燃えよ剣は以前文庫本で読んだことがあり今回ipadで読んで2回目。
私は日々仕事の際「どうなる」という言葉を使わず「どうする」という言葉を使うようにしている。受け身ではなく能動で動く意味で。この言葉の選択は橋本治の著書(本のタイトル忘れた)で読んでからするようになったのだが、今回燃えよ剣でも同様の箇所があったのが新たな発見だった。時系列では司馬遼太郎のほうが先か。
沖田はちょっとだまってから、
「新選組はこの先、どうなるのでしょう」
「どうなる?」
歳三は、からからと笑った。
「どうなる、とは漢の思案ではない。婦女子のいうことだ。おとことは、どうする、ということ以外に思案はないぞ」
あと土方歳三が最後に函館で死ぬとき、このままだと榎本武揚以下旧幕軍が降伏するのに巻き込まれると察してそれを避けるために自殺的な最後を遂げたということがわかった。わかったというか、そんな心情を本人はわざわざ記録に残していないから司馬遼太郎の創作だけれども、きっとそういう気持ちだったのだろうと思った。
次は世に棲む日々読む。
私は日々仕事の際「どうなる」という言葉を使わず「どうする」という言葉を使うようにしている。受け身ではなく能動で動く意味で。この言葉の選択は橋本治の著書(本のタイトル忘れた)で読んでからするようになったのだが、今回燃えよ剣でも同様の箇所があったのが新たな発見だった。時系列では司馬遼太郎のほうが先か。
沖田はちょっとだまってから、
「新選組はこの先、どうなるのでしょう」
「どうなる?」
歳三は、からからと笑った。
「どうなる、とは漢の思案ではない。婦女子のいうことだ。おとことは、どうする、ということ以外に思案はないぞ」
あと土方歳三が最後に函館で死ぬとき、このままだと榎本武揚以下旧幕軍が降伏するのに巻き込まれると察してそれを避けるために自殺的な最後を遂げたということがわかった。わかったというか、そんな心情を本人はわざわざ記録に残していないから司馬遼太郎の創作だけれども、きっとそういう気持ちだったのだろうと思った。
次は世に棲む日々読む。