ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県昭和村、正法寺のかしわの木です!!

2017-10-31 12:22:59 | 巨樹・大木
昭和村役場の直ぐ南西側に正法寺が有ります

境内の東側にかしわの木の大木が在ります

国道400号線から橋を渡る参道が狭いので

役場の駐車場を利用させていただきました


参道入り口です、標高の高い奥会津では、10月22日イチョウが黄葉していました

大雄山 正法寺です

境内入口の暴軍酒の石柱です

本堂です

本堂の東側に御堂が有ります

瑠璃光殿です

正面に石塔が並びます

説明版です
   昭和村有形文化財「信州高遠石工作品」石灯篭
    信州高遠の石工作品の中でも最も古く、延宝6年(1678)に造立
   されている。信州高遠石工は全国を移動して作品を遺したが、御蔵入の
   中心地、田島より30年も早く昭和村に高遠石工たちが入っていたこと
   を示す貴重な資料である。  信州高遠 伊藤徳佐衛門 施行。
   
   昭和村天然記念物  かしわの木
    稲荷石祠を護るかのように屹立する、かしわの木は推定樹齢330年。
   寛文12年(1672)頃に起きた山の崩落による土雪崩を免れた歴史の
   証人でもある。現在の境内は、土砂が盛土となったところと伝えられるが
   、かしわの木は境内東端の一角、土砂の及ばない低地にある。
   樹齢 330年 目通り幹周り3,39m 科目 ブナ科 樹種 かしわ

       平成9年12月1日指定 正和村教育委員会

瑠璃光殿の前からかしわの木を見ました

中学校の校庭側から見ました

中学校です

では、次へ行きましょう
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福島県昭和村、春日神社のサイカチの木と蛇石です!!

2017-10-30 06:20:33 | 巨樹・大木
昭和村役場の北西約3kmのところ

国道400号線の北側に春日神社が在ります

参道入り口に車を置かせていただきました

本社春日神社です

参道の鳥居です

参道の石段が続きます、石段の左手にはかつて聳えていた杉の切株が並んでいます

社殿です

かわいい狛犬です

社殿の北側広場に目的のサイカチの木があります

村指定文化財の標柱です

東側から

北側から

西側から



境内社が境内の隅に散見されました


鳥居脇の大石です



蛇石です

説明版です
  蛇石由来
    古老語り伝えるところによれば春日様は、もと美女峠の広平にありしも
   現在地の上の山に鎮座された。
    蛇石をはじめ五つ六つの巨石残るもこれらは春日様の使いの大蛇の化身
   石なり。春日様は筆頭の大蛇の背にまたがり美女峠より乗り下りられ今に
   残る巨石は蛇石の眷族なり。
    かつてここに舞台あり芝居興業や盆踊りがおこなわれた。舞台から蛇石
   には花道がかけられ時代の娯楽であったのはかつてのよすがをしのぶ語り
   草となっている。一説によれば春日神社は仁平元年(1151年)美女峠
   広平より遷座の説がある。
            平成28年11月吉日   


参道から見ました

では、次へ行きましょう
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新潟県新潟市、女池皆應寺クロマツ樹叢です!!

2017-10-29 08:07:52 | 巨樹・大木
皆應寺は、新潟市役所の南南東約3kmのところ

国道8号線桜木インターの直ぐ北側交差点の先の西側にあります

女池のタブノキの北側道路を東に100mほどのところです

訪問日には、本堂で法要が行われていました


西側墓地の並びに従ってクロマツの列があります

真宗大谷派 皆應寺です

本堂です

鐘楼です



南から順に保存樹第41号



保存樹第42号



保存樹第43号


保存樹第40号のクロマツが一番太い幹周のもので、目通り幹周り3,9mの大木です


第44号


第45号のクロマツです、幹の太さの順に番号が付けられているようです

では、次へ行きましょう
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新潟県新潟市、女池のタブノキです!!

2017-10-28 07:53:34 | 巨樹・大木
新潟市役所の南約3kmのところ

紫竹と鳥屋野を結ぶ紫鳥線の一本北側の道路沿いです

昔からの道路の様で西から東への一方通行になっています

住宅地の中、一軒の御宅の庭にタブノキの大木が在ります


親仁公園から東へ進んだ所の右側に見えました


一般の家なので道路からの撮影とさせていただきました

大きさは、目通り幹周り4,1mの大木です

タブノキは、クスノキ科の高木で、沖縄から青森まで成育しています。

日本海側では、平地に多い様ですが巨木と言えるものは少ないようです、

関東地方では、山の南東斜面に多いようです、千葉県の国指定天然記念物

「府馬の大クス」もタブノキです。

(府馬の大クスに関しては、このブログ2017年2月11日をご覧ください)

別名を「イヌグス」と云われ、クスノキより下に見られているようです。

このタブノキは、数値以上に立派に見えます、大枝が四方に伸びてより大

きく見えているようです。


では、次へ行きましょう
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新潟県新潟市、女池親仁山公園のクロマツです!!

