ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

宮城県登米市、津山町柳津丸山「千葉家のカヤ(市指定)と恐竜発掘地と古墳」です!!

2023-04-30 18:30:58 | 巨樹・大木
 津山町柳津丸山地区は、登米市役所津山総合支所の南約4kmのところ

 津山総合支所の西側の国道342号線を南へ、柳津大橋で北上川右岸側へ渡ります

 渡り切って直ぐを左(南)へ北上川右岸の土手道に入る所に

 イナイリュウ発見地の案内板が有ります

 約1.4kで、三叉路を左です、「ガードレールにイナイリュウ発見地←0.2km」の文字が見えます

 道路右手の斜面(コンクリートで覆われてしまっています)が発見地の様です

 説明版が有ります
   「イナイリュウの化石」発見地
 昭和14年(1939)夏、柳津石生の道路脇の露頭から柳津に住む故鈴木喜三郎氏によって、「イナイリュウの化石」が発見された。
 明治44年(1911)から昭和6年(1931)までかかった北上川の流路付け替えの大改修工事が終わり、柳津と飯野川を結ぶ約10kmの新北上川の川沿いでは、道路工事が行われていた。新たな切り割ができ法面に沿って層理面が露出し、そこから「イナイリュウの化石」は法面上に尾の方を下にした形で見つかった。胴体部は確認できたが、胴体部以外は失われていた。木の枝や草を集めてかぶせて一時保存した。
 その後、卒業論文作成のために付近を地質調査していた永井氏に化石の発見を告げると、永井氏・稲井氏らを中心とする東北帝国大学の人々によって化石は発掘された。
 古生物学的な検討がなされた結果、恐竜時代よりも古い三畳紀の脊椎動物化石、爬虫類、偽竜目の一種のトノサウルス類に近縁の新属新種とされ、メタノトサウルス・ニッポニクスと命名された(Yabe and Shikama1948)。
 この化石は戦争中に行方不明なってしまい今は見る事ができない。
 胴体部以外の骨格は見つかっていないので、似ているとされるトノサウルスの骨格標本でその姿を想像する。
 トノサウルスは蛇頸竜(首長竜とも呼ばれる)の祖先にあたる原始的な海性爬虫類で、指の間には水かきが発達し水中での生活に適応していた。
 他の爬虫類に較べて長い首(頸)と多数の鋭い歯を備えており、魚を追いかけ捕まえることに適していた
 進化するにつれ、四肢は後に櫂状に変化して鰭脚となった。
 発見地は、道路が年々整備されるにつれ、露出していた地層や岩石がコンクリートに覆われ、かつてそこにどんな状況で露出していたのか分からなくなってしまった。
  (津山町史前編抜すい)
    令和2年  津山地域振興会

 更に約1.1kmで三叉路を堤防上の道路へ進みます

 堤防の南端に大きな樹冠が見えて来ます

 堤防道路脇に車を止めさせて頂きました

 北東側から

 説明版です
 津山町指定文化財
   丸山 千葉家のカヤ(イチイ科)
 カヤの自然分布の北限は本吉地方といわれているが、本町丸山のカヤはまことにすばらしい巨木である。
 育成場所は北上川を挟んで、国道45号線の「橋本」の向かいの位置である。
 本樹は双幹の雌木であるが幹からは多数の枝がでている。新緑の際、太い枝の一部を板材に利用したといわれているが、今も堂々としたカヤ特有の樹姿を誇っている。
   推定樹齢 400年  樹高 約20m  幹周 9m  樹冠  約80㎡  
      津山町教育委員会 


 東側から太い幹を見上げました、目通り幹囲6.8mの巨木です

 南南東側から

 南側から見ました


 丸山古墳の説明版です
   丸山古墳
 9世紀頃造営された政治的な支配者の墳墓と思われる。
 直径20m、高さ約6m程。北上川改修工事のおり西側埋められ、往時の円墳の形が見られない。
 墳丘に氏神が祀られ御神木の杉一本があり、対岸の国道45号線から眺望することができる。
    平成17年2月1日指定 津山町教育委員会

 南側から見ると説明版の状況が良く解かります

 説明版に有った杉はこのことでしょうか

 古墳上面は単なる藪になってしまっていました

 北上川の河川敷でも菜の花とザクラが満開になっていました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月5日午前8時45分訪問です
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宮城県登米市、津山町柳津宮下「明耕院の榎(エノキ)」(市指定)です!!

2023-04-30 12:38:37 | 巨樹・大木
 津山町柳津宮下地区は、津山総合支所の南約2kmのところ

 津山総合支所の西側の国道342号線を南へ、柳津大橋東詰先からは国道46号線を南へ向かいます

 約200mで斜め左の道へ入ると間も無く明耕院の駐車場に入りました

 南西向きに山門です、脇に目的のエノキが在ります

 西側から見ました

 標柱の脇の文面には、樹種 榎(二レ科)、樹齢 推定約400年、樹高 約20m、樹周 3.02mと書かれています

 南側から

 南東側から

 離れて見ました

 山門を入ります

 本堂です

 水子地蔵尊の案内です


 境内の祠です

 では、次へ行きっましょう

 2023年4月5日午前8時25分訪問です
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宮城県登米市、津山町柳津大柳津「虚空蔵尊のケヤキ・杉・イチョウ」(市指定)です!!

