ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

静岡県沼津市、青野「青野浅間神社のタブノキとクスノキ」です!!

2021-12-31 06:37:09 | 巨樹・大木
 2021年もあと残すところ一日になりました
 
 一年間毎日投稿をすることが出来ました

 見て頂いた方々ありがとうございます

 良いお年をお迎えくださいませ

 では・・・

 青野地区は、沼津市役所の北西約6kmのところ

 国道1号線沼津バイパスを西へ、大塚信号を右(北)へ道なりに市道を上って行きます

 ドラッグストアの先の変形十字路の信号を左(北西)へ、県道22号線根方街道です

 岡野公園の手前の十字路を右(北)へ入ります、細い急な坂道を道なり曲がりくねりながら上って行きます

 東海道新幹線を細い橋で越えると間も無く南向き参道で、青野浅間神社が鎮座します

 鳥居前に車を止めさせて頂きました


鳥居が見えて来ました

浅間神社です

4基の鳥居が連続して建てられています

杉並木の参道を進みます

参道右手に薬師堂です

拝殿です

本殿覆い屋です

社殿前左手に目的のタブノキです(南東側・参道から)

東側から

北側から目通り幹囲5.4mの巨木です

西側から

南側から

もう一本の巨木は本殿北東側境内端のクスノキです(南側から)

西側から

北側から、目通り幹囲5.5mの巨木です


東側の広場から神社の樹叢を見ました

南東側から目通り幹囲5.5mの幹が見えるクスノキです

もう一本南側にもクスノキの大木です

では、次へ行きましょう


鳥居前から駿河湾越しに伊豆半島を見ました

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静岡県富士市、南松野「富豊七神社のスダジイ」(市指定)です!!

2021-12-30 06:40:07 | 巨樹・大木
南松野地区は、富士市役所の西約8kmのところ

県道396号富士由比線を西へ、富士川橋で富士川右岸へ渡ると直ぐに右(北)へ

県道10号富士川身延線を進みます、新東名高速道路の下を馬坂トンネルを潜ります

まもなく左にフードマーケットポテト松野店が有りますので手前の信号を左へ

すぐのY字路は左へ、道なりに進むと道路は山の中へ入って行きます

約2km進むとようやく山の上の集落(粒良野)に出ます

正面に林道粒良野八棟線(終点)の案内板が見えますので、比較的広い道路脇に車を止めさせて頂きました


右の林道に入ると、ステンレス製の立て看板が見えます

説明版です
  スダジイ(椎)
    管理者 粒良野区
 根回り7m、胸高幹囲5.43m、樹高13m
 スダジイは、日本の暖温帯の植生を示す常緑広葉樹を代表する樹種である。かつてはこの地域を広く被っていたと考えられるヤコブコウジ・スダジイ群集も今日では人為的変遷により、ほとんどその姿が失われてしまった。
 この中で、当地のスダジイは、かつての姿をとどめる残存林の中心樹として、大変貴重な存在である。
 昭和63年(1988年)環境庁の行った巨樹巨木林全国調査の中でも、県内有数のスダジイ巨樹として登録されている。(巨木コード22381-006-001)
 粒良野区は、中世からの伝承が数々残されており、古くから発展した村で、このスダジイは、当区氏神富豊七神社の御神木として大切に保存されてきた。
*黒く消された部分が気になりましたが、スダジイを見て分かりました


立て看板の脇から栗の木やミカンの木の間に入らせて頂きました

右上にスダジイです、神社の参道は、南西側林道下の住宅から上ってきています

手前のスダジイの大木です、ほとんど枯れてしまっています、枯れた葉が付いているのでまだ枯れて間が無いようです

奥側のスダジイが目的のスダジイです

昭和54年富士川町時代の案内板です、町の古木No10の様です

富豊七神社の社殿です

手前の大木を社殿前から見上げました、高い幹には茸が生えてしまっています

社殿脇から、ヒコバエが数本緑の葉を付けています

社殿前から奥側のスダジイです、目通り幹囲5.4mの巨木です

社殿脇から見上げました、高い幹の枝に緑が確認出来ました、まだまだ生きて欲しいものです

では、次へ行きましょう



帰りに松野の集落前から富士山が良く見えました
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静岡県富士市、中里「慶昌院のカヤ」(県指定)です!!

