ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

富山県南砺市、高屋「高屋古宮の大杉」です!!

2024-04-28 18:36:36 | 巨樹・大木
 高屋地区は、南砺市役所の北東約9km、南砺市役所福野庁舎の東約4kmのところ

 南砺市役所福野庁舎(市民センター)に西側の県道20号線を北へ進みます

 約1.0kmの「松原(西)」信号を右(東南東)へ、国道471号線です

 約700mで斜め左(東)へ、約900mで右からの「南砺スーパー農道」に合流して東へ

 約1.1kmで今度は左からの県道143号線に合流しました

 約600mで「二万石用水」を渡って直ぐ砂利道を左(北)へ入ると

 目的の杉が盛り土の上にのっています

 南西側から

 二万石用水には、田植え前で大量の水が流れています  

 二万石用水改修事業 竣工記念碑です
 庄川用水合口ダムにより取水された水が、まずは岩屋八見神社前で用水が二分して、また高屋古宮の大杉の前で横江宮川への流路(上の写真左側)と主路を二分する場所です。
 主路はここから北西へ進んで、南砺市福野や砺波市の西側で田圃を潤しています。

 西側から

 太い幹をみました、目通り幹囲5.7mの巨木です

 根元の祠です、右側はお不動様のようです

 北西側から

 北側から

 北東側から見ました

 そろそろ陽が沈みますので、今夜の車中泊予定していた「道の駅井波」いなみ木彫りの里へ行ってみました

 しかし、道の駅は売店の終了時間、近くにコンビニも無いので、約2km戻って「道の駅庄川」に決めました

 同じ敷地にドラッグストア、向かい側にコンビニ、直ぐ近くにスーパー、もう一店舗ドラッグストアやホームセンター2店舗があり便利でした
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富山県南砺市、福野「福野神明社のケヤキ」です!!

2024-04-28 06:36:27 | 巨樹・大木
 福野地区hあ、南砺市役所の北東約6km、南砺市役所福野庁舎の北北東側の地区です

 南砺市役所福野庁舎(市民センター)西側の県道20号線を北へ

 約600mの「横町」信号を右(東)へ、間も無く商店街の左手に石燈籠が見えました

 左(北)へ入ると鳥居が見えました

 参道左側の手水舎脇に車を止めさせて頂きました、後ろの建物は神明社春季祭礼の曳山の倉庫です

 一ノ鳥居です

 境内にも手水舎です

 拝殿です、南向きに鎮座します

 本殿です

 本殿西側に境内社が並びます、左側の赤い鳥居は稲荷社ですね


 参道の左手境内奥に一際大きなケヤキが見えます

 南東側から

 東側から、目通り幹囲5.8mの巨木です

 北側から

 西側から見上げました


 南側にももう一本大きなケヤキです

 西側から見上げました、実測してみると目通り幹囲4.7mの大木です


 北東側から見ました

 では、次へ行きましょう
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富山県南砺市、安居「安居寺の大ケヤキ」(市指定)です!!

2024-04-27 18:30:01 | 巨樹・大木
 安居地区は、南砺市役所の北北東約5kmのところ

 南砺市役所の東側の国道304号線を北へ出ます、約200mの「福光駅前」信号を左(西)へ、県道27号線

 約500mの「富山県信用組合 福光支店」前を右(北東)へ、途中の小矢部川を渡る時には川沿いの千本桜が綺麗でした

 ここから県道48号線です、約5km道成りにすすむと「安居寺前」信号を過ぎて直ぐ

 左手に安居寺の案内板が有ります(帰りに撮影したので北側からの写真です)

 西へ入ります

 左(西)へ坂道を上って約200mで駐車場に入りました

 安居寺公園の案内図です

 概念図です、目的のケヤキは駐車場前(目の前)に在ります

 東側参道石段前から見ました

 枝落下の注意書きと参道石段はロープで封鎖されていました

 南側から

 南砺市指定天然記念物標柱です

 南西側から、樹高36m、目通り幹囲7.6m、推定樹齢500年の巨木です

 南西側から

 弥勒山安居寺寺號標です

 仁王門前(西北西側)から見ました

 参道を進んで、観音堂へ行きましょう

 六地蔵様です、参道はここで右に直角に曲がっています

 奥に山門が見えました

 北陸観音霊場第27番 当国観音霊場第1番 弥勒山 安居寺の新し寺号標ですです

 右手に鐘楼です

 山門です

 手水舎です

 観音堂が見えて来ました

 観音堂前に御神木の杉です

 幹半分(西面)は既に枯れてしまってキツツキに穴をあけられています

 観音堂です

 北側一段下に本堂です

 文化財案内板です


 本堂前のシダレザクラはまだ3分咲きほどでした

 では、次へ行きましょう
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富山県小矢部市、岩崎「岩崎素盞嗚社の俊寛逆さ杉2本」です!!