2023-04-30 06:29:51 | 巨樹・大木
 津山町柳津大柳津地区は、登米市役所津山総合支所の南約3kmのところ

 津山総合支所の西側の国道342号線を南へ、柳津大橋東詰先からは国道46号線を南へ向かいます

 約1.5kmで左へ入ると、大きな大きな鳥居です

 約500mで右手に広い駐車場に入りました

 駐車場から北東側に虚空蔵尊の境内入口です、サクラが満開になっています


 目的の一つのケヤキが見えます

 南側から

 東側から

 説明版です
  津山町指定文化財
    柳津虚空蔵尊のケヤキ(二レ科)
 ケヤキは北海道を除く日本の各地に自生する落葉高木で、防風林、風致林としても重要な樹種である。
 さて、虚空蔵尊の大鳥居をくぐってまもなく一番先に目につくのが、橋の手前の大ケヤキである。
 大木特有の太い根元は潤沢な沢水を吸い大きな樹冠をひろげている。
 樹勢は今も旺盛で、四季折々のすばらしいい風情をかもしだすのである。
   推定樹齢 400年 樹高 約35m 幹周 4.77m
   津山町教育委員会


 参道杉並木です

 津山町指定文化財
   柳津虚空蔵尊のスギ並木(スギ科)
 スギは日本特有の植物で全国的に広く植林されている常緑高木である。
 さて、虚空蔵尊の参道には、素晴らしい老杉の並木がみられる。
 また、境内には二十数本の杉の大木が整然と並び、由緒ある寺院の荘厳さをかもしだしている。
 その本数は幹の周は、2~3mが16本、4mを超えるものが15本、特に太い杉は根本が地上に張りだし、いかにも巨木としての風格を呈している。
 なお、スギは本町の町木に指定されている。
   推定樹齢300~400年  樹高約40m 幹周3.5~4.8m
   津山町教育委員会
*登米市になってからも登米市の木はスギです、ちなみに市の花はサクラ、市の鳥はハクチョウです

 参道を進むと左手に大きな幹が在ります

 南側から

 東側から

 直角に左に曲がります

 右手にイチョウが見えて来ます

 南側から

 東側から

 説明版です
  津山町指定文化財
    柳津虚空蔵尊のイチョウ(イチョウ科)
 イチョウは学問的には中国原産となっているが、この樹の化石は中国はもちろん、日本、アメリカからも出土している。
 古来、適応性に強いイチョウは寺院木、街路樹よしても貫用される雌雄異株の落葉高木である。
 さて、柳津虚空蔵尊のイチョウは、荘厳な山門の手前に繁り、すばらしい老杉の並木と調和して見事な景観を形づくっている。
   推定樹齢300年 樹高約40m 幹周5m
   津山町教育委員会


 北東側から

 北側から見ました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月5日午前8時訪問です
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宮城県登米市、津山町柳津大柳津「柳津虚空蔵尊の七不思議」です!!

2023-04-29 18:29:46 | 文化財・寺社
 津山町柳津大柳津地区は、登米市役所津山総合支所の南約3kmのところ

 津山総合支所の西側の国道342号線を南へ、柳津大橋東詰先からは国道46号線を南へ向かいます

 約1.5kmで左へ入ると、大きな大きな鳥居です

 約500mで右手に広い駐車場に入りました

 駐車場から北東側に虚空蔵尊の境内入口です、サクラが満開になっています

 駐車場北側に市指定文化財の鵲橋(かささぎばし)です

 参道杉並木です

 境内案内図です

 説明版です
   南三陸 金華山国定公園
     日本三所の一
   宮城 柳津福智満虚空蔵尊
 当山は柳津山宝性院と号し、真言宗智山派に属す。
 神亀3年(第45代聖武天皇)726年秋9月、行基菩薩勅を受け東国を巡遊し、この地に来り御修法21日間一刀三札し、自ら虚空蔵を刻む、その丈1尺2寸もって、天下泰平、国家安穏を祈り、同月13日一字を黄土山の嶺に創立し、これを信心して、一村の守護仏として崇敬した。
 後、宝亀2年3月大伴家持宮城郡多賀城にありし時登山して、これを拝して言うに、福島の会津柳津山口の柳津に安置せる仏像も同じく行基の作で、日本三所の秘仏である。かくも尊いものなれば33日目毎に開帳する外、みだりに衆人これを拝すること恐れありと。
 其の後、弘仁9年(52代嵯峨天皇)5月3日、弘法大師此の堂に籠り21日間の密行を勤め、大黒天長さ8寸のものと、毘沙門天長さ1尺2寸のもの二体を刻し、もって其の左右に安置し尚本堂を今の地に移した。
 其の後、中古に至ってしばしば野火にあいましたが、幸いにして本尊の安泰を得、法澄連綿として現在に至っております。
 虚空蔵菩薩は丑・寅生れの一生一代の守り本尊であり、鰻は虚空蔵菩薩のお使いの魚で絶対に殺生しないことになっております。
    略

