ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

2023年のブログ登録件数を発表です!!

2023-12-31 18:41:09 | ウサギ

 ビーズうさぎのハナちゃんとモモちゃんです
 
 2023年の投稿件数は790件を越えましたよ

 2022年末に取材しておいた茨城県鹿嶋市から始まり、最終も茨城県つくばみらい市となりました
「関東甲信越地区」
    茨城県は 24件
    栃木県は 21件
    群馬県は 25件と、取材するところが少なくなりました
 住居地の埼玉県も 22件となっています
    千葉県は 64件としばらくほっておいたので多くなりましたが、残すところは僅かです
    東京都・神奈川県は無し、行きたい所は沢山ありますが、コロナウイルスが怖いので人込みを避けています
    山梨県は 17件、愛知や、富山・長野からの帰りに寄る感じになっていました
    長野県は 51件、北信から松本地区がおもだったので、南信地区がまだまだ残っています
    新潟県は 75件と多くなりましたが、東北地方の日本海側山形や秋田へは新潟を経由するのが便利なので件数が増加していますし、まだまだ残っている件数もありますよ
 「東海北陸地区」
    愛知県は 141件と、2023年で一番多くなりました、NHK大河ドラマの影響もあって、年明け1月10日から三河地域(豊橋・豊川・岡崎・豊田など)・知多半島や渥美半島にも行きました
    富山県は 47件で、ゴールデンウイークを挟んで2回行きましたよ、富山県内も残りは南砺市地域となりました
    静岡や岐阜県は、通過するだけになっていますので、富山からの南下ルートでの取材も考慮しましょう
 「東北地方」
    福島県は 84件、まだまだ会津地域は取材出来ていない所が残っています
    宮城県は 99件、三陸はまだ終わっていませんなね~
    山形県は  7件、残り僅かになりました
    岩手県は 11件、一関市の南部を少しだけ廻りました、2024年の秋にはまた予定しようかな
    秋田県は 51件、2022年には200件と最多で廻っていましたので、残りは少なくなっていますが、厳しいルートのところが残っています
    青森県は 53件、2023年の最北端は竜飛岬でした、巨樹・大木の取材を始めて、青森市から東へは行けていませんので、岩手と一緒に考えたいと思っています
 
    それから四国にも車でお遍路旅をしたいと思っています

    では、よいお年を・・・

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茨城県つくばみらい市、北山「北山道祖神のケヤキ」です!!

2023-12-31 06:30:40 | 巨樹・大木
 北山地区は、つくばみらい市の北端、西側の常総市とは小貝川を挟み、東側はつくば市に接しています

 つくばみらい市役所(伊奈庁舎)の北約10km、市役所谷和原庁舎の北北東約7kmのところ

 つくばみらい市役所谷和原庁舎前の県道3号つくば野田線を東へ

 約600mの古川信号を左(北)へ、県道130号常総取手線です

 約3.3kmの小貝川大和橋南詰の信号を右(北東)へ、小貝川の土手道を進みます
 
 約2.8kmで信号を左(北)へ、県道133号線です

 約700mで道路右手に大きなケヤキが見えて来ました

 道路脇に車を止めさせて頂き、南側から見ました

 西側から、樹高約15m、目通り幹囲6.0mの巨木です

 北向きに道祖神社の祠です、北山集落の南端を守る道祖神様です

 *旅の安全祈願や、健脚を祈願してわらじを奉納する習慣が残っているとか

 北東側から見上げました

 南東側から

 南西側から見ました、太い幹と根元から出ている枝の間に大きなコップ状の穴が開いています、ここにはクロマツが生えていてケヤキに飲み込まれるように40年ほど前に枯れたのだとか・・・

 ケヤキの東側には馬頭観音の石碑が並びます

 *平成18年(2006)3月27日に、 筑波郡伊奈町と谷和原村が合併・市制施行し、つくばみらい市が発足しました。

 では、次へ行きましょう
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茨城県古河市、仁連「東漸寺のボダイジュ 」(県指定)です!!

2023-12-30 06:31:16 | 文化財・樹木
 仁連地区は、古河市役所本庁舎(総和)の東約5km、古河市役所三和庁舎ある地区です

 古河市役所三和庁舎の南西約1.5kmのところに東漸寺が有ります

 古河市役所三和庁舎の西側、三和庁舎前信号を南西へ、約600mで左(南)へ県道17号日光東往還です

 約1kmで道路左手に東漸寺参道が北西向きに開いています

 参道入口山門です

 真言宗 豊山派

 青谷山 東漸寺です

 参道を進みます、正面本堂前右手にはモミの木、左手には杉の大木です

 参道右手の仁連下町公民館前に駐車場が有りますので利用させて頂きました

 参道左手に六地蔵様です

 本堂です

 本堂前に本堂新築記念碑です
文面は・・・ 
 当山は文治5年(1189年)覚法上人の開基であり、延宝6年(1678年)当町の大火により、四隣共、本堂及び庫裡を全焼し、復興に帰してから三百有余年、その間補改修を重ねて参りましたが、老朽甚しく限界となり、昭和59年(1984年)宗祖弘法大師1150年の御遠忌を迎えるにあたり檀徒総代世話人と相謀り、一世一代の記念事業として、檀信徒一同萬難を排し浄財の寄進により、大塔伽藍の本堂を建立し、名実共に当山千載の盛典を見る事となり、佛縁檀徒の家内繁栄と先祖代々の菩提を祈願し、以て一同の浄業とその芳名を録して永遠に伝える次第である。
   昭和58年3月吉日
     青谷山地蔵院東漸寺 第31世住職 小林観隆 選文

