まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

あなた、ねえ、あなた

2021-07-29 23:12:06 | 日記
「錦繍」著者=宮本輝

モーツァルトは苦手です。けれども、淡い期待もあります。いつか彼の音楽が、いい意味で僕を裏切ってくれるのではないか、というような。

例えば南木佳士さんが、医師の視点、というか、その経験から得たであろう思考を捨てられないであろうのと同様に、というか、同様であるかどうかは別だとしても、少なくとも僕は、介護職としての経験を忘れたまま男女の行く末や家族のあり方を考えることが出来なくなっているような、そんな気がしています。同時に、年齢的なこともあるでしょう。つまり、驚くべきことに僕は、例えば夏目漱石の没年をとっくの昔に超えているわけなのです。この本を開いたのが何度目なのかは覚えていませんが、そんなわけで、介護職としての、そして53歳になった僕にとって、どんな新たな発見があるのか、興味深いような按配もありました。

「あなた、ねえ、あなた、たった三年ですわよ。その間、お金に困ることもあるでしょう。思わぬ生涯が待ち受けているかもしれません」

「ねえ、あなた」ではなく、「あなた、ねえ」でもなく、「あなた、ねえ、あなた、」。
下手な解説しますと、あくまで僕の夢想に過ぎませんが、ここに詩があるように思います。モーツァルトの技巧があるようにも思います。先ず、この本は書簡の小説なので、相手に伝える作文としては、必要のない呼びかけではあります。けれども主人公は、装飾したかった、強調したかった、訴えたかった、そして何よりも、甘えたかった。そう、甘えたかった。

いかなる悔恨も消えることがありません。後悔し、反省しつつ、運勢が上向くのか、さらに下がってしまうのか、お天気と同じくらい気まぐれなのでしょう。現実問題としては、男と女の関係は儚く、また、家族の絆も脆かったりもしますが、先ずはそこを見据えないと、何も始まらないような気もしています。

馬術が好きだ!

2021-07-28 12:36:46 | 日記
昔のことですが、僕には、馬術を習っていた時期があります。
まぁ、結果的には、単に乗馬を楽しんでいただけの、かなりお粗末なレベルに終始してしまいましたけれども・・・。

オリンピックっていいな、と思えることのひとつに、競技人口の少ないようなマイナーな競技にもスポットライトが当てられること。
けれども残念ながら、わが国の馬術が注目されることは少なく、それというのも、近年ではメダルとは無縁の結果が続いているからなのでしょう。

今回のオリンピックの馬場馬術の団体で優勝したのは、ドイツのチームでしたが、なんとまぁ、エントリーした4人全員が女性だったのですねぇ。
そう、馬術ってのは、性別を問わず、男と女が同じ条件で戦う唯一の競技なのです。つまりは、混合という概念すらないのです。

ちなみに、競馬に関しては、わが国でも女性騎手の活躍が目立つようになりました。彼女たちもまた、多少の斤量の恩恵はあるにせよ、同じ土俵で戦っていることには違いありません。
しかしながら、騎手の場合は、馬を動かす資質も必要なので、力(筋肉)があった方が有利とも言えます。
その点で、馬術ってのは、操る能力の方がより求められるので、性差はあまり問わないはず。たぶん。

ともあれ、もしも、現代のわが国の女性が、西竹一&ウラヌスのような活躍をしてくれたならば、爆発的な人気を得て、競技人口も増えるのではないか、な~んて、夢見ているわけなのです。
いつの日にか、そんな日が訪れるといいなと思うのは、やっぱし、乗馬の敷居が低くなれば、元競走馬たちのセカンドライフの需要も増えるはずですから、ねぇ。

あの負け犬にも似て哀しそうな、しかし無限に優しい眼差し

2021-07-28 07:34:21 | 日記
「ロング・トレイル!( A Walk in the Woods)」監督=ケン・クワピス

ブログで紹介したくなるような映画を久しぶり観たなぁ、と思いました。
まぁ、僕の場合は、ロバート・レッドフォードとニック・ノルティに多少なりとも思い入れがあるからこそ、こんな気分を味わったのでしょうけれども。

「もしも(空港の)ロビーにニック・ノルティがいて、あの負け犬にも似て哀しそうな、しかし無限に優しい眼差しですがってこようと、私の視線は止まりもしないだろう。元気をとりもどした私には、彼はもう必要ないからである。」
↑ 塩野七生さんのエッセー(「安眠剤」)から引用しました。

オリンピックにおける若者たちの活躍がたくさん報道されている最中だからこそ、僕の心に刺さった、ということもあるのかもしれません。
若者たちには若者たちなりの、そして、おっさんたちにはおっさんたちなりの冒険があるのだろうな、というような。

彼らは、当初の目的は果たせなかったのかもしれません。けれども、金メダルだけが人生にあらず、その後の人生にだって、味があるのかどうなのか。
女性の誘惑、お酒の誘惑、この描き方、ふたつの名シーンがとっても素敵でした。

餃子が好きだ!

2021-07-23 13:50:16 | 日記
餃子が好きだ!
餃子の好みなんぞ、人それぞれなのでしょうけれども、少なくとも僕には、確固たる嗜好があるみたいです。例えば、厚皮○ 薄皮× みたいな。
ですから、その取り寄せ(通販)を検討する際に、紫苑さんの意見は参考にしつつも、結局は自分の食べたい商品をポチってしまいました。
ともあれ、フラワーさんが気に入って下さると嬉しいなぁ。願わくば餃子パーティーなんぞ、したいなぁ・・・。

町中華が好きだ!

2021-07-23 13:30:45 | 日記
町中華が好きだ!

その昔の外食ってのは、少なくとも今現在ほどには、活性的ではなかったはずなのです。
むろん大昔から、例えば江戸時代の頃であれば、「そばや」や「うどんや」なんぞは存在していたにせよ、例えば大手のチェーン店だとか、そんな類は、僕の感覚的には、最近の話なのです。
ですから大昔、母が具合を悪くしたりなんかして、出前をとる、あるいは、外食に出る、な~んてことがありますと、忘れられない記憶として残っていたりなんかもするわけなのです。
そうして、僕らの世代の多くは、そんな風にして、ラーメンなどを口にしていたのではないでしょうか。

ちなみに当時は、マクドナルドなんて、お土産でしたから。というもの、その店舗が都市部に集中していましたので。
というわけで、僕らお子さんたちは、冷めたダブルバーガーやフライドポテトなんぞを、親の旅のお供、つまりはテイクアウトとして、嬉々として口にしていたのです。
そうそう、近所にロッテの工場があるからなのかどうなのか、ロッテリアに馴染むのは早かったように思うのですが、少なくとも人生初のモスバーガーは、高校生の時、新宿の小泉今日子のコンサートの時でした。

そんな世代に育ったひとりの偽らざる心境として、町中華以上のご馳走なんぞは、うな丼、あるいはうな重を除いては、ありま千円。きっぱり。
これらの雑誌(ムック)に、僕の愛するお店は掲載されていませんけれども、それで、安堵したり、残念だったり、両方の気分がありますなぁ・・・。
二郎系や家系も良いけれど、化学調味料にまみれた町中華にこそ、僕のルーツがあるのだという、そんなつまらんお話でした。はい。