ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県木曽町、三岳田中「若宮社のサワラ」(町指定)です!!

2021-10-31 06:26:42 | 巨樹・大木
三岳田中地区は、木曽町役場の西約6kmのところ

国道19号線元橋信号を西へ、県道20号開田三岳福島線です

木曽川を元橋で渡ると大滝川沿いを進みます

大滝川左岸から右岸に渡ったところで、県道473号線を合せて、また左岸へ渡りなおします

三岳黒沢信号で県道256号線を別けて北へ道なりに進みます

県道右側に若宮への参道入口が有りますが、今わ使われていないようで草だらけになっているので少し先へ進みます

若宮入口です、ここから400mです

御嶽神社 里社若宮へ向かいましょう

裏口のようです

裏参道の鳥居です

ここも御嶽神社です

説明版です
  御嶽神社里宮(若宮)
 桧の大径木に囲まれたこの社殿は至徳2年(1358)に木曽家親(家信)によって再建されたもので、家信が奉納した鰐口が現存している。
 また、永禄8年(1565)木曽義昌が奉納した三十六歌仙絵馬額が拝殿に掲げられていたが、盗難により三十二枚が現存し社宝となっている。この神社は創建年代は不詳であるが祭神は、大巳貴彦と少彦名命である。
 社殿が狭いため明治10年(1877)関東巴講により改築されたものである。
   木曽町

黒沢口 里社若宮祖霊殿の案内石碑です、東側の表参道側へ移動しましょう

北側の境内入口の道路脇に車を止めさせて頂きました

東側の参道端近くから若宮方向を見ました

手水舎です

神楽殿(舞殿)でしょうか

北側に目的のサワラが見えました

南側から

南西側から、目通り幹囲7.2mの巨木です

西側から



土俵が有ります、綺麗に整備されていますので奉納相撲がおこなわれているようです



神楽殿と思われる建物の中には大きな奉納額が有ります

拝殿です

狛犬です

説明版です
  若宮神社
 木曽氏の守護神として最も崇敬を受けた神社として崇められており、至徳2年(1385)再興の棟札と鰐口が現存します。
 本社には八幡大菩薩・若宮は桶安気大菩薩(聖観音菩薩)を祀っていたが、明治維新後は頂上の大己(おおあなむ)貴(ちの)命(みこと)を若宮に、少彦名命を本社に祀り合せと御嶽神社となっている。
 大滝里宮では国常立命(十一面観音)としていたが、明治維新後は大滝頂上日権現祭神少彦名命を祭神とした。
 現在は御嶽大神と称するときは、国常立命・大己貴命・少彦名命の三神をもって統一している。
 永禄8年(1565)木曽家最後の武将木曽義昌は家臣達とともに三十六歌仙の板絵絵馬を奉納してあり、木曽谷の絵馬では最も古いものである。

本殿です

社殿の南側の通路が「御嶽古道」なのですね

左殿南側の祖霊殿です

境内社は、左から豊受社・長田社・諏訪社です

裏参道の鳥居まで戻って来ました

若宮裏の祠です

では、次は里宮本社へ行きましょう
  
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長野県木曽町、福島伊谷「水無神社のスギとヒノキ」です!!