 *文治5年には、源頼朝が義経を匿った奥州藤原氏を滅ぼした「奥州合戦」が勃発して、鎌倉幕府の武家政権が安定した年です。

 記念碑の東側に目的のボダイジュです

 北西側から

 説明版です 
 茨城県指定文化財
   ボダイジュ(推定樹齢500年)
     種別  天然記念物
     指定  平成4年1月24日
     現在地 古河市仁連94番地の1
     管理者 東漸寺住職 小林観隆
 説明
 ボダイジュは、シナノキ科の落葉高木で、原産地は中国である。
 お釈迦様がボダイジュの下で成道したというので寺院に多く植えられている。
 葉は、三角状広卵形で、上面は緑色無毛、下面は灰白色の星状毛で密生する。
 6月の末頃長い柄のある淡黄色の五弁花が咲く。
 このボダイジュは樹齢500年といわれ、成長の遅いボダイジュとしては数少ない大木である。
     茨城県教育委員会・古河市教育委員会

 *規模は、高さ14m、目通り幹囲2.5mです。
 *平成17年(2005)9月12日に、平成の大合併により旧古河市と総和町・三和町が新設合併し、現在の古河市となりました。

 記念碑前(南西側)から

 記念碑裏側(南側)から見上げました、縦に走った傷の中にサルノコシカケ科の茸が生えています

 では、次へ行きましょう
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福島県須賀川市、宮先町「二階堂神社(須賀川城址)の大ケヤキ」です!!

2023-12-29 06:47:02 | 巨樹・大木
 2023年12月19日の取材です、新潟に雪道走行った帰りに須賀川市へ寄って見ました

 宮先町は、須賀川市役所の直ぐ北東側約300mに位置します

 須賀川市役所東側の田善通りを北へ進むと右手の

 「須賀川市 市民活動サポートセンター」の有料駐車場へ車を止めさせて頂きました

 目的の二階堂神社は、直ぐ次の交差点の北東側です

 南側から境内を見ました

 須賀川城址の石碑です

 社殿への石段は上る事が禁止になっていますので、鳥居と社殿を前の道路から見ました

 目的のケヤキです

 元は、二本の大ケヤキが社殿前に並んでいましたが、西側の一本を残して、東側のケヤキは2021年に根元にできた大きな洞が危険として、伐られてしまいました。
 伐採の様子は、YouTubeの福島ニュース「 ”樹齢・約350年の大ケヤキ”を伐採 御神木に想いを寄せ見守った住民たち」でみる事が出来ます。


 西側のケヤキを、伐られた東側の切株のそばから見ました


 境内の二階堂氏時代の須賀川城と町割図です、二階堂神社の位置が本丸でした

 *文安元年(1444年)頃、鎌倉から二階堂為氏が須賀川に下向し、命令に従わなくなった須賀川代官を討ち、須賀川城に入ったという。この為氏が須賀川二階堂氏の初代当主といわれている。
 天正17年(1589年)伊達政宗に攻められて、須賀川城は落城したそうです。

 では、次へ行きましょう


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千葉県野田市、清水「清水八幡神社のイチョウ」です!!

2023-12-28 06:30:25 | 巨樹・大木
 清水地区は、野田市役所の西約2kmのところ

 野田市役所西側の日光東往還の「市役所入口」信号を北北西へ

 約200mで「野田市役所入口」信号を左(南西)へ、県道3号線です

 約1.7kmで、感応式信号を右(北)へ、

 約300mで左手に清水八幡神社の参道が東向きに開いています

 一つ先の交差点を左に入ると、境内に車を止める事が出来ました

 参道入口には、県指定の大きな案内板です

 説明版です
  千葉県指定無形民俗文化財
    名称   野田のばっぱか獅子舞
    伝承地  野田市清水八幡神社
    保持団体 バッパカ獅子舞保存会
    指定日  昭和41年12月2日
この舞は俗に「バッパカ獅子舞」と言われていますが、それは、その舞人がお腹にかかえて叩き踊る太鼓の音が「バッパカ、バッパカ」聞こえるところから名づけられたもので、本来は「子ササラ舞」といわれるもので、毎年7月24日清水八幡神社の祭礼の日の夜に奉納されています。
 この舞の起源については、元禄6年(1693)に武蔵国西新方領下間久里(現越谷市下間久里)の住人荒井平兵衛によって清水八幡大菩薩にはじめて奉納され、その時渡辺惣内、同寛左衛門両人が弟子として舞の伝授をうけ、以来連綿と受け継がれ行われてきたものです。
 舞は元々神社の境内に莚を敷き、提灯の明かりに囲まれた中で奉納される習わしでしたが、昭和の初め頃から境内に舞台を設けて見せるように変わってきました。
 ばっぱか獅子舞(獅子は厄祓いの霊獣とされている)は、舞・棒術・居合術との3つの要素から成り立っており、奉納は居合の四方固めに始まり次に棒術、最後に獅子舞の順に行われています。
 獅子舞は、太夫獅子・中獅子・雌獅子の3頭でそれに花笠4人と笛方数人で構成されています。本来はこれに先立って「辻切り」が行われており、「辻斬り」は、辻固め(地固め)と称し、村の四方の入り口(村境)巽(辰巳:東南)乾(戌亥:西北)坤(未申:南西)艮(丑寅:北東)で悪疫退散を祈願して舞っていました。
 獅子舞・棒術・居合術の伝承については、現代とは異なり、伝承者達によって志連を構成し、家毎に獅子・棒術・居合術の系統があり、それぞれの家の長男が継承してきたものです。
    平成21年3月5日     野田市教育委員会

