前回に予告したトーマス・マウンテン氏のエリトリア弁護論の紹介を始めます。以前に(前回にも引用しましたが)、このマウンテンという人物について「この記事の著者は2006年以来エリトリアに住んでいる英国系白人の独立ジャーナリストで、現エリトリア政府に同情的姿勢を明白にしている人物ですが、独裁者Isaias Afwerkiの回し者ではないと私は判断しています。」と書きましたが、正直な所、はっきり確信できたわけではありません。極めて悲しい事ですが、今の世界での発言者で、何らかの意味での“回し者”でない人物はごく稀にしかいません。自ら進んで要求したのではないにしても、トーマス・マウンテンがエリトリア政府から何らかの金銭的サポートを得ている可能性はあります。しかし、ASMARINO INDEPENDENT という名の機関のサイトに出ている『Shame on Thomas C. Mountain』という毒々しい個人中傷文を読むと、
http://www.asmarino.com/articles/637-shame-on-thomas-c-mountain
リビアの事がすぐに思い出され、同時に、エリトリアという若い(やっと21歳)の独立国が、間もなくリビアと同じように滅ぼされてしまうだろうという私の予感はより強められました。トーマス・マウンテンは今でもアフリカの独立国リビアを滅亡させた米欧とNATO に対する非難の声を挙げ続けています。この人物が与太者ジャーナリストであるかないかについて決定的な断定を下すことは私には出来ませんが、ASMARINO INDEPENDENTという機関は米欧から活動資金を貰っているに違いないと、この数年で鍛え上げて来たつもりの私のジャーナリスティックな直感は私に告げてくれます。
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『西欧スタイルの“デモクラシー”がアフリカを破壊している』
トーマス・マウンテン
西欧スタイルの“デモクラシー”がアフリカを破壊しつつある。アフリカの何処を見ても、選挙は暴力と流血に彩られている。“買収、不正、盗票”、これが肝心かなめの所だが、もしそれでうまく行かなければ、フランス軍か国連平和維持部隊を投入して、大統領官邸にロケット弾を打ち込んで力づくで乗っ取ってしまうというわけ。
“デモクラシー”とは、もともと、国民がこうして欲しいを思う事をその国の統治政治家が実行することだ。国の統治者たちにして欲しいことは何かと聞かれれば、殆どすべてのアフリカ人たちは、
1) 十分な食糧
2) 清潔な飲料水
3) 屋根のある住居
4) アクセスが容易で安価な医療
5) 子供たちのための教育
と答えるだろう。草の根アフリカ人の欲しいものリストで選挙はずっと下のほうだ。
食糧、水,住居、それに医療、一国の指導者がこれらの優先事項に十分の手配をしていれば、それはデモクラシーを実践していることであり、もしそうでなければ、その指導者が西欧の新植民地支配のお偉方からどんなにお褒めの言葉を頂こうと、デモクラシーは実践されていないことになる。
ただ一国をのぞくアフリカのすべての国は西欧風選挙の罠に掛かっている。そして、一国を除くアフリカの全体が何らかの形で血を流し続けている。
アフリカの国の殆どではないにしても、その多くが医療と教育の総出費よりも多くの金額を利息として西欧の銀行に支払っている。
アフリカの国の殆どではないにしても、その多くが食糧の外国依存で苦しんでいる。自国民をまかなうに十分の食糧を自給できないのだ。
アフリカの国の殆どではないにしても、その多くが経済的な破綻に瀕している。石油産出国のナイジェリアさえ、悪徳銀行から緊急融資を次から次へと貰いながらヨタヨタ歩きを続けている。
アフリカのどこを見渡しても紛争と戦争ばかりで、どこを見ても西欧スタイルの選挙ばやりだ。
その選挙は実にひどいものだから、大きな暴力騒ぎなしに選挙が行なわれると、たとえ現職の大統領しか候補者がいなかった場合でも、その選挙は“アフリカの民主主義の勝利”だと看做される(リベリアがその例)。
第二次世界大戦後、西欧の植民地支配者たちは彼らの“所有地”を軍事的に占領し続けることが不可能なことを苦い経験を通して悟った。だから、彼らは、アフリカをコントロールするために新植民地政策を編み出して、それを実施するために、西欧スタイルの“デモクラシー”を使うことにしたのだ。
