万感こもごも到る思いでオバマに一票を投じた百六歳の黒人老女アン・ニクソン・クーパーさんのお話を続けます。まずワシントン・ポストから取った講演記録原文を写します。:
■ OBAMA: She was born just a generation past slavery; a time when there were no cars on the road or planes in the sky; when someone like her couldn’t vote for two reasons??because she was a woman and because of the color of her skin. And tonight, I think about all that she’s seen throughout her century in America??the heartache and the hope; the struggle and the progress; the times we were told that we can’t, and the people who pressed on with that American creed: Yes we can. At a time when women’s voices were silenced and their hopes dismissed, she lived to see them stand up and speak out and reach for the ballot. Yes we can. When there was despair in the dust bowl and depression across the land, she saw a nation conquer fear itself with a New Deal, new jobs, a new sense of common purpose. Yes we can.
AUDIENCE: Yes we can.
OBAMA: When the bombs fell on our harbor and tyranny threatened the world, she was there to witness a generation rise to greatness and a democracy was saved. Yes we can.
AUDIENCE: Yes we can.
OBAMA: She was there for the buses in Montgomery, the hoses in Birmingham, a bridge in Selma, and a preacher from Atlanta who told a people that “We Shall Overcome.” Yes we can.
AUDIENCE: Yes we can. ■
黒人老女アン・ニクソン・クーパーさんの話はまだ続きますがこの辺で止まって、幾つか註釈を加えたいと考えます。以前(2008年3月19日)のブログ『オバマ現象/アメリカの悲劇』で、私は、オバマは超エルマー・ガントリーのように思えて仕方がない、と書きました。今回の大統領当選勝利宣言を聞きながら、私はこの思いを再確認せざるを得ませんでした。こうした演説は当然レトリカルなものですから、私の物言いは下らない nitpicking と片付けられそうですが、上のブログで論じた「セルマの行進」の場合と同じく、オバマの歴史記述は余りにも不正確すぎ、その不正確さが臆面も無くレトリックとして活用されているのが気になります。アン・ニクソン・クーパーさんは1902年の生れだとします。彼女はアメリカの奴隷制度廃止から「ほんの一世代後」に生まれたと聞かされて、アメリカの若者の多くは多分30年前後と思うでしょうが、正式に憲法が改正されたのは1865年ですから「ほぼ一世代後」と言うべきでしょう。「10年やそこらの年月をとやかく言うのは馬鹿げている」とも言えますが、では「a time when there were no cars on the road or planes in the sky;(道に車は無く、空に飛行機の影も無いその頃)」はどうでしょう。ドイツのベンツ社は、1889年、ゴムタイヤ、変速ギアを装備したガソリンエンジン4輪車を売り出し、1899年にはアメリカのフォード社が設立されて、大衆むけの安価車の製造を目指し、1909年に売り出された歴史的名車「Tモデル」が最初の2年間で約3万台売りつくし、いわゆるマスプロダクションの時代が始まりました。これがアン・ニクソン・クーパーさんの生まれた時代状況であったのです。クーパーさんが田舎にいたか、都会にいたかの問題ではありません。次を読んで下さい。モンゴメリーのバス乗車黒人差別抗議にも、バーミンガムで人権闘争の黒人たちが消防車の放水(hoses)と警察犬の攻撃にさらされた時にも、キング牧師を先頭とする行進がセルマの橋をこえた時にも、“彼女はそこにいた”のです。つまり、黒人老女アン・ニクソン・クーパーさんは名弁士バラク・オバマが紡ぎだす(spin) 感動物語のシンボリックな狂言回しの役を担っているに過ぎません。調べてみる気にもなりませんが、この老女は強力なオバマのPRチームが「これはいける!」と掘り出してきた一人の最高齢の黒人女性投票者に過ぎなかったのだろうと私は推測します。
