観る眼のある方に認められるとは作家冥利につきることだと思う。
そんな方がいると、苦労しても踏ん張れる。
今回の御作とキーンさん、大事な二つ。一つは生まれ、一つは消えた。ともいえるが、不思議なことに、いいものは消えてから尚、生き続ける。