 参道を進むと左手に目的のイチョウが見えた来ました

 参道右側に手水舎です

 北東側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

 北西側(拝殿前)から

 東向きに拝殿です


 本殿覆い屋です

 境内社です

 西側(拝殿脇)から

 南側から

 南東側から見ました

 では、次へ行きましょう
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千葉県流山市、平方「福性寺のイチョウとムクロジ」(保存樹)です!!

2023-12-27 06:45:09 | 巨樹・大木
 平方地区は、流山市役所の北約5kmのところ

 流山市役所の北側の県道278号線を西へ出て直ぐの「流山一丁目」信号を右(北)へ、県道5号流山街道です

 約2.4kmで信号を左(北)へ、まだまだ流山街道(県道5号線)です

 約2.7kmで左(西)へ、約400mで右手に福性寺が南向き参道であります

 福性寺山門です

 真言宗 豊山派

 薬法山 福性寺

 毘沙門天の説明版です
  毘沙門天
    福性寺
 毘沙門天とは、四天王の一人で仏法をお守りする軍神です。
 梵字で(ヴァイシュヴァナ)で法を説くところから多聞と訳され、全てを一切漏らさず聞くことの出来る大智恵者のことを意味します。
 七福神では戦いの神とされ正義の味方となってくれる全神です。
          流山観光協会

 山門脇に小さな説明版です
   福性寺(ふくしょうじ)
 江戸時代中興の真言宗(しんごんしゅう)の寺院。山号は薬法山(やくほうざん)。本尊は大日如来(だいにちにょらい)。
 境内には流山七福神の毘沙門天像(びしゃもんてんぞう)、六地蔵などの石造物や、イチョウ、ムクロジなどの保存樹木がある。
   

 右手には鐘楼です

 縁起石碑です
   福性寺縁起
 開創縁起は不詳、正保年間の中興とす。
 本尊は大日如来、飛地境内は仙適坊・観音坊がある。
 仙適坊の本尊様は、阿弥陀如来両脇侍像(高さ1m位、江戸時代の作)であったが、貴重な仏像なので現在は本堂に移されている。
 観音坊には、観音様がまつられていて、周辺住民の信仰を仰いでいる。
 明治の末期には、大変栄た弁天信仰(鎌倉八幡宮の灰で練って造られ、お厨子に入った江戸時代の作)であったが、その後は面影もなく寺は荒れ果てた。
 昭和60年流山七福神が発足し、毘沙門天が境内に安置されている。七福神起源は「仁王般若経」の「七難即滅・七福即生・万姓安楽・帝王歓喜」の語によるといわれています。
 毘沙門天の福徳は、開運招福、七難即滅にあります。
 昭和61年より、ぼけ封じ関東三十三観音霊場第8番札所となる。
 初代中興の租勝又俊弘、昭和17年千葉市生まれ。のち廣徳院俊教の室に入る。(父俊教は、真言宗長者・真言宗豊山派第25世管長、総本山長谷寺第79世化主)昭和48年、流山市福性寺住職となり庫裡客殿の建設、本堂の増築等を手がけ再建の礎を築き、また宗務所に勤務、檀信徒教化、寺門興隆に務めた。昭和61年6月9日、遷化世寿43才。
 鐘楼堂建立の計画は、中興俊弘の代から決議であったが、俊弘遷化の為、一時中断されていた。
 平成6年、檀信徒からの強い要望により、再び建立の計画が持ち上がった。同年から計画を進め、遂に平成8年念願の鐘楼堂が檀信徒一同の協力により建立された。またこの事業は、興教大師900年御生誕の記念とされた。
   興教大師九百年御生誕の記念 
   中興第1世俊弘和尚十三回忌記念
     薬法山 福性寺檀信徒一同

 参道を入ると広い駐車場が有りますので利用させて頂きました

 参道右手に目的のイチョウです

 南西側から

 南側から見上げました

 東側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

 手水舎です

 本堂です

 北側から

 西側から

 参道西側にはムクロジの大木です

 六地蔵様です

 大きな毘沙門天(多聞天・北方天)を祀った毘沙門堂です

 ムクロジを見上げました

 北側の弁天堂です、こちらにも毘沙門天や大国様も一緒に祀られています

 更に本小津寄りには、お不動様を祀った不動堂です

 本堂前に弘法大師様の巡錫像です

 では、次へ行きましょう
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千葉県柏市、花野井「大洞院の大銀杏」(市保護樹木)です!!

