私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

原子科学者会報(BAS)も駄目になってしまった

2022-02-22 18:10:30 | 日記・エッセイ・コラム

 このBulletin of the Atomic Scientists という出版物(科学雑誌)を知らない方々が多いでしょう。ウィキペディアの原子力科学者会報の項

https://ja.wikipedia.org/wiki/原子力科学者会報

を読んで下さい。原子科学者会報の方が直訳ですし、また、原子科学者会という会合組織がはっきりあったのでもなく、原子爆弾や原子力発電に関係した科学者の有志者がBulletin of the Atomic Scientists という雑誌を立ち上げて、それを中心にして原子力をめぐる問題について意見を交わし、世界の平和に貢献しようとした一つの平和運動として出発したと理解するのが一番穏当な考え方だと思います。

 英語版のWikipedia の記事はもっと詳しく長文ですが、冒頭に次の注意書きがあります:

This article may rely excessively on sources too closely associated with the subject, potentially preventing the article from being verifiable and neutral. Please help improve it by replacing them with more appropriate citations to reliable, independent, third-party sources(July 2018) (Learn how and when to remove this template message)

https://en.wikipedia.org/wiki/Bulletin_of_the_Atomic_Scientists

今回の私のブログ記事では、簡単の為、この出版物とその編集と発行を担っている集団(運営委員会)をまとめてBulletin(ビュレティン)と呼ぶことにします。少し曖昧ですが、訳出する記事を読み進めば、この便法をとる理由が分かっていただけると思います。訳出する記事は以下のものです:

https://dissidentvoice.org/2022/02/the-bulletin-of-the-atomic-scientists-calls-for-escalating-us-aggression-against-russia/

ここで取り上げられている問題はBulletinの内容の実に嘆かわしい変貌です。この広くBASと略称される会報誌は終戦の年1945年の12月に発刊されました。私も原子科学者の一人としてこのBulletin(BAS)に強い関心を持ち続けて今日に至っています。創刊からの半世紀は、私がロバート・オッペンハイマーの伝記の執筆を思い立ったこともあって、大学の図書館に届くBASを熱心に読み、掲載記事のコピーを沢山取りました。それらは今も身辺に山積みになっています。現在はインターネットの便利な時代になって、次のサイトを開けば、主要記事を無料で読むことが出来ます:

https://thebulletin.org

残念な事に、近頃、冷戦状態が高まるにつれて、「これはまずいな。BASがすっかり変わってしまった」と私が思わずにはいられない内容の記事で溢れるようになりました。

 さて、上に掲げ、以下に訳出する記事ですが、執筆者は明らかにこのBulletin(BAS)の変貌に強く批判的な人物で、読む側としては、その意味での記事内容の偏向も考慮して読むべきかも知れません。しかし、ここで報じられているBulletin(BAS)の運営委員会のメンバーについての事実は米国内の事情に詳しくない私どもにとって、極めて貴重な情報です。これから結論せざるを得ないのは、米国の現状に対する失望、いや、絶望です。Bulletin(BAS)の発刊からの50年間を振り返れば、この半世紀間の米国原子科学者たちの言動は実に立派でした。心ある世界の科学者も世人もBulletin(BAS)に心からの信頼を寄せていたのです。それが、やはり過去には世人の信頼を集めていたワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズと同様に、米国を牛耳る権力機構の宣伝機関の一つに成り果ててしまいました。

*********(訳出始め)

原子科学者会報(The Bulletin of the Atomic Scientists)はロシアに対する米国の侵略を呼びかける

 そのDoomsday Clock は真夜中100秒前

Roger D. Harris   2022年2月14日

The Bulletin of the Atomic Scientists (原子科学者会報)は第二次世界大戦後、当時究極の大量破壊兵器を開発した科学者たちによる平和のための声として誕生した。ところが、今、その任務は、ロシアをさらに不安定する行動を取るようにバイデン大統領を促す、アメリカ帝国プロジェクトの意向をそのままに放送するエコールームに成り果てる所まで流れて行ってしまっている。

原爆の投下

極秘のマンハッタン計画の科学者たちが原子爆弾を開発し、米軍がそれを配備するための兵站戦略を練った時には、第二次世界大戦はほぼ終わっていた。1945年5月初旬までに、ドイツは無条件降伏した。赤軍がナチスドイツ軍を打ち負かしたことが大きな要因であるが、2700万人のソ連人の命という恐ろしい犠牲を払ってのことである。日本もまた、軍事的に敗北し、天皇の助命をただ一つの条件として「無条件降伏」に同意していた。

