A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

【えいたそ文化論】その参『イエロー』前編~YMO/イエモン/マシンガン/バルーン/ページ/愛なき世界

2014年04月30日 00時15分15秒 | ガールズ・アーティストの華麗な世界


忘却とは誰にでも訪れる過ちであると同時に救いでもある。襞状に重なり合った大脳皮質は広げると新聞紙一面分の面積だと言うから、そこに保管出来る情報量には自ずと限りがある。限界量を超えてコップから水が溢れるように新規情報が零れ落ちてしまったら、人間はいつまで経っても成長・進歩・前進することは適わない。そんな不完全なHumen Being(人間)に与えられた神スイッチが「忘却」機能に他ならない。即ち保管情報の幾許かを恣意的に選択して忘却のシュレッダーで滅却し、新たに運び込まれる情報に「記憶」とタグ付けして保管リストに追加するのである。出さなければ入れることは出来ない。捨てなければ新規購入出来ない。そのことは頭ではよく分かっている。



しかし、前夜布団に潜り込む直前まで脳内で何度も反芻しWKTK(ワクテカ)感に浸っていた重大情報が、僅か5時間半の睡眠中にすっかり忘却の彼方に失念し、翌日何事も無かったようにのほほんと目を覚まし支度して出かけ定時少し前に職場に到着し、エゴリサーチしようと開いたツイッターのTLが「めざましにでんぱ組さーーん ∑(゜Д゜)!」(プー・ルイ@新生アイドル研究会BiS)という主旨の呟き一色に染まっているのに気付いた瞬間の衝撃と落胆は筆舌に尽くし難いものがあった。前日の夕食後に、録画予約しとかなきゃ、という閃きが脳裏を掠めたことを思い出すにつけ、自分の愚かさを責め続けるばかり。その上、推しメンのえいたそに「すげぇドリーミンな子」と謎のテロップが付いているのに、事情が何一つ飲み込めず、無力さに絶望した。



武道館公演が一週間後に迫り、でんぱ組周辺の動きが加速している。でんぱの神神が「速度が問題なのだ」(鈴木いづみ)、でんぱ組が「誰よりも速くなりたい」(阿部薫)と語り合ってスピードのお告げを授かったに違いない。でんぱ組の太陽マキシマムえいたそこと成瀬瑛美さんを読み解く「えいたそ文化論」も佳境に入り、ついにえいその肝の肝であるシンボルカラー「イエロー(黄色)」の秘密に迫りたい。なお、本テーマはえいそ研究に於けるたいへん重要なポイントなので、早急に結論付けることは避け、二日間に亘りじっくり論を進めたい。当然ながら詳細なデータは全て実験ノートに記載してあるが、極秘データもあるのでノートの公開には応じられない旨了承いただきたい。

イエロー・マジック・オーケストラ


イエローを冠するバンド名は数多いが、手始めに黄色魔術楽団からスタートしよう。今でこそ日本ポップス界の重鎮としてもリスペクトされる細野晴臣/高橋幸宏/坂本龍一の三人は、1978年の結成当時は玄人好みの地味渋ミュージシャンという印象だった。白魔術(善や白人などの象徴。特に白人音楽)でも黒魔術(悪や黒人などの象徴。主に黒人音楽)のどちらでもない黄色人種独自の音楽を作り上げるとして、魔術の色を人種の色にかけて提唱したのが「黄色魔術」(イエローマジック)である。クラフトワークとディーヴォとリンクして「テクノポップ」革命の担い手となる。テクノカットと人民服でファッション業界も席巻。もっぱらスーパーマーケットのBGMとして街中で流れており嫌でも耳に入ったので、毎日帰宅したらパンクやサイケやフリージャズで耳と脳を洗浄する必要があった。30年経ってやっと懐メロとして許容された。




ザ・イエロー・モンキー


YMOと並ぶ有名どころはイエモンこと黄猿。1988年結成だからYMOの10年後。バンド名は、主に西洋圏で使用される東洋人に対する蔑称である。この名前はダサくてシニカルな名前にしたいと考えていたロビンこと吉井和哉によって、結成前から命名されていた。吉井曰く、ルックスが良くて長身なのが「イエロー・モンキー」のコンセプトであり、事実183cmの吉井以下全員が180前後の長身である。イケメン&高身長&高収入とは同性からの妬まれ要素バツグン。学歴は中卒らしいが、圧倒的に女性ファンが多いのも頷ける。初期はらしくないジャケットがあるし、「アバンギャルドで行こうよ」「サイケデリック・ブルー」という耳を塞げば目を惹くナンバーも。ハーフコインの花園にあったら購入してみるのも一興。




