ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

静岡県河津町、峰「新町の大ソテツ」(国指定)です!!

2022-02-28 06:35:34 | 巨樹・大木
 峰地区は、河津町役場の西約1kmのところ

 河津桜の並ぶ河津川の西側を通る県道14号下佐ヶ野谷津線を北西に進むと峰温泉街です

 踊り子温泉会館の入り口南に「新町の大蘇鉄」が有ります

日本一の大蘇鉄の案内板です

踊り子温泉会館の看板にも「新町大そてつ」の文字があります

入口脇の駐車スペースに車を止めさせて頂きました


新町の大ソテツ入口です

北側から

説明版です
  新町の大ソテツ
    昭和11年9月3日
    国指定天然記念物
 ソテツは、沖縄や九州南部に自生するソテツ科常緑低木で、スギ・ヒノキ・マツ・イチョウと同じ裸子植物である。
 裸子植物中最古のもので、生きた化石ともいわれる。株は雌雄の別があり、幹の表面は一面に葉跡で埋まっている。
 根に根粒があり、藍藻類を共生させており、その能力により、痩せ地でも生育できる。
 葉は羽状で1~1.5m、かたい線状の小葉が互生しており、先端は鋭く尖り、刺さると痛い。
 花は、8月ころ咲き、雄花は松かさを大きく長くして幹の先端に乗せたような形、雌花は茎の先端に丸くドーム状に膨らむ。
 ソテツの名前は鉄によってよみがえる(蘇鉄)という伝承があり、衰弱したときには鉄くずを与えると元気を取り戻すといわれている。
 新町のソテツは、根本より数本の大支幹に枝分かれし、主幹を中心にして東西南北方向に大蛇が這うように枝を伸ばし、さらに数十本の小枝で見事な株を作っている。
 主幹の周囲は約2.5m、高さ10mにも達しており、樹齢も千年以上と推定されている。
 昭和56年6月には昭和天皇皇后両陛下が鑑賞なされている。
   河津町教育委員会

東側から

左(南側)の大枝です

真中に高さ10mの主幹です

右の大枝です

お万の井戸です、覗いたらかなりの深さでしたが水は見えませんでした

*徳川家康公の側室・養珠院が義父の蔭山氏の居城河津城に戻った(1584年)ころに住んだ住居の跡だそうです。
*養珠院(お万の方)は、勝浦城主正木頼忠を父に天正5年(1577年)4月に生まれたが天正12年(1584年)に母親が蔭山氏広と再婚して一族となった。文禄2年(1593年)三島で蔭山氏広の養女として徳川家康にお目見えし側室となった。

北西側から

では、次へ行きましょう
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静岡県河津町、峰「東大寺のホルトの古木」です!!

2022-02-27 06:30:01 | 巨樹・大木
 峰地区は、河津町役場の西約1kmのところ

 河津桜の並ぶ河津川の西側を通る県道14号下佐ヶ野谷津線を北西に進むと峰温泉街です

 踊子温泉を通り過ぎたところのガソリンスタンドの手前を左手前に入ります

 細い通りに従って進むと、右手前方に東大寺本堂の屋根が見えて来ます

 東大寺本堂への坂道の手前を南側に行った、第二駐車場に車を止めさせて頂きました

道路右前方に寺の屋根が見えました

本堂南側の墓地の入り口に目的の先ずは本堂にお参りしてからにしましょう

六地蔵様等の石仏が並びます

参道坂道入口の石碑です

参道の坂道を上ります

道祖神様ですね


本堂です

説明版です
  朝日に輝く本尊仏
    金烏山 東大寺
 鈴木族・村串族がそれぞれ建てた東大庵・菩提寺は、天文年間の大洪水で流失し、右二庵を合併し、密教系から曹洞宗に改宗し、金烏山東大寺とした。太陽族(金烏の子)の東の大寺という意味を持っている。後代、本尺寺、如意山普門院、脇堂、秋葉神社を吸収し、その本尊・祭神を祀っている。
青不動尊立像・東方持国天王立像 (檜材一木造 室町期)
 東大寺の本尊仏である。不動明王(大日如来の化身・太陽の化身)は、持国天王を従えている。田中洞の山からのぼる朝日がこの本尊仏を照らす堂宇の建て方に、鈴木族の信仰の厚さをうかがい知ることができる。
十一面観音菩薩坐像 (檜材寄木造 室町期)
 伊豆横道十五番札所本尊仏 馬頭観音を十一面観音に造り替えたもの。
地蔵菩薩立像 (檜材寄木造 室町期)
 本尺寺本尊仏 稲葉族の本尊仏
不動明王立像 (檜材一木造 室町期)
 如意山普門院本尊仏 鈴木族本尊仏
大般若経六百巻 一組
 明治初年、湯島天神社の祈祷用を購入したものである。
ホルトの古木(俗名 チイの木)
 風損木で樹齢八百五十年 当時の歴史を語る銘木である。
  昭和61年3月        川津町教育委員会
 


本堂前の石仏です

中には河童の石仏も有ります

本堂軒下の銅鐘です

墓地側には伊豆横道三十三観音霊場十五番札所の観音堂です

では、ホルトの古木を見に行きましょう

*ホルトノキは「ポルトガルのキ」の意味。平賀源内がオリーブと間違って付けた名前だとか。
*ホルトノキ科ホルトノキ属、別名モガシ等。日本の在来種で果実が黒紫色でオリーブに似ている。千葉県以西の太平洋岸、暖地で普通に見られ、街路樹や庭木にも使われる。

北東側から見ました

近付いて見上げました、目通り幹囲6.4mの巨木です


南東側から根元にも石仏が並んでいます

南側から、こちら側の幹には洞が出来ています

東側から


第一駐車場を挟んで南東側から


南側の第二駐車場手前から樹冠を見ました

では、次へ行きましょう
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静岡県下田市、白浜「伊古奈比咩命(白浜)神社のビャクシン」(県指定)です!!

