まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

ブラック・ジャックのダイモーン

2019-07-24 15:43:13 | 日記
「ブラック・ジャック創作秘話」作画=吉本浩二 原作=宮崎克

痛ましい、なんて言葉にできない程に、打ちのめされましたでしょ。吉本がどうのとか、身近な問題でしたし、大切な報道には違いないのでしょうけれども、あの京都の悲劇を、キチガイの仕業だったのだから(仕方がない)、と、そう簡単に治めるわけにはいきませんでしょ。

人類史上において、凄惨な事件はたくさんありましたけれども、その反省を生かすことで、今日が築かれているという考え方は、間違っているのでしょうか。絶望するしかないのでしょうか。仮にそうだったとしても、達観なんて出来ませんよ、ねぇ・・・。

何かを痛めつけることは、自らをも傷つけるはず、僕はそう思っていますけれども、大義名分?があると、いとも簡単に、壊れてしまうのでしょう。むろん僕だって、その言葉や態度が酷いことは自覚していますけれども・・・。

例えば、手塚治虫という大きな存在に対して、その細部を批判するのは簡単なことでしょうし、時には必要なことでもなのかもしれません。けれどもその方法、手法に愛情が伴っていなければ、相手は少しも怯みません。まして、卑怯であったならば、怒りしかわきません。

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ありがとう(蟻が1匹)

2019-07-24 12:24:52 | 日記
一昨日、メイヤのライブに行ってきました。ビルボードさんから、招待券を2枚頂いたので、Ryoちゃんを誘って。メイヤさんは、(ウィキペディアによると)1969年2月12日生まれ。つまり、僕らの同級生。熟年ばんざい!熟女ばんさい!そう、彼女の齢の重ね方は美しかった。さらに、バンドのメンバーたちも素敵でした。でもね、何が嬉しかったって、やっぱし、Ryoちゃんと選挙の話ができたことです。それが何よりのストレス発散でした。

昨日は、酔いどれの私を乗せて、紫苑さんが運転をしてくれました。それで、(紫苑さんが検索してくれた)入間の卓球店で、ラケットを買いました。そう、僕は愚痴をこぼしたかったのです。するってぇと、彼は「勘」がいいので、ふたことみことで、すぐに察してくれました。有難いことでした。

えっと、古谷経衡さんによる、この記事は面白かった。「『NHKから国民を守る党』はなぜ議席を得たのか?」。彼が解説して下さらなければ、何が何だかわからないような感じでしたし、勉強させて頂きました。

僕は微力。蟻が10匹程度の力。だって、例えば、ケーコやカオでさえ、翻らないのだし。けれども、僕らの知恵や力は、少しは何らかの役に立ってはいるのだと信じたい。ライブ会場においては、拍手するだけでもいいのだろうけれども、今回はたまたま、あなたの演奏は素敵でしたよ、と、メイヤのピアニストに伝えることができました。あぁ、生きていてよかったな。楽しいな。

そうそう、愛しのエリーちゃん、令王ユニフォーム、ありがとう!
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あの糞は一体何なのだ!?

2019-07-23 15:09:22 | 日記
直視できないような現実を目の当たりにした時に、笑うことしか出来ないような自分に嫌気がさしています。怒りが強いけれども、ここで爆発させてどうなる。相手には嫌悪しか残らないのだし、まぬけな僕は正論で攻められるのだろう。何が変わる?自己満足に過ぎないじゃん。そんなわけで、内攻して、悲しみが増していきます・・・。

僕もいちおうプロですので、お客さまに対しては、自分の中のルールに準じて、それなりの節度を守っているつもりですし、自分の弱さや醜さについても、(自分なりに)ある程度は自覚しているつもりですので、その件に関して反論されたならば、言い訳は出来ません。謝るのみです。

但し、同僚たちに対しては違います。尊敬や、怒りや、悲しみを伝えなければならない時もあります。なぜ?気づいていないこともあるからです。気づいて欲しいからです。なぜ?僕にだって気づいていないことがありますし、何よりも、お客さまに対して、少しでも心地よく過ごして頂きたいから。それが僕らの仕事だから。余計なお世話しか出来ないような、因果な商売なのだから。

小説の構想が、2本(編)あります。タイトルは決めてあります。来年、地蔵ヶ岳に登頂して、「微笑観音」の個展を開催した後に、形にして残すつもりです。むろん、告発だとか、そういう類の内容ではなく、身を削りつつ、僕なりの「愛の形」を綴りたいのです。
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選ばれるケアワーカー

2019-07-23 11:49:51 | 日記
「私に優しさがなかったら、何にもなくなっちゃう」。これは、昨夜の相棒=フラワーさんだからこその名言でしょう。

介護士。「護」は、なんとなく、わかります。つまり、「護る」ってことなのかな、と。では、「介」とは何ぞや。「介助」「介入」。あんましイメージがわきませんけれども、まぁ、「関わる」というような意味なのでしょうかねぇ。

優しさってのは、優柔不断な姿勢と裏腹一体ですし、とっても難しい課題ではありますけれども、困っている人を見捨てることができないというような良さもある。逆に、「甘え」を排すような厳しい方もまた、別のタイプの優しさに違いなく、いずれも、尊い存在には違いありません。

ともあれ、大切な基準ってのは、実は単純で、誰に介護されたいか、ってことだと思うんです。そうして僕は、フラワーさんのような方に介護されたいわけですけれども、彼女を見習うこと、目指すことは出来ません。だって、努力じゃないんだもん。資質の問題なんだもん!
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ラジオの夢と糸電話

2019-07-23 01:35:53 | 日記
僕は、ブログでは饒舌ですけれども、実際には酷く口下手で、しかも、人の話をほとんど聞いていません、というか、覚えていません。はじめ人間はギャートルズ。最低人間はマヌケ~ズ。僕は、日本一まわりくどい男(by師匠)。

だから、と言うべきなのかどうなのか、僕は、ゆっくりと話して下さる女性が好みです。つまり、饒舌な女性には苦手意識があるのですが、むろん、だからこそ、リスペクトはしています。自分に欠けた才能って、羨ましいしいでしょ!

例外的に、小林アナとか、なんというか、気楽に聞ける感じが大好きですし、別のタイプですと、市川紗椰(カオスモス)さんや南波志帆さんのトークも素敵でしたけれども、なかなかどうして、憧れって、恋愛には発展しないんですよねぇ・・・。

たぶん僕にとっては、糸電話で繋がるようなコミュニケーションこそが、適度なのです。そいで、例えば松坂慶子さんって、あれこれ考えてなかなか言葉に出来ないタイプの方なので、そんな彼女と糸電話するようなイメージこそが、僕の天国というか、楽園。


「愛の水中花」松坂慶子
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