2023-12-26 06:46:22 | 巨樹・大木
 花野井地区は、柏市役所の北約4kmのところ

 國津16号線の「柏市役所前」信号を北西へ進みます

 約1.3kmの中古車販売店前の信号を右(北東)へ入って直ぐ斜め右(東)へ道成りに進みます

 約2kmでガソリンスタンドとコンビニの有る信号を左(北西)へ、県道7号と47号の重複線です

 約400mで道路右側に「花井山 大洞院 参道⇒」の案内板が有りますので右(北北東)へ入ります

 約300mで道路左手に大洞院の駐車場が有りますので利用させて頂きました

 南南西向きに参道入口です、黄色い葉を付けたイチョウが見えました

 曹洞宗 花井山 大洞院の寺號標です

 境内案内図です、本堂前に目的の大銀杏です

 右手に六地蔵様です

 参道を進みます

 本堂です

 本堂前左手に目的のイチョウです

 説明版です
   大洞院の大銀杏 オオイチョウ
      中国原産。イチョウ属いちょう科。落葉高木で樹高は30から40mになり、径は約5mにもなる。
      雌雄異株。秋に黄葉する。常態では枝葉北に伸び、方角を知る手がかりとなる。
 大洞院の大銀杏は、樹齢推定450年で、室町時代のものと思われる。
 その頃の出来事としては、種子島の鉄砲伝来(1543年)やキリスト教の伝来(1549年)、織田信長が今川義元を破った桶狭間の合戦(1560年)などがあり、世界の出来事としては、コペルニクスが地動説を唱える(1543年)などがある。
 宝暦3年(1751年)大洞院がこの地に移転した時には樹齢推定200年の銀杏に樹があり、その頃より利根川水運で田中村の目標となっていたと言われている。
 平成10年実施「鎮守の森の樹木調査研究」によると、柏市内で一番幹回り(5m32cm)が太い樹木と認定されている。
 昭和56年(1981年)柏市指定保護樹木に指定される。指定番号290番
 

 南側から

 東側本堂前から

 イチョウの北側には大きな石碑です

 説明版です
   無邊洞の碑
 この碑を自邸に建立した渡邊國武翁は、その清廉な人格と深い見識により伊藤博文内閣の大蔵大臣などを歴任し、明治政府の財政基盤を確立しました。
 晩年には、西洋の哲学や仏教の経典に通暁すると共に、禅の境地も究めました。
 無邊洞の「無邊」は禅の経典「碧巖録」に由来します。
 橘曙覧のの「独楽吟」を愛し、「日々の平凡な生活の中に喜びを見出すこと」、また、「人おも、また、自らをも、信じて、おそれずに生きていくこと」をその生涯をもって教えてくださった稀有の人物です。
 縁あって渡邊國武翁曾孫御一同の寄贈により、この地に移設されました。
      花井山 大洞院
   平成26年11月吉日

 北西側から

 西側から見上げました

 では、次へ行きましょう

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千葉県我孫子市、柴崎「東源寺の榧ノ木」(県指定)です!!

2023-12-25 06:42:21 | 巨樹・大木
 柴崎地区は、我孫子市役所の北北東約2kmのところ

 我孫子市役所西側の「我孫子市若松」信号を北へ進みます、県道8号線です

 約1.1kmでJR常磐線の高架が見えて来た「泉」信号を右(東)へ泉・天王台通りです

 約600mで歩車分離信号を斜め左(北)へ、間も無くJR常磐線の高架を潜ります

 約300m坂道を上がって、「曹洞禅宗 東源寺」の案内板を左(西)へ入ると

 間も無く東源寺駐車場が道路左手下に有りますので利用させて頂きました

 北側の道路を西へ進むと山門が北東向きに有ります(北東側の路地から撮影しました)

 参道を入ると、左手に縁起石碑です
  曹洞宗 東源寺
   御本山 福井県  大本山永平寺 高祖道元禅師
       神奈川県 大本山総持寺 大祖瑩山禅師
   本尊様 薬師如来
   山号  青龍山醫王院
 寺伝によると、天文9年(1540)小田原城主北条氏康公によって開かれた寺です。
 公は、この寺を青龍山醫王院東源寺と定め公自身の御護りであった薬師如来を御本尊としました。
  伝存する墨跡刻銘等
    文化2丑年(1805) 現本堂再建
    嘉永2酉年(1849) 木造彩色大権修理菩薩台座に復元の墨書
    嘉永 3年(1850) 鏧子に刻字
 *鏧子(けいす)とは、響銅製で鉢の形をしており、下に座布団を敷き、細い金属製の棒、または木製の細棒で縁を打って音を出す。鏧、小鏧(しようきん)、鋺(金椀)(かなまり)、鈴(りん)などともいう。
    文久 元年(1861) 太古に墨書
    慶応 元年(1865) 旧太子堂再建(現大師堂は平成元年建立)
    慶応 3年(1867) 大師堂鰐口刻銘
    明治20年(1887) 施餓鬼壇(施食壇)新添墨書
    明治24年(1891) 本堂大修繕廣破風屋根付玄関
    大正 3年(1914) 本堂屋根萱葺替大修繕
    昭和28年(1953) 本堂屋根本瓦葺大修繕
    昭和51年(1976) 本堂基礎大改修

