私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ISの最後の謎が解けた(2)

2017-06-25 22:20:45 | 日記・エッセイ・コラム
 ディラー・ディリク(Dilar Dirik) というクルド人女性がいます。ネット上で彼女の多数の発言に接することができます。写真や動画もあります。クルド問題、とりわけ、ロジャバ革命についての私の知識と意識を大いに高めてくれている人物です。現在、英国のケンブリッジ大学の社会学部の博士課程に在学中です。彼女の出自を詳しく知りたければ、次の二つの記事が役に立ちます:

http://salvage.zone/online-exclusive/the-kurdish-struggle-an-interview-with-dilar-dirik/

http://kurdishquestion.com/article/3364-turkey-039-s-anti-alevi-politics-and-the-kurds

出身地はクルド人人口の多いトルコ東部ですが、彼女の家族は政治的理由でヨーロッパに亡命移住したようです。彼女にとっての決定的転機は、2013年1月9日パリで三人のクルド人女性がトルコ政府の放った暗殺者によって殺害された事件でした。殺された三人と個人的な接触がありました。ディラー・ディリクはまだ若い女性ですが、ロジャバ革命とその核心である女性解放の思想の意義を世界に向かって明快に力強く発信し続けています。
 2017年6月23日の朝日新聞の朝刊は、イランのモスル、シリアのラッカというIS(イスラム國)の二つの最重要拠点が、間も無く、米国系軍事勢力によって奪還されることを大きく報じています。この記事からは、IS軍が果してきた米国側の代理地上軍としての役割のことが全く臭ってきません。私にとっては、このことを含めて、ISの宗教的、政治的、軍事的性格について、不分明な点は余り残っていません。しかし、前回の終わりに書きましたように、ISにリクルートされた若者たちが、これ見よがしに顕示する異様なまでの残忍性が何処からやってくるのか、これが私にとっての最後の謎でした。この謎が、ディラー・ディリクの最近の論考を読んだおかげで、解けたような気がします。

https://revolutionarystrategicstudies.wordpress.com/2017/04/02/radical-democracy-the-first-line-against-fascism/

ここで展開されているディラー・ディリクの考えを、私なりに、咀嚼し要約して述べてみます。
 「イスラム教の信仰者であるかないかに関わらず、議会民主主義の政治形態を持ち、一応の安定性を示している、例えばドイツとかフランスとかイギリスといった国々から、何千人という数の若者たちが遥々とシリアやイラクまで出かけて行って、女性や子供たちを含む他の人間たちにおぞましい暴力をふるう殺人者に成り果てるのは何故か?」 これが設問です。私にとってのISの謎です。
 謎の答えを一口で言えば、現代社会に生きる若者たちに覆いかぶさっている閉塞感、疎外感、無力感がその原因でしょう。世界の多数の若者たちにそれを与えているのは、グローバルな金融資本と米英の軍産複合体(Military-industrial complex, MIC) が構成する巨大な支配権力システムです。このシステムはCIAなどの情報収集と情報操作の機関を含み、広範にメディアをコントロールしています。こうした状況の下で、人間として有意義に生活する手段も希望も持つことが出来ずに虚無的になり、他人との正常な関係の中で正当に自己主張する機会も失って、深刻な無力感に追い詰められた多くの若者たちは、phonyな教義的正当化と金銭的報酬を提供するISの巧みなリクルートに絡め取られ、一旦その非人間的暴力集団の一員となるや、ISの敵対者に対しては飽くなき残虐性を発揮し、女性に対しては性的暴力の限りを尽くす、つまり、他の人間に対する権力乱用者に転化するという現象に、我々は直面しているのだと思われます。
 非人間的思想組織の中にくわえ込まれた個人が他人に対する言語道断の暴力行使者となるのは、何も男性に限られたことではありません。イラクの米軍管理下のアブグレイブ刑務所で米軍の男女兵士たちによって行われたイラク人に対する目も当てられない虐待行為は有名です。最終的に罪を問われた7人の兵士のうちの3人は女性でした。
 このブログの中程に掲げたディラー・ディリクの論考は、そのタイトルが示すように、上に私が取り上げた「謎」に対する回答をその一部として含む大変啓蒙的な内容を持っています。日本のマスメディアではまだ殆ど問題にされていませんが、このブログで幾度も指摘したように、クルディスタンの問題、クルド問題がどう処理されるかが、これからのシリアにとって、中東にとっての中心的問題になってくる筈です。ディラー・ディリクの発言の重みは今後ますます増大します。

藤永茂(2017年6月25日)

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3 コメント

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Unknown (桜井元)
2017-06-27 00:40:53
次元が違うとそしりを受けるかもしれませんが、卑近な例として、最近問題となった女性議員による秘書への暴言・暴行(脅迫罪と傷害罪に該当)を思いました。

私はこのニュースを知ったとき、他の政治家と秘書との間でも似たようなケースは表沙汰にならないだけでありうるだろうと直感しました。また、世の中では、職場や学校や地域や家庭内やあらゆる場において、このような「横暴」はけっして珍しいことではないだろうと感じました。

胸に手を当ててみて後ろめたい人はけっこういるはずです。このニュースを語るマスコミのコメンテーターたちは「自分たちとは無縁の世界の醜聞」という感じで語っていますが、本当にそうでしょうか。

