ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県那珂市、東木倉「清水寺の杉」(市指定)です!!

2019-03-31 07:33:37 | 巨樹・大木
東木倉地区は、那珂市役所の南約5kmのところ

県道38号線の南側の段丘崖上に清水寺が有ります

すぐ東側の清水洞の上公園駐車場を利用させて頂きました





公園駐車場入口です


説明版です
  清水洞の上・清水寺について
 この辺りは「清水洞」と称され、古来清水がこんこんと湧き流れている。
 江戸時代、徳川光圀公の招きで水戸の祇園寺を開山した東皐心越禅師の高
弟呉雲宝曇禅師が、元禄10年(1697)、この地に祇園寺末寺となる曹
洞宗清水寺を建立したという。
 本尊は白衣観音で、心越が明から日本へ亡命の時、杭州永福寺の観音を持
参したものと伝える。世人の信仰深く、ことに婦人は講を結び、安産を祈り
報恩の供養をした。その頃、光圀公はこの辺りの情景を山城(京都)の音羽
瀧とやらにかわらぬとして、
   爰もまた 国こそ替わる山城の 心の住める おなし清水
と、詠んでいる。これは、この地の人々は京都の清水寺に行くことが出来な
いので、同じ清水の地に清水寺を建立して近隣18か村の農民が参詣できる
ようにしたと伝える。
 その清水寺も明治2年(1869)、旧藩神祗局の命により廃寺となった
。その跡へ、千波村笠原神社から木花咲耶姫命を分祀し清水神社とした。ま
た、境内清水池の中には、弁財天に代って市杵島姫命を祀る厳島神社が末社
として建てられた。当時の景観を表して「那珂郡郷土史」には、
   池は水量豊かに此所彼所に湧出清澄鏡の如く冽なること氷の如し
   三伏猶暑さを知らす老樹水に臨み真に仙城たり水流れて落下する
   を雙瀧という
とある。
 その後、明治43年(1910)清水神社は、末社厳島神社と共に村社吉
田神社に遷宮合祀され、元の地に清水寺が再興された。大正10年1月には
本堂が焼失し、昭和7年(1932)7月に再建された。本尊の白衣観音は
、再建時の住職他界後行方不詳となり、現在は元茨城学園長安原氏から寄進
された観音菩薩である。なお、現在は無住寺で区が管理している。
 境内の清水池の側に、昭和49年那珂町指定天然記念物「清水寺の杉」が
ある。清水寺北側一帯はかつて清水原といい、水戸藩徳川斉昭時代には、城
外武術訓練所(鉄砲場)があった。
 この地域は現在、歴史のある清水寺や渓谷、大学、高校、小学校を控え、
新那珂八景の一つ「清水寺と五台文教地区」に指定されている。
      清水洞の上自然を守る会・那珂市観光協会
  平成22年10月
 


公園の案内板です

目的のスギです

南側から


南西側から



西側から

南西側から

案内板です
 清水寺のスギ 市指定天然記念物
   指定年月日  昭和49年7月15日
   所在地    那珂市東木倉166-2
   管理者    清水寺
   樹齢推定・・・500年
   根まわり・・・9,47m
   樹幹まわり・・5,20m
   樹高・・・・・約30m
         那珂市教育委員会


桜が咲き始めています



弁天様です

参道入口(北東)から見上げました、目通り幹囲5,6mの巨木です


清水寺本堂へ行って見ます

本堂前境内から見下ろしました

本堂です


説明版です
  東皐山清水寺
開基 徳川光圀公
開山 心越興儔禅師
宗派 曹洞宗
1、開山時の御尊像・・・白衣観音菩薩
   当山に安置されていた御尊像は開山禅師が大明国より
  来朝の折、寺参せしお守り本尊であたと伝えられている
  。
   禅師は義公の招請によって長崎より水戸の地に将来し
  、天徳寺や水戸祇園寺などを再興し、開山なられた唐僧
  である。当山は、水戸祇園寺の末寺として、祇園寺二世
  宝曇禅師隠棲の地として開創された。
 開創・・・・・元禄10年春 (1697年)
 本堂焼失・・・大正10年1月(1921年)
 本堂再建・・・昭和 7年7月(1932年)
2、現在の御尊像・・・・聖観世音菩薩
   再建時の御住職他界後、旧御尊像行方不詳のまま今に
  至っている。
   現在安置されている御尊像は、元茨城学園長の安原氏
  から寄進された「観音菩薩」である。

帰り際に、駐車場入口から杉を見下ろしました

では、次へ行きましょう
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茨城県那珂市、菅谷 「不動院のカヤ」(県指定)と「不動院のイチョウ」(市指定)です!!