 直角に曲がると六地蔵様です

 南東向きの本堂前に目的のカヤです

 南東側の正面から見上げました

 「光音禅師手栽之榧」の石碑です

 説明版です
  千葉県指定天然記念物
    東源寺の榧(まがや)ノ木
      所在地 我孫子市柴崎170
      指定年月日 昭和10年8月23日
    根回り  6.3m
    目通り  4.5m
    樹高  24.0m
    樹齢  約250年
 榧はイチイ科の常緑喬木で、材質は固く、碁盤等に使われます。古くは丸木舟・仏像等にも利用されました。
 本樹は相馬八十八ヵ所を開基した光音禅師お手植えの榧と伝えられ、県北有数の巨木です。
   平成4年10月10日   千葉県教育委員会・我孫子市教育委員会
 *観覚光音禅師は、江戸時代中期の人物です(1711年~1783年)信濃の国の出身で、千曲川の源流の近くの海尻に生家があります。
 13歳で江戸の呉服商の伊勢屋に奉公していた頃に、商家の立て直しに成功した後、取手宿内で穀物商を営み「伊勢屋源六」と名乗りました。
 商いは繁盛し、商いの傍ら取手宿の繁栄のために尽くし、多くの人々から慕われたといわれています。
 後に息子を亡くし、源六は長禅寺に出家し、観覚光音禅師となりました。荒廃した長禅寺の観音堂(取手市取手2丁目にある臨済宗妙心寺派の寺院)を「さざえ堂」に改装するなど数々の功績を残しました。
 *新四国相馬八十八ヵ所とは、取手市から我孫子市周辺に現存する250年もの歴史のある巡礼地です、弘法大師の四国八十八ヵ所は距離にして1200km、徒歩で40日間をかけて巡りますが、光音禅師の開基されたこの巡礼道は、約70km、4~5日で巡ることができました。

 北東側から

 本堂です

 本堂の南側には大師堂です

 本堂前から

 南西側から見上げました

 慈母観音像です
 
 古い石仏のなかにも如意輪観音様ですね

 では、次へ行きましょう

 

 
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千葉県柏市、高柳「高柳・善龍寺の五葉松」(市指定)です!!

2023-12-24 06:30:58 | 文化財・樹木
 高柳地区は、柏市役所の南南東約6kmのところ

 国道16号線「柏市役所前」信号から南東へ国道16号線を進みます

 約4.4kmの「大烏田」信号を右(南西)へ、県道8号線です

 約1.7kmのコンビニ前の信号を斜め右(南西)へ、「塩どっけ道」です

 約500mで、道路左手に善龍寺の駐車場が有りますので利用させて頂きました

 南向きの参道です

 六地蔵様です

 天台宗 高柳山 善龍寺の寺號標です

 参道を進むと山門です

 山門を潜った左手にが鐘楼です

 右手には手水舎です

 正面に本堂です

 本堂前左手に、枝を大きく広げた目的の五葉松です

 南側から

 説明石碑です
  この五葉松は文久3年春3月3日上野輪王寺宮公現法親王殿下より御配意を賜り、当山第10世泰然和尚がこの地に植樹したものである。

 説明版です
  柏市指定文化財(天然記念物)
    善龍寺の五葉松
 五葉松は、マツ科の常緑高木で、本州南部から四国、九州にわたり広く分布しています。
 樹皮は暗灰色・鱗状をしています。1ヶ所から5本の針葉が出るため、めでたい樹木とされ、その名の由来となっています。
 本堂左側のこの五葉松は、高さ約4m、幹囲約1.3mの主幹は安定した蛇行をし、中ほどより少し上から左右に長大な枝をはり、上下前後に大玉を形成し、見事な枝振りを見せています。
 全体として調和のとれた、美しい盆栽様の形状です。
 当寺の記録では、この松樹は文久元年(1861)に東京都上野寛永寺の輪王寺宮公現法親王より下賜されたとあります。
 当時の住職法師泰然がここに植樹しました。
 泰然は当寺に40年も住職を務めており、寛永寺とも深いつながりがあったのでしょう。
 昭和50年12月4日に柏市(当時は沼南町)の天然記念物に指定されました。
   令和2年3月26日 柏市教育委員会

 *輪王寺宮公現法親王とは、北白川宮能久親王(きたしらかわのみや よしひさしんのう、弘化4年(1847)2月16日(新暦・4月1日)~明治28年(1895)10月28日)北白川宮第2代当主で、陸軍軍人です。
 最後の輪王寺宮(りんのうじのみや)として知られ、明治天皇の義理の叔父であり義理の甥にも当たる人物です。

 南側から幹を見ました


 南東側から

 *塩どっけとは、「塩とりかえ」のことだそうで、増尾や名戸ケ谷の台地の上には、よその村へ、続く白い道があり、その中に『塩の道』といわれている行徳(ぎょうとく)への道もありました。
 昔の燃料である薪を行徳界隈へ売りに行き、塩と交換してきたのでしょう。

 では、次へ行きましょう
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千葉県柏市、柳戸「弘誓院のイチョウ、二樹」(市指定)です!!

