直視できないような現実を目の当たりにした時に、笑うことしか出来ないような自分に嫌気がさしています。怒りが強いけれども、ここで爆発させてどうなる。相手には嫌悪しか残らないのだし、まぬけな僕は正論で攻められるのだろう。何が変わる?自己満足に過ぎないじゃん。そんなわけで、内攻して、悲しみが増していきます・・・。
僕もいちおうプロですので、お客さまに対しては、自分の中のルールに準じて、それなりの節度を守っているつもりですし、自分の弱さや醜さについても、(自分なりに)ある程度は自覚しているつもりですので、その件に関して反論されたならば、言い訳は出来ません。謝るのみです。
但し、同僚たちに対しては違います。尊敬や、怒りや、悲しみを伝えなければならない時もあります。なぜ?気づいていないこともあるからです。気づいて欲しいからです。なぜ?僕にだって気づいていないことがありますし、何よりも、お客さまに対して、少しでも心地よく過ごして頂きたいから。それが僕らの仕事だから。余計なお世話しか出来ないような、因果な商売なのだから。
小説の構想が、2本(編)あります。タイトルは決めてあります。来年、地蔵ヶ岳に登頂して、「微笑観音」の個展を開催した後に、形にして残すつもりです。むろん、告発だとか、そういう類の内容ではなく、身を削りつつ、僕なりの「愛の形」を綴りたいのです。
僕もいちおうプロですので、お客さまに対しては、自分の中のルールに準じて、それなりの節度を守っているつもりですし、自分の弱さや醜さについても、(自分なりに)ある程度は自覚しているつもりですので、その件に関して反論されたならば、言い訳は出来ません。謝るのみです。
但し、同僚たちに対しては違います。尊敬や、怒りや、悲しみを伝えなければならない時もあります。なぜ?気づいていないこともあるからです。気づいて欲しいからです。なぜ?僕にだって気づいていないことがありますし、何よりも、お客さまに対して、少しでも心地よく過ごして頂きたいから。それが僕らの仕事だから。余計なお世話しか出来ないような、因果な商売なのだから。
小説の構想が、2本(編)あります。タイトルは決めてあります。来年、地蔵ヶ岳に登頂して、「微笑観音」の個展を開催した後に、形にして残すつもりです。むろん、告発だとか、そういう類の内容ではなく、身を削りつつ、僕なりの「愛の形」を綴りたいのです。