私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

人類は、まだ、救える

2020-01-09 01:23:30 | 日記・エッセイ・コラム

 世界最大、最強のテロリスト国家がいよいよ凶暴に荒れ狂っています。米国は戦争を続けなければ生存を続けることが出来ません。戦争をやめれば、経済が破綻します。米国が世界最悪のならず者国家(rogue state)と呼ばれる理由です。この歴史上最大の帝国は、今や明らかに、断末魔の叫びを発しています。しかし、この米国という帝国主義的権力システムは、荒れに荒れた末に、孤独死を遂げてくれるでしょうか? それとも、人類全体を道連れにして破滅の道行きを辿るのでしょうか?

 人類の生存の可能性は、世界規模の核戦争と自然環境の悪化によって脅かされています。世界中の核弾頭の数は約1万4千個、ひと頃より、個数は減少しましたが、威力の総量は増大しているのは明白です。これら膨大な数の核力エネルギー源は厳重な管理下にある筈ですが、人間のやれる事には必ず限度があります。チェルノービルも福島も人為的大災害です。1万4千個の核弾頭の場合には、軍事的な誤断による暴発もあり得ます。したがって、ただこれだけの理由からも、核兵器は廃絶しなければなりません。

 しかし、人類が全面的な核廃絶に成功したとしても、自然環境の悪化は止められません。悪化を推進している力は、我々がどっぷりとはまり込んでいる消費文明から来ています。経済成長が金科玉条の経済システムの支配です。消費の増大が人間の生活の幸福のバロメーターになってしまいました。けれども、これは現在の経済システムが我々に押し付けている虚偽のプロパガンダであって、我々人間が本来備えている幸福感覚には合致しません。この事実は、実は、人間だれもが知っている、身に覚えのある単純明白な事実です。

 つい最近、南米ボリビアで全くひどいクーデターが米国によって実行されました。それに反抗した原住民30人が、即刻、射殺され、数百人が負傷しました。ボリビアの国土がリチウムという軽金属を豊富に埋蔵しているのがクーデターの理由です。リチウム電池は電気自動車生産に必要なのです。しかし、ボリビアの原住民たちは、昔から、自動車などは持てなくても、楽しい日々を過ごす術を知っていた人間たちです。クーデターによってボリビアから追放された純血の原住民大統領エボ・モラエスはボリビアの憲法に「良く生きる(Vivir Bien)」ことを促進する条文を入れました。議論はあれこれあるにしても、人間本来の幸福論がその根源にあります。戦時中に、「贅沢は敵だ」という日本政府のプロパガンダ標語がありましたが、贅沢は敵ではないにしても、人間が「良く生きる」ために潤沢な消費が必須ではないことは、日々の生活経験として、誰でも知っていることです。消費が社会全体の健全な経済成長を促進する限り望ましいものであり得ましょうが、それが富の分布を不当なものにし、必然的に、自然環境の恐るべき破壊につながるとすれば、無駄な消費は促進されるべきではありません。

 死期が迫ってくると、この人生で楽しい思いをした時々のことをしみじみ思い返すようになります。人間、幸せに生きるためには、ほんの僅かなものしか要らないのだと、つくづく、思い知らされます。口にするのも愚かしいような想いですが、この単純至極な事実は、勿体ぶって大袈裟に言えば、人類は、過度の消費によって地球環境を破壊して自滅することなく、結構楽しく日々を生きていける筈だ、ということを我々に告げているのだと思われます。そうならば、あとは、皆で力を合わせて、戦争をやめ、核兵器を廃絶すれば、人類を救済することは、まだ、可能です。

 

藤永茂(2020年1月9日)