2019-03-30 06:24:29 | 巨樹・大木
菅谷地区は、那珂市役所の南東側約1kmのところ

JR常磐線かみすがや駅の東県道31号線沿いに

参道を西向きに開いて不動院が有ります

不動院の駐車場は北側の県道沿いにあります

西向き参道の山門です

武田山不動院大聖寺です


参道を進みます

右手に目的のカヤが見えてっ来ました

本堂手前左にイチョウの大木です


本堂です

本堂北西側御堂です

説明版です
  不動院の文化財
市指定文化財 木造大日如来座像
     昭和59年12月14日指定
   当山は王朝の昔から九百年の法灯を伝えて来た古刹で
  寛文13年(1673年)水戸光圀公の命により再興さ
  れ、現在の山号寺号に改められた、享保18年(173
  3年)旧伽藍が造営され以来252年、昭和59年3月
  に解体、新たに造営された本尊大日如来像は江戸時代初
  期の作と推定されている。
県指定天然記念物 不動院のカヤ
     昭和49年3月31日指定
  推定樹齢  約600年
  樹高    約 30m
  樹幹目通り 5,62m
市指定天然記念物 不動院のイチョウ
     昭和59年2月15日指定
  推定樹齢  約300年
  樹高    約 20m
  樹冠目通り 4,56m
      那珂市教育委員会




西側から

南側から

東側から、目通り幹囲5,62mの巨木です

本堂前から


お堂の前から

銀杏の大木です


本堂前から

お堂の前から、目通り幹囲4、56mの大木です


本堂前には弘法大師様です

では、次へいきましょう
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茨城県那珂市、鴻巣 「鷲神社の杉」(市指定)です!!

2019-03-29 07:09:30 | 巨樹・大木
鴻巣地区は、那珂市役所の北東約3kmのところ

JR水郡線ひたちこうのす駅の南西側の県道315号線脇に

南西向きに参道を開いた鷲神社が鎮座します

鳥居前に車を止めさせて頂きました



参道入り口です

鷲神社(おおとりさん)です


手水舎です

由緒説明版です
    鷲神社由緒書
   御祭神  天日鷲命<アメノヒワシノミコト>(おおとりさま)
  伝言う、往昔此の地に一大巨松あり長さ90丈(約30m)毎年
 一大鉅鳥ありその上に来り巣う、出入坤方(西南の方向)より口に
 一日帛幣を含む、土人之を異とする時に神あり人に憑りて曰く武州
 日鷲神なりと、乃ち三度卜してこれを齊祀す時に大同2年(平城天
 皇807年)4月18日と云う。
  天正17年(後陽成天皇1589年)額田の領主小野崎照道なる
 もの飯田村の住掛札高房と戦う事あり悉く灰爐となり村人協力再建
 を謀る、高房乃ち金材を寄進し造営なる。
  元和6年(期正天皇1620年)偶々別当宣善の家火災に遇い社
 殿亦類焼し所蔵の旧記村里の古書等全く烏有に帰す。
  元禄11年(東山天皇1698年)拝殿を造営し。
  享保5年(中御門天皇1720年)新に本殿を営まれる。
  安政2年(孝明天王1858年)拝殿を改築し社地の周りに堤を
 築き現在の神域となる。
  明治45年(明治天皇1912年)村社となり、大正4年(大正
 天皇1918年)拝殿浜縁を増築し、昭和30年拝殿を銅板に葺替
 える。
  昭和43年幣殿を改築神饌所を営む。
  昭和59年神輿殿を新築両部鳥居及び村旗ポール建立を営む。
主たる祭典日
  元旦祭        1月 1日
  祈年祭(八丁注縄)  2月27日
  古峯神社嵐除祭    3月14日
  春季例祭       4月18日
  田植祭(献灯行事)  7月14日
  秋祭(新穀感謝祭) 11月23日
神文  左三つ巴
  昭和60年は、天皇陛下御在位60年の記念すべき歳に当たるた
 め氏子総代と相謀り鳥居屋根を銅板に葺替え本由緒書を再建立す。
    昭和60年4月吉日   鷲神社宮司 鷲尾瑞穂謹書
 


