精神的に余裕があるときじゃないと槇原敬之の歌が聴けない。内容が濃くて聞き流せないからと思う。
先日iphoneでランダム再生しているときに槇原敬之の「2つの願い」という曲が流れたので最後まで聴いた。最後まで聴けるということは少し心に余裕があるのだな、程度に思っただけだった。
今朝、風呂に入るときにふと2つの願いの歌詞が気になったので改めて読んでみた。そうしたらいままで思っていた内容と異なる解釈(意味)であったことに気づいてちょっと驚いた。というか、今までの私の解釈があまりにも貧弱なので笑ってしまった。
2つの願い 歌詞はこれ
私はこれまでこの歌を聴いてて、「2人の間にいろいろあったけど、これから一緒に映画でも観に行くんだろう」くらいにしか思ってなかった。歌詞を読むとこれは別れの歌だったんだといま気づいた。あほだ。
別れの歌だと気づいてから聴くとあれもこれもわかって楽しい。
まずイントロで「ウォーおおぅ おおぅ〜♪」って始まるのは心の叫びだったのね。気づかんかった。新聞でロードショー探すけどまだ迷ってるのは映画を何にするかじゃなく電話をするかどうかを迷っているのね。
二つの願いのひとつはこの僕が選ばなきゃ、ってとこは「僕が彼女に別れを告げる電話をする」ということですね。そう解釈してその後の部分「優しさを手に入れるときは 胸が少しだけ痛い」を聴くと切なくて泣けてきます。感傷的なメロディと相まって。槙原先生すごいっす。最後の、着替えをしてドアを開けたら雲間に日が射してたも良いっす。更に泣けます。
ちょっと考えればこの曲はこれから一緒に映画でも観に行くような曲調じゃないじゃん。イントロからウォーと悩んでサビはむせび泣くようにも聴こえる感傷的なメロディで歌詞にもいろいろと別れのキーワードがちりばめられてんじゃんかよ。私は歌詞を額面通り受け取りすぎててあほだった。
ここで言い訳をすると、槙原先生の歌は曲が良すぎるので歌詞までちゃんと聴いてないということがあると思います。あとは当たり前ですが歌詞の解釈は正解はなく自由なので人それぞれ楽しみ方がありますね。
先日iphoneでランダム再生しているときに槇原敬之の「2つの願い」という曲が流れたので最後まで聴いた。最後まで聴けるということは少し心に余裕があるのだな、程度に思っただけだった。
今朝、風呂に入るときにふと2つの願いの歌詞が気になったので改めて読んでみた。そうしたらいままで思っていた内容と異なる解釈(意味)であったことに気づいてちょっと驚いた。というか、今までの私の解釈があまりにも貧弱なので笑ってしまった。
2つの願い 歌詞はこれ
私はこれまでこの歌を聴いてて、「2人の間にいろいろあったけど、これから一緒に映画でも観に行くんだろう」くらいにしか思ってなかった。歌詞を読むとこれは別れの歌だったんだといま気づいた。あほだ。
別れの歌だと気づいてから聴くとあれもこれもわかって楽しい。
まずイントロで「ウォーおおぅ おおぅ〜♪」って始まるのは心の叫びだったのね。気づかんかった。新聞でロードショー探すけどまだ迷ってるのは映画を何にするかじゃなく電話をするかどうかを迷っているのね。
二つの願いのひとつはこの僕が選ばなきゃ、ってとこは「僕が彼女に別れを告げる電話をする」ということですね。そう解釈してその後の部分「優しさを手に入れるときは 胸が少しだけ痛い」を聴くと切なくて泣けてきます。感傷的なメロディと相まって。槙原先生すごいっす。最後の、着替えをしてドアを開けたら雲間に日が射してたも良いっす。更に泣けます。
ちょっと考えればこの曲はこれから一緒に映画でも観に行くような曲調じゃないじゃん。イントロからウォーと悩んでサビはむせび泣くようにも聴こえる感傷的なメロディで歌詞にもいろいろと別れのキーワードがちりばめられてんじゃんかよ。私は歌詞を額面通り受け取りすぎててあほだった。
ここで言い訳をすると、槙原先生の歌は曲が良すぎるので歌詞までちゃんと聴いてないということがあると思います。あとは当たり前ですが歌詞の解釈は正解はなく自由なので人それぞれ楽しみ方がありますね。