2021-10-30 06:21:08 | 巨樹・大木
 福島伊谷地区は、木曽町役場の東北東に約2km

 国道19号線の福島トンネルの南側入り口が伊谷信号です、信号を東へ県道209号線です

 ここから250mで南向きに水無神社の参道が出ています

 向かい側のゴミ集積所脇に車を止めさせて頂きました


福島宿の標柱です



水無神社参道入口です

縣社 水無神社です

参道の鳥居と門ヒノキでしょうか

参道石段を上って来ました社殿は正面から少し右ですが、参道から境内入口はこの左(西)側になります

境内には合体木ですがスギの巨木です

直ぐ東側にはヒノキの大木です



西側の境内入口です

説明版です
  水無神社 Suimujinnjya Shrine
   祭神  高照姫命
 本社は、文永2年(1265)乙丑歳5月6日 飛騨一宮水無神社を此の地に御勧請し水無天王社と称したことにはじまります。
 延文2年(1357)6月領主越後守藤原家有に依り社殿が再興されたことを始め、木曽氏より石川備前守、さらに尾州代官山村氏に至る累代領主の尊崇は深く、木曽総鎮守水無大明神とたたえられ武運長久と国家安穏が祈願されてきました。社殿修履等には近郷十一ヵ村からの奉仕が集められたといわれます。
 明治5年11月には福島村nお氏神として村社に列格し、近郷住民の崇敬も深く、大正13年3月郷社に昇格、更に昭和10年12月社殿境内の整備を完成し県社に昇進しました。
 御例祭は、「みこしまくり」と称せらる特殊神事で、奇祭として広く世に知られています。7月22・23日の両日に執行され、全国各地より多くの拝観者が訪れます。此の神事は往古飛騨国より御遷座の模様をかたどったものと伝えられています。
  木曽町

手水舎です

境内の鳥居は西向きに建っています

狛犬です

拝殿です、横長の広い拝殿です

東側から社殿を見ました

幣殿と本殿です

本殿西側には境内社が並びます

本殿の西側のスギです

東側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

南西側から


本殿東側の境内社です

木曽乃宮です

軒下の額には由来が書かれています

木曽乃宮の裏側のヒノキです

*境内にはスギやヒノキの大木が27本も在るそうです、紹介した木々の他にも目通り7.4mのヒノキの融合木が在るは
ずでしたが見つかりませんでした・・・

では、次へ行きましょう
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長野県木曽町、福島出尻「出尻のトチノキ」です!!

2021-10-29 06:18:28 | 巨樹・大木
福島出尻地区は、木曽町役場の北東約3kmのところ

国道19号線を北東へ、矢崎橋信号の先に木曽町いでじり横断歩道橋が有ります

国道と上側のJR中央本線の線路の間にトチノキの巨木が在ります

国道脇のバス停です

国道脇に車を止められないので、すぐ下側の旧中山道の道路脇に車を止めさせて頂きました

東側の国道19号線から旧中山道に下りたところから歩道橋と左にトチノキを見ました


国道19号線に上がる階段が有りますので上がって見ました

国道に出ると目の前に歩道橋とトチノキです


歩道橋に登って見ました

歩道橋の上から覗くようにして大きな幹を見る事が出来ます

歩道橋を下りて国道19号線の南側へ、トチノキを東側から見ました、目通り幹囲8.7mの巨木です

上に登る細い道が有りますので上がって見ます

JR中央本線側へバス停わきから上って来ました、祠は放置されてしばらく経つようで屋根が落ちてしまっていました

南東側から


では、次へ行きましょう
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長野県木曽町、日義巾「旗挙八幡宮木曽義仲公ゆかりの大欅」です!!

2021-10-28 06:23:06 | 巨樹・大木
木曽町は、平成の大合併で平成17(2005)年11月1日に木曽福島町・日義村・開田村・三岳村が合併して発足しました。


日義巾地区は、木曽町役場の北東約7kmのところ

国道19号線を北東へ、JR中央本線はらの駅入口を過ぎて次の集落入口で国道から左(西側)の集落に下りて行きます

道路は右(北側)へ曲がって集落内を国道に平行して進みます、集落の先左側に旗挙八幡宮が西向きに鎮座します

北側の駐車スペースを利用させて頂きました


道路脇に大きな看板が出ています、社殿の裏側です


参道入口は西側の木曽川河岸段丘崖にある様なのですが、崖際のフェンス沿いは草だらけで道は見つかりませんでした、西側から参道を見ました

赤い鳥居と社殿、そして目的の大欅です

水盤です、綺麗な水が出ています

拝殿の額には「八幡宮」の文字です

木曽義仲公館跡の石碑です


由来説明です
  旗挙八幡宮由来
 幼名を駒王丸と名付けられ養父 中原兼遠によって育てられた。
 義仲公は、このあたりの平地に城をかまえ八幡宮を祭ったと伝えられている。
 13歳にして元服。木曽次郎源義仲と改め、治承4年(1180年)一千余騎を従え、ここに平家打倒の旗挙をした。
 時に義仲27歳であった。以後旗挙八幡宮と呼ばれている。
 社殿傍の大欅は樹齢八百年と伝えられ、公の時代より生きつづけ、落雷により傷ついたその姿は、悲劇の武将を語ってくれるかのようである。
  日義村観光協会
*木曽義仲公は、現在の埼玉県比企郡嵐山町大蔵館に生まれて2歳の時に、大蔵合戦で義仲の従弟に父が討たれ、中原兼遠に抱かれて信濃木曽に逃れたと云います。このブログ2012年5月7日の投稿で紹介しています