クーパーお婆さんストーリーはオバマの勝利宣言を締めくくる大フィナーレになっていますが、そのストーリーの間に「Yes we can」という言葉-つまり、オバマの選挙スローガン-が何と11回も繰り返されています。しかも、その4回は聴衆からの唱和です。これがアメリカの黒人教会の牧師説教のパターンを踏襲しているものであることをお気付きの方も多いでしょう。私はこの唱和が自然発生的なものではなく、演出されたのではないかと疑っています。しかし、前回に紹介したように、英文評論の達人ウッドさんは「Yes we can」という英語の使い方を褒め上げています。ウッドさんといえば、彼は次の文章もなかなかよく書けていると評価します。:「When the bombs fell on our harbor and tyranny threatened the world,・・・」。港とは勿論パール・ハーバーのことですが、ウッドさんは、オバマがただ「わが港」といった所がうまいとういのですが、日本人として、私はこの文章を好みません。
黒人老女アン・ニクソン・クーパーさんのストーリーのような美化と歴史の歪曲はオバマ次期大統領の演説や書き物の中にいくらでも見つけることが出来ますが、今日はアトランダムに彼の主著『The AUDACITY of HOPE :THOUGHTS ON RECLAIMING THE AMERICAN DREAM 』から一つだけ取り上げます。それは原書283頁のウッドロー・ウィルソンの美化です。:
■ Making “the world safe for democracy” didn’t just involve winning a war, he argued; it was in America’s interest to encourage the self-determination of all peoples and provide the world a legal framework that could help avoid future conflicts.■
「すべての民族の自決を奨励するのがアメリカの利益・・」とありますが、少し真っ当なアメリカ史の本をひもとけば、ウィルソン政権がハイチやドミニカ共和国に対してどんなひどいことをやっていたかが分かります。理想主義者ウィルソン大統領の美談ストーリーにごまかされてはなりません。
あえて言うならば、アメリカ初の(半)黒人大統領バラク・オバマの出現は、まず、オバマ自身によって brilliant に着想され、それがアメリカの白人支配層(White Elite System)の強力なマーケティング・マシーンによって見事に演出された壮大なアメリカン・ストーリーであるように、私には、思われてなりません。アメリカが直面している恐ろしいほどの内憂外患を克服するには、今までのブランド・ネームでは売れ行きが地に落ちて役に立たず、どうしても新しいブランド・ネームが必要、それが、夢のように素晴らしい、何と黒人のアメリカ合衆国大統領バラク・オバマ。本当は素晴らしい自由平等の國アメリカの感動的なストーリー、これにケチをつける人間こそどうかしている(Something’s wrong with you!)ということになっているようです。
藤永 茂 (2008年11月26日)
■ OBAMA: She was born just a generation past slavery; a time when there were no cars on the road or planes in the sky; when someone like her couldn’t vote for two reasons??because she was a woman and because of the color of her skin. And tonight, I think about all that she’s seen throughout her century in America??the heartache and the hope; the struggle and the progress; the times we were told that we can’t, and the people who pressed on with that American creed: Yes we can. At a time when women’s voices were silenced and their hopes dismissed, she lived to see them stand up and speak out and reach for the ballot. Yes we can. When there was despair in the dust bowl and depression across the land, she saw a nation conquer fear itself with a New Deal, new jobs, a new sense of common purpose. Yes we can.
AUDIENCE: Yes we can.
OBAMA: When the bombs fell on our harbor and tyranny threatened the world, she was there to witness a generation rise to greatness and a democracy was saved. Yes we can.
AUDIENCE: Yes we can.
OBAMA: She was there for the buses in Montgomery, the hoses in Birmingham, a bridge in Selma, and a preacher from Atlanta who told a people that “We Shall Overcome.” Yes we can.
