大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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日々の恐怖 4月24日 鐘

2014-04-24 19:59:02 | B,日々の恐怖




   日々の恐怖 4月24日 鐘




 あたり一面山だらけ、どこを見渡しても山ばかりという地方の出身です。
小さい頃からお世話になっていたお寺に鐘がありました。
その鐘は不思議なことに布と縄でぐるぐる巻きにされていました。
鐘を撞く丸太もついていません。
 なのである程度の年頃になってアニメの一休さんなどを見るようになり、寺の隅の屋根つきの一角にあるべきものは鐘なんだな、ということがわかるようになりますと、そのぐるぐる巻きの中身は鐘なんだろう、と感じるようになるというくらいでした。
 小学生くらいの時に両親に、

「 なんでぐるぐる巻きなのー?」

と聞いた記憶はあるのですが、両親も特に詳しい由来など言わず、両親が子供のころからぐるぐる巻きであり、ぐるぐる巻きの鐘と呼んでいたとだけ言われました。
 そのときは、

「 ふうん。」

と言っただけで、実際のところ、

“ まあ、どうでもいいや・・・。”

と思って放置しました。


 すっかり時が経ち、私は大学進学のため実家を離れます。
夏休みに帰省をすると、田舎と言えど自分の家の周りにも、多少は開発の手が伸びていました。
 昔自分の部屋であった場所、今は物置となりつつあるのですが、窓際から景色を見てみると昔とは眺めが変わっており、自分の部屋から鐘のお寺を見ることができました。
お寺は山の上のほうにあるのですが、自分の部屋からは裏の里山が邪魔をしていて昔は見えなかったことを思い出しました。
そうか、虫を取ったりアケビを食べたりしたあの山も無くなってしまったか、と寂しがりつつ、窓から寺を見ていました。
 寺は自分の家からだと少々遠く小さく見えます。
夕飯時に、

「 裏山がなくなって寺が見えるようになったんだね。」

という話をしました。
すると両親からは、自分が大学に入った直後くらいに無人化してしまい、法事と祭りの時だけ、別の大きなお寺から僧侶を呼んでいると教えられました。


 ある夜のことです。
一人暮らしに慣れてしまったせいか、自分の部屋だというのに枕が合わないような気がして、なかなか寝付けない日がありました。
そのとき、

“ ぐうん・・。”

と低い低い音が聞こえました。

「 鐘の音?」

と思い窓の外に目をやります。
 満月に近い月の出ている夜でしたが、遠く離れた寺の鐘の様子など肉眼では見えません。
10秒ほど見つめていると、ほんの一瞬だけ人工的な光がチラッと目に入りました。
気になって小学校のときから、使っていた勉強机の引き出しを開けます。
母親が捨てていなければと、そこにあるはずの双眼鏡を探します。
 双眼鏡は昔のまま、そこにありました。
ほこりがついたレンズを覗き込むと、倍率は低いのですが暗がりの中にぼんやりと、動く人のようなものが見えました。
 3名ほどの人間が鐘撞き小屋のところで何かしているようです。
懐中電灯を持っているようですが、覆いをしているのか、時折周囲を照らすだけで様子がはっきりとは見えません。
 見たところ、3人がかりで地面に鐘を降ろしたようです。
先ほどの音は地面に落とした時の音でしょうか。
どうやら鐘撞き小屋から鐘を出せないでいるようです。
 この鐘撞き小屋には、屋根と屋根を支える四方の柱があり壁はありません。
しかし壁の代わりにその四方の柱同士が水平の柱でつながれています。
水平の柱は四方のすべての方向につけられていますので、それが邪魔をして鐘撞き小屋から鐘を出せないようでした。
 当時は金属の盗難が流行する前でしたので何をしているかわからず、私はただその光景を見ていました。
パジャマで双眼鏡のレンズを拭き、暗闇にも目が慣れてきました。
 連中は鐘に巻きつけられた縄に木の棒を通し、2人で棒の前後を持って持ち上げるようです。
鐘撞き小屋から出たか、というところで鐘が落ちました。
2人が耳を押さえます。
私がその光景を見た数秒後、

“ ぐうん・・。”

という音が聞こえてきました。
 鳥が飛び立つ音、犬が吠える声も聞こえます。
窓から見える家のいくつかに灯りがつきました。
そして双眼鏡からは、連中の姿はスッと消えました。