2022-02-26 02:10:00 | 巨樹・大木
 白浜地区は、下田市役所の北東約3kmのところ

 白浜大浜海水浴場と白浜中央海水浴場の間に

 国道135号線に面して、西向きに伊古奈比咩命神社が鎮座します

 南側に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました



赤い太鼓橋の境内入口です、入り口脇にビャクシンの大木です

式内大社 伊古奈比咩命神社です,白浜神社とは通称のようです

伊豆最古の宮でもあるようです

狛犬です

赤い鳥居です、額には「白浜神社」の文字があります

境内案内図です、境内を確認しましょう

白浜神社の文化財案内板です、社叢の「あおぎり自生地」は国指定の天然記念物です
*あおぎりは、アオイ科アオギリ属の落葉高木で、幹が緑色で葉がキリの葉に似ている事からこの名が有ります。

手水舎です

手水舎の先参道左側に目的のビャクシンです

御神木の名前は「薬師の柏槙」、樹齢2000年です

天然記念物標柱です「御神木シンパク 雄木」となっています

東側半分は生きていますね

参道の右手の御籤掛のビャクシンですが枯れていますね

参道右手のビャクシンです、フジのツルが巻き付いています

「白龍の柏槙」です、既に枯れてから1300年だそうです


参道左の見目弁財天です

由緒説明版です
  縁結びの神社の御由緒
 白濱神社には三嶋大明神をお守りする神様とそて、見目・若宮・剣ノ御子と言う三柱の神様が祭られています。
 この中の見目(ミメ)の神様は、三嶋大明神様に御后様を見つけられ、夫婦神様となり、御子神様をつくられた事が御由緒に書かれています。
 そこで当社では見目の神様を、縁結び・夫婦円満・子授けの神様としてここに祭り、多くの方々に神様の御利益を授け、良い縁を結び、幸福な家庭をつくり、たくさんの子宝をお授けする為、日々お祈り申し上げています。
 又、この見目と言う神様は、神仏習合時代その本地物が弁財天であると考えられた為、別名 見目弁財天とも言われています。
   白濱神社

 壬生御館像です、壬生御館とは「三宅記」に出てくる伊豆半島・伊豆七島地域の三嶋大明神や白浜大明神の出自に関するもので、鎌倉時代から三宅島を中心に現代まで管掌する家柄だそうです、原勝治大人命に関しては不明です

拝殿です

伊豆国一之宮 白濱大社です

狛犬です

本殿は、拝殿の裏山の上に在ります

午後4時で通路が閉鎖されています、こちらは伊古奈比咩命神社境内末社です

説明版です
  伊古奈比咩命神社(白浜神社)境内末社
 本社境内は、最近大正10年御遷宮の際整理せられ、左の26社を総括し、神明造の一殿に奉斎することとなった。その26社は左の通りである。
 小彦名命神社・御子神社・應神天皇社・須佐之男命神社・天児屋根命神社・天水命神社・天照皇大神社・級長戸部神社・木花開耶姫命神社・瀬織津姫命神社・倉稲魂命神社・豊宇気姫命神社・経津主命神社・熊野神社・海津見神社・海津見豊玉彦神社・大年神社・石長比売命神社・若宮八幡宮・亥神社・大雷神社・高皇産霊神社・金山毘古命神社・大山祗神社・豊受大神宮。
 又境内地ではあるが、本社の田社地であると云われている神明という所にある末社には、本社と大変関係の深い12の社が合祀されている。その12社はさきの通りである。
 大楠命・小楠命・御代徳命・感農八甕命・横池命・伊迦命・知宇命・尾健御子命・尾健比命・見多結命神社・伊豆奈比命・穂便感應命。


本殿への通路です

祠が並びます

伊豆の島焼と白浜神社の説明版です
  伊豆半島の生い立ち
 伊豆半島南部には、太古の海底火山の噴出物が広く分布しています。長い海底火山の時代の後、伊豆と本州の衝突にともなう隆起と浸食によって地上に姿を現したこの海底火山の証拠は「白浜層群」と呼ばれています。
  「白浜」の名が付けられた地層 
 伊豆半島の南部に広く分布する地層には「白浜層群」という名前がつけられています。この地層は海底火山の噴出物と、そこから削られた土砂が近くの浅い海底にたまってできた地層で、貝殻やサンゴ・ウニなどの化石を多数含んでいることもあります。白浜海岸はこうした地層を代表する場所で、「白浜層群」の名は、この海岸にちなんでつけられたものです。
  伊豆の「島焼」と白浜神社
 白浜の地からは、海にうかぶいくつもの火山島を見渡すことができます。当時の人々が海の恵みを受けつつ、火山に対する畏れをもって、自然とともに暮らしてきた証のひとつと言えます。
 毎年10月下旬の白浜神社例大祭のはじめに行われる「火達祭」では、海岸でたいまつを焚き、島の神々に祭りのはじまりを告げます。
 白浜神社裏手の「大明神岩」には、海に向って鳥居が建っています。例大祭の最後には祭りの終わりを告げる「御幣流祭」が行なわれます。

