橋本治が書いたおそらく最後の本であろう「父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない」を読み終わった。
´89で昭和が終わった、これからは自分の頭で考える時代だと宣言した橋本さんは、その後30年続いた平成でどのように発展?したのかなと、えらそーな立場で眺めるように読んでみた。
結局は風合いは変わってない、が第一印象。橋本治にとっての実践は時評ではなく小説・文学の世界だったのかな、だったら源氏物語や平家物語を読まなくちゃと思うものの、自分はやはり橋本治の時評ものを求めていることが改めて確認できた。本当は小説を読まなくちゃならないんだろうけど源氏や平家は老後に読めばいいと思う。時間かかるし。
我が身を振り返り「実践」で考えさせられるのは、今バキバキに実践に走るのが長岡藩で機関銃をぶっ放す陽明学の徒、河井継之助みたいになってしまうんじゃないかということ。あれは豪快に突っ走ったものの長岡の庶民に与えた被害は甚大だったと思う。でもそんなもじもじをやるべきことをやらない言い訳にしてはならないとアドラー心理学が言い、プラグマティズムのプラグは点火プラグのプラグだぜと内発と能動を発動させ会議でドビュッシーやサティを持ち出したのは更に勢いつけてやろうと、ナベプロ長岡藩でできる範囲で(ヒデちゃんレベル3による抑制)。と、自分用に書いておく。
実践。相変わらず日々テレビでは桜を見る会騒動等のバカらしさを見せてもらっているので、ああこれが宮台真司の言っていた「まかせてブーたれるから引き受けて考える」の契機なんだなと思って実務に励む。今後も終わり無く続くバカなニュースはすべてこれにつなげればいい。指導者はもう来ない。