2017-10-27 05:37:59 | 巨樹・大木
公園は、新潟市役所の南約3kmのところ

国道8号線の女池インターチェンジの北側

二つ目の信号を東へ入ると第四銀行手前の路地を北へ

東西に延びるこの一方通行の道路だけ

信濃川が作った自然堤防の上に出来ているようで

新潟市中央区南部ではここだけ古い新潟の面影を残しています



道なりに進むと女池親仁山公園が有ります

クロマツです

公園の端、駐車場に被さるように在ります

保存樹 第38号です

大きさは、目通り幹周り3.5mの大木です

では、次へ行きましょう
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新潟県新潟市、国指定天然記念物「鳥屋野の逆ダケの薮」です!!

2017-10-26 06:12:16 | 文化財・寺社
鳥屋野逆ダケの薮は、新潟市役所の南西厄kmのところ

国道8号線の女池インターチェンジの北側信号を西に進むと

住宅地の中に東西に細長い竹藪が有ります

銀行の駐車場を利用させて頂きました




親鸞聖人御旧跡です

親鸞聖人御旧跡は鳥屋野逆竹薮の中門になっています

参道の先には

親鸞聖人様がいらっしゃいました

説明版です
   記
     鎌倉時代、土御門帝の承元元年、当時、新旧仏教両派の確執、論争の
    ことから親鸞聖人旧仏教派の怒りをうけ弾圧を蒙り朝廷誣奏せられ流罪
    の刑に処せられる。
     仍て聖人その年の三月華落(みやこ)を出でて遠く配所の地、越後国
    分に下向し給えり。然れども超えて承元三年の9月、国分お去って蒲原
    に移り鳥屋野の里に一宇の草庵を結び居所を送り給うこと三歳に及ぶ、
    或時聖人手持の竹杖を地に挿して誓うらく、吾が弘むる法仏意に叶わば
    、此の枯竹蘇生すべしと、正にその枯竹根を生じ芽を発す。
     而して年月を経るに従い青々繁茂して竹叢をなし、今では広さ一町歩
    余りとなる。
     その竹林の中いかなる理由か古より今に逆竹と呼ぶ奇態特殊な竹交り
    生ず。世人これを聖人の徳を憬慕するのよすがとなす。
     大正14年11月、内務省より派遣されて理学博士三好学氏来り調閲
    し全竹林を「史蹟天然記念物」と指定されたのである。


境内の保存樹のクロマツ34号は、枯れえしまったようです

案内板です
  国指定天然記念物 鳥屋野逆ダケの藪
   この竹やぶに成育する「逆ダケ」は、ハチクという竹の枝が下向きに屈曲
  し、垂れ下がった状態に変異したものです。
   貴重な植物として大正11(1922)年10月12日に国の天然記念物
  に指定されました。
   この竹藪には、親鸞聖人が鳥屋野の地で布教していたとき、持っていた杖
  を地面に挿したところ、根付いて枝葉が逆さに生えたという伝承があり、越
  後七不思議の一つに数えられています。
    平成21年3月
              文化庁・新潟県教育委員会・新潟市教育委員会

竹藪に入ってみましょう

竹薮の中には散策用の遊歩道になっています

所々にベンチもあります

逆竹です、枝の付け根が曲がって下を向いています、判りやすいようにビニールテープのリボンが付いてます

西側の入り口、西門です

吊鏡池跡の碑があります


東側の入り口です

竹垣の脇にも逆ダケが見られます

手書きの説明がありました

東門です、駐車場は少し離れて所にあったようです

では、次へ行きましょう
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埼玉県熊谷市、妻沼小学校の「どう木」ケヤキです!!

2017-10-25 06:55:29 | 巨樹・大木
妻沼小学校は、熊谷市役所の北約9kmのところ

県道341号線を道なりに北へ向かうと

妻沼の市街地の北の端、妻沼聖天の東にあります

妻沼聖天観光用の駐車場に車を止めて

直ぐ北側の小学校入口から撮影させて頂きました

小学校入口の直ぐ奥、校庭側にケヤキの巨木があります

「どう木」とよばれているようです、妻沼小学校のシンボルツリーです

目通り幹周り5,0mの巨木です

南東側から見ました、神社の御神木だったそうです

では、次へ行きましょう










ここまで、2017年10月8日取材でした
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群馬県太田市、本町東光寺の銀杏とケヤキ・ムクノキ群です!!