2023-12-23 06:30:15 | 巨樹・大木
 ここからは、2013年12月8日取材分です

 柳戸地区は、柏市役所の東南東約9km、柏市役所沼南庁舎の東約5kmのところ
 
 柏市役所沼南庁舎東側の県道8号線を北東へ、すぐの「大烏田柏戸」信号を右(東南東)へ、県道282号線です

 約4.3kmで「柏ひがし聖地公苑・弘誓院」の看板を左(北)へ入ります

 約200mで「柏ひがし聖地公苑」の駐車場へ入りました

 運営は、弘誓院が行っています、鐘楼が擁壁の上に見えます

 柏ひがし聖地公苑の中の道を下って行きましょう

 北側下の道路には杉の古木です

 西側から見ました

 東へ進むと、目的のイチョウです

 南西側から見上ました

 右手の石段の上には、先ほどの鐘楼です

 蓬莱山

 弘誓院です

 「沼南の歴史を歩く14弘誓院」の標柱です
 蓬莱山福満寺弘誓院という真言宗豊山派の寺院で、むかしから「柳戸の観音さま」として知られています、現本堂は江戸初期の建立で町内きっての古建築です。

 手水舎です

 南西向きに本堂です
 
 「千葉県指定有形文化財 木造聖観世音菩薩坐像」の説明版です
 *沼南町(しょうなんまち)は、平成17(2005)年3月28日に隣接する柏市へ編入合併しました。

 もう一枚は「沼南町指定誘拐文化財 法華経版木」の説明版です

 本堂前には観音像です

 南側から
   
 説明版です
  沼南町指定天然記念物
    銀杏
      所在地 沼南町柳戸612
      指定  昭和50年12月
 弘誓院は、下総第33番の観音霊場として由緒ある寺で、古い歴史と多くの文化財が残されています。
 銀杏は二樹あり、本堂南側のものが雄樹で目通り幹囲4.2m、西側の物が雌樹で目通り幹囲4.4mのものです。
 昭和58年の降ひょうの被害dえ、枝がかなり折られましたが樹勢は旺盛です


 雌樹を東側から

 乳柱を見る事が出来ます、大きな乳柱の脇には切取られた跡が残っています

 北側本堂前から


 南西側からもう一樹の雄樹です

 南側から

 東側から

 北東側から

 本堂前の北側から見ました

 北側にはスダジイの古木です

 では、次へ行きましょう

 *ロシア・ウクライナの戦争状態や、中国・台湾の問題、尖閣諸島や北朝鮮のミサイル打ち上げなど、諸問題が噴出する中の、日米開戦の日(ハワイオアフ島真珠湾攻撃)です、戦争について考えなければならない日ですね
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千葉県佐倉市、八幡台2丁目「臼井台八幡神社の樹林(楠他」(保存樹)です!!

2023-12-22 06:29:09 | 巨樹・大木
 八幡台2丁目は、佐倉市役所の西方性約5km、佐倉市役所臼井・千代田出張所の北東約1.5kmのところ

 佐倉市役所臼井・千代田出張所前から南東へ、約200mの信号を左(北東)へ

 約150mの「鳳翔団地」信号を左(北西)へ、県道64号千葉臼井印西線です

 約300mで変形丁字路を左(西)へ、国道296号と県道64号の重複路線です

 約400mの「中宿」信号で国道を左に分けて県道64号線を直進します

 約1kmの「八幡台団地」信号を左(西)へ、坂道を台地の上へ上って行きます

 約600mで右手に「八幡神社の参道」が南東向きに開いています

 八幡宮の社號標です

 参道を入って参道の脇に車を止めさせて頂きました

 境内入口の鳥居です

 大きな郷社 八幡社の石碑です

 説明版です
   臼井総鎮守八幡社
 字を八幡台と称し、誉田別命(応仁天皇)を御祭神として、奉祀された当地草創の神社であります。
 臼井城主中興の祖興胤公が、足利尊氏に随って筑前の国(今の福岡県)多々良浜で戦た折、宇佐八幡に祈り菊地武敏の軍を破り還りて臼井に至り、歴応元年(1338年)8月15日領内の総鎮守として、この地に祀られる。
 本殿左側の大樟は、興胤公の手植えといわれ、文久元年(115年前)枯損し、今は御神木として保存されております。
 寛永17年(1640年)臼井村地頭、川口宗重が8石5斗を寄進され、永久祭祀の資に供される。
 御祭神の御事績に依り、文教・殖産・興業・農業守護の神として、近郷の信仰をあつめております。
     例大祭日   9月15日
 *文久元年は1861年です

 参道を進みましょう

 手水舎です

 ニノ鳥居です

 すぐ先左手にアカガシの古木です

 保存樹標識です
   保存樹  佐倉市認定51号
        昭和51年3月19日
 区分  樹林
 名称  臼井台八幡神社の樹林
 樹種  もみ・あかがし
 所在地 佐倉市臼井台408番地
 樹齢  推定120年
 伝来等 当神社創立時に境内林として植えられ管理されている
 管理責任者  氏子総代
          佐倉市
 *モミの大木を境内で見付ける事はできませんでした