西北西側から大欅を見ました

北西側から、枯れてしまった幹とまだ生きている幹が分れてしまっています

説明版です
  木曽義仲公ゆかりの大欅
 この御神木である大欅は、かつては胸高周囲約12m、樹高約30m、樹齢約八百年とされる古木(支柱のある部分、農学博士であり樹医である浜武人氏の平成14年の調査による)でした。
 当地日義村内には古くから「義仲の七本欅」とよばれるケヤキの巨木があり、現存するのは当 旗挙八幡宮境内のこのケヤキのみです。
 旗挙八幡宮の所在するこのあたりは源木曽義仲公が館を構えたところであり、この地において高倉宮(仁以王)の令旨を賜り平氏打倒に挙兵したものであります。
 いまから約八百年前の治承4(1180)年のことです。
 このケヤキはその樹齢が約八百年といわれていますので、この頃に植えられたものと推定され、また義仲公の元服を祝って植栽されたものともいわれています。
 しかし平安時代末期から育成する木曽義仲公ゆかりのこの大欅は、落雷・台風の被害により手前の幹は折れ、近年その樹勢が衰え、残りの幹もその姿をとどめておくことが困難であることがわかり、より永い延命と保存のためその生命力を枝一本にかけることになり、現在の御姿にかわることとなりました。
 平成14年3月のことでした。
  平成14年6月吉日
   旗挙八幡宮

北側から(旗挙八幡宮の看板の下から)見ました

東側から


北側のケヤキの大木は二代目大欅です

説明版です
  木曽義仲公ゆかりの二代目大欅(けやき)
 このケヤキは、御社殿わきの樹齢約八百年の大欅の子として生育したもので、胸高周囲約3m、樹齢約150年(樹医・浜武人氏の平成14年の調査による)とされる御神木です。
 近年樹勢が衰えてきた初代大欅の後継御神木として後世に木曽義仲公を伝えゆくこととなりました。
 八百年大ケヤキの身と心を受け継ぎ、これから先千年、二千年と永い年月を重ねゆくうちに、子子孫孫までもこのケヤキの元に集まり神の恵みと先祖nお恩とに感謝し、誠をもって日々を送る私たちをお守りくださるものです。
  平成14年6月吉日
   旗挙八幡宮



東側から見ました


では、次へ行きましょう
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長野県木祖村、小木曽「花ノ木のハナノキ」(村指定)です!!

2021-10-27 06:31:14 | 巨樹・大木
 小木曽花ノ木地区は、木祖村役場の北約4kmのところ

 県道26号奈川木祖線を北へ、木曽川を右岸へ渡って支流の笹川に沿って進むと

 最初の橋を渡ると「木祖村老人福祉センター」があります

 駐車場に車を入れさせて頂きました

老人福祉センターへの入り口です


南側の入口です、目的のハナノキが見えています

木祖村老人福祉センターです

東側から

北東側から

天然記念物標柱です

説明版です
  木祖村文化財
   「花ノ木のハナノキ」
 この辺一帯の集落名「花ノ木」にちなんで、昭和2年頃永島英一氏が植栽したものである。
 この場所はかつて小木曽分校の校地だったところで、近くに同じものが二本あって地域を象徴する記念樹でもある。
 樹勢がよく、春の開花期にみられる真紅の芽吹きとともに秋になると燃えつくような美しい紅葉もみられて見事である。
 樹高15m、目通し樹囲2mである。
 ハナノキは木曽以南によく自生しているが、北部では珍しい樹木である。

*ハナノキは恵那山及びその周辺の湿地だけに自生して、他地域では見られないそうです。

幹を見上げました

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長野県木祖村、藪原「天降社のオオモミジ」(村指定)です!!