2017-10-24 04:41:39 | 巨樹・大木
東光寺は、太田市役所の北北西約1kmのところ

太田市の市街地にあって、金山へ登る県道の東側です

参道入り口に駐車スペースが有ります


参道から本堂をみました

参道の右側に東光寺の説明版が有ります
   醫王山真如院 東光寺
     寺院名 醫王山 真如院 東光寺
     宗  派 高野山真言宗
     本  尊 薬師如来
     脇  仏 不動明王 千手観音 他
     石  仏 聖観音 不動明王 地蔵菩薩 持国天 多聞天(毘沙門天)十二支守本尊 他
     開  山 法印真清により文応元年(1260年 人皇90代亀山天皇)
     講     不動講
     文化財 太田市保存樹木指定(平成6年7月29日)
     墓  碑 新田義興公墓碑
     歴  史  新田大炊助源政氏公祈願所として文応元年(1260年人皇90代
            亀山天皇)7月25日礎石を置く。その後、正平年間に新田左近衛
            將監従四位上源義興公の遺骨を埋葬。弟の義宗は新田四朗義一とし
            て新田城を守護することになる。新田四朗義一は隠名岡新三郎義氏
            といい、時にあるいは岡本と称し、足利氏の詮議から逃れ、その子
            孫が住職になる、と岡家墓史には記録されている。第11代法印良
            榮当山法流の開山となる。明治7年2月栃木県第一大学区第42番
            中学校区、新田郡太田町外八ヶ村結社第32番小学有為学校お当山
            に開校。初代校長は新美得一、出席生徒数150名であった。平成
            11年諸堂宇新築整備。現在に至る。
     伝  説  新田義貞の子息、義興の秘話が伝えられている。義貞死後も弟の義宗
            と共に宗良親王を奉じ挙兵、転戦するが、正平13年(1358年)10
            月10日、武州矢口の渡において、よりどころとしていた竹沢右京亮、江
            戸遠江守に欺かれ自害して果てる。義宗が竹沢らの手に取り囲まれ、一命
            危うき祈り、その魂は鬼神となってこれを助け、雷電を巻き起し敵方をこ
            とごとく苦しめた。義興の死体は「新田に持ち来たりたる」とsれている。
            その場所が太田の東光寺であり、無縫塔が岡家墓所内にある、東光寺より
            の法名は「大源院宗雲天徳正榮大居士」。高野山蓮華院より受けたる法名
            は「松誉貞心命双公修大居士」。また、義興の霊を鎮めるため、矢口のほ
            とりに社を建て新田大明神と号す。鬼神義興の話は、芝居にもなり、知る
            人ぞ知る。「義興」の名は、新田家を「興す」という意味から、天皇より
            授かる。義興の墓といわれる証明は、当時義興が使用した秋田城之介より
            伝来の日扇槻板作の物が、近年まで東光寺に残されているという。しかし、
            23代吾妻恭深住職の時、東光寺改築の際、その日扇を破り寺院の欄間に
            使用すると「新田勤王史」に記されている。
     薬師如来 人々の病をいやし、苦悩を救う仏様。薬師瑠璃光如来、大医王仏ともよばれる。
            「薬師」は文字通り「医薬の先生」という意味で、病気を治す功徳のある仏
            である。瑠璃は、七宝のひとつとされ、瑠璃光とは、宝石のような美しい青 
            色、緑色の輝きを意味する。もし人が身体に様々な障害があったり、種々の
            病苦に苦しんでいたならば、薬師如来の名号を聞くことによって、障害は消
            え去り、病気も平癒すると説かれている。またもろもろの感覚器官を完備さ
            せ衆生を解脱へ導く働きがある。聖徳太子が父用明天皇の病気平癒を祈って
            薬師三尊像を奈良法隆寺に安置、薬師寺の薬師三尊像は、天武天皇が皇后の
            眼病平癒を祈願して造立したものである。眼病には「め」の字を書いた絵を
            納めるとよいとされ、薬師(やくし)と歯(し)を関係させ、歯の痛みをや
            わらげる仏様として民衆に愛されている。
     不動明王 太田不動尊として古来より信仰を集めている。燃えさかる炎を背後に、目をいか
            らし、歯をむきだし、全身で怒りを表現している不動明王の姿は、私達の弱
            い心を叱りつけると共に、身に降りかかてくる災難や病気などを断ち切って
            くれる力を十分に示している。弘法大師によれば、不動明王は大日如来の教
            令輪身であるとされ、穏やかな姿をもってしては救い難い衆生に対して、大
            日如来が、忿怒の姿(不動明王)に変え、衆生を力強く導いて煩悩を断ち切
            り、苦難から救ってくれることを意味している。また、火を焚いて仏に祈る
            「護摩祈祷」の本尊として人々に親しまれている。東光寺も新田家の祈願所
            として、新田政氏(新田五代)より新田義貞、その子新田義興・義宗らが、
            戦乱の世の調伏を不動明王に祈願して戦に出たのである。
     十二支本尊 古人が十二支の個性に対して守り本尊を示してkれている。
            子年の念持仏・・・千手観音菩薩
            丑年の念持仏・・・虚空蔵菩薩
            寅年の念持仏・・・虚空蔵菩薩
            卯年の念持仏・・・文殊菩薩
            辰年の念持仏・・・普賢菩薩
            巳年の念持仏・・・普賢菩薩
            午年の念持仏・・・勢至菩薩
            未年の念持仏・・・大日如来
            申年の念持仏・・・大日如来
            酉年の念持仏・・・不動明王
            戌年の念持仏・・・阿弥陀如来
            亥年の念持仏・・・阿弥陀如来            