伝統的には、アフリカ人たちは彼ら自身の形態の“デモクラシー”を実践していた。大抵の場合は、長老たちの協議会がすべての党派を説得して誰もが何かを得るような具合の合意に到達するようにしていた。それは西欧スタイルの選挙で生じるような“勝つか負けるか”の状況ではなかった。
すべての党派が最終的な決定に従うことにしたのだから、すべての党派はその合意を尊重し実施に移す義務にしばられ、その結果、平和が保たれ、人々はお互いに折り合って生きて来た。
国家的な決定については、王とか大酋長とかが種族や氏族の協議会に常に相談をした。多くの社会共同体には、それは村落の集合体で、しばしば酋長が居たが、それでも紛争の解決法には、殆どの場合、長老たちの仲介による合意が使われた。こうして平和が保たれ、社会共同体の団結が維持された。
アフリカにおける西欧の“デモクラシー”はまるでそれと正反対の状況を生み出している。ケニヤでは、撤退する英帝国が権力の座に据えた少数民族キクユは、選挙に勝たなければならぬ。負けたら彼らより大きいライバルのルオ族にすべてを手渡す危険にさらされる。その結果は?これまでの選挙で数千人が死に、数万人が難民になった。次の選挙はなお悪いことになるかもしれない。
コンゴは? エチオピアは? アフリカでの民主主義の成功物語である筈のあのセネガルでさえも街路に血が流れた。
だがしかし、この混乱と危機の真っただ中に平和と安定の島が一つある。この一カ所、この国の人々、とりわけ今でもその70%を占める村落の人々は、「政治家が約束を守り続けた証拠は何処でも一目瞭然だ」と言うだろう。太陽光発電で作動する井戸、灌漑用の小型ダム、医療診療所と学校、すべては遠隔の村々にまで広がっている。HIV/エイズの感染者数の減少はアフリカではダントツの40%、マラリア死亡率は80%減少、これはマラリア病史では最大級の成功だ。出産時の母子の死亡率も、誰あろう世界銀行が“目覚ましい改善”と呼んでいるし、ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals, MDGs)も着々と目標達成に向かっている。それに加えて、アフリカで一番の経済急成長の国なのだ。
このアフリカの真の成功物語であり、そして選挙というもののない唯一の国、それがエリトリアである。 (次回に続く)
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著者のマウンテン氏、ちょっと安っぽくはありますが中々の能筆家で、読ませます。選挙がないとは、厳しい独裁の下にあることを意味します。エリトリアの独裁者はイサイアス大統領(Isaias Afwerki)、前回に「エリトリアの独裁者イサイアス・アフェウェルキは、その独裁の熾烈さにおいて、ルワンダのポール・カガメとよく同列視されます。決定的な違いは、米欧にとって、カガメが飛び切りの優等生であるのに、アフェウェルキは言語道断の非行人物だということです。」と書きました。ルワンダの選挙は大統領候補者としてカガメだけが居るのと同等の選挙で、90%以上の得票で圧勝することが始めから分かっていました。ルワンダで“ デモクラシー”を装った2年前の大統領選挙で一人の有力な女性候補が立候補したのですが、たちまち逮捕されて現在も投獄されたままです。21年前の独立以来、米欧による残酷な制裁封鎖がなければ、エリトリアの国内政治状況は今と違った形態になっていたでしょう。キューバの場合と同じです。すぐに思い出されるのはアフリカの小国ブルキナ・ファッソとその指導者トーマス・サンカラです。サンカラは1983年に革命を成功させ、この国は実に瞠目に値する急ピッチの発展を遂げましたが、1987年にサンカラが暗殺され、5年間に展開された奇跡は夢のように消滅しました。エリトリアの独裁者イサイアス・アフェウェルキと彼のエリトリアも同じ運命を辿りそうで心配です。
MDGs のデーター、これは国連の事業ですからネット上に詳しい統計資料が出ています。それらと照合するとマウンテン氏のエリトリア褒め上げは大筋で嘘ではありません。また、ロンドンで発行されているNew African Magazineという月間雑誌の2011年11月号の Isaias Afwerki の長いインタヴュー記事が出ています。反帝国主義的な立場を取る雑誌ですがエリトリア政府の回し者でないことは確かだと思われます。