白浜海岸に行って見っましょう


駐車場の東側に赤い鳥居が有ります

説明版です
  白浜と伊豆諸島のものがたり
 白浜の地からは、海にうかぶいくつもの火山島がを見渡すことができます。こうした火山島の噴火は伊豆では「島焼き」と呼ばれていました。当時の人々は「島焼き」を神業と考え、やがて神社などに祀るようになりました。白浜神社は、人々が海の恵みをうけつつ、火山に対する畏れをもって、自然とともに暮らしてきた証のひとつと言えます。
 毎年10月下旬の白浜神社例大祭のはじめに行われる「火達祭」では、海岸でたいまつを焚き、島の神々に祭りのはじまりを告げます。

海岸の岩場にも赤い鳥居が建っています。


右手に白浜海岸の白浜大浜海水浴場です

では、日が沈んでしまいましたのでここまでにします。

通の駅「開国下田みなと」で車中泊としましょう

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静岡県南伊豆町、手石「月間神社のクスノキ群」です!!

2022-02-25 06:31:54 | 巨樹・大木
 手石地区は、南伊豆町役場の南東約2kmのところ

 国道136号線を東へ、日野信号を右(南)へ県道16号下田石廊松崎線です

 弓ヶ浜大橋を渡って、最初の信号を右(西)へ入ると間も無く右手に

 月間神社が東向き参道で鎮座します

 鳥居前の道路脇に車を止めさせて頂きました


境内入口です

月間神社です

水盤です

まず参道右側にクスノキの巨木です、目通り幹周りは5m前後と思われます

左側にも同サイズのクスノキです

参道左の神池の中島にな水神社のようです

参道左側の杉の大木です

狛犬です

拝殿です

縁起説明版です   
  月間神社縁起
祭神 三島大明神=事代主命(えびす様)
合祀 神明社
境内社 水神社一罔 象女神=水速女神
社格 延喜式内社 旧郷社
壮健 嘉詳年間(848年~850年)
 三座が神津島から伝来し竹麻神社となる
 三島大明神 手石月間神社に遷宮
 阿波神(本后)吉佐美の八幡神社に分祀
 物忌奈神(第一皇子)湊の若宮神社に分祀
ご利益 商売繁盛・豊漁・厄除招福
(水神社) 五穀豊穣・安産・子宝


拝殿左側のクスノキも前の二つと同サイズの巨木です

本殿は長い参道の奥に在ります

本殿への参道入口の右手に、目的のクスノキです(南東側から)

東側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

参道から(南側から)

本殿側参道から見ました


本殿です

本殿前から拝殿方向を見ました

では、次へ行きましょう


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静岡県松崎町、岩地「諸石神社のイチョウ」のその後です!!

2022-02-24 06:28:40 | ドライブ
 岩地地区は松崎町役場の南西約2kmのところ

 国道136号彫刻ラインで一山越えて行きます

 岩地地区入口の先に地区の避難所になっている広い駐車場が有ります

 車を置いて急な石段を下りて集落の中へ

 漁協の販売店を右へ海岸沿いの道路に出ました


岩地の浜沿いの道路(駐車禁止)の、ここに諸石神社の参道入口です

先へ進んで

左に曲ると

鳥居が見えて来ました

手水舎です


拝殿の右手には若いイチョウの木です

左側にかつて目通り6.9mのイチョウの巨木が在った場所には二代目のイチョウが育っています
*先代は2009年2月16日に伐採されました

石段の先に本殿が見えます


狛犬です

石段中段のイスノキです

では、次へ行きましょう

川津桜が咲き始めていました
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静岡県伊豆市、修善寺「源範頼墓所」です!!

2022-02-23 06:24:09 | 遺跡・史跡
 修禅寺の西約500mの所に、「源頼朝」の弟「源範頼」の墓所があります

 範頼は、現在の日枝神社の参道にあったといわれる「信功院」に、建久4年(1193年)頼朝の誤解から幽閉され、

 翌年梶原景時率いる500騎の不意打ちにあって、防戦の後に自害に追い込まれたと言われております。

 
修禅寺山門前の観光ガイドの案内図です、「修繕寺」の左の「独鈷の湯」のすぐ左に「範頼の墓」の文字が有ります


桂谷川沿いの道路から一段上の修禅寺の西側の道路脇に案内板が有ります、480mだそうです

西に向かってきた道路をここで曲がります、あと130mとあります

墓地はこの上です、あと70mですね


墓所です

手水です

大きな五輪塔です


桂谷八十八ヶ所第八十一番 本尊千手観世音菩薩の石碑です

説明版です
  源範頼の墓
 範頼は鎌倉初期の武将。源義朝の第六子で蒲冠者と呼ばれた。
 
 治承4年(1180年)に兄頼朝と義仲が対立した時、弟義経と共に義家を倒し、次いで一ノ谷で平家を破り、功によって三河守に任じられた。
 その後頼朝と義経の仲が険悪化し、頼朝が範頼に義経討伐を命じたが断ったため、頼朝から疑われるようになった。
 建久4年(1193年)の曽我兄弟仇討の際、頼朝討死の誤報が伝えられ、悲しむ政子を「範頼あるかぎりご安心を」と慰めたため、幕府横領の疑いを招いた。
 範頼は百方陳弁に務めたが、ついに修禅寺に幽閉され、さらに梶原景時に攻められ、日枝神社下の信功院で自害したと伝えられている。
   伊豆市