拝殿です

本殿です


目的の杉は道路沿いの鳥居のそば、拝殿の右手に在ります

案内板です
  市指定天然記念物
鷲神社のスギ
  指定年月日  平成8年6月21日
  所在地    那珂市鴻巣1509
  管理者    鷲尾瑞穂
  推定樹齢・・・約500年
  根まわり・・・約6,3m
  樹幹まわり・・約5,2m
  樹高・・・・約33,0m
  神社の御神木になっている。

鷲神社のウワミズザクラ  
  指定年月日  平成8年6月21日
  所在地    那珂市鴻巣1509
  管理者    鷲尾瑞穂
  推定樹齢・・・約200年
  根まわり・・・約2,2m
  樹幹まわり・・約1,5m
  樹高・・・・約18,0m
  近郷に少ないサクラである。


北側から、目通り幹囲5,2mの巨木です


道路向かい側から









境内社です




手水舎の脇に在るのが天然記念物のウワミズザクラです

北側から


社務所前にも桜です

では、次へ行きましょう
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茨城県那珂市、南酒出「蒼龍寺のカヤ」(市指定)です!!

2019-03-28 06:03:38 | 巨樹・大木
南酒出地区は、那珂市役所の北約3kmのところ

県道62号線を北へ進むと給食センターの先、

道路右手に自然木板の案内板が有ります

西向きの参道をはいると墓地の手前に広い駐車場が有ります

参道入り口の案内板です

蒼龍寺です

南酒井出城跡の説明版があります(215年1月18日このブログで紹介していますのでご覧ください)




六地蔵様です

参道を進みます、参道の左に見えるのが目的のカヤです

南西側から

南側から

案内板が有ります
 蒼龍寺のカヤ
  市指定天然記念物
 指定年月日  昭和49年12月11日
 所在地    那珂市南酒出462
 管理者    斉藤功雄
 樹齢推定・・・・500年
 根まわり・・・9,00m
 樹幹まわり・・5,00m
 樹高・・・・・・約18m
 樹高数米のところにヤマザクラの宿り木がある

南東側から

東側本堂軒下から

北東側から目通り幹囲5,0mの巨木です

本堂前から

本堂です

お堂です

では、次へ行きましょう
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茨城県常陸太田市、島「鹿島日吉神社のケヤキ」です!!

2019-03-27 07:48:29 | 巨樹・大木
島地区は、常陸太田市役所の南西約5kmのところ

県道62号線の小島町信号を東へ入ると

梵天山(古墳)の南裾の道路です

鹿島日吉神社は、南裾の道路から二段上の道路に

参道を西向で鎮座します

鳥居前の道路脇に車を止めさせて頂きました




西側から参道入り口鳥居です、鳥居の後側に目的のケヤキが在ります

村社 鹿嶋日吉神社です

鳥居脇南西側から見上げました

北側から

北東側から

境内側(東側)から目通り幹囲6,9mの巨木です

少し離れて見ました


拝殿前から見ました

境内の杉には焦げ跡が残ります

参道北側のカヤノ大木が二本ならんでいます

拝殿です

本殿です


北側に境内社が並びます

では、次へ行きましょう
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茨城県常陸太田市、上宮河内「菊蓮寺のケヤキ2本」です!!

2019-03-26 07:36:40 | 巨樹・大木
上宮河内地区は、常陸太田市役所の北西約14kmのところ

県道29号線を北へ、西金砂湯煙の里の手前

左手の山裾に菊連寺が有ります

参道山門前に駐車場が有ります

菊蓮寺参道入り口です

山門入り口です

菊蓮寺です

説明版です
  菊連寺由緒
 山号を舎利山三光院という。金砂山を開いた天台宗の
行讃上人は或る夜、金砂権現の霊夢を受け、蓮華上に舎
利、菊花の三つが光り輝くこの地に大同2年(807)
当寺を建立した。
 天台宗として650余年を経て、寛正6年(1465
)瓜連常福寺二世了誉証冏上人(二十六夜尊)の弟子覚
誉冏察上人が中興し、浄土宗として今日に至る。
 明暦3年(1657)野火に罹ったが、恵心作と伝え
る本尊仏は安泰で、現在献文化財6件を管理する。