2021-10-26 06:30:34 | 巨樹・大木
藪原地区は木祖村の中心地です、村役場の北北東約1kmの所

JR中央本線(中央西線)やぶはら駅西側を通る旧中山道を北へ進みます、旧中山道は中央本線でかつての道が寸断されてしまっていますので、手前で線路の東側へ、中山道を北へ更に進むと坂の手前に天降社参道が出ています、石段を登った上に天降社が鎮座します

車を天降社社殿脇の「地域交流施設青年の家」の駐車スペースに止めさせて頂きました


参道入口の鳥居です

参道石段中段左に目的のオオモミジです



北西側から

鳥居下から見上げました


天然記念物標柱です


説明版です
  木祖村文化財
   「天降社のオオモミジ」(カエデ科)
 県内ではカエデの巨木はあまり見られないが、このオオモミジは胸高直径約80cm(周囲2.5m)の巨木で、秋の紅葉がたいへん美しく、道行く人たちの目を楽しませている。天降社境内の森は、古来「大神宮の森」といってカエデの老木が多く見られ、中山道の街道沿いのため広く知られていたと伝えられている。このオオモミジが飛ばした種から、鳥居峠一円には多くのオオモミジが自生しており、近年、地元の人たちによるモミジの植樹も行われて、付近一帯が「モミジの里」になりつつある。
 昭和52年に木祖村天然記念物に指定。
 モミジとカエデは同じ意味に使われているが、モミジは、秋に草木が紅葉することを意味する動詞「もみず」からモミジとなり、カエデは葉の形がカエルの手に似ているため「かえるで」と呼ばれ、のちにカエデとなった。一般に、葉の切れ込みの深いカエデを「〇〇モミジ」、切れ込みの浅いカエデを「〇〇カエデ」と呼んでいる。


もう少し上がって見ました

横から

石段を上がった境内から見下ろすように見ました

天降大神の石碑です

境内の鳥居です


社殿です



鳥居前から見ました、樹冠だけですね

では、次へ行きましょう
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長野県木祖村、菅大平「木祖公園の大松」です!!

2021-10-25 06:29:36 | 巨樹・大木
菅大平地区は、木祖村役場の北西約4kmのところ

間に三沢山(標高1318m)が有るので南側から回り込むように移動します

国道19号線を南へ、管信号を右(西)へ木曽川を渡り、木曽川支流の菅川沿いを道なりに北西方向に進むと

やがて道路が北へ向くと間も無く大平集落です

集落の北側に「やぶはら高原スキー場」入口が有ります、向かい側を斜めに入ると黒毛和牛の牧場になっています

奥の駐車スペースに車を止めさせて頂きました


もうすぐスキー場入口です


ここを右斜めに入って行きます

牧場の牛舎の前に大きな赤松の木が見えて来ました

牧場内なので遠慮して、北側から見ました、目通り幹囲5.2mの巨木です

離れて見ました

もとは、木祖村指定の文化財でしたが、枝が折れたりしたために指定が解除されたようです


草叢の中に「木祖公園」の石碑が見えます、もとは家畜市場の様な所だったそうです

では、次へ行きましょう
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長野県木祖村、菅原村「菅のエドヒガンザクラ」(村指定)です!!

2021-10-24 06:29:29 | 
木祖村は木曽川源流の里、松本平の水系は日本海に流れますが、木曽路と呼ばれるかつての中山道鳥居峠(標高1220m・奈良井宿と藪原宿の間)を境に、太平洋側への水系に変わります、ここからは2021年10月15日取材分です・・・

菅原村地区は、木祖村役場の西北西約2kmのところですが、間に三沢山(標高1318m)が有るので南側から回り込むように移動します

国道19号線を南へ、管信号を右(西)へ木曽川を渡り、木曽川支流の菅川沿いを道なりに北西方向に進むと

道路右側の斜面にサクラの木が見えて来ます

前の道路脇に車を止めさせて頂きました

道路右手の斜面に目立つ木が見えて来ます

桜の木です

南側から

根元には石仏が並びます、後方には十王堂です

天然記念物標柱です「菅のエドヒガンザクラ」となっています


説明版です
 木祖村文化財
  「菅のエドヒガンザクラ」(十王堂エドヒガン桜ともよばれているようです)
 春になると他の桜にさきがけて、枝を空いっぱいに広げ淡紅色の花を咲かせる桜の老樹である。
 樹齢は定かではないが、十王堂周辺にある四十数体の石仏の中には正徳4年(1714)の銘を刻む「如意輪観音像」を始め江戸前期のものが数体あることから、おそらく時を同じくして植栽されたものと思われる。
 ところどころ枯れ枝がみられ、かなりの老木であるが樹木医の指導も受けながら手入れをしており、樹姿がすばらしい。
 樹高約20m、目通し樹囲約4mである。
 村内には同じようなサクラが田ノ上観音堂境内にもある。

西側から

北西側から

離れて道路から見ました

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長野県松本市、中川横道下「横川の大イチョウ」(県指定)です!!

