響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

12歳の文学賞、続編。

2009-04-26 | コレクション
子供に本を買い与えよう、というのはいいことなんだけれど、そのことが、自由に子供の得意なことを伸ばしたり、それまでなかった意外な関心を育てたり、興味のあることを深めて、場合によっては大人なんかより──少なくとも何か特定の「そのこと」については──すごいなんてことになると、もっと、とってもいいことだと思う。

先だってオーストラリア人の女性と話していて、学校に毎月ニュースレターのような形でジャンルごとになっている推薦図書のリスト(科学、ノンフィクション、ミステリーとかいったふうにですね)が配られ、生徒が見て、好きな物を注文して読んだものだ、と聞いて、それはいいなと思った。

以前もちょっと紹介したけれども、それがこんなサイトになっている。

SCHOLASTIC bata版
http://www.scholastic.com/kids/stacks/


こういう機会に注文するから、先生にほめられたりというわけでなく、父兄の誰かが儲かったりするわけでもなく、実に子供が興味を持ちそうなものを、大人がリストアップして、買う手段を与えられるとしたら、それはとってもすばらしい。

一方、やはり以前紹介した小学生の文学賞で、子供たちによる逆推薦の本セレクションというのがあるようだ。

12歳の小説アワード
http://www.netkun.com/12saibungaku/webmag/award/index.html


これはまあ、文学賞の審査委員の作品が選ばれていて、ちょっと手前みそな感じであるけれども、ただいかにも大人のお墨付き、という雰囲気からはちゃっかり脱している点は評価できる。

私が知っているのは子供が通っている小学校だけだけれども、少し、大人が子供や小学校を私物化しすぎているのではないだろうか? 子供が単独では──つまり大人に日和るのでなければ──いいと思わないようなものじゃなくって、今の大人にはないような知恵をつけてくるかもしれないような、そんな触媒になるようなやつをお薦めしちゃうぐらいの大人でありたいものではありませんか。

ほらたとえばさ、世界がもし100人の村だったら、みたいのとかね。科学者の伝記じゃなくって数学パズルとかね。そうやって考えるとセレクションという作業がなかなか難しいことにも気づかされる(し、もしかしたらセレクションそのものじゃなくて配布などの運営が個人的にあまり感心しないという偏見かもしれない)けれども、それと同時に月1回という知恵にも気づくのだ。つまり、ある程度の量、適度の量を推薦できるからである。ジャンルというふうにきってやることにも意義があり、それはこういう場合にはこれを見ればいいという知恵を身につけられるからだし、高校になって急に「進路」を決めろといわれて悩まなくてもいいかもしれない。

買ってしまいました↓
12歳の文学 (小学館文庫)
小学生作家たち
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