そこで、世界の新興覇権国家は問題を抱える事になった。それは、世界征服政策(つまり、今日のアメリカの公式な国家安全保障ドクトリンであるグローバルな「全領域支配」)を押し付けるための究極の武器を持つに至ったことである。しかし、この究極の武器が秘密であったら、何の役に立つのだろうか。また、たとえ知られていたとしても、米国にそのような破壊的な力を解き放つ意志があると世界は信じるのだろうか。

トルーマン大統領は、その解決策として日本への核攻撃を行った。日本の軍事目標はすべて破壊されていたが、1945年8月に広島と長崎という民間都市を消滅させることによって、帝国覇権を行使するというアメリカの決意をより強くメッセージとして発することができたのである。

日本は直ちに降伏し、天皇の生命をさえ差し出した。アメリカはそれを受け入れたが、天皇は死ぬより生きていた方が役に立つとして、処刑はしなかった。その上、寛大なジェスチャーは、米国が気まぐれに好き勝手に爆撃を行うというメッセージを強化することになった。2016年にオバマ大統領が広島を訪れたときでさえ、彼は自国がもたらした破壊に対して「謝罪はしない」と指摘した。

冷戦の始まり

1945年8月の日本の迅速な降伏には、多くの現代史家が米国の原爆よりも先んじたと考えるもう一つのが理由あった。ソ連は西部戦線で戦っていて、日本との戦争には中立を保っていたが、ドイツが敗北したら日本との戦争に参加することを連合国に約束していたのである。米国が原爆を投下すると同時に、ソ連は日本に宣戦布告したから、東京は降伏したのだ。

原爆投下は、冷戦の最初の一撃であり、アメリカの戦時中のソ連との便宜的な同盟関係の終わりを意味する。トルーマンが日本への原爆投下を急いだのは、クレムリンに対する彼の「鉄槌」を知らしめるとともに、ソ連が東方に進出して日本との降伏協定に席を置く時間を奪うという二つの利点があったからである。ソ連は、枢軸国を倒すために原子爆弾を配備する前に第二次世界大戦が終わるという前提で -- それは本質的に正しいことが証明された -- 原子爆弾を開発していなかったのである。

戦後すぐのソビエトとその同盟国は、アメリカとその同盟国による明白な破壊の意図によって、存亡の危機にさらされていたのである。その防衛策として、ソ連は抑止力の核戦力を開発するほかなく、1949年に最初の原子爆弾の実験を行った。

ソ連は核兵器を防衛にのみ使用し、「先制攻撃」を放棄することを約束したが、アメリカはそうしなかった。やがて、冷戦下の軍拡競争は、地球を破滅の危機に陥れた。MAD(Mutually Assured Destruction:相互確証破壊)の出現は、人類の未来にとって、脆弱な取り決めだった。

平和のための科学者たちによるBulletinの出現

 平和の声は、まさに原爆の発明者たちから発せられたのである。マンハッタン計画の科学者だったユージーン・ラビノビッチとハイマン・ゴールドスミスは、日本に原爆が投下された直後、ソ連が抑止力を開発する以前に、原子力科学教育財団(後に原子科学者会報と改称)を設立していた。

Bulletinと関係の深かった著名人としては、核物理学者のハンス・ベーテ、ソ連の宇宙科学者アナトリ・ブラゴンラボフ、ユダヤ系ドイツ人の移住者で量子力学の開発者マックス・ボルン、「原子爆弾の父」と呼ばれた物理学者から核拡散防止活動家となったJ・ロバート・オッペンハイマー、イギリスの多才な平和活動家バートランド・ラッセル、ソ連の物理学者ニコライ・セミオノフ、アルベルト・アインシュタインなどがいる。

1947年に発表されたBulletinのDoomsday Clockは、はじめ、午前0時7分に設定されていた。この時計は、教育的なツールとして、「増大する危機の鮮明なシンボルとして、その針は我々がいかに絶滅に近いかを示す」ことを意図したものだ。冷戦の初期に行われた「パグウォッシュ会議」は、1950年代のBulletinから生み出されたものであった。

Bulletinの使命の漂流

今日、地球温暖化などの脅威はもちろんのこと、核兵器による滅亡のリスクは、BulletinのDoomsday Clockによれば、かつてないほどに高まっている。しかし、「Bulletin」は、平和の擁護や人類への他の脅威に対抗するためのものから、別のものへと変貌を遂げてしまった。