【警告】この先注意。地下・極端・辺境音楽愛好家中級編

●イエロー・マシンガン


イエローネタで魔術や猿よりも真っ先に頭に浮かんだのが黄色機関銃だった。1993年大阪で結成された女子ハードコアトリオ。同じ大阪の先輩に赤痢がいるが、レッドの後を継いだイエロー娘は、90年代のメロコアやロリータ18号などの女子パンクの波に乗って活躍、S.O.D.のサポート等で海外でも人気を博す。5枚のアルバムを発表し2006年に活動休止するが、2010年12月に復活。今年1月には大阪でコロボックルズと対バンし健在ぶりを示した。




●イエロー・バルーン


黄色信奉者は日本のみならず世界中にあまねく存在する。黄色風船は60年代ロサンゼルス出身のソフトロック・バンド。ジャン&ディーンやロネッツの作曲家ゲイリー・セグリーがプロデュースした5人組。1967年にシングル「Yellow Balloon」が全米25位のヒット。ブライアン・ウィルソン直系のドリーミーなメロディーとスウィートなコーラスはジャケット通りのサンシャイン・ワールド。唯一のアルバムは長らく埋もれていたが、90年代後半のCD再発ブームで発掘され、今やソフトロックの定番に。筆者は87年に中野オールディーズでエサ箱の主だったレコードを救出した。




●イエロー・ページズ


サイケデリア版イエローは黄色頁。PageをPaygeと綴るのはByrdsに倣った60'sサイケ流。以前も触れたが、黄色はマリファナでラリった時に見える色で、黄色いバナナはアシッドな果物とされた。ビートルズの『サージェント・ペパーズ』内ジャケのポートレイトの黄色い背景や、ヴェルヴェッツの1stのバナナは麻薬と浅からぬ縁がある。詳細は後編でさらに追求するが、65年秋にハリウッドのライヴハウス「フラバルー」で飛入りで歌ったダン・ホーターという男を気に入った店主の提案で急遽結成されたガレージバンド「ドリフトーンズ」は、すぐに「イエロー・ページズ」と改名してUNIレーベルと契約した。ヒットはしなかったがエリック・バードン&アニマルズやビーチ・ボーイズのツアーの前座を務め、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズ、モンキーズ、ピンク・フロイド、バーズ、グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン等と共演し、西海岸のライヴシーンでは知られたバンドだった。しかし電話会社の「イエローページ」のコマーシャルに出演したことで、アングラ界の信用を失い、1970年2ndアルバムのレコーディング中に解散した。しかし42年後の2012年にダン・ホーターとオリジナル・ドラマーのダン・ゴーマンを中心に再結成。






●イエロー


日本の70年代ロックに輝くイエローがそのまんま黄色。70年代初頭、後にゴダイゴに加わる浅野孝巳、ファニーカンパニーの西哲也、外道の加納秀人らとエムで活動していた垂水孝道(vo,per)&良道(b,cho)の兄弟を中心に、ジョニー吉長(ds,cho/ジョニー、ルイス&チャー)などで結成されたブルースロック・バンド。75,6年に『イエロー』と『VIBRATION ~イエロー・ライブ~ 』をリリース。ニューロック、ブルースロックを核にファンク/ソウル色のあるグルーヴ感溢れるサウンドを聴かせた。このイエローとは別に、裸のラリーズと交流のあった森下泰輔(vo,b)率いるサイケバンド「イエロー」も70年代前半に活動していた。恐らく他にも日本各地に同名バンドが存在したものと想像される。




●イエロー・ラヴレス/V.A.


前編の締めはバンド名ではなくアルバム・タイトルだが、プロジェクト名とも言える。J-ゲイザーを中心にした、シューゲ帝王マイブラに捧げたトリビュート・アルバム/プロジェクトが黄色い愛なき世界。Lemon’s Chair、東京酒吐座を筆頭に、BABYMETALの頭脳NARASAKI(COALTAR OF THE DEEPERS)によるソロ・プロジェクトSADESPER RECORD、元祖女子バン・少年ナイフ、ヘヴィロック魔王Borisほかが参加。一方K-ゲイザーによる韓国版トリビュートは『ブルー・ラヴレス』。チームカラーで言えば韓国は赤、日本は青の筈だが、シューゲ界のノイズの遺伝子は色覚異常なのかもしれない。








黄青赤
バンドの色は
面白い

●成瀬瑛美(えいたそ)ーーーー(*≧ω≦*)!!!!!!☆
           
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