 拝殿です


 本殿です

 本殿東側に大きなクスノキの切り株が有ります、説明版に有った「興胤公の手植えの樟」ですね

 説明版です
   御神木由来
 臼井興胤公が臼井城に複し八幡社を創建した際、宇佐八幡より自ら持ち帰った楠の小枝を地に挿して「もしこの楠が生きて枝葉を生じたならば神霊きたりて加護を給う証としよう」と言ったその小枝が根付き成長したものと伝えられている。

 北側から

 北西側から見ました

 境内社のとんびの神様です、烏天狗のような神様ですね

 本殿裏側には力石が積まれています

 境内社の疱瘡神の鳥居は竹製ですね

 スダジイの大木がありました

 では、次へ行きましょう
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千葉県佐倉市、八幡台1丁目「臼井台の御神木カヤとスダジイ」(市指定)です!!

2023-12-21 06:30:55 | 巨樹・大木
 八幡台1丁目は、佐倉市役所の西方性約5km、佐倉市役所臼井・千代田出張所の北東約1.5kmのところ

 佐倉市役所臼井・千代田出張所前から南東へ、約200mの信号を左(北東)へ

 約150mの「鳳翔団地」信号を左(北西)へ、県道64号千葉臼井印西線です

 約300mで変形丁字路を左(西)へ、国道296号と県道64号の重複路線です

 約400mの「中宿」信号で国道を左に分けて県道64号線を直進します

 約1kmの「八幡台団地」信号を左(西)へ、坂道を台地の上へ上って行きます

 右手に八幡台一号公園があります、公園の南側を右(西)へ

 公園の南西端近くの、ここが目的のカヤへの入り口です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 下り階段の底、池に成りそうな部分に鳥居が見えます

 南側から見ました、社殿は東向きに鎮座しています、直ぐ西側に目的のカヤです

 東側から稲荷社の鳥居と社殿です、社殿の前には狛狐です

 南東側から

 佐倉市指定文化財「臼井台の御神木カヤ」の標柱です
   昭和48年2月7日指定
 この樹は、稲荷神社境内に御神木として植えられており、境内の神域を示していると考えられます。
 カヤは、暖地に見られるイチイ科の常緑高木で、特有の香気があり、古くは種子より食用・灯用の油をとりました。

 北側から、目通り幹囲6.3mの巨木です

 西側から見ました

 西側の斜面にスダジイの巨木です

 上の道路へ戻って西側道路から、目通り幹囲6.7mの巨木です

 北西側から見ました

 では、次へ行きましょう
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千葉県四街道市、小名木「小名木吉祥寺の古木(イチョウ)」(保存樹)です!!

2023-12-20 06:30:35 | 巨樹・大木
 小名木地区は、四街道市役所の南東約2kmのところ

 四街道市役所の西側の桜通りを南へ進みます

 約1.2kmで標識に従って「国道51号線・県道66号線⇐」方向の斜め左(東)へ、県道66号浜野四街道長沼線です

 約400mで「四街道ゴルフ倶楽部」の看板を右(南)へ

 約400mで三叉路を左(南東)へ入ると

 イチョウの樹冠が見えて来ます

 奥には車を止める所が無いので三叉路の近くに止めさせて頂きました

 小名木吉祥寺入口です

 境内は、小名木児童遊園という公園になっています、本堂は無く「小名木青年館」となっていました

 説明版です
   保存樹木等指定標識
 名称 小名木 吉祥寺の古木
 樹種    イチョウ
 本数      1本
 樹高     30m
 目通周囲 5.25m
 推定樹齢    不明
 選定番号 四街道市選定第9号
 選定年月日 昭和55年3月21日
         四街道市

 西側から見上げました

 北側から

 幹には細い乳柱がたくさん出ています

 東側から

 北東側から

 東側の境内入口です

 南側道路から見上げました

 南西側から見ました

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千葉県佐倉市、坂戸「坂戸西福寺のイチョウ」(市指定)です!!

2023-12-19 06:47:00 | 巨樹・大木
 坂戸地区は、佐倉市役所の南約8kmのところ

 佐倉市役所東側の国道296号線と県道65号成田街道の重複道路を南東へ坂道を上って行きます

 約1.2kmの「鏑木交差点」信号からは県道65号線だけになって更に南へ

 約4.4kmで標識に従って「千葉・国道51号線⇒」の右(南西)へ、国道51号線です

 約1.7kmの標識に従って「八街⇐」に従って左(南東)へ

 道成に約1.2kmで道路左に「浄土宗 西福寺 第一駐車場」が有りますので利用させて頂きました


 参道は南側の県道22号千葉八街横芝線に開いています

 参道を進みます

 山門です

 「浄土宗 金剛山 願生院 西福寺」の寺號標です

 山門を入ると、本堂前右手に目的のイチョウです

 天然記念物標柱と説明版です
   坂戸西福寺のイチョウ
 このイチョウは、平成15年開催の第54回全国植樹祭記念事業の「ちばふれあいの緑100選」の一つに、植樹祭千葉県実行委員会より選定されました。
     平成15年    佐倉市公園緑地課