案内図です

上側の道路から修善寺の温泉街を見下ろしました

では、駐車場に戻って次へ行きましょう
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静岡県伊豆市、修善寺「日枝神社樹叢、夫婦杉・イチイガシ・カゴノキ」(県指定等)です!!

2022-02-22 06:26:12 | 巨樹・大木
修善寺温泉街の中心「修善寺」の東側に参道を温泉街に面した日枝神社が南向きに鎮座します

境内には多くの夫婦杉(子宝杉)や巨杉が4本、県指定天然記念物のイチイガシにカゴノキやケヤキの大木も目を引きます


日枝神社参道入口です

日枝神社です


社號標にはちょっと違うかな

説明版です
  日枝神社
 日枝神社は修善寺の鬼門に当り、弘法大師の建立と言われている。
 明治元年(1868年)の神仏分離令により分離されたもので、もとは修善寺の山王社(鎮守)であった。
 毎年10月18日・19日には例祭が行われ、18日の前夜祭には神輿が練り歩き、威勢の良い掛け声が温泉場に響きわたる。
 境内には夫婦杉の大木や、静岡県指定天然記念物の一位樫などがそびえ立っている。一位樫は九州地方に生育する木で伊豆では珍しい。
 また、源範頼が幽閉されて住んでいたという信功院跡(庚申塔のみ現存)もある。
  伊豆市


参道左にはイチイの大木です

右F側のケヤキの大木です

ケヤキの影に庚申塔が有ります、説明版に有った源範頼が幽閉されていた信功院の跡です

説明版です
  信功院跡
 修善寺の八塔司の一つで有る信功院のあった所です。
 建久4(1193)年、源範頼は兄である頼朝の誤解により、この信功院に幽閉されました。
 翌年、梶原景時率いる五百騎の不意打ちに合い、範頼は防戦の末に自害したといわれています。
 信功院は後に庚申堂となり、今は文政元年(1818年)建立の庚申塔が一基残っています。
   平成27年10月 伊豆市教育委員会

向かい側絵馬掛脇に説明版です
  「日枝神社」にまつわる神話
 大山咋神と建玉依比売命の縁結びと子宝の神話(日本書記)より
 ある日山に狩に出かけた大山咋神、獲物に向け放ったはずの矢がはずれ、近くの小川に落ち、流されてしまいました。
 その時下流を散策していた建玉依比売命は川の中にきらきらと光る矢を見つけ持ち帰りました。
 その矢は丹塗りの大変美しい物だったので、寝床に飾り毎日眺めていると矢に化身した大山咋神が現れ、二人は結ばれました。
 その後子宝にも恵まれ、幸せに暮らしたという伝説があります。
 この云われから、この日枝神社では玉依比命の真心を真っ白い花に例え、良縁と子宝を望み祈願する風習が今も残っております。
 女性は白い花、男性は丹塗りの矢を持って正面の階段を上ります。境内にある夫婦杉の前に立って、肩の力を抜いて天を仰ぎ静かに目を閉じましょう。
 天の光を感じ、優しい力に包まれ、次第に心が開放されていくのを感じることが出来るでしょう。
  あなたの想い 天高く届け

*「古事記」にも同じような伝説が残っていますね


参道石段右の大杉です


手水です

参道左の大杉です


拝殿です

本殿覆い屋です

拝殿前参道から夫婦杉です

案内板です
  夫婦杉(子宝の杉)
 天に向かって真直ぐに聳え立つごく稀なる根幹が接合した樹齢八百年の大杉。
 夫婦円満や子宝を夫婦杉にお祈りください。
   子は夫婦の鎹(かすがい)

南側から、奥にも大杉が有ります

もう一本社殿の西にも大杉です、どの杉も同時期に植えられたと思われる目通り幹囲5m前後の巨木です


境内右端(東端)に県指定天然記念物のイチイガシです

近付いて見上げました

静岡県指定イチイガシの石碑です

説明版です 
  日枝神社のイチイガシ
   静岡県指定天然記念物(ブナ科)
   昭和32年5月13日 文化財指定
 根廻り5.5m、目通り4.5m、樹高25mの大木、一位樫は九州地方に成育する木で伊豆には珍しい。
 日枝神社は修善寺の鬼門に当たり、弘法大師の建立といわれる。
 明治初年(1868)の神仏混淆廃止令(神仏分離令)により分離されたもので、もとは修善寺の山王社であった。
 境内には杉の大木、欅、槇等が亭々とそびえ立っている。
   伊豆市教育委員会

南側から見上げました、注連縄が巻かれています

イチイガシのすぐ上側にカゴノキの大木です

   カゴノキ
 〈鹿子の木〉黒っぽい樹皮がまだらにはがれ落ち、そのあとの新しい部分が白っぽいので、鹿の子模様になる。
 鹿の子の木の名はこの樹皮の模様からきている。
 暖地の山地に生える常緑高木。
 高さは10m~15m、大きいものは20mほどになる。
 *分布(茨城・福井県以西~沖縄)

では、源範頼の墓に行きましょう
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静岡県伊豆市、修善寺「修禅寺」です!!