 次の日の朝、といっても私は昼近くまで寝ていたのですが、母親から、

「 昨日の音、聞いた?」

と聞かれました。
 洗いざらいを説明するのが面倒だったので適当に答え、また部屋に戻ると双眼鏡を覗きます。
鐘撞き小屋のところに何人かの人が集まっている様子だったので、何かおもしろいことはないかと、スーパーカブに乗って現場に向かいました。
 境内には白いわナンバーのバンが乗り付けられていました。
そして鐘撞き小屋の一段高くなったところの下に鐘が落ちていました。
警察の検証は終わったようで、犯人は車を捨てていなくなったとのことです。
盗られたものもなく、近隣の警察と寺、自治体に連絡しておく、とのことでした。
 その一方で僧侶の代わりに日ごろの運営をしている村の消防団の人たちが鐘をどうするか、という話をしていました。

「 もう1回かけるか?」
「 もうこのままにしておいたらどうか。」

 その話し合いを遠巻きに見ている人々の中に、A君のおばあさんがいました。
A君は小学生の頃に一家で村から引越していったのですが、おばあさんだけが残っていました。
 自分は既にA君と音信不通でしたが、 おばあさんは孫と同い年の自分に良くしてくれるので、この年になるまでときどき家に遊びにいくという関係が続いています。

俺「 お久しぶりです。」
婆「 俺ちゃんか。泥棒じゃないかって。嫌な世の中だね。」
俺「 鐘なんて売れるんですかね。」
婆「 戦後は鉄くず屋が来て自転車でも買っていったもんだけど。」
俺「 なんでも鑑定団なんかに出そうとしたのかな。」
婆「 ごぜさんの鐘だなんてお金もらっても欲しくないわ。」
俺「 ごぜさんの鐘?」

 おばあさんから教えてもらったことによると、このあたり一帯では昔、盲目の子供が生まれると、男も女もごぜさんにもらわれていったとか。
男はまた別のグループに引き渡され、女はごぜさんとして一生を送ったそうです。
この鐘は遠い昔には普通の鐘として使われていたものが、いつしかごぜさんを呼ぶ合図の鐘として用いられるようになったということでした。


 その日の夕食、両親との会話の中で鐘の話になりました。
私が、ごぜさんの鐘というと両親とも、

「 え・・・・。」

という顔になりました。
 両親の話によると、ごぜさんの鐘とは確かにごぜさんを呼ぶものです。
ただし鐘が鳴るのは盲目の子供が生まれた場合に限らない。
寒村では子供を育てるのに厳しい年もあり、口減らしをしなくてはならないこともあったとか。
 育てられない子供が出てしまった家では、両親が子供の目を潰し鐘を撞いたそうだ。
ごぜさんの旅は辛くとも、娯楽の少ない時代、行く先々では大切にされたそうだ。
そのうち、子供の目を潰すことができなかった両親が鐘撞き小屋に子供を置き、ごぜさんの鐘をついて連れて行ってもらうのを待つようになった。
 当然ながらほとんどの子供は凍死する。
住職は数え切れないほど多くの子供が冷たくなっているのを見つけ、その服を鐘撞き小屋の柱に巻いて弔ってやった。
 そのうち、ごぜさんの鐘の周りで子供の霊を見たとか、遭難したごぜさんの列が歩いているのが見えるとかいう噂が広まり、風の強い日には両手で耳を塞いでもごぜさんの鐘の音が聞こえると言うものまで出た。
これでは、ということで鐘撞き小屋に残されていた子供の服と荒縄で鐘をぐるぐる巻きにして、二度と鐘の音が鳴らないようにしたんだそうだ。
 両親とも、

「 ごぜさんの鐘鳴らすよ!」

という脅しの悪いことをした子供への警鐘と、上のような背景は聞いていました。


 この一件があってからもずいぶん経ちます。
それで、ふと思うことがあります。
 日本から昔のままのごぜさんが廃れて久しいです。
歌や風習を伝える人はいても、本物のごぜさんはもういない。
日本のどこを探しても、ごぜさんが歩く列は見られない。
 あの夜、ごぜさんの鐘を盗もうとした連中がいた。
そして、鐘を落とした連中は警察を恐れて逃げ出したんだろうと思います。
 しかし、こう考えればどうでしょうか。
あの夜、連中はごぜさんの鐘を不注意にも鳴らしてしまった。
そして、遣って来たごぜさんに有無を言わせず連れて行かれた。
連中の姿が双眼鏡からスッと消えたのを見たときは、

“ あ、逃げたな・・。”

と何とも思いませんでしたが、瞬間で連れて行かれたと思えば、思えなくも無いのです。













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