 鳥居です、赤い鳥居を一の鳥居とすると二の鳥居でしょうか

 参道を進んで直角に左に曲がると山門が見えて来ます

 山門(仁王堂)です

 阿形像です、手前に願い事を書かれ吊るされているのは「仁王玉」と言うようです

 吽形像です、対面するように内側を向いています

 山門東側に鐘楼です

 池の中には、美貌・良縁の神様「美人弁財天」です

 子安観音堂です

 手水舎の龍の口から出ている水は、七不思議の一つ⑥「黄土山黄金水」です。
 行基菩薩が黄土山頂で秘法を行い、地に錫杖をシャンシャンと三度つき湧き出た水で無病息災の水です。現在でも遠方より多くの方々が黄金水を汲みにいらっしゃいます。

 本堂です

 本堂前の「なで虎」です、少し痩せてしまっていますね~

 「なで丑」です

 渡り廊下の先に「弘法大師堂」です

 七不思議に一つ③「一夜の松」は枯れた幹が保存されています
 江戸時代、本堂のお屋根替えの時、邪魔になるため切ろうと決まった日の夜。
 当時の住職の夢枕に虚空蔵菩薩様が立ち「邪魔にならぬようにしてやるから、幾久しく大切にする様に」といわれました。朝見ると反対側に幹がぐにゃりと曲がっていました。

 七不思議の一つ②「雫の桜」です、こちらも枯れてしまった幹が保存されています
 葛西公の奥方が追われて落ちて行く時、「しだれ桜」の鉢を割り植えて行きました。
 晴天の日でも葉先からしずくを落とし、それがさながら奥方を慕う涙か、はたまた奥方の悔し涙かと言われています。
 現在は枯れてしまって幹のみとなっています。

 七不思議の一つ⑤「片葉のよし」は案内板だけです
 仁王門をくぐると左手に小池があります。
 この池に今のかねつき堂の所を通り本沢より真直ぐに沢を堀り水を注いだのは、今から200年程前のことです。
 この沢に生えたよしは、一方にのみ葉が生じて、さながら本堂に頭をたれたように見えたということです。
 大伴家持の庵の跡に生えたといわれており、現在は残念ながら耐えてしまいました。

 黒焦げになった幹が保存されています

 七不思議の一つ①「玉こぶのケヤキ」です。弘法大師が密行を終え、ケヤキの枝を折り、この地にさして去りましたが、活着し亭々として成長したと伝説のあるケヤキです。
 イボ取り、こぶ取り、縁結びに霊験新たなりとして信仰されており、縁結び絵馬で願うと恋が成就の御利益がございます。
 *残念なことに、平成18年に放火により焼けてしまいました

 残り二つは観ませんでした、⑦子育ての松も切株になっています

 では、境内の木々(天然記念物)を見て行きましょう

 2023年4月5日午前8時訪問です
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宮城県登米市、津山町横山上の山「宇南の大イチョウ」(市指定)です!!

2023-04-29 12:33:20 | 巨樹・大木
 津山町横山上の山地区は、登米市役所津山総合支所の東北東約6kmのところ

 登米市役所津山総合支所前から県道61号線を東へ、南に向かって国道45号線を左(東北東)へ道成りに進みます

 約5kmの横山郵便局手前(大萱沢渓流公園→案内板有り)を左(北)へ入ります

 丁字路を右(東)へ進むと間も無く左手にイチョウの木が二本見えて来ます

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 アップにして撮影してみました、右に細いイチョウと左に陰になって太いイチョウが確認できます

 イチョウの南側に遊歩道の入り口が在ります

 手前の細い方のイチョウです

 東側から、根元には枝をはらって薪状にしたものが積まれています

 南側から、足元には銀杏がたくさん落ちていますので雌木の様です

 西側から

 天然記念物標柱です
  町指定文化財 宇南のイチョウ
   樹種 イチョウ(イチョウ科)雄・雌 2本
   樹齢 推定約400年
   樹高 約30m 樹周3.9m・3.0m


 スギの根元に祠です

 東側から見上げました、足元には沢山の銀杏が落ちていますが、こちらは雄木のはずですが違ったのでしょうか


 北側から

 西側から、ひこばえが大きくなって枝が徒長しているようです

 南東側から、乳柱は共に確認できませんでした

 南側から見ました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月5日午前7時20分訪問です
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宮城県登米市、津山町横山本町「横山不動尊」です!!