2021-12-29 06:34:40 | 巨樹・大木
 中里地区は、富士市役所の東約6kmのところ

 県道22号線根方街道を東へ、赤淵川を越えると間も無く慶昌院の参道入口です

 参道を入ると長い参道を進んで山門前に新しい駐車場が整備されています

県道に面して参道入口です

(曹洞宗)天念山慶昌院です

もうすぐ山門です

入口に「慶昌院のカヤ」の標柱です



山門の掲示板には色々な情報が有りますね


山門を入ると、少し右にずれて本堂です

境内右手に鐘楼です

左手に目的のカヤが見えました

近付いて東側から見ました

説明版です
  静岡県指定天然記念物
   慶昌院のカヤ
 樹高 20m 目通り 4m65cm
 枝張 東西 10m 南北 13m 
 根廻り 7m10cm
 指定 昭和46年3月19日
<案内>
 静岡県指定のカヤ7本のうち、このカヤは根廻りが二番目に大きく、豊かな枝張を見せる。
   平成23年 富士市教育委員会

北側から

西側から

墓地入口の大師堂です

本堂裏側にもカヤの木が在ります

北側から

東側から見ました

では、次へ行きましょう

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静岡県富士市、中村町(伝法)「山神社のムクノキ」(保存樹木)です!!

2021-12-28 06:23:02 | 巨樹・大木
中村町は、富士市役所の北西約1kmのところ

県道353号線の中村町信号を西へ弥生通りです

すぐ右の路地が県道181号富士停車場伝法線です

細い県道に入ってクランクを過ぎた最初の左への交差点を西に入り次の交差点前は広い駐車場になっています

右へ曲ると正面に山神社の鳥居とムクノキの巨木が見えました

西側の中村町公会堂前の道路脇に車を止めさせて頂きました




西側の中村町公会堂です

参道鳥居です

鳥居の左手に目的のムクノキです

保存樹木標識です
  指定番号 第7号
    昭和55年10月1日指定
  樹種 ムクノキ (ニレ科)
   所在地 中村町 山神社

鳥居を潜って東側から見上げかした

境内北東側から

社殿です

西側から、目通り幹囲6.9mの巨木です

南西側から

南側から

では、次へ行きましょう

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静岡県富士市、岩本「八面神社のクスノキ」です!!

2021-12-27 06:39:23 | 巨樹・大木
 岩本地区は、富士市役所の西約3kmのところ

 県道396号富士由比線を西へ、JR身延線ゆずき駅を過ぎた五叉路を右斜めの県道176号線へ

 道なりに進んで県道176号線を雁スポーツ広場前で右(北)へ行きます

 旭信号を左(北西)へ入ってすぐ用水路の右岸の道路を左に入り

 二番目の道路が八面神社の参道です 

 鳥居前に車を止めさせて頂きました


八面神社参道です

説明版です
   八面神社の由来に就いて
 本社祭神 火産天神 奥津比古神 奥津比賣神
 所在地  静岡県富士市岩本字辻畑2034番地
 創建年月 不詳
       現在社域内に残存する御神木の根から推察するに千有余年を経ているものと思考される
 社格   明治8年2月18日附を以って村社に列せられる
      明治39年勅令第90号に依り神饌幣帛料共進社に列せられる
      昭和56年7月1日静岡県神社庁十等級神社認証
 例祭日  旧暦9月19日(明治22年9月変更)
 境内地  145坪(官有地)
 古事記によれば本社祭神は須佐之男命の御子、大年神が生ませられた御子たちで、後世において諸人らが竈の神(火食する神)として尊崇した神々であると記されております。
 太古の昔、流れ豊かな富士川が岩木山の山麓を東南に向って流れていた時代、山麓河畔や島々に点々と住居して農耕を営んでいた私達の先祖が、産土神として当神社にお祭りして、平和と安全繁栄を祈願していました。
 家(いへ)の「い」とは生命であり、「へ」とはへっつい(かまど)を意味しております、竈(へっつい)を中心に食物を焼いたり煮たりして家族の生命を育て守ってきた竈は、生命を支える重要なものとして、三神をお祭りしてその守護をうけていたのであります。
 日本に佛教が伝来して、神佛習合時代となった大永6年(西暦1525年)、三宝大荒神として永源寺がお祭りし、其の後明治の初めまで奉請した棟札が記録に残されております、又駿河記によれば、琴原村にも八面神社があり、八面大荒神をお祭りしてあると記録されております。
 古い歴史と伝統を有する当八面神社は、私達の生命を支える竈の神様として、氏子挙って崇敬し、御神徳の高揚に務め平和と安全と無病息災を祈願いたしませう。
   昭和61年10月   八面神社氏子会

拝殿です

本殿覆い屋です

境内左手にはイチョウの大木が葉を落し始めています

目的のクスノキは社殿の左後ろ側に在ります

北側の道路から

幹にはクスノキのプレートです

北側から、目通り幹囲5.6mの巨木です

北西側から

では、次へ行きましょう
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静岡県富士市、次郎長町「白髭神社のヒイラギ」(市指定)です!!