2024-04-27 06:32:42 | 巨樹・大木
 岩崎地区は、小矢部市役所の北西約3kmのところ

 小矢部市役所東側の県道270号線を北へ進みます
 
 約1.5kmの桜町」信号を左(北西)へ、約200mで国道8号線を越えます

 約2.1kmの右カーブの内側に赤い水門のハンドルが見えます、ここに車を止めさせて頂きました

 坂道を上ると社號標が見えて来ます

 更に折り返すと

 素盞嗚神社の社號標です

 さらに坂道を上がって行くと

 左手奥に鳥居が見えました

 見上げる位置にスギの樹幹が見えます

 鳥居です

 鳥居前の桜は見頃です

 石段を上がります

 石灯籠です 

 燈籠の台座石の苔にスミレが咲いています


 正面には拝殿が東向きに鎮座しています

 本殿覆い屋です

 境内南東端に目的のスギです、参道石段に近い方です

 北西側から、目通り幹囲6.1mの巨木です

 もう一本はすぐ南西側です

 西側から、目通り幹囲5,8mの巨木です

 境内南東端に二本の大スギが並んでいるのが分かりますね

 拝殿前(西側)から、元の参道へスギの間を通っていて門杉状態だったように思われます

 拝殿前(北西側)からみました

 *「俊寛逆さ杉」の名前についてネットでの情報では、平安時代末期に俊寛によって植えられてとの伝説があるそうです
 俊寛は、、康治2年(1143年)~ 治承3年3月2日(1179年4月10日))は、平安時代後期の真言宗の僧です。

 京の鹿ヶ谷で平家打倒を企てたものの、密告により複数名が捕らえられた「鹿ヶ谷事件」。
 その密議場所の山荘を提供したのが僧の俊寛で、藤原成経、平康頼と共に3人は薩摩の硫黄島に流されたと平家物語にみえますが、実はこの小矢部市に流されたという伝説があります。

 と言うことで、このスギの樹齢は約850年となるのかもしれませんね



 アズマイチゲのようです

 では、次へ行きましょう
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富山県小矢部市、桜町「神明宮(桜町神社)のスギ」です!!

2024-04-26 18:48:00 | 巨樹・大木
 桜町は、小矢部市役所の北約2kmのところ

 小矢部市役所の東側の県道270号線を北へ進みます

 道成りに約1.5kmで左(北西)へ、県道74号線です

 約200mで国道8号線の「桜町遺跡」信号ですが、手前の擁壁の脇の細い道を左西に入ります

 約200mで道路左手に 神明宮の社號標です

 社號標の前に車を止めさせて頂きました

 鳥居が有ります

 石段を上がります

 石段右手に大きなスギが見えて来ました

 南東側から見ましたが、目的のスギは境内にあるようです

 境内に上がって来ました正面に拝殿です、東向きに鎮座します

 本殿です

 左手の建物が社務所です
 

 境内北西角に目的のスギです

 南側から、境内のサクラ越に見上げました

 拝殿前から、目通り幹囲5.0mの巨木です

 西側から見ました


 スミレです


 ショウジョウバカマです


 車に戻るとアナグマが近付いて来ます

 気が付いたようですが、餌を探している様子で逃げませんでした
 
 *ニホンアナグマは、食肉目イタチ科アナグマ属に分類される食肉類。標準和名はアナグマとだけ呼ばれています
 
 では、次へ行きましょう
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富山県射水市、浄土寺「禅照寺の杉」ですが・・・!?