2021-10-23 06:25:44 | 巨樹・大木
中川横川地区は、松本市役所の北東約14kmのところ

国道143号線を北へ、道なりに進むと一度安曇野市に入ってまた松本市に戻ります

刈谷原トンネルを貫けて上田方面に進みます、会吉トンネルに向けて徐々に高度を上げて行きます

大きく左へのカーブの先道路右手にイチョウの木が見えて来ます

手前の道路脇に車を止めさせて頂きました


イチョウが見えて来ました

南西側から

西側から



北西側から

西側から

太い幹を見上げました

南側から、目通り幹囲5.3mの巨木です

天然記念物標柱です

もう一本標柱が立ちます

説明版です
  長野県天然記念物
   横川の大イチョウ
  所在地 松本市中川横道下4825-1ほか
  所有者 個人
  指定年月日 平成17年9月26日
指定内容
 一属一種のイチョウ科の植物で、和名をイチョウといいます。この樹はこの地方では稀に見るイチョウの大木であり、樹勢もよく均整のとれた美しい樹形をしています。国道143号線の脇にそびえ立ち、道しるべの役をはたしています。秋の落葉は一段と美しく、地面いっぱいの黄葉で被われます。
 イチョウの原産地は中国ですが、日本への渡来時期は不明です。しかし、観音堂近くに老樹が多いことから、観音像の渡来とともに僧侶によって持ち込まれたのではないか、という説もあります。
  平成27年12月
   松本市教育委員会


祠が有ります

では、次へ行きましょう



10月2日の取材はここまでです
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長野県松本市、板場「板場諏訪社のケヤキ」です!!

2021-10-22 06:28:08 | 巨樹・大木
 板場地区は、松本市役所の北約11kmのところ

 国道143号線を北へ、道なりに進むと一度安曇野市に入ってまた松本市に戻ります

 刈谷原トンネルを貫けて、下り切ったコンビニ手前の信号を左(北)へ県道302号矢室明科線です

 約2.5kmほどで県道左側に諏訪社が東向きに鎮座します

 境内入口鳥居脇に車を止めさせて頂きました


諏訪社入口です

神饌幣帛料供進指定 村社 諏訪社の石柱です


鳥居です

水盤です、諏訪神社の神紋「梶の葉」が刻まれています

境内の先に拝殿です、拝殿の左ケヤキの大木です

境内側から神楽殿を見ました

境内右手のケヤキです

境内外側から見ました、幹の大部分は朽ちてしまっています


本殿右後方のケヤキの大木です

拝殿です

本殿覆い屋です

境内社が並びます

拝殿左側のケヤキの大部分はすでに枯れてしまっているようです


元々在ったケヤキの巨木が枯れてその根元から伸びた幹が現在目通り幹囲4.5mの大木になっているようです


奥側から、すでに枯れてしまった皮には屋根が掛けられています


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長野県松本市、旭「岡宮神社のケヤキ」です!!

2021-10-21 06:16:31 | 巨樹・大木
旭地区は、松本市役所の北東側すぐのところです

南向きに岡宮神社が鎮座します

境内に車を入れることが出来ました


参道入口鳥居です

縣社 岡宮神社です

手水舎です

説明版です
  岡宮神社
 城下町形成以前の古い神社で、城の北東に位置することから鬼門鎮護の社として、さらには城主はじめ藩士や地域の人々が共に氏神と仰ぐ北深志の総鎮守として広く崇敬を集め、社殿造営祭典等には特別な御奉仕寄進を受け篤く信仰されました。
 水野城主による寛文3年(1663)再建の現本殿と元禄13年(1700)寄進の神輿は市重要文化財に指定されています。
 御祭神は建御名方命・誉田別命・伊邪那美命の3柱を奉斎し、またあまたの境内社を構え、氏子崇敬者の繁栄安泰を御加護しております。
  平成19年3月吉日
    城東地区史跡保存委員会