ビュレティンは科学者が運営する組織として出発したが、現在のBulletinの運営委員会には科学者の姿はほとんどない。社長兼CEOのレイチェル・ブロンソンは、外交問題評議会(ウォール街のシンクタンク)や戦略国際問題研究所(世界トップの軍事シンクタンク)など、米国の安全保障系NGO出身の政治学者である。会長のデービッド・クールマンは、「クライアントが利益を生む成長への道筋を見出す」ための支援を専門とする企業コンサルタントである。事務局長のスティーブ・ラムゼイは、かつて防衛関連企業のゼネラル・エレクトリックに勤務していた。元国務長官で戦争犯罪人のマドレーン・オルブライトは、このBulletinの宣伝をしている。Bulletinはリベラルな見せ掛けを保っていて、依然として平和や環境保護に貢献する記事を掲載している。こうしたやり方でアメリカ帝国プロジェクトと共謀しているその役割は狡猾なものだ。なぜなら、平和の美称がその使命の漂流を正当化するために使われているからである。

Bulletinはジャーナリストのニコラス・ウェイド氏の「COVID-19の起源はいかにして東と西によって隠蔽されたか」を特集記事として、反中感情をあおり、中国がCOVID-19を人工的に開発したという陰謀論を展開している。しかし、科学的な証拠はウイルスの自然起源を指摘している。反ロシア感情は、ジャーナリストのマット・フィールドの 「ロシアのメディアは、部隊がウクライナ近くに集結する中、米国の生物兵器についての偽情報を広めている 」と題する記事で促進されている。平和を支持擁護する科学者は一体どこにいるのだろうか。

ウクライナ危機についてのBulletinの報道

Bulletin の変質ぶりを示すもう一つの事例として、2月1日に会報に掲載された「ウクライナの惨状を回避するために制裁と外交をどうミックスするか」という記事がある。この記事は、"ロシアの強力なエネルギー輸出部門に深刻かつ迅速に打撃を与える "内容の制裁を提唱している。ワシントンの論調を踏襲したこの記事は、ロシアの侵略に対応するためのものだが、実際には紛争を和らげるための提案は何もしていない。

核兵器による大量殺戮の危険性を警告する団体が、世界の主要な核保有国の一つによる、より攻撃的な姿勢を全面的に擁護するのは、皮肉を超えているとしか言いようがない。

BulletinのDoomsday Clockは、今や、真夜中まで100秒となり、 Bulletinを運営する人々は世界をハルマゲドン(世界終末決戦)に近づけようとしているのだ。Bulletinのウクライナ記事の見解は、現在の危機はプーチンの "自作自演 "であるというものだ。これと対照的に、記事は、米国がロシアとの協議を外交的に "開始"したと説明している。米軍の前方展開やウクライナへの殺傷能力のある支援物資の送付については触れられていない。ルーマニアやポーランドにABMミサイルを配備するようなNATOの攻撃的な行動も書かれていない。米国が中距離核戦力条約を破棄することへの言及はオフリミットとされているのだ。

前述の記事と同じ日に発表された「軍備管理条約の破棄がいかにロシアのウクライナ侵略の伏線となったか」という記事には、2014年にアメリカが組織したウクライナのクーデターが見え隠れしており、反ロシア政権がそこに設置されたことがわかる。後者の記事の綿密な地域史には「モスクワがウクライナ領クリミアに侵攻し併合した」と記されているが、それを誘発したクーデターについては触れられていない。

合理的な平和提案

Bulletinのこれらの記事には、ロシアのいくつかの取り組みが、どのように敵対行為を防ぎ、戦争の可能性を減らして地域をより安全にするかについて、一言も書かれていない。そして確かに、以下のような合理的な和平提案は皆無である。