弘法大師さまです

本堂です




山門をはいって右手(東側)に銀杏の大木が在ります

西側にはケヤキの大木です


墓地南端のケヤキです



本堂西側墓地の中や道路際のブロック塀の脇にムクノキやケヤキの大木が並びます

奥から二本目が一番太い目通り幹周り52mのムクノ木のようです


では、次へ行きましょう




   
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群馬県前橋市、大室公園のコナラです!!

2017-10-23 05:59:17 | 巨樹・大木
大室公園は、前橋市役所の東約12kmのところ

県道76号前橋西久保線を東へ、大室神社を過ぎた交差点を北へ

県道103号線を進むと間もなく、大室公園北口駐車場が有ります

案内板で位置を確認しましょう、後二子古墳と小二子古墳の間を抜けたところにが目標です

ちょうどモニュメントの向こう側です

モニュメントの南側にまわって来ました

この道を南に入って行きましょう

埴輪を並べた小二子古墳です

正面にコナラの巨木が現われました

東側から

南側にまわって来ました

説明版が有ります
   前橋市指定天然記念物 大室公園のコナラ
      指定年月日 平成23年3月29日
      所在地 前橋市西大室町2142 大室公園
     本コナラは、小二子古墳の南側で後二子古墳の西にある。コナラ・クヌギ・ムクノ
    キからなる小さな林の南端に位置し、この株の南側は開けた草原になっている。
     株は、地上から0,9mで三本に分かれ、中央の主幹は地上から2,7mでさらに
    二本に分かれいる。幹周は3本幹周の合計として610cm(252+215+14
    3cm)、樹高21,5m、根回り8,82m、枝張り、東西25,7m、南北24
    ,5mであり、虫害の痕跡もなく樹勢は旺盛で葉の数・量とも多く、成長を続けてい
    るものとみられる。この測定結果は、本件の記録からみて、県内では幹周の最も大き
    なコナラに属すると思われる。本コナラが、現在まで存続できたのは、大室古墳群内
    にあって伐採を免れてきたためであろう。
     コナラは、小二子古墳の周辺や大室古墳群の中に数多く存在しており、大室古墳群
    はこの面でも貴重な場所であると考えられる。なお、大室古墳は赤城山の山体崩壊に
    よる「流れ山」の存在と貴重な草本も含む平地林として、古墳群とともに保護される
    べき存在である。
                   前橋市教育委員会

南側広場から見ました

埴輪が並びます

石室の入り口も見えています

西側から見ました

小二子古墳の説明版です
   小二子古墳(6世紀後半)
     この古墳は、後二子古墳とともに「史跡 後二子古墳並小古墳」の名称で史跡に指
    定されています。墳丘の長さ38mの小前方後円墳で、後二子古墳と西の山との間に
    向をそろえてはめ込むように造られています。
   後円部の埴輪群
     家型埴輪の周りに翳(さしば)が立ち、その外側に太刀(たち)・靫(ゆき)・鞆
    (とも)・盾(たて)が取り囲んでいます。
   前方部の埴輪群
     盛装の男子・武人・巫女・農夫などの人物や馬・盾・靫が並びます。このような埴
    輪は、下段に置かれることが多く、前方部上に置かれたこの例は珍しいものです。
   石室
     石室は壊されていましたが、全長6m、奥壁部分で幅1,8m、高さ1,8mの横
    穴式石室とみられます。石室の入口は石で塞がれ表面は粘土で覆われていました。
   墓前の祭り
     後二子古墳と同じように、石室の入口附近に焼土が二ヵ所あり、儀式に使われた土
    器が出土しました。
     
  
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群馬県桐生市、広沢賀茂神社の杉とモミ群の続きです!!