2024-04-26 06:30:35 | 巨樹・大木
 浄土寺地区は、射水市役所の南約5kmのところ

 射水市役所の南側道路を南東へ進みます、約700mの「本開発(中)」信号を斜め右(南)へ、国道472号線です

 約4.7km道成りに進んだ「青井谷」で国道は左の標識があります

 左(南東)の国道に入って下条川の橋を渡ると

 右手に禅照寺の駐車場がありますので利用させて頂きました

 参道入口です

 寺號標です

 山門です

 山門を入った左手に鐘楼です

 蓮如上人の歌碑です

 説明版です
   蓮如上人直筆詠歌 歌碑について
 本願寺第8代ご門主の蓮如上人(御往生は85才)は、70歳を迎えられたときの所感を2首の歌に託されたもので、一幅の掛け軸としてご本山に所蔵されています。
 この旅、ご本山の好意により、当寺の歌碑建立のため、その「書字」の許可を頂いたものであります。
  詠歌1、「七十地に 身はみつしほの にしの海 ふなぢをてらせ 山の端の月」
  詠歌2、「なき跡に 我をわすれぬ 人もあらば ただ弥陀たのむ こころをこせよ」 
 当寺は昔、真言宗の寺であったと伝えられています。
 今から500年余り前、当寺の住持であった浄心法師が蓮如上人の名声を聞き、加賀二俣の本泉寺へ上人がご来化の機に、その法を聞き、念仏の大法に感動し浄土真宗に帰し、当寺の初代となり今日(現住職は第19世)に至っています。
 因縁の厚いその上人の歌碑が建立されたことは、まことに意義の深いことと喜ぶものであります。
      金龍山 禅照寺


 本堂です

 目的のスギは本堂と庫裡に裏側に有る様なので本堂の南側から回って見ましたが・・・

 建物の陰に成ってしまって樹冠を確認するしかできませんでした

 2024年1月1日の能登半島地震の時に、射水市も震度5だったようです

 墓石が倒れて、まだそのままになっています

 では、次へ行きましょう
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富山県上市町、眼目「①立山寺のトガ並木(県指定)と大椎(町指定)」です!!

2024-04-24 19:03:51 | 巨樹・大木
 眼目地区は、上市町役場の東約4kmのところ

 上市町役場北西側の「役場前」信号を東へ、約1.7kmの「北島」信号を斜め左(北東)へ、富山中部広域農道です

 約2.5kmで上市川右岸に渡った「野島」信号を右(東)へ、約1.2kmで一時停止を斜め右(南東)へ

 間も無く右手に立山寺の並木口駐車場が有ります

 駐車場脇の案内板です
   大岩山県定公園ご案内
    立山寺哲学の道
 1370年、立山寺の開山、大徹禅師は人生の在り方を人に伝え、心の安定した生き方を広めようと眼目に道場を開きました。それは静かに考えることのできる自然のすばらしさが、ここにあったからです。
 わたしたちは自然から生まれ、自然に帰る生きものです。大自然の息づく中を歩きながら、生きる本来の在り方を静かに考えてみましょう。
    上市町
 

 参道入口はもう少し南側です、左への道は立山寺境内脇の駐車場への道路で

 哲学の道の右手のコース「坐禅石コース」を行きましょう

 参道入口です、参道は杉の大木が並んでいます

 「曹洞宗大本山總持寺 御直末・元輪番地 眼目山 立山禅寺」寺號標です

 説明版です
   眼目山(がんもくざん)立山寺(りゅうせんじ)
 ・開創
 曹洞宗大本山総持寺第2租峨山禅師の五哲の一人大徹宗令禅師が、立山権現の要請によって創まる。建徳元年(西暦1370年)
 ・坐禅石
 開山大徹禅師と開基立山権現師が対坐した石。東南500m先の林中にある。
 ・大徹禅師木造
 開山ご在世中に城の房太郎が仏師に彫刻させた等身大の坐像。昭和31年県文化財指定
 ・栂
 当山16世拗山是越禅師が伽藍再興の折植えたもの。三代将軍家光の寛永期の頃で、樹齢400年ほど。昭和33年県の天然記念物指定。
 ・櫛形山観音霊場
 本堂後の松山に三十三ケ所、観音を安置し、頂上に聖観世音、十三仏、弘法大師を安置した堂宇がある。眺望絶景の森林浴の山。大祭は6月18日


 参道中程までは杉並木です

 右手にはサクラの咲く公園に成っています「芝生広場」ですね

 「富山県指定天然記念物 立山寺参道のとが並木」標柱です

 *トガ(栂)とは、北陸地方でのモミノキの呼称で、能登地方に多く産します。

 樹年齢400年、樹高約20m、太さは約3mの大木の並木です

 總持寺租院から三代将軍家光の寛永期、16世拗山是越大和尚時代に植樹されたと伝えられています

 トガの並木が切れると左手に町指定天然記念物の大椎です

 南側から

 「立山寺の大椎」の天然記念物標柱ですが、幹に倒れ掛かっていました

 町指定天然記念物説明版です(境内西側駐車場にあります)
   立山寺境内町指定天然記念物 4種
      所在 上市町眼目15他 所有または管理者 立山寺
   立山寺の大椎  昭和43年3月16日指定
 山門近くの杉林の西南にある巨木である。
 樹幹は巨大だが、樹枝は貧弱である。これは、上市川右岸の段丘にあるため西南の風にさらされたためと考えられている。
 常緑広葉樹で植栽によるものと思われる。


 西側から

 北側から

 総門前の段丘崖上から上市町(南西方向)を見下ろしました

 総門です

 右手に六地蔵様です

 参道から大椎を見ました

 東側から

 「町指定の天然記念物・立山寺のねじき」を探してみましたが、「座禅石コース」に見つかりませんでした

 長く成りそうなので、②に続きます

 

 
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富山県入善町、下山「下山八幡社の大藤と境内林」(県指定)です!!

