私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

エピファニーとベファーナおばあさん

2024-02-12 19:11:36 | 日記・エッセイ・コラム
 エピファニー(epiphany) という言葉を、私は、パラダイム(paradigm)という古くからある言葉に新しい意味を盛ったトマス・クーンという科学論者から学びました。ある日の午後、「アリストテレスの様な大賢人が、物体の運動については、ニュートン力学とは全然違う変な事を言っていたのは何故だろう」と、クーンが鉛筆を片手に持って考え込んでいたら、突然頭の中でお告げのように閃くものがあって、アリストテレスの運動学も立派に筋が通っていることが分かったのだそうです。手元の英和辞書には「本質の突然の顕現」とか「直感的な真実把握」とか出ています。もっとも、私の意見では、クーンの頭に閃いたこのエピファニーは本当の真理ではありませんでした。
 ところで、私の辞書では、「本質の突然の顕現」という意味より前に、先ずは、キリスト教で使われる言葉として(a)神の顕現(東方の三博士のベツレヘム来訪が象徴する異邦人に対する主の顕現) (b)公現祭、顕現日(=Twelfth Day)(1月6日、クリスマスから12日目)と出ています。そのお祭りの日、Epiphania Domini、について、ベニス在住の女性(二人の可愛い男の子の母親)から、とてもよい話を聞きましたので紹介したいと思います。

 ベファーナという名の女性は、東方の三博士のベツレヘム来訪にまつわる民話の中の女性です。ベツレヘムの厩で生まれた幼子イエスの所に、東方から「メルキオール」、「カスパール」、「バルタザール」の博士たちがやって来て、それぞれ贈り物をする話はご存知でしょう。イエス誕生の日から12日目の1月6日、博士たちは星に導かれてベツレヘムにやって来たのですが、幼子イエスの居場所がすぐには分からず、一人の老女「ベファーナ(Befana)」の住む家のところで、一緒に探しに来てくれるように頼みます。しかし、家の掃除に忙しかったベファーナは「今は忙しいから」と断ってしまいました。でも、博士たちが行ってしまった後で、ああ助けてやれば良かったと思い直して、生まれた赤ん坊にあげる贈り物を集め、家の戸を閉じて、聖なる幼子イエスを探しに出掛けましたが見つけることが出来ませんでした。しかし、その道すがら、沢山の可愛い赤ん坊たちに出会い、ベファーナはその一人一人にイエスを見たのでした。それで、ベファーナおばあさんは、それから毎年1月6日(エピファニー)になると子供たち皆にギフトを届けてまわることにしたのでした。ベニスの子供たちの毎年の楽しみだそうです。

 ベニスの子供たちは、クリスマスから新年元日を経てエピファニーへと、楽しい12日間を過ごしてから学校生活に戻ります。二児の母親から聞いたこの民話の筋では、良い子と悪い子の区別がなく、ベファーナおばあさんが全ての子供の中にイエスを認めたことになっています。これが肝心なところです。勿論、私は、全ての子供が天使だなどと思っていません。子供の世界は天国ではありません。私も小学校でひどいイジメを経験しましたし、私自身、邪悪な一面を持った子供でありました。全ての子供が良い心と悪い心を持っているというのが真実でしょう。しかし、我々大人に与えられるエピファニー(直感的な真実把握)によれば、子供たちは、大人になると消えてしまう、あるいは、消されてしまう、或る喜ばしきもの、或る聖なるものを持っているのは確かなように思えるではありませんか。だから、子供たちが酷く苦しめられたり、殺されたりすると我々大人は強い悲しみに襲われるのではないでしょうか。ガザでは毎日多くの子供達が無残に殺され続けています。ユダヤの支配者ヘロデ大王がイエスの誕生を聞いてベツレヘムで二歳以下の男児を皆殺ししたという聖書の記載を想起している人々、特に、イスラエルの人々が多いに違いありません。現在、ガザからの報道写真で、人々がロバに乗って逃げ惑っている場面をよく見かけます。母マリアと幼子イエスは、神のお告げに従って、ロバに乗ってベツレヘムを逃れることが出来ました。

 話が少々しんどくなり過ぎましたので、ロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く(Au hazard Balthazar)』という映画の話に切り替えます。私がこよなく愛する映画です。しかし、何度観てもこれでキッパリ分かったという気にはなりません。所持しているDVDには堀潤之(ほりじゅんじ)という方の36頁に及ぶ詳細有用な解説がついています。
 この映画の主役は一匹のロバです。解説によると、普通は愚鈍で気まぐれと考えられているロバが、実は「あらゆる動物のなかで最も繊細で最も知的な動物」であるとブレッソンは強調していたそうです。しかし、映画の構成は、賢明な一匹のロバの目に映った人間世界の悲しい物語といった格好になっている訳ではありません。ロバの方も、人間たちの恣意にさんざん引き摺り廻れた挙句に、流れ弾に当たって死んでいきます。人間たちの生き様、死に様と、ロバのそれとが絡み合って物語は進み、そして終わります。しかし、ロバが死ぬ場面が何とも美しい。胸に残ります。「ロバはキリストではないのですか?」という質問に、ブレッソンは、「ロバのバルタザールとキリストの類似を考えたことはありませんでした」と答えたようですが、おこがましくも、「あんな風に死ねたらいいな」などと考えているこの日頃です。

藤永茂(2024年2月12日)

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2 コメント

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Unknown (山椒魚)
2024-02-13 00:36:51
ネタニヤフは現代のヘロデ王なのですね。
1昨日古い友人が訪ねてきて、彼がパレスチナの男性と結婚した女性がパレスチナに帰国するビザがとれずに、現在パレスチナに関する以前に書いた本の再販を計画してその資金集めをしていると言う話を聞きました。結婚したとき7人の子供の母親になったそうですが内5人は死んで二人だけ残っているそうです。
ガザの子供の中に、復活したイエスがいると思いたいですね。
Unknown (荒野の一匹蝙蝠)
2024-02-13 07:58:56
X(旧Twitter)で日本中をロバと野営しながら2人(ロバも含めて)だけで旅するのがあり、とても面白いので飽きずに眺めてます。
ロバからの視点が面白いのです。
藤永茂さんの、ブログの最後のあたりで泣いてしまいました。
文章自体は哀しくないのに、現実が凄まじすぎるからでしょうか。
映画見てみたいと思います

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