2022-02-21 06:37:13 | 文化財・寺社
 修禅寺は伊豆市役所の西南西約2kmのところ

 修善寺温泉街の中心桂川の北側に修禅寺が有ります

 川の南側の有料駐車場に車を止めて渡月橋(みそめ橋)で桂川を渡ります

参道入口から山門(仁王門)です

修善寺を開いたと言われる弘法大師の大きな石碑です

修善寺案内図で確認しましょう、今回の目的日枝神社はすぐ東側です

修禅寺説明版です
  修禅寺
 修善寺温泉発祥の寺で、平安初期の大同2年(807年)弘法大師が開基したもので、当時は地名が桂谷と呼ばれていたところから「桂谷山寺」と言われ、伊豆国禅院一千束と正史に記されたほどの格式の高い寺であった。
 鎌倉初期になって建長年間(1250年頃)に蘭渓道隆(臨済宗鎌倉建長寺開山の宋禅僧)が住し、桂谷の風致が支那の廬山に似ていることから「肖廬山」と号した。
 南北朝時代の康安元年(1361年)に畠山国清と足利基氏との戦禍を受け、応永9年(1401年)には火災を蒙り、伽藍を全焼して寺は荒廃し衰退した。
 その後、延徳元年(1489年)に至り、韮山城主の北条早雲が再興し、叔父の隆渓繁紹禅師が住して曹洞宗に改宗だれ山号も「福地山」と改められ今日に至っている。
   伊豆市
*南北朝時代の畠山国清は、先日投稿の伊豆の国市奈古谷の国清寺に登場しています。



参道左手に鐘楼です

手水舎です、出ているのは温泉です

成分表が有ります、泉質はアルカリ性単純温泉で調査時(平成26年8月9日)の泉温は60.1℃です

*出ている温泉を触ってみのると熱めのお風呂の感じ(40℃~)でした、諏訪大社上社本宮(長野県諏訪市)の手水舎も温泉でしたが少し温度が低かったような気がします


縁起説明版です
  修禅寺縁起
 この寺の歴史は宗派的に、真言、臨済、曹洞の三つの区分にすることができます。
 創立は大同2年(807)で弘法大師とその弟子によって開かれた真言宗の寺で、当時はこの地一帯に密教形式の堂宇が立ち並び、東国真言宗の拠点ともなった模様です。この時代の末期とも言うべき元久元年(1204)源頼家がこの地で殺害されています。
 本尊の大日如来像(重文)は、その母北条政子が頼家公の菩提のために七回忌に当る承元4年(1210)に実慶に造らせたことが、解体修理の結果わかりました。
 その後寛元4年(1246)宋から渡来した蘭渓道隆禅師(鎌倉建長寺開山)が一時止住されたのが縁で宋の皇帝から勅願があるほど修禅寺の名が中国に広がり、約240年ほど臨済宗として栄えました。
 次は今の曹洞宗でありますが、いつの時代でも栄枯盛衰はつきもの、北条早雲が韮山城主になるや、戦禍によって見る影も無いほどに荒廃したこの寺の再興のために、自分の叔父に当る隆渓繁紹禅師を住職として招き、広大な土地を寺領として寄進されたので復興することができました。
 禅師が入山されたのが延徳元年(1489)ですから既に500年を過ぎて今日に至っています。
  (注)昔は住した僧の宗旨で寺の宗旨が変わりました。
  大祭は毎年4月と8月、共に20日21日の両日(弘法忌)
  正式寺名 福地山修禅萬安禅寺


本堂です

本堂前左手の植込みは檜と松です

右側には梅と黒松です

本堂前右手には達磨像です

本堂前左に弘法大師様です

境内西側出口には六地蔵様です

では、今回の目的の日枝神社に夫婦杉等を見に行きましょう
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静岡県伊豆市、筏場「八幡神社のシロダモとカゴノキ」(市指定)です!!

2022-02-20 06:25:46 | 巨樹・大木
 筏場地区は、伊豆市役所の南南東約8kmのところ

 県道12号伊東修善寺線を東へ道なりに進みます、段々と高度を上げるにしたがって南へ

 八幡信号を右(南西)へ、県道59号伊東西伊豆線です、大見川沿いを進みます

 芳野屋わさび店の先を右(北)へ入って大見川を渡るとすぐ右の集落の上側(北側)に、八幡神社が鎮座します

 集落入口の広い道路脇に車を止めさせて頂きました 


ここを上がって行きます

上りの支柱が見えて来ました

参道入口です

黄色い説明版が有ります
  八幡神社のカゴノキとシロダモ
 八幡神社は、産土神として、慶安5年(1652)村人達により大字上の畑に創建されたが慶応3年(1867)暴風雨のため全壊したので山神社のあった現在地に再建した。
 さらに、山神社、八坂大神、罔象女神を別殿に、稲荷社を相殿に祀るようになった。
 境内の社前向って左手に、斜めに並んで根を張っている大樹の古木がある。
 手前がカゴノキ(樹皮は淡紫黒色で円形の薄い皮がまだらに落ち、あとが白いので鹿の子模様となる)で、目通り2.8m、後ろがシロダモで目通り4.5m、両樹の枝は交差し、高さ20m余り、樹齢共に300年以上である。
   伊豆市教育委員会
   昭和63年4月