2023-04-29 06:29:43 | 文化財・寺社
 津山町横山本町は、登米市役所津山総合支所の東北東約5kmのところ

 登米市役所津山総合支所前から県道61号線を東へ、南に向かって国道45号線を左(東北東)へ道成りに進みます
 
 約4.4kmで津山町横山信号を案内板に従って左(北)へ、間も無くに左(西)へはいると広い駐車場に入りました

 では、境内の紹介です


 参道入口です

 東北自然歩道「新・奥の細道」の説明版です
   杉香るもくもくの道
 天神山中腹に林業センターがある、そこから山に登ると眼下に北上川や市街地が一望できる。南沢川に沿って進むと、もくもくランドに到着。
 更に国道に出て、青銅五重塔やうぐいす生息地のある横山不動尊へと向かう。
 そこから県道に入ると伊達小次郎の眠る右年山と菩提寺長谷寺がみえる。右年山を登ると小次郎君の墓、忠臣小原縫殿之助の墓がひっそりと立っており、参道には多くの吉野桜が咲き乱れて乱世を想い起させる。
 *伊達小次郎(伊達政通)は、伊達政宗の異母弟で正宗との兄弟対立の末に誅殺されてとされています。


 鳥居です

 参道を進みます

 手水舎です

 楼門形式の仁王門です

 阿形像です

 吽形像です

 仁王門を潜ると池の向こう側に本堂が見えます、池の周りの桜はまだ咲き始めです

 文化財案内板です
  種別  天然記念物(国指定)
  名勝  横山のウグイ生息地
  所在地 宮城県本吉郡津山町横山
  地域  5番大徳寺境内
 中川と北上川の合流点から中川と権口川との合流点までの河川敷
 久保川と中川の合流点から久保川と水木川の合流点までの河川敷
   昭和10年8月27日 指定
   昭和32年2月22日 追加指定
     津山町
 *ウグイ(鯎)はコイ科の魚ウグイ属の基本は淡水魚で、海に下るものもいて「マルタウグイ」と呼ばれ50cmにもなる。
 *ウグイの生息地としては、福島県柳津町の「柳津ウグイ生息地」と「横山の鯎生息地」が国天然記念物に指定されています。

 境内の池も「天然記念物 鯎生息地」です

 池の反対側(北側)から、中島の薬師堂です

 本堂です

 国重要文化財の不動明王像説明版です

 本堂東側の銅製五重塔です、桜が綺麗です

 南側から見上げました

 説明版です
   横山不動尊青銅五重塔の縁起
 1,完成年月日 明和3年(1766)5月15日
 2,建立発願者 鐡山策牛和尚
 甲州信光寺の僧、鐡山策牛和尚は、大徳寺にきて40年間も仕えた。この間、浄財を集めて、十六羅漢を作ったり、常夜灯を設置したり、木魚などの法器を寄付させたりし、さらに五重塔の建立を発願し努力した。しかし、完成を見ることなく明和2年(1765)6月3日亡くなった。行年73才、塔の後ろに葬られた。
 3,志を継ぐ 大徳寺14世、日相運明大和尚が事業を引き継ぎ、明和3年5月完成、6月3日鐡山和尚の一周忌に落慶供養式を挙げ、塔の後ろに鐡山和尚の供養塔を建てた。
 4、五重塔の概略 全景の高さ   536.31cm
          青銅部分の高さ 354.51cm
          石の基座部分  167cm四方・高さ180cm
          費用   二千切650文(現在の額で約6000万円)
 形態は荘厳優美、鋳造技術や建築意匠は抜群で、江戸中期の青銅造りとして異色があり、建築学上、貴重な塔といわれている。
 5,製作者  仙台の鋳工師 高田定四郎慈延
               早山彦重郎春次
               早山八重郎一次
 6、宮城県教育委員会、昭和32年(1957)1月16日重要文化財として指定
 7、俳句に詠われる 「秀明菊の うす紅の上乃 五重塔」省吾
   (昭和28年8月6日、詩人白鳥省吾先生が来て詠まれた)
 8、句碑  平成2年5月25日 建立
    津山町教育委員会

 では、次へ行きましょう

 2023年4月5日午前6時30分訪問です
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宮城県登米市、津山町横山本町「横山不動尊の木々(市指定)と千年杉」です!!