  入定尊由来
 菊蓮社覚誉冏察上人の尊称である。俗性は、上岩瀬城
主白石佐渡守重光の嫡子。4歳で常福寺聖冏上人に入門
修行する。
 寬正6年4月8日48歳で当寺に入り念仏を弘めた。
 上人出生の時、母は難産のため死去。
 晩年亡き母のお告げを受け「母君苦悩の恩を報ぜんが
ため、一切の女人を安産せしめん」との誓願を立て、2
1日の断食、念仏三昧を修し、明応7年(1498)3
月3日81歳で西高峰に生き入定された。
 世人は入定尊と嘆賞し、安産守護仏として尊信が深い

  我が願ひ みちてよろこび つとふかな
 たれものぞみの かなふ山に
         実誉覚存 謹詠   
          菊連寺護持会



文化財説明版です
  菊蓮寺の文化財
 菊蓮寺の本尊は阿弥陀如来、脇侍は観音・勢至両菩薩
であるが、廃寺となった西金砂山定源寺のものと伝えら
れている木造千手観音立像(附千手観音焼損像)、木造
不動明王像、木造多聞天(毘沙門天9立像、木造女神像
が安置されており、いずれも茨城県の文化財として指定
されている。
 ヒノキ材寄木造りの千手観音立像は、高さが350c
mで、県内第2位の大きさを誇る。この像は定源寺の本
尊であった千手観音立像が平安時代末期の佐竹氏と源氏
が戦った金砂山の戦いで焼損しまったため、鎌倉時代に
新たに作られたものと考えられており、胎内に納入され
ていた供養札には、寛元2年(1244)の年号が記さ
れていいる。また、金砂山の戦いで焼損した千手観音立
像も千手観音焼損像として炭化した姿のまま安置されて
おり、寄木造りの前部が焼失してしまった残りの背面の
部分であると伝えられ、高さは現在の千手観音立像より
も大きく386cmある。不動明王立像、多聞天(毘沙
門天)立像、女神像は、ともにヒノキ材一本造りで、平
安時代中期から後期の作と考えられている。
            常陸太田市教育委員会




山門です

六地蔵様です

鐘楼です

本堂へ石段を上がります

本堂です

目的のケヤキは本堂の右手、庫裏の裏側に在るようです

庫裏の前から見る事が出来ます

常陸太田市 みどりの文化財 登録樹

第0005号です

庫裏の裏側(西側)から見ました

庫裏の裏側にはもう一本保存樹にしていされているケヤキが在ります

常陸太田市 みどりの文化財 登録樹

第0006号です

南西側から

庫裏の裏側に並ぶ二本を見ました

では、次へ行きましょう
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茨城県大子町、久慈川河畔のケヤキ群です!!

2019-03-25 12:02:24 | 巨樹・大木
大子町は、袋田の滝などで有名な茨城県内陸最北の町です

町内を流れる久慈川は、福島県棚倉町側八溝山に源を発して

124km流れて日立市と東海村の境で太平洋へ到達しています

大子町役場の東側を流れる久慈川河畔右岸にケヤキの巨木が並びます

道の駅の駐車場を利用させて頂きました

道の駅「奥久慈だいご」です

向い側の橋の一本北側へ移動します

北側の橋が見えて来ました

国道118号線側は一方通行の出口になっています



橋の上から対岸に並ぶケヤキ群を見ました

対岸に渡り、河川敷へ


南側から順に見ていきましょう、まず1本目


南側から、目通り幹囲6,1mの巨木です

北側から

北側に離れて


2本目のケヤキです

南側から

北側から

離れて

3本目のケヤキです、側の住宅の庭にもケヤキが立っています

南側から

北側から

離れて

4本目のケヤキです

南側から

北側から

離れて見ました

北側の橋を渡って国道118号線を道の駅までもどります




北側から順に対岸(東側)から見ました

では、次へ行きましょう
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新潟県新潟市、白山神社の合格祈願の梅です!!

