1955年の16ミリ映画「日本の書」の存在は知っていたが、はじめて観た。
江口草玄さんがなかなかかっこよかった。煙草をくわえた姿がなかなかいい。
さて、その映画の監督は、ピエール・アレシンスキー。
森田子龍「墨美」を知り、日本の前衛書道と関係を持った美術家として知られるが、その作品の全貌がみられた貴重な展覧会は、東急文化村で今日が最終日だった。
知り合いの書き込みに、日本の書に影響されたらしいけど、書よりずっといい、みたいなコメントあり。
総評としては、頷く部分はあるが、書と美術を同じ視線で見過ぎると、核心にたどり着けないのではないだろうか。
「墨美」の時代、世界のアートシーンのなかで評価された日本の書であった。その時、書は芸術になりたがったし、なったのかもしれない。
そのままそれを今に引きずっても、海外の新聞・テレビのニュースにはなっても、それは重要なことを含んではいない。
いま、書は書の存在を確かめて歩む時なのだと思うのだ。
すぐ安易に陥りやすい書なので、こころして歩みたい。