2023-04-28 18:35:29 | 巨樹・大木
 津山町横山本町は、登米市役所津山総合支所の東北東約5kmのところ

 登米市役所津山総合支所前から県道61号線を東へ、南に向かって県道45号線を左(東北東)へ道成りに進みます
 
 約4.4kmで津山町横山信号を左(北)へ案内板に従って間も無く左(西)へ、広い駐車場に入りました

 参道入口です

 山門を進むと楼門形式の仁王門です

 山門を潜って池の左側(西)のスギ並木(天然記念物)を南側から見ました

 根際が繋がった古木です

 西側から

 東北東側から

 北側から見ました

 社務所前(スギの北側)にはカシの木です、西側からこれが天然記念物に指定されているか分かりませんでした

 南側から

 南東側から見ました


 境内北東側の奥の院(本宮)登り口の案内板です、奥には「千年杉」が在るようです

 右端には次に行く「宇南の大銀杏」の名前が見えます

 奥の院登り口に目立つ三本の杉が在ります、真ん中のスギが一番太いようです

 説明版です
  津山町指定文化財
    横山不動尊のスギ(スギ科)
 スギは日本特有の植物で、和名のスギは、すくすくと伸び幹が直立していることに由来するという。
 さて、不動尊のスギの木立は本堂に向かって、左方の池の近くに8本繁っている。
 また、本堂右側の拓魂碑を取り巻くように、23本の老木が杉並木を作っている。
 一方、奥の院にもスギの大木があるが、境内のスギとは対照的に極めて男性的な樹姿を呈している。
   推定樹齢300年~400年 幹周3m~3.6m 樹高40m~45m
   津山町教育委員会

 南東側から見ました

 では、天然記念物には属していないようですが「千年杉」へ行ってみましょう

 奥の院へのう回路を行きます

 杉林の奥に一際大きな幹が見えます

 東へ回り込みます

 千年杉です、目通り幹囲約5m(目測)の巨木です

 北側から

 北西側から見ました

 奥の院のスギも見たいところですが、ここで戻ることにします

 では、次境内を見て行きましょう

 2023年4月5日午前6時30分訪問です
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宮城県登米市、津山町横山本町「大徳寺のイチョウ」(市指定)です!!

2023-04-28 12:30:06 | 巨樹・大木
 津山町横山本町は、登米市役所津山総合支所の東北東約5kmのところ

 登米市役所津山総合支所前から県道61号線を東へ、南に向かって県道45号線を左(東北東)へ道成りに進みます
 
 約4.4kmで津山町横山信号を左(北)へ案内板に従って間も無く左(西)へ、広い駐車場に入りました

 駐車場から境内を見ました

 参道入口です

 六地蔵様です

  本堂です

 本堂の西側の目的のイチョウです

 東側から、樹冠の枝は整理されてしまっています

 説明版が倒れてしまっていましたので、立てておきました
  津山町指定文化財
    大徳寺のイチョウ(イチョウ科)
 本樹は本堂に向かって、左側の境内に繁っている。太い主幹はまっすぐに伸び、特有のみごとな樹皮を呈している。
 イチョウは一般的には土性を選ばず、また耐火性や耐寒性も強いので、古来寺木として栽植されている。
 この樹は墓参道の上り口に生育しているが、広壮な本堂とマッチして、四季折々のすばらし景観をつくっている。
 秋には沢山の実をつける。
 推定樹齢 480年、樹高 約35m、幹周 4.18m
    津山町教育委員会
 *樹高は、約25m程に切り詰められています


 北東側から

 南側から
 
 南西側から見ました

 シダレザクラが満開の時期を迎えています

 黄色い花は、レンギョウです

 では、次は隣の横山不動尊へ行きましょう

 2023年4月5日午前6時25分訪問です
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宮城県石巻市、北上町女川大峯「二本杉(夫婦杉)」(市指定)です!!

2023-04-28 06:53:55 | 巨樹・大木
 ここからは、2023年4月5日取材分です

 石巻市北上町女川大峯地区と登米市津山町横山野尻地区の境界に二本のスギ(夫婦杉)が在ります

 そこは、かつての追分(村境)です

 今回は、登米市側(北側)から入りました

 登米市役所津山総合支所前から県道61号線を東へ、南に向かって県道45号線を左(東北東)へ道成りに進みます
 
 約3.9kmで南沢川の橋の先を右(南東)へ、県道64号線です

 約3.8kmで三叉路を右(南西)へ、ここから急な山路になります

 道成りに頂上まで約1.5kmです


 ヤマザクラの植樹記念碑です

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 旧峠道の先、溝状の峠の両側に目的の夫婦杉です

 峠を越えて下り始めて最初の左カーブの右側に標柱が建っています

 文面には・・・これらの杉は「二本杉」と呼ばれ、この一帯屈指の大木です。かつてはこの木の間に山道が通っており、古くから名木として知られています。

 山道を進みます

 東側のスギです

 左側の杉です

 下から右側の杉を見上げました、目通り幹囲5mの巨木です

 西側下から、根が露出しています

 北西側かた見上げました、木の東面の表皮がはがれてしまっているようです


 大枝が折れて、表皮と共の倒れています、枯れないでほしいものです

 *山梨県甲州市勝沼町菱山の三光寺の大スギも台風で大枝が折れて表皮がはがれてしまっても立ち続けています
 このブロ2018年12月4 日に「三光寺のスギ」が大変なことになっていました!!で紹介させていただきた杉のように、今も傷跡をさらしながらも立ち続けています。
(2023年3月のGoogleマップのストリートビューで確認できます)


 左側の杉です、目通り幹囲4mの大木です

 東側下から

 北東側下から見上げました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月5日午前6時訪問です
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宮城県登米市、登米町小島西針田「愛宕神社・針田の子持杉」(市指定)です!!

