悠々人生

気が多すぎて「時間破産」状態。もっとゆっくりとした人生が目標です。

畑のスナップ

2011-05-21 19:49:41 | Weblog
 通勤で駅に向かう人から「今日はなに?土曜日なのに学校?」といわれるが、父兄の参観で児童は登校日。朝の見守りをする。当然月曜日が振り替え休校となる。そこで今日は月曜日の時間割で授業となり、下校は4時近くになるが帰りのスクールガードはなし。

 午前中の3時間を畑の草取りに使う。葉物の伸びも早いが、雑草の勢いも気温の上昇とともに早くなる。3~4日あけてしまうと草だらけ。小さいうちに抜いてしまえば楽だ。


青虫がいっぱいのキャベツ。農薬を一切使っていなければ虫食いの跡があるはず。写真の1個から多いときは10匹近い青虫を取る。店で売っているきれいなキャベツがいかに農薬漬けかが分かる。外側の葉を捨てて持って帰ってもまだ青虫が付いているときがある。


手前がねぎ、右側はジャガイモと玉ねぎ。間もなく取り入れだが元気に育っている。ジャガイモには最後の追肥と土寄せをする。


反対側から見た畑。手前が大根。茂りすぎなのがお分かりだろう。これから1本おきに抜いていく(間引いていく)。左のアンドンに入っているのがキュウリ、その手前がナス。その周りにレタス、ピーマン、オクラ、ミニトマト、そしてほうれん草と小松菜が並んでいる。

 明日は雨の予報。キュウリ、ナス、ニンジンに水をやらないですむので私には恵みの雨だ。
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交通安全移動教室

2011-05-20 19:06:16 | Weblog

校庭に座って警察官の話を聞く1年生
後ろ中央に見えるのは移動交番車

 晴れたのでグランドで交通安全移動教室を開くことができた。体育館が使えないので雨だったら教室でビデオと話だけになるところだった。主催は教育委員会でその要請で私たちは参加したのだが、今年は警察の移動交番が前面に出てくれたので説得力がありよかった。

 児童にとってはやはりおまわりさんからの話に興味がある。グランドに石灰で引いた横断歩道を「右を見て、左を見て、もう一度右を見て、そして車が止まったら手を上げて渡る」ことを指導してくれる。 


実践をする1年生。警察官と我が推進隊の仲間も
協力している

 下校時のスクールガードも担当だったが、横断歩道を渡るときに手を上げることができない児童がいる。私たちが「手を上げて!」といってやっと実行する。恥ずかしさもあるのだろう。一人で信号のない横断歩道を渡るときに実践してくれれば良い。


警察官とのやくそく。「いかのおすし」

 今年の1年生は1名転入があって52名になったが、朝の挨拶はしっかりとできる。人数が28名と少ないのに、朝の挨拶ができない児童の多かった去年との差はなになのだろう? 

 交通安全とは直接関係はないが、女性警察官と約束した「しらないひとについていかない」「しらないひとのくるまにのらない」などの「いかのおすし」をしっかりと守らせ犯罪に巻き込まれないようにしていきたい。
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大災害の歴史(その2)

2011-05-19 20:00:37 | Weblog
 東日本大震災が1000年に一度といわれているのは、今回と同じ東北地方で869年に発生した貞観(じょうかん)地震を基準にしている。貞観地震も津波の被害が大きかったらしい。当時の「日本三代実録」によると溺死者は1000人を越えたとある。当時の人口は500万人と推定されているので、現代でいえば2万人規模だという。

 この時代も850年から40年の間に全国で大地震が起きている。マグニチュードで表現する時代ではないのでそれぞれの大きさを数字で知ることはできないが、文章による記録で大きさを推測している。

 山形、富山・新潟、東北沖、関東(相模、武蔵)、出雲、京都、それと平安京に大きな被害を出し、大阪湾を津波が襲った西日本地震と西日本地区でも発生している。またこの間、富士山や八ヶ岳に阿蘇山、鳥海山、開門岳などが相次いで噴火している。地球が活発に活動している時期だったのだろう。