人間の心には残酷などす黒いものがあり、ふとしたきっかけで一気に噴き出し、醜い様相を呈し、周囲に恐ろしいまでの被害をもたらします。それは誰にでも起こりうるものです。

ISの蛮行は許しがたいものです。しかし、IS戦闘員の心の闇は、我々とまったく無縁のものとまで言えるのかどうか、そこは謙虚に考えてみなければならないのでしょう。
Unknown (山椒魚)
2017-06-29 14:21:50
私は「残虐性」は人間の本質だとおもいます。心理学の実験で有名な「ミルグラム実験」というのがあるそうですが,人類がここまで繁栄したのは,その持つ残虐性によるものと考えています。科学技術の発達の最も強力な推進力となったのは戦争だとおもいます。又,強い者は弱い者をいたぶればいたぶるほど,脳内にドーパミンがでて暴力に酔ってゆく,そしてその快感が暴力に対する中毒症状を呼び起して行く,人間とはそういう者ではないでしょうか。
私の学生時代は団塊の世代で大學で学生運動が吹き荒れた時代でした。大學には左翼の諸党派が入乱れて活動していました。私もある党派に所属していましたが,はっきり言って各党派の主張がどこが違うかはよく解りませんでした。ほとんど似通った者でした。しかし70年代に入り,大きな力をもった党派間で内ゲバが始り,新左翼の党派はほとんど単なる殺人者集団になりました。高尚な哲学書を著した人物に引き入られた集団は対立する集団を「ウジ虫」と規定し殺人を繰返し,やられた方はそれに反撃をする。どこでどうやって始ったのかも知れませんが,本当に単なる殺人者集団に成下がってしまいました。
日中戦争時代に日本軍が行った残虐行為なども考え合せると,人間の本質は残虐性であり,残虐性こそが人類を発展させた原動力だと思います。
Unknown (あやこ)
2017-06-30 14:21:24
藤永先生、いつもご教示有難うございます。
巨大な権力システムについて、私は、2001年の9.11事件以降にそのような仕組みを知りましたが、当時読んだ本の中に書かれていた、彼らの計画(搾取、強奪、支配するための)が、近年強行されているのを目の当たりにして、やるせない気持ちを通り越し、それらの事に気づいていない日本人も多い事に危機感を抱いています。その計画のひとつ、メディアコントロールですが、視聴者に思考停止させるようなおバカ番組、潜在意識に悪い印象を植え込むような内容(グロテスク、暴力的、変質的、幼稚な)が増えました。テレビ、映画、マンガはもちろん、美術展、舞台芸術においてまで、その影響を感じます。また、監視社会を抵抗されずに実施するための猟奇事件やテロの頻発と過剰報道、管理強化のマイナンバー制や、今後のキャッシュレス社会への移行、等々。 実際に、社会の空気は変わり、不健康にコントロールされた思考と、抑圧された憤懣は現実の生活の中でも感じられます。(公共交通機関でよく観察できます。) 先生がご指摘されている、IS兵士の残忍さは、我々も無関係ではないことをひしひしと感じます。(過去、太平洋戦争時に、同様の行為を行った事実もあり。)
コメントの山椒魚様がご指摘されるような人間の本質が…とまでは思いませんが、様々な資質が上記のようにコントロールされれば、悪い資質が引き出され、また逆もあると思うので、良い環境、善良な思想、他者の親切心、愛情など触れる機会を得られたならば、善良な資質が育つと思います。 選択肢がないような状況もありますが。 人間性についての望みについて、かつて読んだ、「イスラエル兵に子供を殺された父親が、イスラエル人の子供を助けた。」という話を思い出します。取材にこたえた父親は「憎しみの連鎖は絶つべきだ」と訴えていました。 また、ユーゴスラヴィア戦争で家族を殺され、残酷な光景を目にし、トラウマを背負った若い人々が、その苦難を超えるために、かつて敵になった人達と、再び交流を持つプロジェクトを取材した番組を見たことがあります。すべてを失っても、魂の灯りを守ろうとする人達の姿は、人間の性質について考えた時に、希望を感じます。
ところで、今の人類は繁栄しているのでしょうか?そう思い込まされていることさえ、西洋主義の結果かと、いまいましく感じるのですが。高度な技術による、時限爆弾のような原発の乱立(時々爆発する)、発展の象徴である、IT技術による管理監視社会で人間性剥奪、インフラにマルウェアを仕掛けられたり、秀才達は人の道から外れた軍事兵器を開発して、平気で使う権力層、食物は、遺伝子操作により危険な毒物に変化しつつあり、このようなことだけを見ても、人類は、衰退しているのではないかと感じています。
反論ついでに、アメリカインディアンが彼らの暮らしをしていた頃の思想や精神
性は豊かで、もし、侵略されていなかったら、永続的で破綻のない文化だったと想像できます。 日本だって、徳川の江戸時代は貧富の差はあれど、文化的にはとても成熟して、今と比じゃない表現される美しさ、精緻な技術、文化人の精神性の高さが感じられます。
同様に世界の各地に独自の熟した文化があったのに、破壊され、均一で、人間味のない、重苦しい文化に塗り替えられながら現代に至っているのではないでしょうか。 解決策を提示することはできませんが、現実を観察しつつ、何か希望につながることを探し続けて自分の意識に取り込む、ということを繰り返しながら、皆様のブログを読ませていただいております。

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