2019-03-24 06:28:57 | ドライブ
白山神社は、新潟市役所のすぐ南側に鎮座します

神社境内に駐車場が有りますので利用させて頂きました



本殿前左側に紅白の梅が有ります

合格祈願の梅の説明版です
   合格祈願の梅
    紅梅 蘇芳梅(あうおうばい)
    白梅 大和牡丹(やまとぼたん)
 白山神社境内には天満宮という菅荒道真公を
 おまつりした神社がありましたが、明治6年
 白山公園造営にあたり、白山神社本殿に合祀
 、一緒におまつりされるようになりました。
 現在でも学問の神様として信仰を集め、受験
 時期になりますと多くの受験生や関係者が、
 合格祈願に訪れています。
 
 天神様「菅原道真公」は、「学問」の神様と
 して知られています。書道や和歌など芸能に
 も秀で、弓の名手でもあることから文武両道
 の神様として「合格祈願」「厄除け」など、
 子どもの守り神と親しまれております。おま
 いりに訪れるお子様が将来に渡り、より良い
 縁に恵まれ、学業・芸能・スポーツでも多く
 の幸を授かり、健康で活発、聡明な大人に成
 長するよう天神様のご利益を頂戴しましょう。





紅梅です

白梅です

合格祈願の梅です

白梅は大和牡丹です

では、参道鳥居脇の梅園に行って見ましょう


まだまだ早いようで、蕾の梅も多く有りました

でアh、次へ行きましょう
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茨城県水戸市、八幡「国指定天然記念物白幡山八幡宮のオハツキイチョウ」です!!

2019-03-23 06:35:59 | 巨樹・大木
八幡地区は水戸市役所の北西3kmのところ

国道51号線の北側

川の段丘上に白幡山八幡宮が鎮座します

東向きの境内参道南側に広い駐車場が有ります

拝殿の南側に国指定天然記念物のオハツキイチョウが在ります




参道入口鳥居脇にオハツキイチョウの案内があります
案内板の和歌です
  「八幡なる 神の社の 御葉付の 
          公孫樹の如く 千代に栄えむ」


手水舎そばにも説明版があります


大きな説明版にも説明が有ります
 御葉付公孫樹
  当宮御神木。稀に葉先に実を生ずる珍種。
  推定樹齢800年、樹高42m、幹回り9m、
 風格ある姿は全国一とされる。子授け、安産、子
 育て、縁結びなどの御霊験あり。

拝殿前には右に左近の桜です

右近の桜の奥にオハツキイチョウが見えました

オハツキイチョウです


注連縄の巻かれた御神木です

北西側から

北側から


文化財案内板です

こちらの案内板にも入口の案内板と同じ歌が詠まれています

オハツキの説明版です
 和歌に詠まれる御神木の、御葉付公孫樹は、
樹齢800年、樹高42m、幹回り9mという
巨木で、秋の黄葉がすばらしい。
 雌木で多数の実を結ぶが、稀に葉先に実を生
じることから、この名がついた。
 往古、遣唐使が持ち帰った5本の1つと伝え
られる。
 幾本もの乳根が垂れ下がり、樹勢の雄大風格
ある姿は同種類中全国一と言われる。
 安産、無事成長、延命長寿、縁結びの御霊験
あらたかである。



では、次へ行きましょう
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茨城県水戸市、「国指定重要文化財白幡山八幡宮」です!!

2019-03-22 08:08:33 | 文化財・寺社
白幡山八幡宮は、水戸市役所の北西約3kmのところ

那珂川右岸の高台市街地の北の端に参道を東に鎮座します

境内南側に広い駐車場が有りますので利用させて頂きました




南東側からの参道から鳥居です

ロマンティックゾーンの案内板です、八幡宮は右上です

国宝 八幡宮となっています

茨城百景の標柱です

鳥居をくぐると

参道は直角に曲がっています

二の鳥居でしょうか

説明版です
 水戸白幡山 水府総鎮守 八幡宮
  御祭神  誉田別尊(第15代應神天皇)
       息長足日売尊(神功皇后)
       姫大神

  御由緒   当宮は、源氏の流れを汲む戦国大名佐竹義宜公    
       により、文禄元年(1592)水府(水戸)総鎮
       守として創祀されました。
        義宜公は水戸入城にあたり、源氏の守護神たる
       八幡大神を、本拠地であった常陸太田馬場より勧
       請し、慶長3年(1598)には、54万石の財
       力と「御大工」と称される百人程のお抱え大工集
       団の優秀な技術力をもって、現在の北見町に安土
       桃山時代の様式美を備えた御本殿を建立しました
       。
        しかし、その4年後、佐竹氏は秋田へ移封され
       、水戸は徳川氏の所領となりましたが、当宮は三
       百石の朱印を得て存続し、徳川水戸藩よりも尊崇
       されました。
        元禄7年(1694)、二代藩主光圀公の寺社
       政策によって、当宮は那珂西村(現・城里町那珂
       西)へ移遷されましたが、三代藩主綱條公の時代
       、時の宮司田所修理清澄を始め氏子の請願により
       、宝永6年(1709)、再び水戸に遷座されま
       した。その際、白鶴が一羽舞い降りて現在の神域
       を卜定したと伝わります。
        420年余の星霜を重ねる中、幾多の天災、戦
       災