 貞観地震後に東北地方では人々の住む場所が大きく変わったという。今回も大津波に耐えるまちづくりが期待される。大きな災害では命のはかなさ、無常を感じるが、貞観地震後には阿弥陀仏などの浄土信教にすがりつくようになったという。東日本災害でも宗教に拠り所を求める人が増えるのではないか、良いことだと思う

 安政年間(1854年~1860年)までの1000年にも大きな地震は起きているのだろうが詳しいことは分からない。いずれにしても大地震が続くこともあることを心しておく必要があるのではないだろうか。

                      (読売新聞の記事を参考にしています)
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大災害の歴史(その1)

2011-05-18 19:55:36 | Weblog
 一時は頻繁に入っていた緊急地震速報が携帯電話に入らなくなりました。千葉で震度4以上の余震がほとんどなくなったからでしょう。これで終息と思いたいところですがそうはいかないようです。

 弟が出版社に勤めていたので割引で「江戸博物館」(1万円もするのです)を買いました。本来必要なときに図書館で見れば十分なものです。案の定積読でした。新聞で江戸時代に大きな地震が続いたことを知り、久々に開いてみました。

 江戸時代300年に震度7以上の地震が26回も発生しています。しかも地域は全国にわたっています。八重山、宮古群島地震(1771年=明和8年)ではM7.4で津波も発生して10,000人以上が亡くなっています。

 気になるのは1854年(安政元年)に伊勢・伊賀・大和地震がM7.25、同じ年に東海・南海で地震(M7.4) が続いているのです。しかもです。翌1855年には江戸でM6.9の安政江戸地震が発生しています。

 200年以上も前にマグニチュードを現在と同じレベルで正確に測れたのだろうか、という疑問もあるのですが、とりあえず信じることにします。要は大地震が続いたということは間違いないでしょう。

 その地震が続いた安政元年に、佐倉の殿様で大老の堀田正睦公が活躍するのです。復旧、復興の具体的なことは分かりませんが、震災後の困難を強い決断力と実行力で復旧させたといいます。

 同じく大老の安部正弘と一緒の活躍ですが、大災害のときにしっかりとしたリーダーが必要なのは当時も同じだったのですね。いずれにしてもまだまだ油断してはいけないことを、歴史は教えてくれているのではないでしょうか。
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節電

2011-05-17 20:07:30 | Weblog
 5月分の電気使用量は前年同月比(日数も同じ)でほぼ20%削減しました。2人家族で274kwhが多いのか少ないのかは分かりませんが、単月では目標達成です。ケチケチムードで電気を減らすようにしていますが目標があると結構楽しいものです。

 テレビをセーブモードに設定しましたが画像の変化は気になりません。外出するときはコンセットを抜きますので時刻表示ができません。でも朝や夕方の時刻はテレビ局が画面表示していますので不便は感じません。

 とりあえず必要のない照明は消しておきます。必要に応じて点ければよいのですが、一つ辛いのは玄関灯を消していることです。防犯委員の立場からは点けておきたいのですがほとんどの家が消灯しています。

 家の前の通りには街路灯があるので助かりますが、我が家だけ外灯をつけるのは”非国民”のような気がするのです。青パト車のアナウンスも夜間の点灯を呼びかけるCDは使わずに、内容を変えてマイクでしゃべります。

 手をつけられないものにパソコン用のモデムがあります。パソコンだけではなく電話もIPにしているのです。利用代金は全国どこへでも3分8.4円で掛けられる便利さがありますが、モデムを通さなければなりません。

 停電になったら通話不能なのです。もっともNTT回線に切り替えはできるのですが、毎日その作業をするのは大変です。したがって24時間スイッチオンです。大きな課題はクーラーです。

 私はあまりクーラーが好きではないので、昨年も高めの28度設定でした。できるだけ扇風機で我慢したいとは思いますが、我慢しすぎて熱中症では困ります。市の公民館は29度設定だと聞いていますので、我が家ももう1度引き上げてみようと思います。

 これからも前年比20%削減を目指します。
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マイタウン・ダイレクトバス