2017-10-22 11:27:09 | 巨樹・大木
広沢町は、桐生市役所の南東約6kmのところ

賀茂神社には、モミ群が県指定天然記念物に指定されています
モミ群の説明版です
   賀茂神社のモミ群  (A・B・C)
    名称及び員数  賀茂神社のモミ群  三本
    指定年月日 平成20年3月27日
    所在  桐生市広沢町6丁目833番地
    所有者 宗教法人 加茂神社
    大きさ
      A 目通り直径1,35m(幹周り4,2m) 樹高約30m
      B 目通り直径1,38m(幹周り4,3m) 樹高約33m      
      C 目通り直径1,22m(幹周り3,8m) 樹高約33m
   賀茂神社とモミ群について
     賀茂神社は桐生市南部を東西に走る広沢丘陵中央付近の北斜面、丘陵
    最高峰の茶臼山から約2,5km東に位置する。
     モミ群は賀茂神社社殿の南西側、手臼山南東斜面に存在し、照葉樹林
    の中に多数のモミが広範囲に分布している。
     賀茂神社の創立年代は不詳であるが、桓武天皇の延歴15年(796
    )美和神社とともに官社に列せられた。寛治元年(1089)の清原武
    衝、家衝の反乱の際、源義家は反乱軍追討にあたり当社に祈願し、平定
    後は、賽祀のため奉幣のための神楽を奏したと伝えられている。
     賀茂神社の境内地背後に広がる温帯下部照葉樹林の構成は広沢丘陵の
    原初の状態を推測できる物であると言える。特にこの照葉樹林を特徴付
    ける点として、樹林を構成するそれぞれの種の子孫が皆、次々と成長し
    ていることであり、針葉樹であるモミの実生についても同様の生態を見
    ることができる。
     賀茂神社のモミ群は照葉樹林の中に混在する形をとるが古い種である
    針葉樹がこのように群生することはまれであり、賀茂神社の自然環境が
    良好に保たれていることも含め、モミの生態を知る上でも貴重である。
     賀茂神社では森の木を切ることは代々禁じられており、このことによ
    より源稙生である常緑広葉樹林が残される状況となっていると言える。
      平成22年3月設置    
                         群馬県教育委員会
                         桐生市教育委員会
                         宗教法人賀茂神社


境内のモミ群を見て回りましょう・・・

まずは、社殿の北側にあるモミ(C)を探しましたが・・・


北側のモミノキ(C)を見ましたが、樹冠は見えるのに幹は薮の中で良く見えませんでした

(A)(B)のモミを見ましょう・・・


豊機神社参道です(A)(B)のモミを見に行きましょう

手水舎です

鳥居の右手に有るのは(B)のモミです

(A)のモミもすぐ上にありました

(A)のモミです

(B)のモミです、目通り幹周り4,3mの大木です

石段の上に豊機神社の社殿があります

では、次へ行きましょう
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群馬県桐生市、広沢加茂神社の杉とモミ群です!!

2017-10-22 09:31:32 | 巨樹・大木
広沢町は、桐生市役所の南東約6kmのところ

国道50号線の賀茂神社前信号を入ると

間もなく鳥居前の広場になります

広場脇に車を置かせて頂きました


鳥居です


式内 賀茂神社です

自然緑地保護地区です
   この賀茂神社自然緑地は桐生市の緑を育て自然を守る条例により指定され
   た保護地区です。
   この貴重な自然をみんなで大切に守ってゆきましょう。
   指定番号 1 
   指定年月日 昭和52年9月19日
   面積 41,699㎡
   境内はコナラ・ムクノキ・モミ・シイノキ・スギ・シラカシ・ウラジロガ
   シなどの混成林で自生と植栽があい半ばした緑の森となっています。
                                桐生市

由緒略記です
   延喜式内 賀茂神社由緒略記
     祭神 加茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)
     神紋 二葉葵 祭神追記
     玉依姫命(たまよりひめのみこと)経津主神(ふつぬしのかみ)
     武甕槌神(たけみかづちのかみ)建御名方神(たけみなかたのかみ)
     素盞嗚命(すさのおのみこと)白滝姫命(しらたきひめのみこと)
     宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)  外二十社
    創立年月不詳、社伝によると、祟神天皇の朝、豊城入彦命、東国鎮護の
   ため山科国加茂神を勧進したと伝えられている。
    桓武天皇延歴15年(796)官社に列せらる「日本後記 巻五」陽成
   天皇元慶4年(881)正五位下勲十二等を授けらる「三代実録」醍醐天
   皇延喜年間(901頃)諸国の神社改めあり、3130余座の内、上野国
   12社、中に山田郡下広沢村加茂沢に賀茂神社御鎮座、式内の社とある(
   延喜式巻十 神衹十)又、上野国神名帳に「従一位加茂大明神」と見えて
   いる。
     例祭  春祭  4月15日
     秋祭 元旦祭 節分祭 八坂祭 豊機祭 大袚 6月30日 12月
   31日 春秋二期例祭 宮比講太々神楽 特殊神事 御篝神事(火投げ神
   亊)節分の夜 