   


こちらも説明版です(ほぼ同じ内容です)




手水舎です

狛犬です

拝殿です

本殿です

国指定重要文化財です



参道の境内社を順に紹介しましょう

参道左手から

火伏の神 二神宮です

こちらも火伏の神 秋葉神社です


淡島神社です

御神馬です

では、本殿北側です

武内宿禰神社荒魂社です

武内宿禰神社和魂社です



石尊神社です

社運隆昌 松尾神社です

天満天神宮です

天満天神宮の御由緒石碑です

稲荷神社です

十二支の銅像が有ります



まずは大黒様に抱かれて鼠、牛、虎、兎です

辰と巳です

午と羊、申は見ざる聞かざる言わざるの三猿です


酉と戌は、国指定天然記念物のオハツキイチョウの前にあります



猪は拝殿の右手に在りました、今年の干支ですね

では、次は国指定天然記念物のオハツキイチョウです
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茨城県大洗町、磯浜「願入寺のイチョウ」です!!

2019-03-21 08:02:09 | 巨樹・大木
磯浜地区は、大洗町役場の北東約2kmのところ

県道108号線の西側、かんぽの宿大洗入口に願入寺があります

山門脇に駐車場が有りますので利用させて頂きましたが

目的のイチョウは、本堂裏側の墓地入口に在りますので

墓地入口まで移動しました




参道入口です

山門です

山門の扉には綺麗な装飾の中に三つ葉葵の紋が有ります

文化財標柱です、町指定有形文化財第1号です

説明版です
 親鸞聖人の血脈法脈相承の聖跡
 水戸黄門・歴代と格さんの史跡
原始眞宗 岩船山 大本山 願入寺
 当山は、浄土真宗開祖、親鸞聖人の嫡孫、如信上人の開基です。
 






法燈 願入寺系譜です

咲き始めた梅の奥に鐘楼です

鐘楼の奥に開基堂です

本堂は工事中のようです

目的のイチョウは、本堂裏側の広い墓地の入り口に在るので車で移動します


目的のイチョウです

南東側から

南側から

西側から、目通り幹囲5,1mの巨木です

南西側から

東側から

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茨城県水戸市、大場「東光寺のイチョウ」です!!

2019-03-20 06:26:56 | 巨樹・大木
大場地区は、水戸市役所の南東約8kmのところ

県道235号線を進み東水戸道路をくぐて

県道4号線を東へ進むと、左手奥に墓地を背に東光寺が見えます

西側からの入り口に広い駐車場が有ります




参道入口です

手水舎です

地蔵堂です

本堂です

本堂東側墓地の入り口に鐘楼です

薬師堂のようです

目的のイチョウです

北東側から

南側から、目通り幹囲6,9mの巨木です

根元には弁財天が祀られています

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茨城県水戸市、谷田「寳蔵寺のケヤキ」です!!

2019-03-19 07:10:09 | 巨樹・大木
谷田地区は、水戸市役所の東南東約4kmのところ

国道51号線を東へ、国道6号線の高架を過ぎて

間も無く南側に、参道入口を北に寶蔵寺があります

参道前と反対側の南側にも駐車場が有ります


参道入口から山門です

真言宗 高野山 寳蔵寺です

石段を登ると本堂です

石段上右手には弘法大師様です

左側には新しい御堂

更に右には、古い御堂です

地蔵堂です

桜の大木です

目的のケヤキは墓地の中に在ります、右の樹が大きいようです(南側駐車場入り口から)

それぞれ北西側から見た南北二本のケヤキです

右(南側)の樹を南西側から見上げました

北西側から

北側から、目通り幹囲6,1mの巨木です


左(北側)の樹を西側から、こちらも目通り幹囲5m程の巨木です

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茨城県水戸市、本町「竈神社のケヤキ」です!!