鳥居です

参道は更に奥に続いています

社殿(拝殿)と目的の木々が見えて来ました

手水舎です

手前のカゴノキです

奥側のシロダモです

北西側からカゴノキです、こちら側から鹿の子模様がよく分かります

シロダモを西側から

石段前からカゴノキです

石段前からシロダモです

石段中段から二本をです

境内端からシロダモを見下ろすように見ました


本殿覆い屋です

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静岡県伊豆市、城「白山神社の大楠」(市指定)です!!

2022-02-19 06:30:49 | 巨樹・大木
 城地区は伊豆市役所の東南東約5kmのところ

 県道12号伊東修善寺線を東へ、伊豆市資料館前を過ぎると

 大見川の支流城川を渡ってすぐを左なのですが工事中で通行止めになっています

 すぐ先のスーパーマーケットの手前を左(北)へ入ります

 道なりに進んで城川を渡り直したところを左(西)へ、突き当りも左(南)で予定のルートです

 先の変形十字路を右へ間もなく右手に白山神社が南向に鎮座します

 神社前には駐車スペースが無いので、先に進んで道路幅の広い所に車を止めさせて頂きました


戻ってくるところからクスノキの樹冠が見えて来ました


白山神社です

境内にはイチョウの大木です


境内入口です


社殿です

*御祭神は菊理媛神(くくりひめのかみ)のようです、「日本書記」に一度だけ出てくる神様です。
 あらすじは、伊弉諾が黄泉の国から逃げ帰る「黄泉比良坂」で伊弉冉に追いつかれ口論となった時、泉守道者が「一緒に帰る事は出来ない」と言い、次に現われたのが菊理姫神で、何かを伊弉諾と泉守道者に言うと、伊弉諾が褒めたと言う神話です。
 いったい何を言ったのかは日本書記に書かれていないそうです。
*菊理姫神の名の「くくり」は「括る」にもつながり、現在では「和合の神」「縁結びの神」となっているそうです。
*石川県の白山比咩神社は全国の白山神社の総本宮です。
*白山信仰は石川・福井・岐阜県にまたがる霊峰白山を御神体としています。

社殿前右手に目的の大楠です

南側から

西側から


説明版です
  市指定文化財
   白山神社の大楠
 根回り約8m、樹高約25m、目通り周囲約5m、樹齢およそ350年の大木が、約500㎡の広さに枝を広げています。
 白山神社は、祭神白山比咩神。又、一説には伊邪那岐、伊邪那美命といわれています。
 城という名は、頼朝の部下、藤九郎盛長の子孫で、信濃の国(長野県)に領地を有した武将、城平太が一時期この地に在住したことから、名付けられたと思います。
 境内には、大銀杏があり、又、近くには城跡、寺院跡らしきところがあり、武将ゆかりの地としての名残が見られます。
    伊豆市教育委員会
    昭和55年指定



境内社です、稲荷社のようです

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静岡県伊豆市、堀切「益山寺の大銀杏(市指定)と大楓(県指定)、そして榧とケヤキ」です!!

2022-02-18 06:39:18 | 巨樹・大木
 堀切地区は、伊豆市役所の西北西約4kmのところ
 
 国道414号線が修善寺道路の修善寺料金所の下で狩野川記念公園の南側信号を西へ

 道なりに進みます、狩野川の支流山田川の右岸側です

 1kmほどで右下の堀切農村公園の所で山田川左岸に渡って山裾を回る様に北へ進みます

 採石場が見えてくると小山田川に沿って上流へ

 山田区公民館を過ぎて益山寺の案内板が有りますので三叉路を右へ入ります

 間もなく右へ曲って沢を渡ると本格的な山道に成ります

 道路脇には観音像が丁石のように並んでいます

 登り切って本堂への参道を横切った先に車を止める事が出来ました


ここを右に入ります

車道を上って行くと境内に出ました

左手にケヤキの大木です

参道側から登って見ました

参道左の石碑です

水盤です

六地蔵様です

千手観音の幟が多く掲げられています

石段の上にイチョウの樹冠が見えて来ました

南東側から

南西側から

右側に大楓です

南側から、種類はイロハモミジだそうです


説明版です
  養伽山 益山寺
 標高300mの益山の上にある真言宗で、高野山の末寺である。
 空海の創建で、本尊の観世音菩薩はその自作であると伝えられている。
 寺には三島代官の寄進状や江川太郎左衛門の禁制文などが残っている。
 境内並びに参道には百体の観音の石仏があり、県内でも珍しい石仏群集地である。
 又幕末の剣客「直指一刀流居士」の墓及び県指定の大楓、市指定の大銀杏がある。
  大楓(昭和30年2月25日静岡県文化財指定)
   根廻り 5.46m
   目通り 4.05m
   樹齢  860年位の県下最大の楓
  大銀杏(昭和49年12月4日伊豆市文化財指定)
   目通り 5.3m
   樹高 25.3m
   樹齢  350年~400年
    伊豆市教育委員会
*大銀杏の幹囲の数値は環境庁日本の巨樹では幹囲5.1mとなっているそうです

