GOSEO BLOG

2-0が怖いのではない、お前達の勘違いが怖い

強くなれる理由を知った 僕を連れて進め

2020-12-31 22:27:04 | 日記

紅白歌合戦で鬼滅の刃の主題歌を歌詞付きで初めて聴いた。

 

「強くなれる理由を知った 僕を連れて進め」という歌詞は、なんとも不思議だと思った。僕を連れて進めというフレーズって今までなかったんじゃないか。俺についてこいではなく僕を連れて進め。この連帯の感じ、出しているのではなく出ちゃってるのだろうが、ちょっと泣きそうになった。


日記

2020-12-30 18:17:29 | 日記

この数日、早朝に座禅を組んでみた。

 

今は休み期間だしずっと家にいて外乱が少ないので心を落ち着けやすい。

 

まず最初に自分の呼吸に意識が向かった。意識が起きててどこかに向かっちゃってるようじゃ禅になってないと思うが、そうなのだから仕方ない。次に無の感覚が来ると、森田療法みたいだなと思った。人間、自然と何かしたいという心の動きは出てくる。ただこの何かしたいは自己欺瞞にとらわれるとすぐにおかしな方向にいってしまうので、アドラー心理学のやり口を使って立ち居振る舞いをメンテナンスしなきゃな、と思った。明日本読んでメンテナンスしよう。

 

意識が向かったり思ったり考えたりするのは禅と違うのかもしれないが、まあ少なくとも今一番自分の無意識に近いところの声を聴いたら上記だったのでそうしてみよう。


鬼滅の刃読了

2020-12-30 11:18:18 | 日記

9月末に途中まで読んでその時にも感想を書いたが、今回最後まで読んだので感想の続きを書く。

 

鬼滅の刃がここまで流行になったのは、日本の子供たちの無意識で共感できる何かがあるからだろう。子供たちの無意識をキックしてスイッチを入れた場面は第1話に出てくる。命乞いをする炭治郎に柱の冨岡義勇が言い放つ。

 

「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!奪うか奪われるかの時に主導権を握れない弱者が妹を治す?敵を見つける?笑止千万!!弱者には何の権利も選択肢も無い。悉く力で強者にねじ伏せられるのみ!!」

 

こえー、新自由主義。

 

この30年、日本で生まれるとこういうのが当たり前の世界で育つ。新自由主義と言っても日本人にとっては主義思想なんて所詮借り物のごっこ遊びのでたらめですから、子供の心に「なんか違う」がしんしんと降り積もる。その鬱屈を晴らす場面がいろんな形でたくさん出てくるのが鬼滅の刃ですね。これがヒットの理由と思っています。そのカタルシスの中でも一番舌鋒鋭いのが第157話。カナヲが敵の上弦の弐・童磨に対して言った言葉。

 

「貴方何も感じないんでしょ?この世に生まれてきた人たちが当たり前に感じている喜び、悲しみや怒り、震えるような感動を、あなたは理解できないんでしょ?滑稽だね、ばかみたい。ふふっ。貴方、何のために生まれてきたの?」

 

気持ちええ。言い放ちたいこれ、私自身が。

 

あとはよく言われていることでしょうが、この漫画の中では先輩(柱)が責務を果たすのがかっこいい。これは責務を果たしていない不甲斐ない我々世代への失望の裏返しで、氷河期世代はいつまでも引きこもってないで矢面に立って戦えということでしょう。


感情のS/N比

2020-12-26 20:55:10 | 日記

年末年始の連休に入ったものの、完全にオフにすると休み明けがしんどいので毎日短い時間アイドリング状態を維持するようにシゴトしている。

 

今日は些細な事で腹が立つシゴト案件があった。ただそれはあまりにも些細な事なので、それを気にしている自分の精神状態に何かあるんじゃないかと思ってちょっと考えた結果、暇だから些細なことに腹が立つんだということがわかった。言い方を変えると、感情のS/N比が高い。

 

S/N比とはシグナル(信号)とノイズの比率。オーディオの世界だとS/N比が高い、すなわちノイズに対して信号の比率が高いほうが音質が良いなどと言えるけども、S/N比は人の感情でも当てはまる。シグナルを喜怒哀楽の感情、ノイズを日々のやらなければならない雑用(感情のノイズ)と置き換えると、普段仕事をしている時はノイズが大きいのでシグナルがノイズにある程度埋もれてS/N比が低い。だから些細な事はあまり気にならない。

 

いまは年末年始の連休に入り、しかも外出できない環境で感情のノイズがとても小さい。そのため喜怒哀楽のシグナルがノイズに対して相対的に大きくなり(=感情のS/N比が高くなり)些細なことで腹が立ってしまう。暇だから細かいことでも気になって腹が立つんだろう。やっかいだ。

 

喜怒哀楽のなかの「怒」をあえて持ち出しているのはアドラー心理学風に言うと自分なので、あえてこれを持ち出すことで何かメリットを引き出そうとしてるんじゃないかと思う。そのメリットは良くわかってないが(どうせ些細な自己正当化だろう)、そういう構造だろうと思っている。こういうことがわかっているだけでも日々の生活が大分楽だ。

 

座禅を組むってのは感情のS/N比における分母のノイズを極力減らす試みなのだろう。そこで際立ってくるシグナルをどう扱うか。そう考えると禅はおもしろそうだな。どうせなら軽く座禅でもして立ち上がってくる感情のシグナルと向かい合ってみるかな、早起きして。ノイズが少ない今がチャンス。