2019-03-18 06:57:57 | 巨樹・大木
本町地区は、水戸市役所の東約2kmのところ


参道を南東向に竃神社が鎮座します

鳥居脇の道路に車を止めさせて頂きました



南側から竈神社参道入り口です

鳥居から拝殿です

鳥居西側の一社明神の社です


目的のケヤキは鳥居脇に在ります


鳥居下から

保存樹木標識です
 指定番号   第6-2号2番
 指定年月日  昭和51年10月1日
 本数     1本
 樹種     ケヤキ
 樹高     10,00m
 幹周      7,37m
 推定樹齢   330年
   水戸市

南側から

手水舎です

竈神社説明版です
 竃神社は社伝によると、初め三宝荒神と称して水戸城地内に
祀られていたが、寛永3(1626)年、市内赤沼(現在の城
東)に移り、さらに元禄3(1690)年に現在地に遷座し、
天保年間(1830~1844)に社名を竃神社と改称したと
いう。三宝荒神とは仏・法・僧の三宝を守護する神であるが、
民間では火の神・かまど神とされた。竃神社も「おかまさま」
と呼ばれ広く信仰されている。



本殿です



石碑です

由緒碑です
 三宝荒神 竃神社 由緒
鎮座地 茨城県水戸市七軒町
祭神  奥津彦命 おくつひこのみこと
    奥津姫命 おくつひめのみこと
    中御方命 なかみかたのみこと
祭祀 例祭日 7月15日 7月16日
          現在は7月16日に斎行
由緒沿革
  創立は不詳、初め三宝荒神と称し、旧水戸七社(吉田神社・
 水戸神社・酒門神社・笠原子安神社・愛宕神社・国見神社)の
 一とされ水戸城猪山東部に鎮座、寛永3年(1626年)赤沼
 の地に移祀、元禄3年(1690年)水戸藩主徳川光圀公が社
 名を竃神社と改称、明治6年4月1日村社列格、同40年3月
 8日共進指定、昭和27年12月10日宗教法人設立、昭和2
 0年の戦災にて社殿焼失、昭和44年社殿再建する、この神社
 は農村方面の信仰が篤く「おかまさまの様」の愛称で親しまれ
 る、四季を通じ神札を今も受けている竃をつかさどる神で、日
 常生活に欠かす事の出来ない竃神である(命をつなぐ大事)穢
 に敏感であるとされ、その意に反する行をすると激怒して恐ろ
 しい祟りをなすと信じられ、荒神とも呼ばれている、火所を守
 護する神聖な神である。





拝殿軒下に説明版が掲げられています

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茨城県水戸市、宮内「吉田神社のケヤキ」です!!

2019-03-17 07:26:11 | 巨樹・大木
宮内地区は、水戸市役所の東南東約1kmのところ

県道180号線沿いに参道を東向きに吉田神社が鎮座します

参道入口は丘の下にあり、参道石段を登りますが

駐車場は石段を登った境内にあります



常陸第三宮 吉田神社の大きな看板が有ります

参道入口鳥居です、目的のケヤキが参道石段の上に見えています

縣社 吉田神社です

鳥居脇の石碑ですが、説明が無く解りません

参道石段を上がりましょう

石段脇右に目的のケヤキです

保存樹標識です
  指定番号6-1-19
  本数1本
  指定年月日 昭和51年10月1日
  樹高 13m、幹周 6,1m
  推定樹齢300年
  樹種 ケヤキ
    水戸市

南西側から

更に上に登ります

石段上から見下ろしました

二の鳥居です

参道左手に朝日三角山の鳥居です

祭神日本武尊尊御遺蹟の石碑です

朝日三角山由緒の石碑です




標柱です


手水舎です

参道右手に吉田天満宮です

狛犬です

随身門です

水戸市指定無形文化財の説明版です

拝殿です

拝殿前のシダレザクラです

拝殿右手に舞殿です

左側から回ります

本殿です



本殿左側に縁結びの笹です、利き手と反対があの手だけで笹の葉を結ぶと願いが叶うそうです

境内社の水戸神社と飯神社です

星宮神社・土師神社・稲荷神社・豊受大神宮・皇大神宮です(一番左側は不明)


疱瘡守護神社・大国主事代主神社・八幡宮・住吉神社・多賀神社・松尾神社です


早歳神社・国見神社などの境内社があります

本殿を右側から見ました

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