2023-04-27 18:31:55 | 巨樹・大木
 登米町小島西針田地区は、登米市役所の南東約8km、登米市役所米山総合支所の方北東約6kmのところ

 登米市役所米山総合支所前から県道15号線を東へ道成りに約7km進みます

 県道230号線との交差点の南西側に愛宕神社が東向きに鎮座します

 用水路脇の境内入口に車を止めさせて頂きました

 鳥居です

 説明版です
  愛宕神社
〔所在地〕登米町針田
〔創建〕 元亀年間(1570~1573)葛西晴信勧請(葛西氏17代)
〔祭神〕 火産霊命(火之迦具土神)
〔祭日〕 陰暦4月24日・9月24日
〔由緒〕 本社は、もと東針田現在の三峯社地に
 愛宕神社は今から444年前の元亀2年(1571)頃に、葛西17代晴信公が東針田の山腹に勧請しましたが、18年後の天正17年(1589)豊臣秀吉の小田原への参陣命令に従わなかった葛西氏は滅ぼされます。
 よって寺地城下一帯は無人状態となって荒廃し、愛宕神社も朽ち果てておりました。
 15年後の慶長9年(1604)今から411年前、荒れ果てた地に登米伊達氏初代宗直公が水沢より移封となり、地域氏子により再興。
 明治13年(今から135年前)現在地、西針田子持杉の上、数壇山の景勝地に遷宮し、明治16年旧4月、京都嵯峨の愛宕本宮から分霊を勧請しています。その後、大正9年4月12日山火事により焼失し地区氏子の絶大なる賛助により再建。同10年旧4月落成となり、昭和45年屋根を赤瓦葺きとし、昭和60年には社務所の新築が行われました。
  子持杉(子持杉観音)と数壇山の由来
 数壇山の麓に、元文5年(1740)に植えられたと伝えられている杉の大木が並んでいます。
 一本の親杉に枝葉が繁茂し植元より西方向に一列に12本生えていました。
 しかし現在は6本となり生息しています。このような事から「子持杉」と呼ばれるようになったと伝えられています。
 子持杉の傍らに2尺四方(60cm)のお堂があり「子持杉観音」として祭られ、子宝に恵まれない人達は、この「子持杉観音」に願をかければ、成就すると言われ厚く信仰されてきました、観音堂も平成25年東西針田総代並びに氏子より多大なる浄財を賜り、大修復を行い、同年10月落成となりました。
 又、数壇山は天正18年(1590)豊臣秀吉の奥州仕置きによる、葛西一族滅亡の首級(死骸)及び兵具類を山の上に埋め、数多くの塚を築いたのでこれを数壇と言います。
 昭和30年代頃まで、数か所の塚(土盛り)が確認されており、畑や林などから矢じりや錆びた刀等が沢山出てきたと言われております。
   平成26年12月  針田愛宕神社総代


 鳥居の北側に目的の子持杉です

 鳥居脇に標柱が有ります、杉の文字がコンクリトの束石に埋まっています

 東側からこの6本(1本は切株状態)全てが子持杉と呼ばれているようです

 急な石段を上りましょう

 登り切った境内を見ました、拝殿はまだ先です

 拝殿です

本殿です

 では、次へ行きましょう

 2023年4月4日午後4時50分訪問です
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宮城県登米市、米山町桜岡江浪 「長源寺のサルスベリ」(市指定)です!!

2023-04-27 06:29:55 | 文化財・樹木
 米山町桜岡江浪地区は、登米市役所の南約9km、登米市役所米山総合支所の東約2kmのところ

 登米市役所米山総合支所前から県道15号線を東へ、迫川を桜岡橋で渡ると間も無く左手に大きな墓地が見えて来ます


 長源寺入口です

 左右に駐車スペースが有ります

 楼門形式の山門です

 説明版です
  長源寺に沿革
 当山は、曹洞宗 法郷山 長源寺と号し、釈迦牟尼佛を本尊とする、古来開運厄除の霊札であります。
 慶長5年(1600年)磐城国角田庄長泉寺11世琴菴政文大和尚を開山とし。
 正保元年(1644年)遠田郡西野村西野館主白石若狭宗貞公の牌所となり、寛文2年(1662年)白石家没落の後は、宗家登米寺池館主伊達式部村直公の菩提所のなり、爾来、法灯今日に至っております。
 尚、この山門は、本寺3回の火災も免がれ、中世に建造物として昔の俤を今日に伝える重要文化財であります。
 この門は、古代城跡乗馬館にあった、白石貞弘公の城門を移築したものと伝えられています。
 又、境内の大傘松は、宗貞公御手植えで樹齢400年以上と推定され「茂林の松」と称し親しまれています。
 当寺の開基の白石若狭守宗貞公は登米寺地城主伊達宗直公の長子である。