2021-12-26 06:24:28 | 巨樹・大木
次郎長町は、富士市役所の北約9kmmのところ

県道72号富士白糸公園線で富士山南西面に登って行きます

中野信号を左(西側)へ、県道76号富士富士宮由比線です

しばらく進んで、千貫松市場とスポーツクラブアルーザの在る交差点信号を右(北)へ

富士宮市との境を道路で辿る様に上って行きます

四国パック株式会社この先400mの青い看板の在る交差点を右へ入ると

四国パック(株)の直ぐ先の右側に白髭神社が鎮座します

神社手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

*Googleマップには神社の表示は有りません、次郎長記念碑で検索して観光マップで場所を特定できました

神社前から富士山が見えました

道路右手に天然記念物標柱です
  
道路脇に次郎長記念碑です正確には「大侠次郎長開墾記念碑」です

紀念碑の説明石碑です
  記念碑
 次郎長町は明治7年大侠清水次郎長は石野56万㎡約76町3反開発を経て以来一寒村より今日の繁栄をもたらしたのであり、此の大事業を成した先駆者次郎長の志を尊び、町名を次郎長町とし、今日の発展を逐るに至つ繁栄を念願した部落の先輩は、信仰の中心となる神社の無い事を憂い此の地え白髭神社を祭神し以来部落の信仰を集めた、居るのであり併て次郎長開墾の碑も建立した。此の度明治百年を記念した渡辺数太郎は、渡辺長作氏の意志を継ぎ、当境内覆盆・平4205の9番地416㎡、同富士市八王子町一丁目小野得一氏も隣地132㎡を当町に寄贈せらる。拠って此の厚意を感謝する為、茲に町内相計り此の碑を建た次第である。
  昭和43年10月16日
(読めないところも有りました)


境内左側に永録稲荷大明神です

右に白髭神社です

由来記石碑です
  由来記
 霊峰富士を朝な夕なに仰ぎ、駿河の海を一望に眺める当次郎長町は、明治7年清水次郎長の開拓に依る土地であります。約10年間に渉る開拓事業は不成功に終わり、明治17年に次郎長が引揚げた後は、茫々たる原野に戻りましたが、後の町村制施行に伴い、遠く山梨県や旧安部郡を始め、近隣より入植者が相次ぎ現在の集落の基礎が出来たのであります。
 大正12年秋、時の有志渡辺長作氏は、部落に鎮守の神が無い事を憂いて隣村神成の氏神社の旧殿を買収し、是を無償提供されました。また神域は、有志の無償貸与に依り郷党相和して部落鎮護の氏神社を建立したのであります。
 御神体は、旧安部郡大河内村有東木の氏神社の開光白髭大権現を分神して、至来1月17日と10月17を例祭として、長く祀ってきたのであります。
 時は流れて昭和43年10月16日に、明治以降100年を記念して渡辺長作氏の嫡男数太郎氏は、親の意志を継ぎ、境内の別碑に記された無償貸与の土地416㎡を寄贈され、小野得一氏も隣地132㎡を寄贈されました。
 然しながら此の時、社殿は長年の風雨に痛み、氏子一同の深く憂慮する所でありましたが、昭和53年、時の氏子総代白鳥正一氏は社殿再建の為に率先奔走して各界に働きかけ氏子一同も欣然として再建費拠出の運びとなりっました。また、当地に本部を置く宗教法人普明会教団深い御理解を示され社殿建立の為の莫大なる金品の御寄附を為され、氏子一同も、これに依り境内の拡張を計画し、地主小野得一氏の厚志に依り境内隣地の山林1022㎡を取得いたしました。また郷土屴身の有志の方々には、望郷の念禁じ難く、主を享け育った氏神社の為にと浄財を贈られました。尚、市内有志の法人個人の方々からも多額の御寄附を仰ぎ、敬神崇祖の念の薄れた今日にもかかわらず、近郷に誇る優美荘重なる社殿と境内の竣工を見ました事は、氏子一同の深く悦びとする所であります。
   昭和53年10月17日     氏子一同


白髭神社の鳥居の右手に、市指定のヒイラギです

説明版です
 富士市指定天然記念物
  白髭神社のヒイラギ
   樹高・6.5m、目通り1.9m、
   指定・昭和56年8月1日
 <案内>モクセイ科モクセイ属 雌株
 樹冠は広大で均整がとれて美しい、樹勢は旺盛で、松岡瑞林寺のヒイラギ(市指定)と共に市内においては巨木であり珍しい存在である。
  昭和56年12月1日
    富士市教育委員会


北側の白髭神社由来記石碑の前から手水舎の裏側を通して見ました

南側から見上げました

東側から

では、次へ行きましょう


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静岡県富士宮市、淀師「金之宮神社のスダジイ」です!!