大きな石灯篭が有ります

社務所脇のケヤキの大木です

神門です

神門を入ると左手境内端にケヤキの大木が並びます

狛犬です

拝殿です

本殿です

説明版です
  松本市重要文化財
   岡宮神社本殿
 所在地 松本市旭1丁目4番8号
 所有者 岡宮神社
 指定年月日 昭和44年7月4日
指定内容
 岡宮神社は、松本城築城以前から鎮座する古い社です。
 祭神は建御名方命を主祭神とし、併せて誉田別命と伊邪那美命が祀られています。
 江戸時代から城内・城外を含める北深志の総鎮守として重視され、歴代城主からも篤く崇敬されました。
 本殿は松本城主水野忠職が寛文3年(1663)に改築奉献したもので、松本地方では数少ない江戸時代初期の貴重な建造物です。
 規模は三間社流造で大きく、銅板葺で、部材は良質の檜を用いています。
 江戸時代中期以降の社寺建築には繁雑な組物が多くなりますが、この本殿にはそれがなく、曲線部分は向拝の蟇股と舟肘木にみられるのみで、江戸時代初期建造物の特徴である直線を主とした力強さが感じられます。
 また、元禄13年(1700)に松本城主水野忠直が岡宮神社に寄進した神輿も美術的・工芸的価値が高く、松本市重要文化財となっています。
  平成28年7月  松本市教育委員会

本殿左側の境内社です

目的のケヤキは、社殿右側に在ります

南側から見ると下枝で幹が隠されてしまっています


東側から見ました、目通り幹囲5.5mの巨木です

本殿東側の境内社の事代主社です

更に東側には愛染殿です


社殿の後にもケヤキの大木です

境内東端の祠です

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長野県松本市、惣社「伊和神社のケヤキ二本」です!!

2021-10-20 06:16:09 | 巨樹・大木
惣社地区は、松本市役所の東約2kmのところ

県道67号松本和田線(アザレアライン)を東へ、惣社信号の手前の信号を北へ入ると

伊和神社の鳥居前に出ます、神社は西向き参道で鎮座します

神社の境内には境内の建物修理の大工さんの車が止まっていたので、神社北東側のスーパーマーケットの駐車場に車を止めさせて頂きました



鳥居です

村社 伊和社となっています

説明版です
  惣社(総社)の歴史
 桓武天皇の延暦年間(782年~805年)信濃の国府、小県郡から筑摩郡に移されると、天神・地祗・6所の明神及び信濃国中の重な神々を併せ祭る「信濃総社」がこの地に創建され、歴代国司(信濃守以下)奉祭するところとなった。
 国司は赴任に際し、まず総社に参拝し、着任を報告、任期中の無事平安を祈り、年間の重要な神事はみなこの神社で行われた。
 鎌倉時代を迎えて国府が衰退すると、総社の奉祭も衰えて祭神にも異説を生じたが、社殿は西面して旧地にあり、樹齢(数百年)に及ぶ欅の大樹の間に鎮座している。
 総社は国府に近くにあるを通例としているので、この社の西方にあたって六丁四面乃至八丁四面の国府が置かれたと推定されるが、発掘調査なく政庁はじめ付属建物の遺物の遺構は確認されていない。
(注)1、惣社とあるのは総社の転、同儀・他国の場合「ソウシャ」「ソウジャ」と発音するが、当社の場合は「ソウザ」と云う。
   1、現在は伊和神社と云うが、これは中世折野氏が播磨国姫路の総社の祭神伊和大明神=大国主命を移したと云う伝承により、この社名を生じたものである。
   1、松本城主永野家編慕の「信府統記」には「惣社六社大明神」とあり、その解説に本社は源頼光、末社は渡辺の綱・坂田金時ら頼光四天王に一人武者を加えた五柱で、その創建は室町時代の永正年間(1504年~1520年)で、山家の郷の地頭折野薩摩守が、姫路の総社伊和大明神を勧請したとあるが、この伝承には根拠はない、しかし折野氏の本社再興を語るものであろう。享保年間(1716年~1735年)再々興の際の鳥居の額に「正一位惣社岩大明神」とあるのはそのためである。また、元禄11年「岡田組惣社村道法 神社仏閣之覚」には「惣社宮六社大明神」とあり、惣社の宮と呼ばれたことがわかる。
   1、社叢の欅の大樹は、県下有数の大樹で昭和12年に長野県の天然記念物に指定されたが、昭和25年「文化財保護法」の施行による県条例の改正により解除、現在は松本市の「天然記念物」に指定されている。この欅は天然記念物として重要なばかりでなく、当社創始の古さを語るもので、信濃惣社の環境を整えるためにも重要な存在である。
   昭和53年12月18日
    松本市教育委員会
    惣社町会