2024-04-22 06:30:08 | 巨樹・大木
 下山地区は、入善町役場の南南東約6kmのところ

 入善町役場前の国道8号線入善黒部バイパスを南西に進みます

 約1kmの「上野(中)」信号を左(南南東)へ、県道327号新屋上野線です

 約2.3kmで北陸自動車道の高架を潜ります、更に約700で北陸新幹線の高架を潜り

 約1.6kmで県道が左にカーブして東へ向かいます、約500mの諏訪社前で左からの道路に合流(南へ)します

 すぐの交差点を左(東北東)へ、約800mで丁字路を右(南東)へ

 約200mで案内板が建っています(南側から)

 下山八幡社の大藤と境内林 富山県指定天然記念物の標柱です

 そばに説明版があります
   富山県指定天然記念物
 1,名称 下山八幡社の大藤と境内林
 2,指定年月日 昭和40年1月1日
 3,説明
 社殿は段丘斜面の中段に建てられ、大藤はその社殿右後方の下斜面の林の中に生えている。
 3m位横ばいししてから右巻きしながら直立し、高木のウラジロカシに巻上がり、広く枝葉が繁茂して社殿の大半をおおっている。
 よって西側の田園よりよくその開花が眺められ、附近の農民は昔から田植時の花として親しみ、その花の多い時は豊作であると言い伝えられている。
    富山県教育委員会・入善町教育委員会

 ここを東側の山裾?段丘の崖下へ向かいましょう
 
 右手に駐車場がありますので利用させて頂きました

 境内入口?にも藤蔓が見受けられました

 北西向きに下山八幡社が鎮座します

 村社 八幡社の社號標です

 手水舎です

 左手(東側)には「八幡滝」の禊場のようです

 右手に「富山県指定天然記念物 下山八幡社の大藤と境内林」の標柱と説明版です
   所有者 八幡社
    大藤
 根周り2.78m、根元より1mの高さで2.219m、根元より3mの高さで1.9m。
 社殿の右後方下、斜面に生え根元より横臥して3mの高さで立上がり、紫藤の特長を示して右巻きしながら枝を分かち、ウラジロカシを中心として絡み付き繁茂して社叢の大半を被う。
 田植え時期の花と親しまれ、例年開花の多い年は豊作であると言い伝えられている。
    境内林
 黒部川扇状地の旧河岸段丘の浸食された断崖の脚部に出来た狭い付属段丘で、この大藤と共にウラジロカシ・シロダモ等の常緑林で、幅10m、奥行き54m程あり、黒部平野の開墾前の自然林の代表的なものである。

 *大藤の説明文は、西側の道路脇の説明版と同じものです
  また、安心しました標柱の所に枯れている木が目的の藤ではありませんね

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 拝殿の右て(南側)から下へ降りて行けます

 金属製の藤棚が組まれています

 目的の大藤ですが、説明版に有ったほどの太さは無くなっていました

 南側から見ました

 東側にも藤が横たわって崖面の木々に絡み付いて登って行っています

 境内へ戻りましょう

 鳥居西側に五輪塔が並んでいます

 説明版です
   下山八幡社石塔群
 下山八幡社の神域と、北隣する現在池底になっているあたりは、古い寺院の跡と考えられる。
 中沢にある本龍寺の旧地といういい伝え、仏像をご神体とする現八幡社や小字名の「地蔵」、さらに、出土した多数の石塔類がそれを証する。
 石塔類は、現在のところ、南北朝時代の関東製青石塔婆(武蔵型板碑)1基、南北朝から室町時代中期にかけての五輪塔地輪7ケ、同水輪5ケ、同火輪11ケ、空風輪10ケ、それに室町時代後期の板石塔婆1基などである。
 寺院は西面しており、西からの参道があり、石塔は寺院のすぐ背後の松丘中腹に、南北に配列されていあっと考えられる。
 今後もまだまだ出土する可能性がある。
 青石塔婆には「キリーク」「サ」「サク」つまり弥陀三尊の種子が、五輪塔の水輪すべてに「バン」つまり金剛界大日の種子が、さらに室町時代後期の板石塔婆には、「ウーン」おそらく阿閦如来の種子が、それぞれあって内容は多様である。
 なお種子とは、古代インドの文字による仏菩薩のイニシャルをいう。

 *奥が深いですね~

 では、次へ行きましょう
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富山県入善町、小摺戸「小摺戸の大藤」(県指定)です!!