2021-12-25 06:20:01 | 巨樹・大木
淀師地区は、富士宮市役所の北西約3kmのところ

県道76号線を西へ、浅間大社前信号で県道76号線は南へ向きをかえますが真直ぐ進みます

JR身延線にしふじのみや駅前で右(北)へ県道182号線ですがすぐに県道184号白糸富士宮線に変わり北へ進みます

しばらく一方通行を進みやがて対向するようになっても細い県道を進みます

淀師に入って富士宮市立富丘小学校の手前の左カーブのところ、右側の丘の上に金之宮神社が鎮座します

参道鳥居の手前のが公園になっていますので車を止めさせて頂きました

参道の赤い鳥居が目印です

説明版です
 富士宮市 歩く博物館 Fコース
  金之宮(かんのみや)
 金之宮は、鍛冶屋の神を祀る宮を意味する。
 宮内には金山毘古・金山比売も祀られる。
 昔は「金之宮子安神社」と呼ばれ、木花之佐久夜毘売は子安神として信仰されていた。
 また、浅間大社とも関係の深い神社であり、昔は流鏑馬祭の行列がこの神社から出発したという。
 社叢には、目通り3mを超えるスダジイの巨木が4本あり、市の保存樹に指定されている。
   富士宮市教育委員会

急な石段の上に社殿が見えます

石段中段上右側に八幡宮・天満宮・地神社の境内社です

まずは、祠の後ろ側にスダジイの大木です、参道石段(西側)から

祠の前を回って南側から

拝殿を見上げました

本殿覆い屋です

二本目は、拝殿前から境内左端のスダジイです、これが社叢で一番太い樹木です

幹に注連縄が巻かれています

北側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

西側から

三本目は、本殿西側のスダジイの大木です、こちらも幹に注連縄が巻かれています

南西側から

本殿裏側を回って東側から見ました

4本目が見当たりません、拝殿東側に切株が在りました、これだったのでしょうか

参道を戻って県道から、目通り5.1mのスダジイを見上げました

保存樹林標識です、こちらにも4本と記載されていました

では、次へ行きましょう
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静岡県富士宮市、狩宿「狩宿の下馬ザクラ」(国特別)です!!

2021-12-24 06:37:41 | 
狩宿地区は、富士宮市役所の北北西約10kmのところ

国道139号線を北へ、北山インターチェンジを下りて西へ国道469号線です

北山本門寺、大石寺前を過ぎて国道が左へ大きくカーブするところを右(北)へ

県道75号清水富士宮線を進みます

潤井川が右手に近ずくと、道路右手に案内板が出ています

左に入ると正面に桜の古木が見えて来ます、奥に見えるのが「井出家高麗門と長屋」です

白糸の滝と周辺案内板です、現在地は左下です

北側の駐車場に車を止めさせて頂きました


狩宿の下馬ザクラを東側から

南東側から、この位置が幹全体を見る事が出来ましたが、かつての大きさは感じられませんでした、右端には天然記念物の石柱が建ってます

歌碑のようですが読めませんでした

南東側から


北側に説明版です
  狩宿の下馬ザクラ
   国指定特別天然記念物
   指定年月日 昭和27年3月29日
 建久4年(1193)に源頼朝が富士の巻狩を行った際、馬からおりた所とされたところから狩宿の下馬ザクラと呼ばれるようになったと伝えられています。
 下馬の際、桜に馬をつないだとも言われていることから「駒止めの桜」という別名もあります。
 桜は樹齢800年を越える日本最古級のヤマザクラであり、品種名はアカメノシロヤマザクラ(三好学:1922)といいます。
 若葉は赤色、花は咲き始めは淡紅色、その後白色となります。
 往時は樹高35m、幹囲り8.5mの巨木であったといわれます。しかし、近年颱風などの影響で最盛期の姿はありません。
 開花時期は例年4月中旬頃です。

*やはり桜は花が無いと感じが出ませんね~

*日本五代桜は、福島県三春町の「三春滝桜」・埼玉県北本市「石戸桜」・山梨県北杜市「神代桜」・岐阜県本巣市「薄墨桜」とこのさくらです


北側から

北西側から

高麗門と長屋の方も見て行きっましょう

高麗門と長屋全景です

高麗門です


説明版です
  井出家高麗門と長屋
   市指定文化財 建造物
   平成7年3月16日指定
 井出家は中世以来の歴史を持つ名家で、その邸宅周辺は源頼朝の富士の巻狩の際の宿所になった地であると理解されている。
 この建物は中央に袖塀を備えた高麗門(表門)を開き、両側に長屋を附属させてもので、建築年代は江戸時代中期の火災等により定かだはないが随所にみられる大工等の技術伝承の特質から、近世上層農家の特徴を持ち古くからの建築様式を継承した貴重な建造物である。
 富士宮市教育委員会