手水舎です

神楽殿です

代々神楽と御篝神事の説明版です


説明版の後ろ側の境内社です

モミ群の説明版です
   賀茂神社のモミ群  (A・B・C)
    名称及び員数  賀茂神社のモミ群  三本
    指定年月日 平成20年3月27日
    所在  桐生市広沢町6丁目833番地
    所有者 宗教法人 加茂神社
    大きさ
      A 目通り直径1,35m(幹周り4,2m) 樹高約30m
      B 目通り直径1,38m(幹周り4,3m) 樹高約33m      
      C 目通り直径1,22m(幹周り3,8m) 樹高約33m
   賀茂神社とモミ群について
     賀茂神社は桐生市南部を東西に走る広沢丘陵中央付近の北斜面、丘陵
    最高峰の茶臼山から約2,5km東に位置する。
     モミ群は賀茂神社社殿の南西側、手臼山南東斜面に存在し、照葉樹林
    の中に多数のモミが広範囲に分布している。
     賀茂神社の創立年代は不詳であるが、桓武天皇の延歴15年(796
    )美和神社とともに官社に列せられた。寛治元年(1089)の清原武
    衝、家衝の反乱の際、源義家は反乱軍追討にあたり当社に祈願し、平定
    後は、賽祀のため奉幣のための神楽を奏したと伝えられている。
     賀茂神社の境内地背後に広がる温帯下部照葉樹林の構成は広沢丘陵の
    原初の状態を推測できる物であると言える。特にこの照葉樹林を特徴付
    ける点として、樹林を構成するそれぞれの種の子孫が皆、次々と成長し
    ていることであり、針葉樹であるモミの実生についても同様の生態を見
    ることができる。
     賀茂神社のモミ群は照葉樹林の中に混在する形をとるが古い種である
    針葉樹がこのように群生することはまれであり、賀茂神社の自然環境が
    良好に保たれていることも含め、モミの生態を知る上でも貴重である。
     賀茂神社では森の木を切ることは代々禁じられており、このことによ
    より源稙生である常緑広葉樹林が残される状況となっていると言える。
      平成22年3月設置    
                         群馬県教育委員会
                         桐生市教育委員会
                         宗教法人賀茂神社

御神木の杉です

拝殿です

本殿です



本殿の見事な彫刻です

本殿前の桐生市指定重要文化財の石燈籠です

御神木の杉を南側から

北東側から、目通り幹周り5,2mの巨木です

社殿の北側を進むと

鹿島神社と香取神社があります

まわりには境内社が沢山あります

少し長く鳴りましたので、次回に続きます
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群馬県前橋市、三夜澤赤城神社のブナの木です!!

2017-10-21 07:06:52 | 巨樹・大木
赤城神社は、前橋市役所の北東約12kmのところ

県道16号線を真直ぐ登って行くと神社鳥居前に出ます

鳥居の西側に広い駐車場があります

赤城神社入口です

群馬県指定天然記念物の三夜沢赤城神社のたわら杉の説明版の横を通って東側の山道へ入っていきます

赤城神社境内部分は綺麗な山道です

杉林の中の薄暗い山道は笹が生い茂っていますが道はしっかりしています

杉の倒木が道を塞いでいますので、乗り越えて行きましょう

ここを左へ入ります

説明版が有ります
市指定天然記念物
    三夜澤のブナ
      昭和55年4月指定
    場所 群馬県勢多郡宮城村大字三夜澤365番地(合併前の住所です)
    標高 565m
    樹齢 300年(推定)
     この三夜澤のブナは、周囲(目通り)3,4m、樹高約20mであ
    る。
     幹の表面には、コブ状の隆起が多く見られ、主幹は南東方向にやや
    傾斜して伸び、地上約2,8m付近で二分岐し、さらに約4mのとこ
    ろで三分岐している。
     ブナは、冷温帯林を代表する樹種でブナ科の落葉高木で、標高60
    0~1500mの比較的標高の高い所に群生するため、標高の低いこ
    の地に巨樹があるのは、たいへん貴重なものと言える。
     周りを杉林に囲まれながらも巨樹へ成長したこのブナは、この地が
    長い歴史をもち、広い地域から篤い信仰を集める三夜澤神社に隣接し
    、古くから信仰の対象として、周辺の人々から大切にされてきたこと
    を物語っている。
   平成14年3月             前橋市教育委員会