2024-04-21 06:30:14 | 巨樹・大木
 小摺戸地区は、入善町役場の南約5kmのところ

 入善町役場前の国道8号線入善黒部バイパスを南西に進みます

 約1kmの「上野(中)」信号を左(南南東)へ、県道327号新屋上野線です

 約2.3kmで北陸自動車道の高架を潜ります、更に約700で北陸新幹線の高架を潜り

 約1.6kmで県道が左にカーブするところを右(南西)へ入ります

 間も無く田圃の南側に島のように浮かんで北西向きに神明社が鎮座します

 西側から回り込む様にして、鳥居前に車を止める事が出来ました

 参道入口です

  村社 神明社の社號標です

 玉垣のそばに小摺戸の大藤の標柱と説明版です
   富山県指定天然記念物
     小摺戸の大藤
         昭和40年1月1日指定
 この神明社の社殿前左側に、見事な大きさの藤がある。
 数本の太い枝に分かれ、周りの木にからみつき、境内の中央に広く張り出している。
 樹高約10m、幹周り約3m、開花期は5月上中旬頃で、紫色の花を咲かせる。
 地元の地区では、開花期に合わせて「藤祭り」を行い、秋の豊作を祈っている。

 *楽しみですね、行ってみましょう

 手水舎です

 参道を進むと参道を跨ぐように藤棚が設置されています

 参道左手(北側)には太い根元の部分です
 
 西側から見上げました

 富山県天然記念物小摺戸宮の大藤の標柱です

 説明案内板です
  この大藤は県下でも屈指の大株で、根元の太さが2.73mあります。
  シナノキは蔓を巻き昔の黒部扇状地の、面影をしのばせます。・・・富山県

 中央の藤棚です

 西側の藤棚です

 南側から、元はシナノキに巻き付いていたのでしょう、現在は鉄の藤棚です

 中央部分です

 西側部分です

 南東側から見ました


 拝殿です

 本殿覆い屋です

 拝殿前から見ました

 左の建物は神楽殿ですね

 拝殿西側には力石でしょうか、そばの石碑には「盤持石」と有りました

   盤持石の由来
 遠い昔から昭和30年代の中頃までお宮のお祭りには多くの村人が集まる中で、力自慢の若者たちが、盤持(重量挙げ)と云う、力比べに使った石である。
 この石を肩まで担ぎあげ、観衆から万雷の喝采をうけた。数多くの物語り(ロマン)を秘めた由緒ある石なので、ここに保存することをとした。・・・とありました

 神明社跡の石碑です

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富山県入善町、一宿「一宿神明社のアカマツ」(保存木)です!!

2024-04-20 18:30:48 | 巨樹・大木
 一宿地区は、入善町役場の南約4kmのところ

 入善町役場前の国道8号線入善黒部バイパスを南西に進みます

 約1kmの「上野(中)」信号を左(南南東)へ、県道327号新屋上野線です

 約2.3kmで北陸自動車道の高架を潜ります、更に約700で北陸新幹線の高架手前を右(南西)へ高架沿いを進むと

 間も無く(約200m)新幹線の高架の南側に一宿神明神社が南西向きに鎮座します

 参道前に駐車スペースがありますので利用させて頂きました

 駐車スペースから北陸新幹線の高架を見上げました

 参道脇のシダレザクラは二分咲きです、高架の陰になっているので遅れているようです

 村社 神明社の社號標です

 鳥居です

 手水舎です


 拝殿前西側に目的のアカマツです、注連縄の巻かれた御神木です

 南側から見上げました、幹の最上部が切られてしまっています

 北側から見ました、幹の頂部を切られてしまっても、目通り幹囲は3.7mの大木です


 拝殿です

 本殿です、御祭神は天照大御神ですね

 参道の南側には「神殿跡」一宿神明社整備事業完工記念碑です

 *新幹線の工事と共に境内の整備が行われたようです。

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富山県入善町、青木「浄慶寺のクロマツ」(保存木)です!!