掲示板に色々な情報が載っていました、狩宿の下馬ザクラ・富士の巻狩・井出家高麗門及び長屋・曽我兄弟の仇討ち・江戸時代の下馬ザクラを記した資料等について掲示されていました


北側に句碑が並んでいます

「富士を詠む文学館」句碑の説明版です

では、次へ行きましょう

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静岡県富士宮市、上井出「熊野神社のイチョウ」です!!

2021-12-23 06:31:43 | 巨樹・大木
上井出地区は、富士宮市役所の北北西約10kmのところ

国道139号富士宮道路を北へ、上井出インターを降りて西へ

白糸の滝前の珍しいロータリー型の交差点を左へ

すぐ右手に熊野神社が鎮座します

朝早い時間だったので、白糸の滝周りの駐車場が開いていないので

道路脇に車を止めさせて頂きました

熊野神社です

神社の名前は、鳥居の額だけです

保存樹林説明版です、幹周3mを超える巨樹が5本、ケヤキ・イチョウ・スギが保存樹林の中心です

参道右手の杉の大木です

拝殿左手にもスギの大木です

拝殿です、疫病終息祈願の幟が有ります、目的のイチョウの幹が右に見えました

本殿覆い屋です、幣殿の無い形ですね


南側から、日本の太い幹にヒコバエが多数出ています、昨日(12月14日)の雨で葉が全て落ちてしまったようです

南東側から

東側から、目通り幹囲6.6mの巨木です




社殿裏側の芝川沿いにケヤキの大木です

保存樹林案内にあった5本の内の4本紹介でした

では、次へ行きましょう

(ここからは、2021年12月15日取材です)
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静岡県袋井市、岡崎「八雲神社のクスノキ」です!!

2021-12-22 06:34:15 | 巨樹・大木
 いつもこのブログを見て戴いて感謝します
 
 今日は冬至、一年で一番昼間の時間が短い日ですね

 八雲神社に訪れた11月30日火曜日には

 静岡県吉田町、御前崎市、磐田市、掛川市、袋井市と巡って

 一日に取材できた所が15ヶ所でした

 6月の夏至の頃には30ヶ所以上巡ることが出来ます

 これからも頑張って投稿しますので見てくださいね 

では今日の投稿です

 岡崎地区は、袋井市役所の南南東約6kmのところ

 県道41号袋井大須賀線を南へ、じょじょに県道が東へ向きを変えて行く浅名信号を過ぎて

 弁才天川を渡り、次の信号を右(南)入った、右(西)側に並ぶ住宅の西側に八雲神社が南向きに鎮座します

 参道入口に車を止めさせて頂きました

 *岡崎地区には二つの八雲神社が有ります、こちらは南八雲神社と呼ばれているようです


参道の鳥居です

手水舎です

拝殿です、疫病退散の幟が立ちます

軒下の額です

本殿です


拝殿の左手(西側)に目的のクスノキです

南側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

袋井の名木古木 八雲神社のクスノキの標柱です


北東側から

樟の右手に境内社の祠です

では、次へ行きましょう
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静岡県袋井市、国本「七ツ森神社の御神木シイノキ」です!!

2021-12-21 06:43:07 | 巨樹・大木
 国本地区は、袋井市役所のすぐ東側です

 県道253号線旧東海道の松並木の東側に南面して七ツ森神社が鎮座します

 すぐ北側には国道1号線袋井バイパスと県道413号磐田袋井線が走ります

 南側の県道253号線脇に車を止めさせて頂きました


旧東海道に面して参道入口です

七ツ森神社です

本殿裏から久能城跡が見えるそうです

説明版です
  七ツ森神社
    国本字森廻2586番地
 祭神  久努国造 大己貴命
  相殿 玉依姫命 別雷命
  相殿賀茂神社は延喜15年(915年)
 境内社 七ツ森稲荷社 倉稲魂命
          明治7年七字森廻より遷座
     大日神社 天穂日命
          明治7年広岡田所より遷座
 末社 神明神社 天照大神
    白山神社 菊理姫命
    天白神社 猿田彦命
    夷神社  蛭児命
    金刀比羅神社 金山彦命
     末社5社は明治7年合祀
    住吉神社 末社2社は明治7年北原川宇佐八幡社へ遷座
    飯高神社
 由緒 創建年代不詳  往古の郡辺神社と云う。大化の改新前久努国あり、印旛足尼を国造となす。国造は世々に久努に住す。為に国造の遺霊を郡辺村に祀り祭神となす。927年完成した延喜式神名帳に「遠江国山名郡式内郡辺神社」と所載す。
 後世神社は、原野谷川の大洪水で宝物古文書等全てを流出。社は高部村に漂着し村人により厚く祀られ明治34年渋垂神社に合祀される。流失年代不詳以来当神社の社名は世々に於いて変わり久努神社、加茂神社に偲ぶ事が出来る。
 徳川時代は朱印高七石、明治6年村社に列格し昭和20年宗教法人「七ツ森神社」の認証を受け静岡県13等級社となる。
 平成5年3月放火により社殿を焼失す。社殿は同年10月再建したるものなり。
    平成7年3月記