2011-05-16 21:34:14 | Weblog
 ユーカリが丘から東京駅までの高速バスが今日からダイヤ変更となり、上りが1便増発となりました。あわせて「ユーカリが丘2丁目」停留所ができました。上りは我が家から100メートルの近さです。下り便の停留所はさらに近くて70メートルほどの所にあります。

 上り便の停留所は山万が設置している給電スタンドの前です。自動車の新しいエネルギー、電気を給電できる施設だというのが面白いところです。今日は間に合いませんでしたが、後日写真を掲載します。

 新しいバスの停留所は、雨のときでも走れば(飲んだ帰りは走れませんが)ほとんど濡れずに帰ることができます。便利にはなったのですが残念ながら東京に出る用事がないのです。バスに乗るために東京へ出るほどの余裕はありません。

 増便となった7時発は朝の見守りをしながら見送るのですが、始発駅からの乗客は5~6人です。他の便の乗車率は分かりませんが、客が少なくて減便にならないか心配していただけに、増便はホットニュースです。

 時刻表を見て一つ気になるのは、始発駅ユーカリが丘(宮ノ台)を0分に出発、次のユーカリが丘2丁目が2分というダイヤです。どう考えても約1.5Km、しかも信号が5つもあるので40キロ制限の道路を2分では走れません。

 秒単位を切り捨ててダイヤを表示するのかも分かりませんが、それにしても赤色灯でも点けて走らないと無理でしょう。どうでもよいことでしょうが今後のダイヤ表示が楽しみです。(嫌な性格かも?)

 私の友人でも下り便を利用している人が3人いますが「便利だ」と喜んでいます。私はほとんど利用はしませんが、便数の増えることは大歓迎です。

 
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畑でリフレッシュ

2011-05-15 20:30:59 | Weblog
 西部健康センターに8時半集合。9時半からの社協福祉委員会の会場準備である。新年度の第1回ということで130名と出席率が良い。率の高いのはうれしいのだが、会場が狭いので教室スタイルに並べた最後尾は机なしの椅子席となる。

 本来コミュニティセンターのホールを予定していたが地震の被害で使えない。日にちも会場が取れずに当初の14日開催が1日ずれた。もっともそれが幸いした。昨日だったがおやじの食事学同好会のパーテイと時間が重なり、どちらかを犠牲にしなければならなかった。

 新年度なので決算報告と計画案の承認を受けなければならない。私は今年度の事業計画を読み上げる役目を仰せつかった。A4用紙2ページ半もあるのでそれなりに時間がかかる。読めば分かるのにと思うのだが、承認を得るためには読み上げなければならないらしい。

 12時に終わって後片付け、急いで帰って食事。昼からはコミュニティセンター大会議室の、NPO法人クライネスサービスの定期総会に出席。クライネス会員としての参加なら聞いて拍手をするだけだから楽だと思っていたら、急遽佐倉防犯パトロールネットワークの会長代理として挨拶しなければならなくなった。

 一番嫌いな会合での挨拶、それも市長、警察署長に続いての指名、まいった。市長、署長とも話が上手で、とくに新任の佐倉警察署長は、原稿を見ずに犯罪発生数を5年前くらいからの数字を含めて話をする。その記憶力に感心する。もちろん私は原稿持参だが、何とか役目を果たすことができた。

 夕方は畑へ。疲れているときに気分転換するのは畑が一番。水をやったりスナップエンドウを収穫したりと、野菜を相手にしていると疲れが飛んでいく。
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おやじの食事学同好会のパーティ

2011-05-14 19:38:27 | Weblog
 おやじの食事学同好会の15周年パーティが12時半から駅前のホテルで行われた。会から89名、来賓も蕨市長を初めとして8名の方が参加してくださったので、97名の盛大な集いだった。私は来賓のうち社協関係の方4名をお迎えする係。

 社協の会長、まちづくり協議会の会長は余裕を持ってお見えになったが、社協の副会長は
2人とも民生委員を兼ねており午前中は1ヶ月に一度の会議だったので、開始ぎりぎりにやっと間にあった。

 社協とまちづくりの会長は自治会協議会の会議があるので会の途中で退席と皆忙しい。もっとも私も西志津おやじの会の定例会を欠席したのだが―。プログラムは会の歩みをプロジェクターの映像で振り返るのが主役、来賓の市長挨拶もいつもより短く、とてもよかった。