2024-04-20 06:59:20 | 巨樹・大木
 青木地区は、入善町役場の西南西約2kmのところ

 入善町役場前から国道8号線(入善黒部バイパス)を南西に進みます

 約2.4kmの「青木(東)」信号を鋭角に左(南東)へ入ります

 約600mの交差点を左(東)へ、また約100mで左(北)へ戻るように進むと

 まもなく浄慶寺の本堂の大きな屋根が見えて来ます

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました


 東向きの境内入口そばに目的のクロマツです

 北側から、奥(境内南東隅)に鐘楼が見えます

 根元に「入善町 保存木」の石柱です

 西側から

 南側から見ました


 本堂です、浄慶寺は真宗大谷派に属し、本尊は阿弥陀如来だそうです

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富山県入善町、上野「上原の丁松」(保存木)です!!

2024-04-19 19:17:54 | 巨樹・大木
 上野地区は、入善町役場の西約1kmのところ

 入善町役場南側の国道8号線を南西へ進みます、約400mの「入善東」信号を右(北西)へ

 約350mにお「上野」信号を左(西)へ、県道117号上飯野入善停車場線です

 道成りに約500mで左手に

 北西向き参道で上野神社が鎮座します

 直ぐ先信号そば左側に広い駐車場が在りますので利用させて頂きました

 村社 上野神社の社號標です

 手水舎です

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 目的のマツは、県道117号線脇に立っています、上野神社鳥居前(東側)から見ました

 南がから、目通り幹囲3.4mの大木です

 根元に「入善町 指定保存木」の石柱です

 *丁松の名前の丁は町の略字で、長さの単位として約109mに成るそうです。
 山間の神社の奥宮や登山道にある丁(町)石と同じように、丁目毎に植えられた松だそうです。

 南東側から見ました


 マツの北側には、上原小学校跡に「学びのふる里」の大きな石碑です

 東側には「豊穣」の石碑です、そばのサクラも満開です

 *そばの説明石碑の文面です
 吾等の祖先が黒部扇状地の一角を開拓し、氾濫から守り継がれた沃野に圃場整備事業を施行、昭和46年着工以来7年の星霜を経て茲に完成を見る。
 見渡す限り大圃場に整備された美田を後世に伝えうる喜ぶ一人なり。
 事業の完成を記念し、この地に碑を建立して記録を留む。
     昭和52年10月

 他には、芥川賞作家・柏原兵三の小説『長い道』の文学碑があります。

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富山県朝日町、境「ヒスイ海岸オートキャンプ場駐車場のクロマツ」です!!

2024-04-18 18:36:26 | 巨樹・大木
 境地区は、朝日町役場の東北東約6kmのところ、その名の通り新潟県との境の地区、直ぐ東側が新潟県糸魚川市市振地区です

 朝日町役場の東側の道路を北へ出て「道下」信号を右(東)へ、国道8号線です

 道成りに約6kmで「境西」信号を左へ、「あいの風とやま鉄道」(旧JR北陸本線)の踏切を渡って直ぐ右(東)へ

 海岸堤防そばに広場がありますので車を止めさせて頂きました

 ここから海岸堤防(車も走れます)を歩いて行きました

 海岸沿いの東側を見ました

 北側です

 西側ですが、平日ということで誰もいませんでした

 約300m堤防の上を歩いて来ました、左手にクロマツが並んでいます

 東側の4本です

 東から3本目が目通り幹囲約3mの大木です

 西端のクロマツが目的の目通り幹囲3.5mのクロマツです

 北西側から見ました


 さらに西側のクロマツです

 北側から、こちらも目通り幹囲は3m程の大木です

 では、戻る次いでに海岸に降りてみました

 西側です

 東側です

 親不知に北アルプスが落ち込んでいるようです

 青黒く日本海に飛び出す辺りが親不知子不知の難所です、国道8号線が崖上をロックシェッドで通っています 

 では、次へ行ってみましょう
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新潟県糸魚川市、市振「海道の松と関所榎」(市指定)です!!