もう一枚の説明版です
  七ツ森神社
 七ツ森は田圃の真中に残る七つの塚として、尾張藩(愛知県)藩士高力猿候庵が天明6年(1786)に、東海道を自ら旅して記した「東街便覧図略」に描かれています。
 その中で一番大きな塚の上に描かれているのが現在の七ツ森神社です。
 この七つの塚(森)には悲しい伝説が伝わっています。伝説では桓武天皇の頃、日坂宿に出没していた怪鳥を退治するために朝廷から派遣された七人の武士は、退治出来ずに返り討ちにあい命を落としてしまいました。哀れんだ村人が墓を造り彼らを葬りました、その墓が七つ森だと伝えられています。
 神社には古墳時代にこの地方を治めていたと考えられる久努国造が祭神として祀られて、周辺に久努・久野・久能そして国本などの地名が見られます。久努国造の名を記した扁額が納められていたり、七つの森(塚)は古墳とも考えられることなどからも、この場所は久努国造ゆかりの深い場所であったと考えられます。
   平成10年3月25日
  袋井市教育委員会

右に境内社稲荷神社参道です

境内社の七ツ森稲荷社です

拝殿です

本殿覆屋です


目的のシイの木です

袋井の銘木の標柱です

神木です

南西側から

東側から

西側から、目通り幹囲6.7mの巨木です

本殿裏側のクスノキです

境内社ですがお名前が有りません

では、次へ行きましょう
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静岡県袋井市、天神町(久能)「天神社のヤマモモの木」です!!

2021-12-20 06:26:04 | 巨樹・大木
 天神町は、袋井市役所の西約1kmのところ

 県道413号線を西へ、川井東信号を右(北)へ進み自動車整備工場前の交差点を左(西)に入ります

 道路が右に曲がる右手に天神社が南向き参道で鎮座します

 天神町公会堂の駐車場を利用させて頂きました


参道入口です

天神社です

鳥居です、参道には天神社の幟の他に「天下泰平 疫病退散」の幟もありました

手水舎です

拝殿です

説明版です
 天神社
  静岡県神社庁十二等級神社
鎮座地 袋井市久能337番地
    現在袋井市天神町1-3-8 平成19年の久能向区画整理で改名
御祭神 菅原道真公(845年~903年)
 菅原家は父祖、三代儒官(儒学をもって朝廷につかえる者)の家柄で道真も11歳にして詩をつくる早熟な天才だった。
 天皇に引き立てられ右大臣になった藤原時平の企てにより、大宰府に流されその生涯を終え、同地に葬られた(大宰府天満宮)。道真の死後政治が乱れ、凶作疫病宮中に落雷多数の死傷者。
 皇太子の死、この不幸を道真に鎮めてと、朝廷は京に北野天満宮を建立。
 平安時代の末期頃から天神は慈悲正直農耕の神として祀られ、生前優れた学者詩人であったことから、学問の神様と崇められ広く親しまれています。
 *天満とは、道真が死後送られた神号天満(そらみつ)、天神とは、天神雷神に対する崇拝のことで、特に菅原道真公を天神様として、祈願の対象とする神道の崇拝のこと。
 道真公が京の都を去る時に詩った有名な歌
  東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘るな(れそ)
祭義 元旦祭 10月大祭 第二土曜日
由来 寛永7年8月(2009年より逆のぼること377年前)再建其の後再度再建、古札、額、等読み取り不可能もあり
   明治12年9月 村社に列格(静岡県神社庁書)
   慶長6年8月24日(2009年より逆のぼること399年前)伊奈備前の守より高二石黒印も賜る。


参道右手にヤマモモの古木です、注連縄が巻かれています、目通り幹囲4,1mの境内で一番太い樹木です

袋井の銘木古木 天神社のヤマモモの木の標柱です

拝殿東側のクスノキです

クスノキの標柱です

クスノキの奥側にマキの木です

マキの木の標柱です

本殿覆い屋です

本殿北西側のマキの木です、こちらの方が太いですね

マキの木の標柱です

社殿西側のヤマモモの木です

ヤマモモの木の標柱です

目通り幹囲3,2mの大木です、まだまだ大きく成りそうです

では、次へ行きましょう
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静岡県袋井市、木原「許禰(こね)神社のクスノキ」です!!