 西側から

 北北西側から

 本堂です

 イチョウの西側墓地前には六地蔵様です

 念仏踊りに説明版です
   千葉県指定無形民俗文化財
     坂戸の念仏踊り
       昭和55年2月22日指定
 応安年間(1368~75)に高蓮社良栄上人によって開山された浄土宗の金剛山願生院西福寺に伝わる念佛で、「踊躍念仏」といわれています。
 この念仏は浄土信仰を広めるために、良栄上人によってもたらされ、今日まで伝えられてきたものと考えられています。
 現在は、33年に一度開催される「大十夜」の際に奉納される念仏踊り「あさがお」と「しもつけ」を主とした踊りとお唱えが坂戸の人々によって伝承されています。
 「大十夜」では、境内での「踊躍念仏」の奉納後、万灯を先頭に当寺から1km先にある念仏塚まで行道し、塚の前で再度奉納されます。
     平成30年3月   千葉県教育委員会・佐倉市教育委員会

 西側の墓地前から見ました

 墓地の中から

 本堂西側の塚の上にはケヤキの大木です

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千葉県佐倉市、城内町「夫婦モッコク(佐倉城址公園)」(県指定)ですが!!!

2023-12-18 06:39:00 | 文化財・樹木
 城内町は、佐倉市役所の直ぐ西側、かつての佐倉城の址です、また、国立歴史民俗博物館が建っています

 佐倉市役所から国道296号線線を北西に坂道を下って「歴史博物館」信号を左(南西)へ坂道を上り返します

 愛宕坂と呼ばれる城跡への坂道を上って、歴博の第一駐車場に車を止めることが出来ました

 駐車場の北総エリア観光ガイドです

 城址公園案内図です、目的の夫婦モッコクは本丸跡に在ります

 第二駐車場への道路を進みましょう
 (この日は第二駐車場が開いていたので、素直に第二駐車場に入った方が良かったかな~)

 第二駐車場(左手)前を南西へ

 椎木門跡の説明版です

 空堀前に佐倉城址公園の大きな看板と案内板です

 空堀跡説明版です、北側には深い空堀があるようですが、木々で見えません

 二の丸への入り口に堀田正睦公像です

 説明版です

 アメリカ総領事ハリス像です

 説明版です

 北西へ進みます

 二の門址説明版です

 正岡子規の句碑です
 説明版には、「常盤木や 冬されまさる 城の跡」
 明治期における俳句・小説・文芸評論・写生画などに活躍した正岡子規(1867~1902)は、1894(明治27)年12月、本所駅(現錦糸町駅)~佐倉駅間に開通した総武鉄道に初乗りして佐倉の地を訪れています。
 子規は総武鉄道佐倉駅(現JR佐倉駅)より、まず佐倉の街の広がる「馬の背」のような台地を眺め「霜枯の 佐倉見上ぐる 野道かな」を読んでいます。
 現在の表町・新町方面より、日清戦争における清国人の捕虜収容所となっていた海隣寺の前を通っています。
 その後海隣寺坂(現市役所脇の坂)を下り、田町を抜け、田町の堀付近(現歴博下水堀付近)で城を眺め、この句を詠み、もとの道を佐倉駅へ引き返しています。
 子規は佐倉の麻賀多神社で幼少期を過ごした鋳金工芸作家の香取秀真や佐倉藩士であり佐倉で幼少青年期を過ごした洋画家の浅井忠とも親交がありました。
 「霜枯の 佐倉見上ぐる 野道かな」の句碑は、JR佐倉前城南橋付近にあります。
      平成27年12月     佐倉市役所 産業振興課

 本丸入口です

 一の門址の説明版です

 北側の土塁です

 土塁の説明版です

 北側の土塁に沿う様に

 西側へ行ってみます

 目的の夫婦モッコクですが・・・

 向って右側にあった太い幹が伐られてしまっています、伐られたばかりのようです

 切り口にはまだ新しい木の欠片が残っています

 説明版です
   千葉県指定天然記念物
     佐倉城の夫婦モッコク
       昭和27年11月3日指定
 モッコクは清澄山より東海道以西・四国・九州の近海地に自生する小喬木である。
 本樹は、もともと2株植えられたもののうち、1株が夫婦モッコクとなったものか、3株寄植えしたもののうち2株が癒合してできたものか、明らかでない。
 樹高11.6m、目通り幹囲2.6mで、モッコクとしては巨木である。
 佐倉城の築城については、「土井利勝が慶長16年(1611)から元和3年(1617)まで7年をかけて完成し規模こそ小さくとも本丸等に種々の庭木を植え雄大な風格をしめした」との伝えがある。
 このモッコクは庭樹の一つであったと考えられている。佐倉市松林寺境内にも巨木が所在する。
     昭和57年2月11日       千葉県教育委員会・佐倉市教育委員会

 砲隊の落書きが残ってましたが・・・ 

 東側からみましたが、残念です

 このブログの2013年5月24日の「佐倉城址へ行って来ました」の記事の中で「夫婦モッコク」を紹介していました、伐られてしまった幹に落書きが残っていた写真が有りますので見てみて下さいね

 では、次へ行きましょう
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