ブナです

大枝の先が折れて落ちています

南側から

根元には祠が二つ有ります

西側から

北東側から

(赤城神社に関しては、このブログの2011年11月23日をご覧いただければと思います)

では、次へ行きましょう
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群馬県前橋市、時沢小学校の夫婦松と戦艦武蔵慰霊碑です!!

2017-10-20 08:36:30 | 巨樹・大木
時沢小学校は、前橋市役所の北北東約6kmのところ

赤城山に向う県道4号線沿い西側にあります

松の木は、小学校の敷地の中なのでフェンスの外側(駐車場)から

写真を撮らせて頂きました

時沢小学校です

小学校入口の県指定天然記念物夫婦松の案内板です

松並木の南端に夫婦松が在ります

時澤之夫婦松の石碑が根元に有ります

説明版です
   本樹は赤城山大洞に所在する旧赤城神社の表参道松並木の名残を
  とどめるものである。黒松と赤松が根元で合着して大木をなす極め
  て珍しい名木で、樹齢は300年以上と推定される。
   昭和27年(1952)群馬県天然記念物に指定

富士見かるためぐり11です
    な 並木の名残り 夫婦松
   この付近は赤城山登山道の途中にあたり、かつてはみごとな松並
  木が連なっていましたが、戦時中、松根油採取のために多くが伐採
  されてしまいました。時沢小学校敷地内にある夫婦松はその名残の
  松であり、群馬県の天然記念物に指定されています。なお、米野、
  小沢、市之木場等にも同様な松並木がありました。

夫婦松の片方は、焦げ跡を残して切られてしまったようです

北側の松です

旧赤城神社参道松並木の石碑です
   この松並木は、江戸時代初期に大洞赤城神社の表参道に植えられ
  たものえある。道松という地名が示すように、北は小暮村から南は
  不動堂村(時沢)まで続いていた松並木であった。
   小暮の一の鳥居(赤鳥居)と共に登山者の憩いの場として愛され
  農民たちの生活道であったことはいうまでもなく、赤城神社参詣の
  歴代前橋藩主もこの松並木を通った。また、明治大正期の文人たち
  もここを通って登山し、赤城に関する作品をのこしている。
   戦時中、村内にあった松並木は、松根油を採るために、ほとんど
  が伐採されてしまったが、この松並木は幸いに伐採をまんがれ、今
  もその面影を伝えている。時沢小学校敷地内にある夫婦松は群馬県
  の天然記念物に指定されている。
   昭和62年11月       富士見村教育委員会

小学校の直ぐ北側、県道の西側の道路沿いに戦艦武蔵慰霊碑があります

戦艦武蔵の写真が有りますが説明文のほとんどが読めなく成っています

慰霊碑裏面には、群馬県内出身者の名前があります
   昭和19年10月24日、シブヤン海に於ける戦闘状況敵飛行機
  160機と抗戦45機を撃墜、魚雷20本、250kg弾17発、
  至近弾18発を被弾、戦死者、猪口艦長以下1039名、武蔵は満
  身創痍と化し、午後7時35分遂に沈没す、その他比島残留戦死者
  777名祀合計1816名の内本県出身者は次の通り・・・