鳥居の左手に傘を掛けられた欅の巨木です

鳥居脇(東)から、目通り幹囲7.9mの巨木です

北側から


鳥居の右手奥にももう一本ケヤキの巨木です

鳥居を潜って境内西側から、こちらのケヤキにも傘が掛けられています、目通り幹囲6.7mの巨木です


拝殿です

幣殿です

本殿です

本殿東側に境内社が並びます

境内社のお名前が掲示されています

西側には”御神体”でしょうか

お名前が分かりませんね~

境内社です

蚕影神社ですね

本殿左(西)にもケヤキの大木です

「お舟」が入っているようです

説明書きです
  惣社伊和神社のお舟
 伊和神社のお舟は、明治30年(1879年)三本木神社若宮(八幡宮)の境内の檜を払い下げ、その代金でお舟とお舟蔵が建てられた。
 現在のお舟は、高さ約4m、長さ約5m、幅約1.5mであり、平成23年(2011年)修復されたものである。五月の神社の例大祭では、地域の五穀豊穣と平穏無事、家内安全を願い町内を引き回される。
   平成28年1月
    本郷地区景観整備委員会

では、次へ行きましょう
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長野県松本市、清水「槻井泉神社のケヤキ」(市指定)です!!

2021-10-19 06:16:56 | 巨樹・大木
清水地区は、松本市役所のすぐ東の地区です

市役所の北側の、県道67号アザレアラインを東へ、桜橋東信号を南へやまびこ道路です、清水信号を西へ一方通行道路へ入ります

間も無く道路右(北)側に大きな樹冠が見えて来ますが、清水西公民館の北側に槻井泉神社が西向きに鎮座します、

一方通行道路なので、道幅が狭いため道路脇に車を止められません

南側のショッピングモールの駐車場の車を止めて徒歩で再度向かいました


西側からケヤキの樹冠を見ました



清水町の町名由来の石碑です
  町名の由来
   清水町
 槻井泉神社の湧水は、古来より清冽な清水として都にも知られ、和歌にも詠まれた。
 町名は、この名水清水に因むもので、江戸時代の末頃には清水村ができてきた。
 ここは松本市の史跡であり、境内の大欅は,同天然記念物に指定されている。


道祖神です

説明版です 
 松本市 特別史跡 特別天然記念物 槻井泉神社の湧水と欅
1、所在地 松本市清水町1丁目2番26号
2、所有者 松本市元町1丁目4番33号 平林光治 平林覚
3、指定年月日 昭和42年2月1日
4、理由
 薄川・湯川の複合扇状地の先端に位置するこの地一帯は、豊富な湧水や湧泉がみられる。この湧水もそのひとつで、古来から人々に親しまれており、「清水」の地名もここに由来する。江戸時代からこの水を利用して、染色・製紙業がおこった。
 ここにある槻井泉神社は、元慶5年(881)に従5位下を授かった延喜式外の槻井泉神社との伝承があるが、定かではない。
 老樹はニレ科のケヤキで、目通りで幹囲は4.8mである。ケヤキとして格別巨木とはいえないが、季節の折々の美しい装いは一帯に静寂な佇まいを醸し出している。
5、物件の価値
 松本市域の著名な清水(湧水・湧泉)は近年特にその湧水量を減じ、昔日の面影を失いつつある。この湧水は平成2年度に修景整備等がなされ、以後一定の湧水量を保ち、社域の老樹、小祠と相まって静寂幽古の趣きを残している。湧水に対する古代信仰の資料として、また、清水という地名のおこりとしても永く保存したい貴重な資料である。
  平成8年10月1日
    松本市教育委員会