http://natna.files.wordpress.com/2011/10/eritrea-pia-in-new-african-magazine-noveber-2011-issue.pdf
先入見を出来るだけ押さえて、まあこの記事を読んでみて下さい。イサイアスという男がただ者でないことは直ぐに分かります。
藤永 茂 (2012年5月30日)
http://www.asmarino.com/articles/637-shame-on-thomas-c-mountain
リビアの事がすぐに思い出され、同時に、エリトリアという若い(やっと21歳)の独立国が、間もなくリビアと同じように滅ぼされてしまうだろうという私の予感はより強められました。トーマス・マウンテンは今でもアフリカの独立国リビアを滅亡させた米欧とNATO に対する非難の声を挙げ続けています。この人物が与太者ジャーナリストであるかないかについて決定的な断定を下すことは私には出来ませんが、ASMARINO INDEPENDENTという機関は米欧から活動資金を貰っているに違いないと、この数年で鍛え上げて来たつもりの私のジャーナリスティックな直感は私に告げてくれます。
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『西欧スタイルの“デモクラシー”がアフリカを破壊している』
トーマス・マウンテン
西欧スタイルの“デモクラシー”がアフリカを破壊しつつある。アフリカの何処を見ても、選挙は暴力と流血に彩られている。“買収、不正、盗票”、これが肝心かなめの所だが、もしそれでうまく行かなければ、フランス軍か国連平和維持部隊を投入して、大統領官邸にロケット弾を打ち込んで力づくで乗っ取ってしまうというわけ。
“デモクラシー”とは、もともと、国民がこうして欲しいを思う事をその国の統治政治家が実行することだ。国の統治者たちにして欲しいことは何かと聞かれれば、殆どすべてのアフリカ人たちは、
1) 十分な食糧
2) 清潔な飲料水
3) 屋根のある住居
4) アクセスが容易で安価な医療
5) 子供たちのための教育
と答えるだろう。草の根アフリカ人の欲しいものリストで選挙はずっと下のほうだ。
食糧、水,住居、それに医療、一国の指導者がこれらの優先事項に十分の手配をしていれば、それはデモクラシーを実践していることであり、もしそうでなければ、その指導者が西欧の新植民地支配のお偉方からどんなにお褒めの言葉を頂こうと、デモクラシーは実践されていないことになる。
ただ一国をのぞくアフリカのすべての国は西欧風選挙の罠に掛かっている。そして、一国を除くアフリカの全体が何らかの形で血を流し続けている。
アフリカの国の殆どではないにしても、その多くが医療と教育の総出費よりも多くの金額を利息として西欧の銀行に支払っている。
アフリカの国の殆どではないにしても、その多くが食糧の外国依存で苦しんでいる。自国民をまかなうに十分の食糧を自給できないのだ。
アフリカの国の殆どではないにしても、その多くが経済的な破綻に瀕している。石油産出国のナイジェリアさえ、悪徳銀行から緊急融資を次から次へと貰いながらヨタヨタ歩きを続けている。
アフリカのどこを見渡しても紛争と戦争ばかりで、どこを見ても西欧スタイルの選挙ばやりだ。
その選挙は実にひどいものだから、大きな暴力騒ぎなしに選挙が行なわれると、たとえ現職の大統領しか候補者がいなかった場合でも、その選挙は“アフリカの民主主義の勝利”だと看做される(リベリアがその例)。
第二次世界大戦後、西欧の植民地支配者たちは彼らの“所有地”を軍事的に占領し続けることが不可能なことを苦い経験を通して悟った。だから、彼らは、アフリカをコントロールするために新植民地政策を編み出して、それを実施するために、西欧スタイルの“デモクラシー”を使うことにしたのだ。
伝統的には、アフリカ人たちは彼ら自身の形態の“デモクラシー”を実践していた。大抵の場合は、長老たちの協議会がすべての党派を説得して誰もが何かを得るような具合の合意に到達するようにしていた。それは西欧スタイルの選挙で生じるような“勝つか負けるか”の状況ではなかった。