 山門を入ると参道左手に目的のサルスベリ(百日紅)です

 長源寺のサルスベリ」の標柱です
 文面は・・・慶長15年長源寺が建立されて時に、乗馬の館(現在の新城山)から山門が移築された。
 その時、一緒に移植されたものと言い伝えられている。
 江戸末期に一度落雷にあって「ひこばえ」3本が出て現在の大きさになっている。

 「ひこばえ3本」から伸びたと言い伝え通りに、中心が無くなって輪型に幹が立ち上がっています

 西側から

 南西側から

 東側から

 西側に鐘楼です

 本堂です

 では、次へ行きましょう

 2023年4月4日午後4時30分訪問です
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宮城県登米市、米山町中津山明神山「網場神社の御神木親子銀杏」(市指定)です!!

2023-04-26 18:29:31 | 巨樹・大木
 米山町中津山明神山地区は、登米市役所の西南西約8km、登米市役所米山総合支所の西約3kmのところ

 登米市役所米山総合支所から県道198号線を北西へ、約400mで左(西南西)へ田圃の中の直線道路を進みます

 約2.1kmで佐沼警察署中津山駐在所が在ります、約200mを右(北)に入ると

 約300mで綱場神社が南南東向き参道で鎮座します

 鳥居の少し先から右の境内に車を止めさせて頂きました

 綱場神社社號標です

 境内に入ると左右に馬櫪神などの石碑が並びます
*馬櫪神(ばれきじん])は、馬の守護神・両足で猿とセキレイを踏み,両手に剣を持った姿が描かれます。
 うまやの神、馬櫪とは飼葉桶、転じて厩(うまや。馬小屋)を表わし、馬の守護神ということです。
 馬の産地や農耕に馬を使用していた名残の様です

 境内社です、狐の置物が在りますので稲荷社の様ですね

 境内中央に目的のイチョウです

 南側から、しめ縄が巻かれています

 南東側から、目通り幹囲5.4mの巨木です

 「御神木親子銀杏」の標柱です

 東側から、たしかに太い幹に細い幹が寄り添う様に親子の様です

 北側から、あららもう一本子供の様な幹が立って居ます

 西側から見ました

 拝殿です


 本殿です

 本殿西側にも境内社です、こちらにも狐の置物が祀られていました

 では、次へ行きましょう 

 2023年4月4日午後4時5分訪問です
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宮城県登米市、米山町中津山「明神前の皀莢(サイカチ)」(市指定)です!!

2023-04-26 12:58:49 | 巨樹・大木
 米山町中津山明神前地区は、登米市役所の西南西約8km、登米市役所米山総合支所の西約2.5kmのところ

 登米市役所米山総合支所から県道198号線を北西へ、約400mで左(西南西)へ田圃の中の直線道路を進みます

 約2kmで、左手に中津山小学校が有ります

 小学校東側道路に信号を左折しての中津山専用グラウンドの駐車スペースに車を止めさせて頂きました

 小学校前の信号機の北東側の門の左に大きな幹が見えました

 南側から、目通り幹囲5.7mの巨木です

 南西側から、大枝は電柱の邪魔に成って伐られてしまったようです

 信号機を渡って東側から見上げました 

 登米市立 中津山小学校です(小学校北側歩道の西から見ました)

 では、次へ行きましょう

 2023年4月4日午後2時15分訪問です
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宮城県登米市、米山町中津山鍛冶屋敷「松壽院のイチョウ」(市指定)です!!

2023-04-26 06:30:05 | 巨樹・大木
 米山町中津山鍛冶屋敷地区は、登米市役所の南南西約9km、登米市役所米山総合支所の西約4kmのところ

 登米市役所米山総合支所前から国道346号線を南西へ、約1.8kmで右(西)へ県道15号線です

 道成りに約2.8km信号を鋭角に右(北東)へ県道199号線です

 間も無く左手に大きな墓地が見えて来ます

 
 参道は東南東向きに開いています

 参道北側の駐車場に車を止めさせて頂きました


 中津山 松壽院の標柱です
  文面は・・・開創由来
 寺伝に依れば慶長年中(1596~1614)、仙台覺範寺開山虎哉禅師に有縁の僧・益翁和尚がこの地に草庵を結び、中津山普門寺と称していた。
 元和年中(1615~1623)、涌谷領主伊達安芸宗重公の叔父・亘理備後重次公が益翁和尚の徳風に帰依し、伽藍を造営したことにより、重次公を開基とする。
 重次公は、萬治2年(1659)逝去し、松壽院殿前備州一夢了醒大禅定門と号した。これを機に寺号が松壽院と改められる。
 本尊は釈迦如来坐像。本堂前観音堂に安置されている観音像は、重次公の室・清霄院殿月江浄心尼大姉の念持仏で寛永年中(1624~1643)の作と伝えられている。
 平成14年秋、値当山第11世承松和尚小祥忌之辰改其塔建立
     法類慈明小住謹誌