境内西川にはカヤノキです

本堂前への参道(西側)から大楓を見ました

本堂です

本堂前から大楓です、巨木学という本の数値は幹囲4.9mだとか

本堂前から大銀杏を見ました

カヤノキです

境内には梅の花が咲き始めていました

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静岡県伊豆の国市、御門「塞神社(さいじんじゃ)のクスノキ」です!!

2022-02-17 06:30:52 | 巨樹・大木
 御門地区は、伊豆の国市役所の東南東約2kmのところ

 国道414号線を南へ、狩野川右岸へ大門橋を渡ると、国道が右へカーブする所を真直ぐに進みます

 伊豆中央道の下を潜って、駿東伊豆消防本部田方中消防署前を過ぎて 

 左カーブを過ぎると間も無く左に塞神社が南向きに鎮座します

 行き過ぎてしまったので国道136号線の信号迄出て、コンビニでUターンして戻り

 向かい側のゴミ集積所前に車を止めさせて頂きました



道路右手にクスノキが見えて来ます


塞神社社殿です

*ネットで調べてみましたが、御祭神は不明でした


社前から見上げました

南側から、目通り幹囲5.6mの巨木です

南西側から

西側から

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静岡県伊豆の国市、奈古谷「国清寺の椎の木(スダジイ)」です!!

2022-02-16 06:32:17 | 巨樹・大木
今日からは、2022年2月11日の取材分です、前日の雪の影響を心配しましたが出かけて見ました

 奈古谷地区は、伊豆の国市役所北東約6kmのところ
 
 国道136号線の原木信号を東へ入り伊豆箱根鉄道の踏切りを渡って進むと

 県道136号線となり、県道が左(北)へ向きを変える所を

 真直ぐに進み、突き当りを右へ、間もなく左に国清寺が西向き参道で有ります

 境内南側に駐車場に車を止めさせて頂きました

参道入口です

臨済宗 円覚寺派 天長山 国清寺です

説明版です
  天長山国清萬年禅寺 臨済宗円覚寺派
 本尊   観世音菩薩
 創立   康安二年春
 開基   畠山国清(天猷道誓大禅定門)足利管領の執事
 再開基  慶安元年(1368)上杉憲顕(桂山道昌大禅定門)
      大いに修築巨刹となす(本堂正面にあります)
 開山   無礙妙謙敇駅謚佛真禅師(後花園天皇直筆の額が本堂正面にあります)
 十刹六位 住昔殿堂壮麗にして子院78字を有しなり
     足利三代将軍義満の時関東十刹の一に加えられる、天長山、国清萬年禅寺と号せらる。
 旧朱印 弐拾石境内二千九百余坪(仏殿右側に徳川歴代将軍の位牌を祀ってある)
     住昔末寺三百余ケ寺塔中七十八院あり
     延徳3年伊勢新九郎長氏御所を隠れし時より漸く衰退せり、其の後鎌倉円覚寺の付属となる
     子院現存するもの、高岩院、徳隣院、龍泉院、松月院である。
 旧十境 1、十黒松。2、愈好橋。3、・峠。4、石橋。5、馬鬣峰。6、寒山窟。7、石牛洞。8、芍薬渓。9、華頂峰。10、宝珠嶺
 鎮守  毘沙門堂 寺を距ること十余町の山中にあり国清寺に属す。伝え云う 僧文覚此の地に流寓す。堂中に慈覚大師作の毘沙門尊天あり。仁王門に運慶修飾の金剛像あり。辯財天、は仏殿左側に祠る。
  (豆州志稿による)


北側には同じ臨済宗 円覚寺派 華頂峰 高岩院が南向で有ります、こちらが説明版に有る現存する子院の一つですね

参道を進むと仏殿です

仏殿前の杉の大木です

反対側(右)には切株に杉の苗が育っています

仏殿南側通路には鳳林庵地蔵尊です

説明版です


北側の参道脇のクスノキの大木です

参道脇には赤い鳥居の祠が有ります

六地蔵様です

鐘楼です

大きな方丈(本堂)です

方丈の北側への通路です

この先に開基塔が有りますが

右に入ると多重塔です


上杉憲顯公顕彰碑です
 南北朝武将の上杉憲顯は、関東管領上野越後伊豆守護など要職を歴任し晩年伊豆に国清寺を建立壮麗な寺院に修築整備された国清寺は三代将軍足利義満の代に関東十刹の一寺に数えられたと伝えられる。
 憲顯公は康安元年(1368)9月19日足利陣中に没し此処国清寺の森に眠る因みに鎌倉九代記に卒去後の上杉憲顯公葬送の記録があると郷土史家木下喜衛氏は講す。
 上杉憲顯公世を去りて六百三十年その功を称え徳を偲びて碑を刻み後世に遺す
  平成十年九月十九日 国清寺護持会 撰

戻って奥へ進むと開基塔です

開基塔の奥側(北側)に目的のスダジイです

太い幹が見えています

南西側から、目通り幹囲5.2mの巨木です

西側から見あげました

北側から

説明版です
  国清寺の椎の木について
 椎の木はブナ科の常緑高木で、気候の温暖な地に多く鬱蒼とした大木になると言われている。
 室町の古刹国清寺の森に残るこの椎は正にその樹木で樹齢は八百年と伝わる貴重な古木である。
  平成二十年元旦 木内昭一郎氏寄進樹


東側から見上げました

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静岡県藤枝市、助宗「助宗大井神社の大杉」です!!