赤い橋の東側に目的のケヤキです

槻井泉神社です

説明版です
  槻井泉神社
    祭神 美津波廼女命
       御井神(水神)
       諏訪御子神
 創建は明らかではないが、元慶5年(881年)12月従五位下を授くと、平安時代陽成天皇の頃「三代実録」に記されている。
 往古は、式外神社として立派なお宮で、湧水の傍らに巨木があり大きな森であったが、今はその姿を見ることは出来ない。
  松本市特別史跡 昭和42年2月1日指定
 槻井泉神社の湧水
  古代より涸れることなく清泉が湧き出し、往古の官遣もこの辺りを経ていたと謂われ、過客も一掬して涼を求めた。
  「清水」の地名も、ここから起ったのである。
 皇后宮女房常陸
  おりたちて 清水の里に住みぬれば 夏おば外にきき渡るかな
 斎宮宣旨
  まだ知らぬ 人を恋うれば信濃なる 清水の里に袖ぞぬれける
  松本市特別天然記念物 昭和42年2月1日指定
 欅(御神木)
  目通り4.8m高さ20mの老木
         清水西町会
 

懇々と湧水が湧いています


太い幹を鳥居越し北西側から見ました

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長野県松本市、内田「内田(馬場家祝殿)のケヤキ」(市指定)です!!

2021-10-18 06:07:59 | 巨樹・大木
内田地区は、松本市役所の南約8kmのところ

国道19号線を南へ、村井信号を左(東)へ県道287号町村白河村井停車場線です

県道287号線は寿小池信号で右(南)へ行きますが、そのまま東へ道なりに進みます

道路が南東に向きを変えると梨ノ木公園を過ぎて南へ、川沿いに出ると左の田圃の東に重要文化財馬場家住宅の門を見る事が出来ます

馬場家住宅の北西側に祝殿が有ります、その背後にケヤキの巨木が在ります

馬場家の東側の見学者用駐車場を利用させて頂きました


馬場家住宅西側道路と北側道路の交差点から祝殿の木々を見ました

東側から祝殿に近づきます、太いケヤキの幹が確認できます

ケヤキを見上げました、幹には細い注連縄が巻かれています

天然記念物標柱です、松本市天然記念物 内田(馬場家)のケヤキとなっています


南側から祝殿の赤鳥居越しに見ました

祝殿です

説明版です
   祝殿
 馬場家住宅の北西、ケヤキの大木の下に馬場家の祝殿が置かれています。
 祝殿とは、松本市やその周辺地域にみられる、その家の屋敷神や同族神をまつる祠のことで、馬場家の祝殿には、古屋敷大明神がまつられています。
 大きさは桁行六尺、梁間八尺nお小さなもので、桟瓦葺で妻入りとなっています。また、後ろに三.三尺の向拝がつけられています。馬場家では、昭和40年代の後半まで、祝殿の祭りを行っていました。
 祝殿がいつ頃から設けられた、祭りが始まったかは不明ですが、現在の祠は明治22年(1889)の再建です。

祝殿の南側からケヤキを見ました

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長野県松本市、寿豊丘「耳塚古墳(蚕玉社)のケヤキ二本」(保存樹)です!!

2021-10-17 06:30:17 | 巨樹・大木
寿豊丘地区は、松本市役所の南約7kmのところ

国道19号線を南へ、村井下町北信号を左(東)へ、田川を渡って県道288号線の交差点(市立寿児童センターが南東側に有ります)を左(北)へ入ります

間も無く三叉路にケヤキが見えて来ます、目的の耳塚古墳です

手前の寿百瀬第2公民館の駐車場を利用させて頂きました

県道右に二本のケヤキが見えて来ました


南側から見上げました、石碑に道祖神・そして左のケヤキが少し手前に在りますね

左側のケヤキを東側から

指定番号第169号です

西側から見ました、目通り幹囲6.3mの巨木です


南東から右側のケヤキです

保存樹標識です、指定番号第170号です

西側から見ました、目通り幹囲6.0mの巨木です/ee_2/}

双体道祖神です

金毘羅大神の石碑です


蚕玉社の社です、前に耳塚古墳跡の石碑が有ります

耳塚古墳の説明版です
  耳塚古墳
 耳塚は約1500年前の、安曇族王の墓である。
 この上に道祖神の古いお宮である、幸神社(さえの神)が有りしも明治末の取毀された。
 現在あるお宮は、昭和8年建立の蚕玉様で、中には幸神社の神殿も安置され、耳聞様として信仰されている。
 首塚は碑面の通り。(碑面不明の為首塚は不明です)
 大欅(西側)周囲6m30cm、東側6mで推定樹齢800年。
 百瀬式弥生土器(二千年前)は西南50mより発掘された。
   松本市寿区民館
   寿地区老人クラブ連合会
   寿史談会
   平成5年皇太子御成婚記念氏子総代

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