2021-12-19 06:29:49 | 巨樹・大木
木原地区は、袋井市役所の西南西約3kmのところ

県道413号線旧東海道を西へ川井信号を過ぎると木原地区です

木原地区に入って県道413号線の北側を走る旧道に面して許禰神社が南向きに鎮座します

目印は、一里塚(再現)が有ります

鳥居前の道路脇に車を止めさせて頂きました


参道入口です、旧東海道に南面しています

郷社 式内 許禰神社です

傍らの徳川家康公腰掛石です

説明版です
  許禰神社(木原権現社)
 遠江では平治元年(1159年)以後、しばしば熊野新宮を造営する費用をまかなうための国に指定されたので、多数の熊野神社が建てらあれました。袋井市城でも、土橋で熊野権現社、松袋井で熊野十二社神社が現在でも祭られていることから、古代末期より和歌山県の熊野山とはたいへん深い関係にあったことがわかっています。
 木原の許禰神社は、かつては木原権現社と呼ばれ、古代末期に創建されたと考えられています。
 許禰神社は、古代の神社名帳(式内社)のなかに見られる神社で、一説には古代の許禰神社が木原権現社になったともいわれています。
 木原権現社の神主を代々つとめた木原家には、「木原権現由来記」という全長17mもある巻物が残されています。
 由来記には、ある日、木原の子供に熊野の神がのり移り、この地に熊野の神を祭れば、洪水を防ぎ、穀物の実りを豊かにするお告げがありました。天災に苦しんでいた村人は、早速に熊野の神を祭った。これが熊野権現社の由来だと記されています。
 当時の民衆が神様に対して切なる願いを記録した貴重な資料となっています。
   平成12年8月
  袋井市教育委員会




古戦場 木原畷です


旧東海道の説明版です

鳥居です


参道左手に目的のクスノキです(南東側から)

南側から、目通り幹囲6.5mの巨木です

南西側から

参道に戻って北側から見ました

西側の神池には厳島神社です

カエルの石像が有りました、平和50年を六蛙える(戦後50年記念に建てられたようです)

参道を振り返ってクスノキを見ました

橋を超えると

手水舎です

拝殿です

軒下の額です



本殿覆い屋です

由緒沿革の説明版です
  許禰神社
祭神 速玉男命
   伊弉册命
   事解男命
由緒沿革
 木原権現由来記によれば文武天皇大宝2年紀伊国熊野権現を勧請して社を建て、徳川家康慶長5年旧社領70石を再興し同10年神殿を造営せらる、明治6年郷社に列す。
 木原権現由来(原文のまま)
  木原権現観請之事
 木原の社は熊野権現なり。人皇四十二代文武天皇の御字木原郷に一河の長流あり、強雨のおり、ことに水たかくして田畠をひたす。邑民悲しひ。
 大宝二年(約一三〇〇年前)春三月里人各集り長堤を築く堤置たる芝のうへに白幣あらはれ、いつとなく鳥余多くむらがり来て其のよそほひ常ならざれば皆人あやしき心地し侍る。其の折から傍に在りける童児忽にはしりて日く我は是熊野権現なり、此所わが霊地にして鎮座する事久しといえども世人知事なし今此地を犯事なく我を祭は、水亡難を除き、いよいよ五穀栄へ国民穏かなるべしと宣ひ・而あからせ給ひ皆人寄異の思ひをなして有難事かきりなし。
 則木原のなにかしあるし、詫宣にまかせ其の地をあらため御柱を建て、件の白幣を納木原権現と称し、各うやまひあがめまつる夫より五穀ゆたかに国民饒に日々に神徳をまし給ふ誠にありがたかりし事ともなり。
御神体之事
 昔天神七代にあらせ給ふ伊弉諸尊、伊弉冉尊と申奉る。
 此の二神の尊国土を開き、万の物をうみ給ふ、其至極康大の功徳すでに成て後、伊弉冉尊神退ましけれハ紀州熊野有馬の村に納めた、
 熊野大神是なり、此神の御子を速玉男其の弟を泉津事解男と申奉り是熊野三所権現と云。


年中行事の案内です

拝殿右手の境内社です、左に八幡宮、右に須賀神社です

本殿右手に境内社が集められています

左から、八面神社・若比神社・社森神社・天白社です

左から天白舎・白山神社・天満宮・大きな神明宮・熱田神社です

左から居森神社・住吉神社・稲荷神社・右端は読めませんでしたが大国神社のようです

では、次へ行きましょう
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静岡県磐田市、西島「須賀神社のクスノキ」(市指定)です!!