2022-02-15 06:35:20 | 巨樹・大木
 助宗地区は、藤枝市役所の北西約5kmのところ

 県道32号藤枝黒俣線を北へ、道なりに進むとやがて県道は西向きになり
 
 国道1号藤枝バイパスの谷稲葉インターチェンジ信号で右(北)へ

 県道32号線を更に瀬戸川に沿って進みます

 新東名高速道路の高架を見上げて更に北へ進むと、瀬戸川左岸へ渡る橋が見て来ます助宗新橋です

 信号を右(東)に曲って助宗新橋を渡ると道路が右へカーブします

 道路左に大井神社が南向きに鎮座します、前の駐車場に車を止めさせて頂きました


大井神社です

鳥居です

鳥居のすぐ先のクスノキです


クスノキの影に目的のスギの巨木です

御神木指定証です

西側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

説明版です
  助宗大井神社の大杉
 創立年は不詳なるも、応仁元年(1467)社殿を修理し、宝暦5年(1755)再建記録がある。
 かつては六社神社と称した。また、堀田忠平氏の産土神ともいわれた(別名黄金明神)。
 明治5年に大井神社と言われ。現社殿は昭和4年に再建された。
 大杉は創建時代に植えられたものか由緒は不詳である。
   平成23年3月吉日

北側から見上げました


手水舎です

拝殿です

本殿覆屋です

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静岡県島田市、東光寺「日吉神社のクスノキ」です!!

2022-02-14 06:34:38 | 巨樹・大木
 東光寺地区は、島田市役所の北東約4kmのところ

 県道381号島田岡部線を東へ、道悦島信号を左(北)へ

 東光寺谷川に沿って北上します、右岸から左岸側に変わって、国道1号藤枝バイパスの高架を潜ります

 更に道なりに進むと、東光寺谷川の対岸に現在の東光寺が見えて来ます

 もう少し先へ進むと、東光寺本堂が有ります、前の道路脇に車を止めさせて頂きました



通が左右に分かれる所が東光寺の本堂です

東光寺本堂の石柱です

東光寺猿舞の里の森づくりの掲示版です

六地蔵様です

手水舎です

一段上がって東光寺本堂です

境内右手の御堂と石仏や石塔です

東光寺本堂の左手に日吉神社の鳥居が有ります

日吉神社です

猿舞の説明版です
  猿舞 静岡県指定 無形民俗文化財
 島田市の東光寺地区には、毎年4月14日、日吉神社の祭典に子供二人が猿の面を付け舞を奉納する「猿舞」が伝わり、昭和52年12月20日、静岡県無形民俗文化財に指定されました。
 猿は、日吉山王権現社の神の使いとされ、記録によると古くは各地の日吉神社で猿を真似た芸能が行なわれていたゆですが、現在、猿舞を演じているのはここ東光寺の日吉神社だけで、大変珍しい芸能の一つです。
 東光寺の猿舞は、かつて「猿踊り」と呼ばれ、元禄年間(1688~1704年)に舞われていたとされていますが、その起源については未詳です。
 猿面は、雌雄の二面で顔のくまどり線が四本で険しさを漂わせているのが雄猿面、くまどり線が三本で穏やかな表情をうかべているのが雌猿面です。
 舞は、「双々の舞」「扇の舞」「本舞」の三段からなり、笛、太鼓が奏でる曲に合わせて神輿に奉納する形で舞われます.
 舞人は、東光寺地区の少年から小学生二人が選ばれ、舞台上において三段nお舞を優雅に奉納します。
  東光寺文書 島田市指定文化財
 東光寺は、山号を池沢山といい、千手観音を本尊とする天台宗の古刹で、伝えによると天長7年(830年)に慈覚大師が開いたといわれています。
 東光寺には多くの貴重な古文書が残り、歴史的価値も高いことから11通が「東光寺文書」として、昭和59年3月29日島田市指定文化財として指定されました。
 この文書から、東光寺は、室町時代には今川家の帰依が厚く、島田宿北東の寺院として栄えたことがしのばれます。

 

更に左手に回ると、目的のクスノキが在ります、左側の階段は日吉神社社殿への参道になっています、鳥居から上った参道とすぐ上で合流します

西側から

階段を上って横から見上げました、目通り幹囲5.5mの巨木です

もう少し上り、上側から見ました

日吉神社社殿まで行って見ましょう

幅広い階段は、丸竹で土止めされています、つづれ折りに上って行きます

中段にコンクリートで固めた河原の平石が敷き詰められていた所が有ります、更に上ります

ようやく社殿が見えて来ました

水盤です

本殿は覆屋の中です

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