すべての党派が最終的な決定に従うことにしたのだから、すべての党派はその合意を尊重し実施に移す義務にしばられ、その結果、平和が保たれ、人々はお互いに折り合って生きて来た。
国家的な決定については、王とか大酋長とかが種族や氏族の協議会に常に相談をした。多くの社会共同体には、それは村落の集合体で、しばしば酋長が居たが、それでも紛争の解決法には、殆どの場合、長老たちの仲介による合意が使われた。こうして平和が保たれ、社会共同体の団結が維持された。
アフリカにおける西欧の“デモクラシー”はまるでそれと正反対の状況を生み出している。ケニヤでは、撤退する英帝国が権力の座に据えた少数民族キクユは、選挙に勝たなければならぬ。負けたら彼らより大きいライバルのルオ族にすべてを手渡す危険にさらされる。その結果は?これまでの選挙で数千人が死に、数万人が難民になった。次の選挙はなお悪いことになるかもしれない。
コンゴは? エチオピアは? アフリカでの民主主義の成功物語である筈のあのセネガルでさえも街路に血が流れた。
だがしかし、この混乱と危機の真っただ中に平和と安定の島が一つある。この一カ所、この国の人々、とりわけ今でもその70%を占める村落の人々は、「政治家が約束を守り続けた証拠は何処でも一目瞭然だ」と言うだろう。太陽光発電で作動する井戸、灌漑用の小型ダム、医療診療所と学校、すべては遠隔の村々にまで広がっている。HIV/エイズの感染者数の減少はアフリカではダントツの40%、マラリア死亡率は80%減少、これはマラリア病史では最大級の成功だ。出産時の母子の死亡率も、誰あろう世界銀行が“目覚ましい改善”と呼んでいるし、ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals, MDGs)も着々と目標達成に向かっている。それに加えて、アフリカで一番の経済急成長の国なのだ。
このアフリカの真の成功物語であり、そして選挙というもののない唯一の国、それがエリトリアである。 (次回に続く)
**************************
著者のマウンテン氏、ちょっと安っぽくはありますが中々の能筆家で、読ませます。選挙がないとは、厳しい独裁の下にあることを意味します。エリトリアの独裁者はイサイアス大統領(Isaias Afwerki)、前回に「エリトリアの独裁者イサイアス・アフェウェルキは、その独裁の熾烈さにおいて、ルワンダのポール・カガメとよく同列視されます。決定的な違いは、米欧にとって、カガメが飛び切りの優等生であるのに、アフェウェルキは言語道断の非行人物だということです。」と書きました。ルワンダの選挙は大統領候補者としてカガメだけが居るのと同等の選挙で、90%以上の得票で圧勝することが始めから分かっていました。ルワンダで“ デモクラシー”を装った2年前の大統領選挙で一人の有力な女性候補が立候補したのですが、たちまち逮捕されて現在も投獄されたままです。21年前の独立以来、米欧による残酷な制裁封鎖がなければ、エリトリアの国内政治状況は今と違った形態になっていたでしょう。キューバの場合と同じです。すぐに思い出されるのはアフリカの小国ブルキナ・ファッソとその指導者トーマス・サンカラです。サンカラは1983年に革命を成功させ、この国は実に瞠目に値する急ピッチの発展を遂げましたが、1987年にサンカラが暗殺され、5年間に展開された奇跡は夢のように消滅しました。エリトリアの独裁者イサイアス・アフェウェルキと彼のエリトリアも同じ運命を辿りそうで心配です。
MDGs のデーター、これは国連の事業ですからネット上に詳しい統計資料が出ています。それらと照合するとマウンテン氏のエリトリア褒め上げは大筋で嘘ではありません。また、ロンドンで発行されているNew African Magazineという月間雑誌の2011年11月号の Isaias Afwerki の長いインタヴュー記事が出ています。反帝国主義的な立場を取る雑誌ですがエリトリア政府の回し者でないことは確かだと思われます。
http://natna.files.wordpress.com/2011/10/eritrea-pia-in-new-african-magazine-noveber-2011-issue.pdf
先入見を出来るだけ押さえて、まあこの記事を読んでみて下さい。イサイアスという男がただ者でないことは直ぐに分かります。
藤永 茂 (2012年5月30日)