今日は何より短いことがよかった、市長の挨拶

 メーンは第2部の歌謡ショーだった。歌手は大木綾子さん。身体は小さいが浪曲師として芸能界に入っているだけに声量は素晴らしい。素人のカラオケとは格段の違いだ。もっとも失礼ながら大木綾子さんを私は知らない。

 パンフレットによるとNHKの歌謡コンサートなどに出演しているのだが、私は歌番組をほとんど見ないので分からない。秋元康作詞、羽場仁志作詞という持ち歌(雪の蝶々)もあるのだから売れているのかも分からない。


銀座かんかん娘をデュエットする市長

 テーブル席指定の着席スタイルだったがホテルのサービスもよく、飲み物を運んでくれるのでいつものことながら少々飲みすぎた。
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田植え

2011-05-13 19:27:25 | Weblog
 8時半から校庭で全校集会を行いスクールガードの代表が紹介された。体育館がまだ使えない。晴れてくれてよかった。


畑の先生Yさんから米作りのお話 PTAも参加

 田植えも一緒。雨だと月曜日に延びるが苗の管理が難しい。雨でも蓑着て笠着て田植えするのが農業の厳しさだろうが、学校の授業なので無理はできない。5年生48名全員が参加。初めにYさんから苗が上手くできれば稲作の半分は成功という苗半作の話がある。


苗の植え方講習 鉛筆を持つように……
  
 続いて植え方の指導。苗を鉛筆を持つように掴み土に2~3cmほどさして植える。真っ直ぐ植えるためにYさん特製の用具を使う。25cm間隔に小さな印をつけた紐を両畦から引いて、印のところに植えていく。

 子どもたちはその印3個分ずつを担当。植え終わると30㎝前進する。畑の両側から植え始め真ん中の出会うところで終了となる。その紐を移動し抑えておく係りを子どもと一緒にしたが、しゃがんでの作業だけに、腰の痛いこと。

 畑の草取りのようにマイペースでは進められない。それでも予定の1時間半で無地終了した。多少ジグザグになったり、子どもたちが田を出るときに折角植えた苗を踏んでしまったりしたものは、1週間ほどして田が安定したらYさんが植え直してくれる。

 今年も予定日に田植えをすることができたので、子どもたちは6月24日に草刈りを1回して9月21日の稲刈りを待つだけ。我々はその間数回の草取り作業を行う。今年も豊作を願うが、こればかりは天候次第。でも4ヶ月の楽しみだ。
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断捨離

2011-05-12 19:41:30 | Weblog
 エッセイを書こう会で合評したFさんの地震をテーマにした作品に、「彼女の家では、粘土人形が落ちて粉々になったそうだ。Kさんは『この際、断捨離よ』と、きっぱりと言ったが……」とある。

 私は「断捨離」を読めないし意味も分からない。広辞苑の第六版には出ていない。質問しようと思っていたら男性会員のkさんが「なんと読むの」と聞いてくれた。Fさんから「ダンシャリと読むこと」意味は「不要なものを捨てて、シンプルに生きよう」ということだと教えられた。

 kさんは「物だけではなく人間も含んでいるのでは?」と冗談混じりに聞いた。もちろんFさんはそんなことはないということだったが、私もよく言われる定年後の離婚も含まれると受け止めた。

 ネットで調べてみると断捨離についての本はいろいろとある。「新片づけ術断捨離」「断捨離のすすめ」「断捨離セラピー」そして「断捨離アンになろう―モノを捨てられれば福がくる」というのまである。

 Fさんの説明通り物の整理を言うらしい。Fさんは女性の間ではよく使われる言葉だというので、家内に聞くと知らないという。若い女性や熟年女性に使われているのだろうか。読み方さえ分かれば漢字の意味するところは理解できる。

 整理の苦手なことが私の一番の弱点。2日間続いた雨で畑は休業、自室を整理する気持ちになった。きれいにはなったが時間の問題、また溜める癖が元の木阿弥にしてしまう。
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