 参道を進みます

 参道北側に目的のイチョウです

 松壽院のイチョウの標柱です
 文面には・・・冬になり、イチョウの葉が全て落ちると、雪が降るという言い伝えがあり、毎年いっぱいの実をつける。
        近所に住む人達に、昔から親しまれている木である。

 南側から

 北西側から

 本堂です

 本堂南側に第3代横綱の墓です

 説明版です
   第3代横綱 丸山権太左衛門
 正徳3年(西暦1713年)遠田郡中津山村城内の芳賀家に生まれ、名を銀太夫と名付けられた。芳賀家は、仙台藩御一族の筆頭大立目家の陪臣である。銀太夫は、享保14年8月(西暦1729年)、伊達5代藩主吉村公の江戸参勤の共に加わり江戸に登り相撲界に入る。
 銀太夫は、丸山権太左衛門の四股名で、元文2年(西暦1737年)大関となり、以後大関、横綱と在位中、13年間に敗れたのはただの2回だけであったあとは負け無しの無敵ぶりであったと伝えられている。
 寛延2年11月14日(西暦1749年)、長崎市の梅園での相撲興行中に疫病になり13名に名医の治療もむなしく客死した。長崎市の皓台寺で葬儀を終え、一の瀬街道(長崎市本河内町)の墓地に葬られた。享年、37歳であった。
 郷土の松寿院には、遺髪と鏡が葬られたと伝えられている。当松寿院の丸山堂には、丸山権太左衛門が生前隣家山住家に土産として持ち帰ったと伝えられている「たもと石」と、生前、米搗き等に用いたと伝えられている「石臼」が保存されている。
 この丸山堂は、昭和22年(西暦1947年)丸山関の偉大なる功績を後世に末長く伝えたく中津山地区有志相謀り、丸山関没後200年の追善供養として建立されたものであるが、以来半世紀にもなり破損が甚しく、平成6年6月23日、先人方々の志を継承し丸山関顕彰会発足を期に堂の改修工事を行い、同年10月18日には丸山堂移転復元落慶法要が行われている。
    平成7年4月14日  米山町教育委員会 米山町文化財保護審議会


 庫裡東側墓地前のサクラは満開ですね

 では、次へ行きましょう

 2023年4月4日午後3時50分訪問です
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宮城県大崎市、田尻蕪栗「熊野神社のボダイジュ(市指定)とイチイ」です!!

2023-04-25 18:32:53 | 文化財・樹木
 田尻蕪栗地区は、大崎市役所の東北東約15km、大崎市役所田尻総合支所の北東約5kmのところ

 大崎市田尻総合支所前から県道15号線を北へ、JR東北本線を陸橋で越えて東へ道成りに進みます

 陸橋から約1.2kmの田圃の中で左(北)の道へ、道成りに進んでやがて東へ進むと県道29号線です

 すぐ先の「青木ガラス店」の先で県道29号線を右(南)へ分けて直進します

 約800mの変形十字路を左(北東)へ、約500mで蕪栗(かぶくり)簡易郵便局の直ぐ先に


 南向き参道で熊野神社が鎮座します、鳥居脇のサクラは満開です

 鳥居には三角形の石の額が懸けられています

 鳥居を潜って参道を進みます、赤いニノ鳥居の手前を左に下って境内に車を止める事が出来ました
 

 参道は一度下りになります、参道脇にはスギの大木です

 合体木の様ですが、目通り幹囲3.5m(目測)の大木です

 熊野神社山門でしょうか、桟敷のようになっています

 石段左に太い幹が見えます

 「熊野神社のイチイ」の標柱です
 文面は・・・地上1mのところで幹囲2.15m、整枝はしているが樹勢衰えず、樹高13mである。
       仙台藩主5代伊達獅山公が享保19年(1734年)7月23日、参詣記念にボダイジュ・サクラともにお手植え奉納されたと記録にある。

 境内面(社殿面)に上がって西側から

 南西側から見ました、北西側に傾いています


 拝殿です

 本殿です

 境内東端に目的のボダイジュです

 南西側から見ました、根元は二株に分れています

 「菩提樹」の標柱です
 文面は・・・仙台藩5代藩主吉村公(獅山公)幼児先師を慕い、この地に来て熊野宮に寓居修行したと伝えられ、後太守となられている記念樹として社殿前方にある(イチイ)とともに御手植奉納されたものとつたえられている。

 ボダイジュの脇には、山神の石碑や供養塔・庚申塔・板碑が集められています

 奥側には境内社です

*地区のすぐ北側には、迫川(はさまがわ)の支流小山田川の作る遊水地の「ラムサール条約指定湿地・蕪栗沼(かぶくりぬま)」が広がっています

 では、次へ行きましょう

 2023年4月4日午後3時訪問です 
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