2021-12-18 06:26:06 | 巨樹・大木
西島地区は、磐田市役所の東北東約5kmのところ

県道413号磐田袋井線(旧東海道)を東へ

国道1号磐田バイパスにに合流してすぐまた県道413号線に戻ります

太田川を超えると西島地区です、西島信号の手前二本目を右(南)に入ると

西島公会堂の南側に立派な玉垣の廻った須賀神社が右手に鎮座します

神社前の道路脇に車を止めさせて頂きました

須賀神社参道入口鳥居です

村社 須賀神社です

手水舎です

拝殿です

本殿です

説明版です
  須賀神社
 祭神 素戔嗚尊
 所在地 磐田市西島字北浦42番地
 相殿 六所神社(八幡社・牛頭天王社他4社)
 創建年代 嘉永元年(1225年)
 例祭日 7月15日(現在7月第二日曜日)
    10月16日(現在10月第二日曜日)
由緒
 元字南海道に在りましたが明治7年6月26日六所神社の社地から今の地に遷座す。
 家康公の時代地頭、村上彌右衛門社参あり。
 格別の古社と認め社殿建立となった。
 六丑年8月24日伊奈備前守より任先規黒印4石5斗頂戴す。
 慶安5年10月17日家光公より御朱院印に改められ、社務無怠勤行。
 明治7年4月に至り上地す。
 明治22年村社に列せられ、明治44年8月11日静岡県告第273號を以って神饌幣帛を共進し得べき神社に指定せらる。
 其の六所神社を本社に合祀したるは、明治22年2月9日の指令に基き、この際特に両社のために、一社殿を新築せり。
 現在の社殿即是れ也。
   田原歴史愛好会




右側から回り込むと本殿北側に目的のクスノキです

西側から、クスの大枝が社殿を覆っています

南西側から

説明版です
  須賀神社クス 市指定天然記念物
 須賀神社のクスの幹は三本に分かれていて、1本は直立するように空に向かい、1本は南東に、1本は南に向って伸び、社殿を覆っています。推定樹齢500年、高さ15m、根回り周囲12.1m、目通り周囲10.6mの大木です。平成13年8月の台風11号で主幹が折れるなどの大きな被害を受け,15年度には樹形を維持するための支柱を設置しましたが、その後の風雨にもよく耐え、樹勢を保っています。
  指定年月日 平成17年11月21日
   平成30年1月 磐田市教育委員会文化財課

北東側から見ました

境内社の八幡社です

菅谷陣屋牢屋跡だそうです

菅谷陣屋跡の説明版です
  菅谷陣屋跡
由緒 
 徳川幕府は関東や東海道沿いの重要地点に親藩・譜代大名・直参旗本を配置して江戸防ぎょを行っていました。
 直参旗本4500石の菅谷氏も、東海道に面した西島に陣屋(元禄11年・1698年)を設けたのもその一環と思われます。
 菅谷陣屋は、須賀神社の南側一帯に築かれていました。
 陣屋の遺構などは何も残っていませんが、神社の北側にある西島公会堂玄関脇に、菅谷陣屋牢屋敷跡の標柱が、立てられています。
 「宿村大概帳」には西島往還左方に菅谷陣屋有りと記され、「延絵図」にも往還左方に菅谷紀八陣屋と記されています。
 また西島須賀神社の建立・造立・修復祈願等に菅谷氏が地頭として棟札が上棟されています。
 遠州山名・豊田両郡のうち、西島村高662石1斗3升外16ヶ村高4770石余を支配していたが、旗本菅谷氏でした。
   田原歴史愛好会

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静岡県磐田市、中泉「善導寺大クス」(県指定)です!!

2021-12-17 06:41:21 | 巨樹・大木
JR東海道本線いわた駅北口のロータリー脇にクスノキの巨木が在ります

ロータリーの送迎車用駐車スペースに車を止めて急いで撮影させて頂きました


いわた駅駅舎です


駅前の一段高い所にクスノキが在ります、南東側から

南側から

説明版です
  県指定文化財(天然記念物)
 善導寺の大クス
   昭和34年4月14日指定
 この大クスは、かつてこの地にあった善導寺境内にあったもので、樹齢は700年と推定されています。大きさは樹高18.3m、根周は二段に盛り上がり、地面と接する部分で32.9m、胸高直径は2.87mを測ります。
  平成28年3月 磐田市教育委員会文化財課

ロータリーの南西側から見ました



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