+ロシアと米国は、他国に対する攻撃を準備または実行するために、他国の領土を使用してはならない。

+いずれの締約国も、短・中距離ミサイルを海外に、またはこれらの兵器が相手国の領域内の目標に到達しうる地域に配備してはならない。

+いずれの締約国も、核兵器を海外に配備してはならず、また、既に配備されている核兵器は返還されなければならない。

+両当事者は、自国の領土外に核兵器を配備するためのインフラを一切排除する。

+両当事者は、核兵器の使用をシナリオにした軍事演習を行ってはならない。

+いずれの国も、非核保有国の軍人や民間人に核兵器を使用するための訓練を行ってはならない。

+両当事者は、自国の領土外に核兵器を配備するためのインフラを一切排除する。

+両当事者は、核兵器の使用をシナリオにした軍事演習を行ってはならない。

+いずれの国も、非核保有国の軍人や民間人に核兵器を使用するための訓練を行ってはならない。

Bulletin はアメリカのNATOのシンクタンクであるアトランティック・カウンシルを引用して、彼らが提唱する制裁はロシア経済に "大きな混乱 "を引き起こすと説明している。Bulletinが求めるこれらの制裁は、爆弾を投下するのと同様に致命的な戦争の一形態である。制裁は死を意味する。ウクライナの緊張を緩和するための平和的手段を支持する代わりに、Bulletin は、もはや、ワシントンのチアリーダーになってしまったのである。

*********(訳出終わり)

 この記事の英語原文から多数の関連情報に移ることが出来ます。下にその一つだけを出しておきます:

https://thebulletin.org/2022/02/how-to-mix-sanctions-and-diplomacy-to-avert-disaster-in-ukraine/?utm_source=Newsletter&utm_medium=Email&utm_campaign=ThursdayNewsletter02032022&utm_content=NuclearRisk_AvertDisasterInUkraine_02012022

 

藤永茂(2022年2月22日、忍者の日、猫の日)


キューバは見事にコロナ禍に対処している

2022-02-16 21:45:56 | 日記・エッセイ・コラム

 私は過去の疫病大流行の時のことをよく知りません。しかし、今回のコロナ禍については、世界的に、巨大な数の老若男女が死亡し、命を失わないまでも身体的、精神的、あるいは生活的に困窮している状態の中で、この状態を意識的に利用して巨大な金銭的、あるいは政治的利益を積み上げている人間達がいるという事態が明白に存在することに心が痛み、怒りがこみ上げてくるのを禁じる事が出来ません。

 しかし、ここに眩しいほど輝かしい例外の場所があります。キューバです。キューバにはワクチンの排他的製造販売によって法外な利益を上げる製薬会社も、その言いなりになって、他の対症的治療薬の効果を過小評価するような医療科学者も存在しません。一般社会と科学者との理想的な関係がキューバには現実に存在しているのです。

 キューバでは、他国と全く違って、オミクロン変種の感染ピークがその前のデルタ種感染のピークを遥かに下回っているそうです。また、幼い子供達の死者はこれまで皆無の由です。次の記事を読んで下さい:

https://libya360.wordpress.com/2022/02/15/cuba-is-moving-closer-to-controlling-the-pandemic/

 

藤永茂(2022年2月16日)


クララ・ハスキル

2022-02-09 23:17:37 | 日記・エッセイ・コラム

 ある程度年配のクラシック音楽ファンでしたらピアニストのクララ・ハスキル(1895−1960)をご存知でしょう。私はLPの時代から彼女のファンです。昨年またDECCAのCDボックスセット(17枚)を買ってしきりに聴いています。

 コロナ禍の下、老人ホームの個室に独居する私にとってクラシック音楽はかけがえの無い慰めであり喜びです。芸術というものの有り難さをこれほど痛感した日々は今までになかったような気さえします。 しかし終わりの近いことを意識する私は自分には芸術というものがあまりよく分からないまま死ぬのだという一種寂しい思いに駆られることも白状しなければなりません。例えばこうです:かれこれ40年以上も前に、アメリカの古典音楽評論雑誌で、指揮者ケント・ナガノの「私はエンタメ音楽も大好きだが、私にとって、エンタメとアートは別のものだ」といった意味の発言を読み、それが心に染みついてしまいました。履き古した汚い靴を描いたゴッホの絵があります。哲学者ハイデッガーがこの絵を論じた文章を知っている方もおいででしょう。ゴッホの古靴の絵はアートであり、ゴルゴ13の一コマはエンタメです。しかし、エディット・ピアフや美空ひばりの絶唱とシュヴァルツコップの絶唱に差異があるのか、ないのか?今頃になって、私はすっかり分からなくなってしまいました。

 先ほど紹介したクララ・ハスキルのCDセットには有名な音楽評論家Jeremy Siepmannの解説小冊子がついていますが、その中には次のような文章が見えます:

Great piano playing cannot be described. At best it can be evoked. Its greatness is manifested in terms so subtle that words are effectively disabled. Never was this truer than in the case of Clara Haskil, whose subtlety, refinement and apparently infinite control may well have been matched by Mozart and Chopin alone. …..   Of course the Haskil literature is full of the usual, sincere cliches. Words like “magnificent,” “glorious,” “thrilling,” even “ravishing,” “haunting” and “exquisite,” have repeatedly been applied to a plethora of very different pianists. But the vocabulary surroundings Haskil’s art bespeaks something altogether out of the ordinary, even among great pianists: “the perfect Clara Haskil” (Rudolf Serkin); “a saint of the piano” (Joachim Kaiser); “the perfection on earth” (Dinu Lipatti)….the list goes on.