2024-04-18 06:32:01 | 巨樹・大木
 また地震の情報が入って来ました、昨夜遅くに豊後水道を震源とし、愛媛県と高知県の西部で震度6弱です。
 一部の道路や水道に被害が出ているようです、被害が大きくならないことを願うばかりです<m(__)m>

 市振地区は、糸魚川市役所の西南西約20km、糸魚川市役所青海事務所の西南西約14kmのところ、新潟県の西の端に当たります

 親不知から国道18号線を西へ進みます、約6.9kmで斜め右へ入ります

 海岸側(北側)の道路を進むと市振ジオサイト説明版です

 戻りました

 市振地区の東端です

 道路が左右に別れる場所に「海道の松」です

 説明版です
   市振・海道の松
海道の松(かいどうのまつ)
 北陸道市振宿の東端の街道脇にそびえていた老松。
 明治16年(1883年)の国道開通以前は、北陸道の旅人にとって「天険・親不知」の難所越えの終点であり、また、難所に向かう起点であった。
 そして、さらに松とその樹下は、一体のものとして神宿る場であり崇められ、旅の安全を願い、旅の安全に感謝する地でもあった(写真は先代海道の松)。
  昭和49年(1974年)4月16日  糸魚川市(旧青海町)の天然記念物に指定
  平成28年(2016年)10月5日  台風の影響により、東及び北方向に倒壊
 樹齢200年超の、在りし日の姿を再現するため、地元・市振地区の協力により、ここに海岸沿いの松を移植する。
    平成29年(2017年)10月29日
      新潟県 糸魚川市

 北側から見ました、まだまだ細い松ですが、大きく育っていただきたいものですね

 南側の道路を少し西へ進みます、井戸が在ります

 説明版です
   弘法の井戸
 昔、市振の村はずれの茶屋に坊さん(弘法大師)がきて「水がほしい」といったところ茶屋の婆さんは1kmも遠い赤崎のチビタミズ(冷たい清水)を汲んできたあげた。
 坊さんはこれをあわれんで足元の土をツエで三度突きこの井戸をつくったという。
   青海町観光協会

 水は見えませんでしたが、落ちない様に金網が設えて有りました

 さらに西へ約350mの右てに

 市振関所趾の石碑が建っています

 定め書きです
    定
 1、この関所に往還の輩番所の前にて笠頭巾をぬぐべし事
 1、乗物にて通る面々は乗物は番所の輩指図いたし女に見せて相通す事
 1、公家門跡方諸大名参向の節は前広よりその沙汰これあるべきの間改むべからず
   自然不審の儀あらば格別たるべき事
  右この旨相守るべき者なり
    天和3年12月
            奉り

 説明版です
   市振関所趾
 江戸時代初期徳川幕府は、重要な政策の一環として全国に53の関所を設け、街道行旅の人々を取り締まった。「市振の関」はその53関中重要23関の一つであった。
 親不知子不知の剣難の地を東方に控え、北陸道の於ける越中との国境の要衝として寛永(1624~)年代のはじめ幕府は高田城主松平光長に命じて、ここに関所を設けた。
    「関所関所で髪改める 娘十七髪解けん    今に伝えられる。
 この関所の特徴は行旅の人々の検問のための番所と、海上監視の遠見番所から成っていたことである。
 その敷地は集落の西方、東西に延びる街道を挟み、東西に21間、南北95間で面積は6反6畝15歩であった。
 その中に「番所」「上役長屋」「足軽長屋」「遠見番所」「井戸」等があり、また西門に近く「馬ノ足洗井戸」があった。
 なお、現存する市振小学校校庭内の榎は、関所敷地内にあったもので、昭和49年4月16日「関所榎」として青海町文化財に指定する。
    糸魚川市教育委員会


 すぐ西側に目的の「関所榎」です

 南側から


 説明版です
   糸魚川市指定文化財
    天然記念物 関所榎
 エノキはニレ科の落葉高木で、北海道から九州の各地に広く見られます。
 雌雄同株で4月から5月にかけて若葉と同時に小さな花を咲かせ、9月過ぎには球形で赤褐色の果実をつけます。
 エノキは古くから神の宿る樹と信じられ、境内、屋敷、村境などはもちろん、江戸時代には街道の一里塚などにも植えられ、旅人の目印や木陰となっていました。
 本樹は、樹高17.5m、目通り幹周り4.6mにおよび、樹齢推定250年以上とされる古い巨樹で、このエノキの生えている校庭にはかつて、北陸道の市振関所がありました。
 明治期に関所は撤廃されましたが、往時の北陸道と関所を今に伝える貴重な遺産です。
     昭和49年4月16日指定
     糸魚川市教育委員会

 東側から

 北側から

 西側から

 南西側から見ると、かなり傾いていました

 西暦2000年ミレニアム記念植樹の桜が満開です

 市振の海岸へ行ってみました

 西側です

 北側です、東側には散歩の人がいたので撮れませんでした

 では、次へ行きましょう
 
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埼玉県本庄市、小島「智方神社のケヤキ」です!!