                昭和58年11月25日

慰霊碑の左側には、横堀安儀君の歩みです
   君は、大正4年11月11日桂萱村亀泉(旧勢多郡、現前橋市)
  に生まれ、昭和5年3月学業を終え、11年1月横須賀海兵団入団
  5月第一掃海挺乗組、大演習のため小笠原群島及び朝鮮海峡に行動
  釜山鎮海に寄港、11月軍艦八雲(日露戦争当時の装甲巡洋艦)乗
  組、12年2月内地巡航より仁川・大連・旅順・上海に行動、遠洋
  航海のため横須賀出航基隆・マニラ・シンガポール・コロンボ・ア
  デン・スエズ運河を経てイスタンブ―ル・アテネ・パレルモ・ナポ
  りを周航・ローマ・ポンペーの古代遺跡を訪ね、マルセーユ・アレ
  キサンドリヤ・ヂプチ・バタビヤに回航し、この間士官候補生の教
  育訓練と国際親善・在外邦人保護の任を果たす。
   13年5月海軍砲術学校第11期普通科側的術練習生の課程を修
  了、駆逐艦神風乗組、北洋警備のため北千島及びカムチャッカ半島
  周辺に行動、15年9月砲術学校第6期高等科側的術練習生の課程
  を終了、軍艦山城(扶桑型戦艦)乗組、紀元2600年紀念観艦式
  参加、11月巡洋艦愛宕(高雄型重巡洋艦)乗組、連合艦隊として
  行動、16年9月横須賀海兵団付となる。
   17年1月パラオ島にて巡洋艦麻耶(高雄型重巡洋艦)乗組、豪
  州・印度洋方面の作戦、ジャワ島沖海戦参加、8月5日戦艦武蔵乗
  組、主砲後部射撃指揮所補助員長として勤務、18年1月トラック
  島に進出す、2月武蔵は連合艦隊旗艦となり山本連合艦隊司令長官
  を迎え、6月天皇陛下の行幸を仰ぐ、再びトラック島に進出、19
  年6月「ア号」作戦参加、10月「捷一号」作戦発動によりブルネ
  ーに出撃、24日午後7時35分、艦はシブヤン海に沈没、約7時
  間漂流、駆逐艦浜風に救助され、コレヒドール島に上陸、11月2
  3日サントス丸便乗、25日午前1時15分バシー海峡にて敵潜水
  艦の雷撃をうけ再び沈没、約17時間漂流、駆潜艇に救助され台湾
  に上陸、高雄警備隊付となり新竹坑子口山砲台を構築、終戦となり
  、海軍兵曹長に昇進、勲七等に叙せられる。
   21年3月復員、宮城村赤芝(現前橋市)に入植、困苦欫乏に耐
  え開拓に汗し、食糧増産に邁進し、22年9月群馬県種畜場養豚部
  に勤務、家畜人工受精師となり優良種豚生産に精勵、31年3月皇
  居前にて元武蔵乗組員十数名と再会す。以来武蔵会結成に力を注ぐ
  、45年畜産試験場内に畜魂碑を建立、富士見村立時沢及び白川両
  小学校に横堀文庫を創設、生徒の教育指導に裨益す。
   48年比島方面武蔵戦没者遺骨収集団参加、続く33回忌大法要
  に際し再び訪比、53年3月退職後種豚生産に専念、畜産振興と地
  域社会の発展に貢献、亡き戦友の慰霊碑を建て永遠の平和を祈念し
  遺族と会員相互の交流を図る。之を稱えここに志す。
    昭和58年11月25日
    埼玉県大滝村三峯神社 宮司 宮澤岩雄


右側には群馬之塔です、砲弾のような物が置かれています

では、次へ行きましょう
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新潟県南魚沼市、長森大家のケヤキです!!

2017-10-19 05:52:09 | 巨樹・大木
長森地区は、南魚沼市役所の北東約6kmのところ

国道291号線で北へ、下原信号で県道214号線を東へ

次は県道28号線を北へ1、5kmほど進んだ右手に大きな説明版が有ります

数台の車が止められる駐車場になっています

説明版です
    大家の大けやき
      ニレ科の落葉高木で推定樹齢1500年余りの大けやきで、
     幹周り8,7m、樹高22,9mの大木で、むき出しの根本は
     化石のように硬くなっており歴史を感じされます。
      「大けやき」の所有者である南雲氏は、その昔、地域一帯の
     庄屋であり、屋号を「大家」と言ったことから「大家の大けや
     き」と呼ばれている。
      又、大けやきに隣接する、今では珍しくなった茅葺の庄屋屋
     敷は、昔の生活ぶりがうかがえる価値ある文化財でもある。
      

車止めのある遊歩道を東へ

藁葺屋根の蕎麦屋になった大家です

建物の南側に大ケヤキが在ります

保存樹木標識です

南側から見ました、新しい計測では目通り幹周り9,2mと云われているようです

北東側から見ました、そろそろ落ち葉の時期ではありますが、樹勢は落ちてしまっているのでしょうか

だは、次へ行きましょう









ここまで2017年10月1日取材です

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新潟県魚沼市、円福寺の杉です!!

2017-10-18 05:53:14 | 巨樹・大木
円福寺は、魚沼市役所の南東1,5kmのところ

国道17号線の東側に在りますが、参道は東側です

参道入り口に車を置かせて頂きました

参道入り口から山門を見ました

真言宗智山派 越後円福寺です

10月1日日曜日は拝観出来ないため山門の外側から写真を撮らせて頂きました

山門を入った直ぐ右手に杉の巨木が在ります、目通り幹周り5,0mだそうです

山門前から覗いても説明板などは見当たりませんでした

では、次へ行きましょう
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