「偉大なピアノ演奏は言葉で言い表すことができない。せいぜい心の中に呼び起こせるだけだ。その偉大さは言葉ではとても効果的にあらわせない繊細さで現れる。このことはクララ・ハスキルの場合に最も真実で、彼女の繊細さ、洗練さ、無限のコントロールは、モーツアルトやショパンだけに匹敵するものであったかもしれない。・・・・勿論、ハスキル文献は、よく見かける真面目な決まり文句で満ちている。「壮大」、「栄光に満ちた」、「スリル一杯の」、さらには、「うっとりさせる」、「忘れられない」、「絶妙な」といった言葉が、異なる資質の数多くのピアニストに繰り返し適用されてきた。しかし、クララ・ハスキルを取りかこむ語彙は、偉大なピアニスト達の中にあっても、全く尋常ではない:「完璧なクララ・ハスキル」(ルドルフ・ゼルキン)、「ピアノの聖人」(ヨアヒム・カイザー)、「この世での完璧」(ディヌ・リパッティ)、・・・数え上げればまだまだ続く。」(訳出終わり)

 つまり、練達の音楽批評家も言葉を失う演奏ということです。ですから、私のような者が言葉で何かをお伝えすることは出来ません。とにかく耳を傾けてお聴き下さい。心に染みる演奏が沢山ありますが、私が、一つだけ、選ぶとすれば、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番イ長調K.488でしょう。特に第2楽章アダージョのたった7つの音の連なりはピアノの弾けない私にも鍵盤を打てるようの単純さで、しかも、至高の美しさです。私の好きなピアニストの一人であるメナヘン・プレスラーはこの音の連なりを論じて、「ここに音楽とは何かの全てがある(the essence of music is all about)」とまで言いました。

 

藤永茂(2022年2月9日)


朗報!TesfaNews(TN)が帰ってきた

2022-02-05 10:28:08 | 日記・エッセイ・コラム

 TesfaNews (TN) というエリトリアのニュース・サイトについては、昨年11月15日付けの記事『老人の心配事』で取り上げました。長い間ニュース記事の更新がなかったので心配していましたが、また新しい記事が続々と出始めました。どこかで、Tesfa はエリトリアの言葉で“Hope”を意味すると書いてあるのを見た記憶があります。つまり、“希望”が戻ってきたことを意味します。この1月8日にリオープンしてから既に7つほどの新しい記事が出ましたが、いずれも勇気づけられる内容のものばかりです。この“希望”復活の最初の記事は1月8日の『中国とエリトリア、戦略的パートナー関係樹立』です:

https://www.tesfanews.net/china-eritrea-established-strategic-partnership/

エリトリアの独裁者イサイアス・アフェウェルキ大統領はもともと中国と深い縁を持つ人物です。このブログでも何度か言及して来ましたが、参考にため、ここでは、ウィキベディアから少し引用させてもらいます:

*********

アフリカにおいては東アフリカ北アフリカ諸国の一つに位置づけられる。西にスーダン、南にエチオピア、南東部にジブチ国境を接する。北は紅海に面し、1350km以上にも及ぶ長い海岸線を持ち、領海内にはダフラク諸島など約350の小島が点在する。対岸側にはサウジアラビアイエメンがある。

元々はエチオピア帝国の領土だった海岸部をイタリア王国植民地政策によって1890年に分離させた[3]地域であり、エリトリア独立戦争を経て1991年5月29日独立を宣言。1993年4月に実施された国際連合監視下の住民投票に基づき、同年5月24日に独立を達成した。1998年5月から両国はエチオピア・エリトリア国境紛争を戦ったが[3]、2018年7月8日に関係正常化の合意文書に調印した[4]。2020年~2021年には、エチオピア北部ティグレ州で起きたティグレ人民解放戦線(TPLF)の反政府蜂起に際して、エチオピア政府側で派兵した[5]


