OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

助蔵物語

2020年08月25日 | 書道・筆文字

劇画『助蔵物語』裏表紙にあるシナリオを書いた杉本さんの言葉である。

そこは、特太明朝のフォントで整然と三文字づつ三行で入っている。

筆文字でこれよりいいものができるか、と確信がもてないままながら、この言葉に惹かれかいてみた。

助蔵とは、アメリカ領事館を初めて置いた下田玉泉寺にて、ハリスや通訳に当たったヒュースケンの給仕として働きだした地元の方だという。

「お吉」狂いから下田に通い詰め、お吉の実際の姿をあぶりだし、助蔵さんらを世の表舞台にだして、新たな歴史を紐解いている杉本さんであるが、一瞬も一生も一緒だという言葉をはいた。この境地には共感。感服。

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一箇半箇接得

2020年08月19日 | 覚書

凡夫は、俗事にまみれ世情を気にしながら、つかの間、いっこはんこの世界へ。

 

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下田愛の集大成なる!

2020年08月14日 | 文化・芸術

下田の歴史漫画の集大成が、ようやく完成いたしました
先日、下田市教育委員会に寄贈に行った時のことがテレビ静岡のニュースになりました
https://www.fnn.jp/articles/-/73856

と、杉本さんから。発売は8月21日とか。

 

知り合った頃は、髪もふさふさだった。剣名舞の愛弟子といっていいのか、よき仲間といっていいのか。

今は社長業をやりながららしいが、社員がよほどしっかりしているのだろう。

社長は、下田通いで、お吉さんの小説、劇画化にはじまって、とうとう一般にはしられてない助蔵さんにまで。

 

今の時代、なにか事が成る裏には、なんかいやらしさを感じることが多い中、この人の一途さはすがすがしい。

下田愛いっぱいの劇画になったのだろう。

主人公はハリスに仕えた助蔵さん。主役は庶民。これもいいねー。

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名作前夜?

2020年08月13日 | 書道・筆文字

広告などの筆文字の仕事は、たいてい製品が発表されるまで、書いたことは内緒だ。もっというと、大きい仕事は製品が発表されても、どこの事務所が関わってどこの誰が書いたのかも内緒ということもままある。

もっとも最近は、私が書きました、というのを主張する広告も多くなって、書に携わる方々は、プライドが持てる? 

意地悪な言い方をすると、名前にプライドを持つ前に、そのものの筆文字にプライドを持てるようなものを書け!

といいたくなるようなものが多くなったのもまたしかり。

 

さて、ここにあげた写真のものは、何回か書いているが、しっくりこないで、今にいたる。おさななじみの作るコメの米袋なので、ギャラはあっても米だろう。でも、手を抜くことはない。HPにも載せない大きな仕事と同じように、気に入るまで書いて、あとはデザイナー任せ、といいたいが、デザイナーもいないただの少量の米袋だ。

秋に出来上がったら、また、ここに。

 

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秩父めぐり つづき

2020年08月06日 | 日記

二度目の写真だとおもうが、この神社に寄るとやはり気になる。

役行者にみえるご神木である。

ここ今宮神社から湧き出る水を使って、秩父神社からの田植え祭り???も始まるとか。

その聖水でお金を清めると、500円が500万円になるとか。

100円玉を清めたので、100万円入る。前後したが、それが私の場合、持続化給付金だったのかな!?

 

 

 

 

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妙見様

2020年08月05日 | 日記

秋蚕仕舞うて 麦蒔終えて

秩父夜祭 待つばかり

伊昔紅

 

吉見屋さんにかかる秩父音頭の一節の軸である。紙表装ながらいいセンスの軸である。

本紙は継いであるという。

三枚ほどのなかからいいのを採ったと。

それは、のれんのために書いたものだからという。

吉見屋さんのご主人から聞いたお話だが、さらにご主人から聞いたのは、この「秩父夜祭待つばかり」の秩父夜祭というフレーズは、山車を曳く秩父市内の地元の方々は少々気に入らなかったという。地元では「妙見様」と呼ばれていたらしい。「夜祭」は秩父の在の呼び方だったようだ。

伊昔紅命名という桃刀さんの計らいで、三ちゃんとふたりだけ、二階の大広間で、この軸や兜太や秩父七人衆の色紙短冊を鑑賞しながらうなぎを美味しくいただく。

じつはこの吉見屋さん、ほぼ30年前、よく通った。となりの新聞屋さん新築の現場で、現場監督の日銭稼ぎを引き続きしていた。夕方終う頃になると社長の極真息子とよく蹴りあっていた。

吉見屋さん夫妻も新聞屋さんだったご主人も元気のようだが、新聞屋の奥さんがいなくなったのはさびしい。

 

知らずうちこぼるる花の百日紅 芭蕉洟

 

伊昔紅・兜太の生家が記念館となり、二回目となったが、兜太10代後半の日記を拝見。内容も深そうであったが、その繊細できれいなペン字が衝撃である。晩年のあの金釘流との乖離。

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