2024-04-17 07:36:39 | 巨樹・大木
 小島地区は、本庄市役所の西北西約3kmのところ

 本庄市役所西側の駅前通りを北へ出ます、約500mの「本庄警察署入口」信号を左(西北西)へ国道17号線です

 約2.5kmの「万年寺」信号を右(北北東)へ入ります

 約200mを左(西北西)へ、また約100mの農業ビニールハウスの間を右へ入ります

 間も無く左手に鳥居が見えました、智方神社が東向きに鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 智方神社境内です、鳥居の後ろ側に大きな幹が見えました

 智方神社の社號標です

 東側から注連縄の巻かれた御神木です

 中心部は既に枯てしまっていて、幹が割れるのを防ぐためか「ガチャベルト」で締められています

 西側から、洞も金網で覆われています、目通り幹囲6.5mの巨木です

 南側から、上部の太い枝も伐り払われていました

 拝殿前から見ました

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 説明版です
   第62回伊勢神宮式年遷宮記念
     智方神社 御由緒
          本庄市小島179
 ▢御縁起(歴史)
 聖護院門跡道興が、「廻国雑記」に綴る東国巡遊の旅に出て、北陸から上野国(現群馬県)を経て武蔵国に入り、「けふ爰に おしまか原を きてとへは わか松しまは 程そ遥けき」と詠んだのは、文明18年(1486)のことであった。
 この歌にある「おしまか原」と伝えられてきたのが、当社の鎮座する大字小島であり、その地名については、村が幾つかの川に囲まれ、島のような形であったことから起こったものであるとの口碑がある。
 当社の創建について、詳しいことは伝えられていないが、一説によれば、字万年寺の茂木家が下野の方から当地に移住して来た際に建立し、以来、同家の氏神として祀られていた社であるという。
 それが、村の発展に伴い、字全体で祀るようになっていったものと思われる。また、江戸時代には正一位の神階を受けたものらしく、本殿に安置されている白弊の弊串には「正一位智方大明神」と記されている。ちなみに、当社の祭神は天児屋根命である。
 「風土記稿」小島村の項ない、当社は「智方明神社 村民持」と載るが、古くはこの地内に万年寺という寺があり、その寺の持ちであったとする伝えもある。
 字の名称の起こりにもなっている万年寺については、「風土記稿」にも記載がなく、詳細はわからないのが残念であるが、当社と深い関係があったことが推測される。
 ▢御祭神と御神徳
 ・天児屋根命・・・・・家内安全・巣村繁栄
 ▢御祭日
 ・春祭り(4月2、3日) ・天王様(7月15日) ・大祓式(7月20日) ・秋の大祭(11月2,3日) ・奉告祭(12月5日)


 新築記念碑です
 当社の由緒については、「智方大明神」の御神名により、定かではないが、平将門の乱を鎮定した鎮守府将軍藤原秀郷の六男である、千方修理太夫を祀った社と考えられる。
 また藤原の租、天児屋根命を御祭神として奉斎し境内には樹齢7・8百年と伝えられるケヤキの御神木を有するところから、その創建の古さをうかがい知られる。
 当社は昔より安産の神として信仰され、氏子中ではお産で死する者無しと伝えられ、さらには、重病者がでると近隣者が快癒祈願のお百度を踏んだともいう。
 此様に氏子の心の支えとなり、親密な交流の場として慕われてきた鎮守の社「おちかた様」の社殿を、昨年10月に斎行された伊勢神宮第61回式年遷宮を奉祝記念とし建替えることとなり、氏子一同の協力のもとに無事竣工なったことは、祠職の身として無上の慶びと感ずるところであり、新築記念碑を刻し神人一和の悦びを後世に伝えるものである。
   平成6年5月吉日
      智方神社宮司 梅林 肇 謹文


 境内には石祠が並びます

 境内北西端に御嶽神社です

 御嶽神社遷座記念碑です
 六根清浄を願って信州は木曽御嶽の霊山登拝行とする御嶽信仰は、江戸中期の天明・寛政の時に盛んに信仰された。
 創建は定かではないが、ここ本庄、万年寺の地においても、木曽御嶽山登拝できぬ人々の遥拝所として、御嶽神社が奉斎され、毎年3月27日には氏子のみなが集まり参拝するのを恒例としてきた。
 しかし平成の新しき年を迎え、本庄市の進める都市計画に従って大字小島字林139の1番の奉斎地を離れ、この地の鎮守神である智方神社境内地に遷座奉斎することとなった。
 ここにその経緯と共に氏子名を記し、記念碑として後世に残す。
     平成2年9月吉日   智方神社宮司 梅林 肇

 では、次へ行きましょう
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