内政面では独立以降、中華人民共和国に留学して毛沢東思想や軍事知識を学んだイサイアス・アフェウェルキ大統領が実質的に率いる民主正義人民戦線一党独裁制が続いている。「アフリカのシンガポール」というスローガンを掲げて、同国を手本にした国作りを進めている[6]が、「アフリカの北朝鮮」と批判・揶揄されることが多い[7]。周辺諸国との紛争や兵役、抑圧的な政治体制により大量の国民が国外に脱出して国際的な難民問題になっている[8][9]

*********(引用終わり)

 近頃は中国の国際的行動を快く思っていない日本人が多数いるようです。私の立場は違います。中国が1800年台中期の阿片戦争の屈辱から苦節百数十年を経て、今や米英を圧倒する大国となり、米国に代わって、世界を支配する勢いです。しかし、それだけのことならば、私は大反対です。もう一つの強大大国の世界支配など、まっぴら御免です。人類には別の世界が必要です。今までとは違う世の中にならなければなりません。「じゃなか娑婆」を実現しなければなりません。

 人間、死期が迫ると色々のことを考えます。「あとは野となれ山となれ」と考える高齢者は案外少ないのではありますまいか。私は未だ中国の将来に、また、日本の将来に夢を抱いています。巨視的に見て、現在の中国も、現在の日本も、結構立派な国家です。中国は世界の覇権などと言う有害愚劣な野望を捨て、一方、日本は米国による植民地的支配から脱出して、堂々と中国、ロシア、ヨーロッパと渡り合うようにならなければなりません。そして、その遥か先には、国家の消滅も視野に入れたコミュナリズム、人間全体のための世界、今とは違う世界を目指すのです。「そんな馬鹿な夢を描いて何になる」と笑う人が多いでしょう。しかし、今のままで進めば、完全な管理社会と飽くなき消費文明と地球の荒廃と核戦争が待っているだけです。「あとは野となれ山となれ」で気が済むのですか?

 さてエリトリアに話を戻しましょう。エリトリア事情に精通しているとされる専門家の誰が何と言おうと、「エリトリアの独裁者イサイアス・アフェウェルキ大統領」を「アフリカのフィデル・カストロ」だとする私の信念を変えるつもりはありません。その確信はこれまで約十年間のエリトリア・ウォッチ、アフェウェルキ・ウォッチに基づいています。過去にこのブログで何度も取り上げましたが、ここでは一つだけを引いておきます:

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/75ed37ac9bd52f33a12779311ea49803

私はこの記事を次のように結びました:「独裁的にエリトリアを統治するイサイアス・アフェウェルキ(1946年生まれ)という男、これは注目に値する人物です。もし暗殺による死や、NATO/米国の空爆による死を免れ、目指す政治的目的(エリトリアという紅海南岸の小国の独立を守り通す)を何とか果たすことが出来れば、アフリカの歴史、いや、世界の歴史に名を残すことになること必定です。」

 今回のテスファニューズ(TN)の復活の最重要のアイテムは長時間にわたるイサイアス・アフェウェルキ大統領のインタビューです:

https://www.tesfanews.net/president-isaias-afwerki-2022-interview-excerpts-part-1/

https://www.tesfanews.net/president-isaias-afwerki-2022-interview-excerpts-part-2/

この大統領会見はエリトリアの言語で行われ、国の内外に対する宣伝活動(TR)の意味合いのものでしょう。質問者の方は手にノートを持っているのに、大統領の方は、テーブルには原稿らしきものが見えますが、それに頼らずに滔々と語っています。私がこの人のインタビューで感心させられたのは今回が初めてではありません。数年前、米国系のジャーナリスト達が独裁者イサイアス・アフェウェルキ大統領を酷く吊し上げにしていた時代に、毒々しい悪意に満ちた女性インタビューアーの礼を失した質問に対して、冷静に、しかも、立派な英語で答える場面に接して、この男にすっかり惚れ込んだ覚えがあります。幸に、今回の大統領の発言内容には英語の詳しい要約がついています。これを読めば、現在進行中の エリトリア/ティグレ/エチオピア問題の歴史と現状に対するかなり正確な知識が得られると思います。

 参考までに、関連記事を三つほど挙げておきます:

https://www.blackagendareport.com/ethiopians-rally-against-cnn-tplf-and-us-aggression

https://www.blackagendareport.com/eritrea-and-tripartite-alliance-horn-africa

https://libya360.wordpress.com/2021/09/02/how-eritrea-elevates-the-horn/

私の“偏よった”見方が正しいか、マスメディアの“偏よった”見方が正しいか、それがはっきりするのに、大して時間はかかりますまい。

 

藤永茂(2022年2月5日)