AUDIENCE: Yes we can. ■
黒人老女アン・ニクソン・クーパーさんの話はまだ続きますがこの辺で止まって、幾つか註釈を加えたいと考えます。以前(2008年3月19日)のブログ『オバマ現象/アメリカの悲劇』で、私は、オバマは超エルマー・ガントリーのように思えて仕方がない、と書きました。今回の大統領当選勝利宣言を聞きながら、私はこの思いを再確認せざるを得ませんでした。こうした演説は当然レトリカルなものですから、私の物言いは下らない nitpicking と片付けられそうですが、上のブログで論じた「セルマの行進」の場合と同じく、オバマの歴史記述は余りにも不正確すぎ、その不正確さが臆面も無くレトリックとして活用されているのが気になります。アン・ニクソン・クーパーさんは1902年の生れだとします。彼女はアメリカの奴隷制度廃止から「ほんの一世代後」に生まれたと聞かされて、アメリカの若者の多くは多分30年前後と思うでしょうが、正式に憲法が改正されたのは1865年ですから「ほぼ一世代後」と言うべきでしょう。「10年やそこらの年月をとやかく言うのは馬鹿げている」とも言えますが、では「a time when there were no cars on the road or planes in the sky;(道に車は無く、空に飛行機の影も無いその頃)」はどうでしょう。ドイツのベンツ社は、1889年、ゴムタイヤ、変速ギアを装備したガソリンエンジン4輪車を売り出し、1899年にはアメリカのフォード社が設立されて、大衆むけの安価車の製造を目指し、1909年に売り出された歴史的名車「Tモデル」が最初の2年間で約3万台売りつくし、いわゆるマスプロダクションの時代が始まりました。これがアン・ニクソン・クーパーさんの生まれた時代状況であったのです。クーパーさんが田舎にいたか、都会にいたかの問題ではありません。次を読んで下さい。モンゴメリーのバス乗車黒人差別抗議にも、バーミンガムで人権闘争の黒人たちが消防車の放水(hoses)と警察犬の攻撃にさらされた時にも、キング牧師を先頭とする行進がセルマの橋をこえた時にも、“彼女はそこにいた”のです。つまり、黒人老女アン・ニクソン・クーパーさんは名弁士バラク・オバマが紡ぎだす(spin) 感動物語のシンボリックな狂言回しの役を担っているに過ぎません。調べてみる気にもなりませんが、この老女は強力なオバマのPRチームが「これはいける!」と掘り出してきた一人の最高齢の黒人女性投票者に過ぎなかったのだろうと私は推測します。
クーパーお婆さんストーリーはオバマの勝利宣言を締めくくる大フィナーレになっていますが、そのストーリーの間に「Yes we can」という言葉-つまり、オバマの選挙スローガン-が何と11回も繰り返されています。しかも、その4回は聴衆からの唱和です。これがアメリカの黒人教会の牧師説教のパターンを踏襲しているものであることをお気付きの方も多いでしょう。私はこの唱和が自然発生的なものではなく、演出されたのではないかと疑っています。しかし、前回に紹介したように、英文評論の達人ウッドさんは「Yes we can」という英語の使い方を褒め上げています。ウッドさんといえば、彼は次の文章もなかなかよく書けていると評価します。:「When the bombs fell on our harbor and tyranny threatened the world,・・・」。港とは勿論パール・ハーバーのことですが、ウッドさんは、オバマがただ「わが港」といった所がうまいとういのですが、日本人として、私はこの文章を好みません。
黒人老女アン・ニクソン・クーパーさんのストーリーのような美化と歴史の歪曲はオバマ次期大統領の演説や書き物の中にいくらでも見つけることが出来ますが、今日はアトランダムに彼の主著『The AUDACITY of HOPE :THOUGHTS ON RECLAIMING THE AMERICAN DREAM 』から一つだけ取り上げます。それは原書283頁のウッドロー・ウィルソンの美化です。:
■ Making “the world safe for democracy” didn’t just involve winning a war, he argued; it was in America’s interest to encourage the self-determination of all peoples and provide the world a legal framework that could help avoid future conflicts.■
「すべての民族の自決を奨励するのがアメリカの利益・・」とありますが、少し真っ当なアメリカ史の本をひもとけば、ウィルソン政権がハイチやドミニカ共和国に対してどんなひどいことをやっていたかが分かります。理想主義者ウィルソン大統領の美談ストーリーにごまかされてはなりません。
あえて言うならば、アメリカ初の(半)黒人大統領バラク・オバマの出現は、まず、オバマ自身によって brilliant に着想され、それがアメリカの白人支配層(White Elite System)の強力なマーケティング・マシーンによって見事に演出された壮大なアメリカン・ストーリーであるように、私には、思われてなりません。アメリカが直面している恐ろしいほどの内憂外患を克服するには、今までのブランド・ネームでは売れ行きが地に落ちて役に立たず、どうしても新しいブランド・ネームが必要、それが、夢のように素晴らしい、何と黒人のアメリカ合衆国大統領バラク・オバマ。本当は素晴らしい自由平等の國アメリカの感動的なストーリー、これにケチをつける人間こそどうかしている(Something’s wrong with you!)ということになっているようです。
藤永 茂 (2008年11月26日)