大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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☆( 1年間366日分の日々の出来事  )

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☆(  しづめばこ P574 )                          

日々の出来事 9月30日 ロビンソン・クルーソー

2018-09-30 10:36:16 | A,日々の出来事_







 日々の出来事 9月30日 ロビンソン・クルーソー







 今日は、ロビンソン・クルーソーが無人島に漂着した日です。(1659年9月30日)
ロビンソン・クルーソーは、無人島に漂着した日、大きな柱に “1659年9月30日、我ここに上陸す” とナイフで刻み付け、この柱で十字架を作って最初に上陸した地点に立てました。
 さらに、この四角い柱に毎日刻み目を入れ、7番目ごとに刻み目を2倍の長さにして週を表現し、さらにそのまた2倍の長さの刻み目を毎月の第1日目に入れました。
そして、ロビンソン・クルーソーは、この日付を刻みながら、1686年12月19日に脱出するまで、28年2ヶ月と19日間の冒険を繰り広げます。
 ダニエル・デフォーの書いたこの小説“ロビンソン漂流記” (1719年)は、スコットランドのアレキサンダー・セルカークの無人島生活を元に創作されました。
“アレキサンダー・セルカークの無人島生活”は実話で、1704年、チリ沖合のファン・フェルナンデス諸島の無人島であるマサティエラ島に、航海長であったアレキサンダー・セルカークが船長との争いがもとで一人置き去りにされ、4年4ヶ月の自給自足生活の後、1709年に海賊船に助けられたと言う出来事です。
 その後、1966年、このマサティエラ島は、ロビンソン・クルーソーの話のもとになった島と言うことで、ロビンソン・クルーソー島と改名されて現在に至っています。







  ロビンソン・クルーソー

















☆今日の壺々話







  古典的な“三つの願い”の話




「 あ~、もう、退屈だ。」
「 ホント、退屈だなァ。」
「 難破した船から投げ出されて、助かったのはこの三人だけだったよな。」
「 そうだよ、もう、この無人島に流れ着いて10年だもんな。」
「 あらっ、あんな所に壺があるぞ。」
「 ちょっと、開けてみよう。」

“ ボワッ。”

「 あっ、壺の中から、魔人が現れたぞ!」

『 呼ばれて飛び出す、ジャジャジャジャ~ン!!
 お前たち、三つの願いを叶えてやろう。』

「 ラッキー、ちょうど三人だ。」
「 ひとり、一つずつだな。」
「 じゃ、俺から行くぞ。
 フッ、フッ、フッ!
 世界中の富を手に入れて、ニューヨークの大きな家で暮らしたい!」

『 分かった。』

“ ヒュ~ン。”

「 あ、一人目が行っちゃった。
 じゃ、次は、俺だ。
 俺は、もっと凄いぞ、ムフフフフフ!
 世界中の富と、それから綺麗なネェ~チャンをいっぱい手に入れて、
 パリで暮らしたい!」

『 分かった。』

“ ヒュ~ン。”

「 あァ、二人とも行っちゃった・・・・。」
『 さあ、あとはお前だけだ。
 最後の願いを言え。』
「 う~ん、俺は、酒があれば充分なんだが・・・・。
 それに、この島の生活も静かで好きだし・・・。
 でも、話し相手が無いと寂しいなァ~。」

『 分かった。』

“ ヒュ~ン、あ!”
“ ヒュ~ン、あ!”

『 じゃあな。』



















     無人島




 無人島に一組の若い夫婦と若者が漂着しました。
男たち二人は助けの船が通りかかるかも知れないので、交代で海を見張ることにしました。
 先に若者が一番高い木に登り監視を始めました。
しばらくすると木の上から若者が叫びました。

「 ちょっと!
 人が見張りしてるからって、そんなところでセックスしないでくださいよ!」

夫はびっくりして叫びました。

「 何を言ってるんだ!セックスなんかしていないよ!」

しばらくして、また若者が叫びました。

「 セックスはやめてください!」

夫はあわてて叫び返しました。

「 だから、セックスなんかしてないったら!」

そうこうするうち、見張り交代の時間が来ました。
木の上に上った夫はつぶやきました。

「 ほほう、なるほどここから見ると、本当にセックスしてるみたいに見えるな。」



















航海実習




 職場の後輩が高校時代に実際に体験した話。
後輩の高校は船乗りの養成やってる学校で、実習で実際に船にのって海にも出てたそうです。
これはグワムだかハワイだかへの遠洋実習のときの話です。

 航海から何日かした早朝に突然、船が航行不能になりました。
船長、教官以下で原因究明したところ、機関には異常はないが、スクリューが動かないことが判明しました。
船尾から観察したところどうやらスクリューに異物がからまったとのこと。
 船尾から観察するかぎりなにか大きいものがスクリューに巻きついて、よく見ると大型のイカからしかった。
巻きついていない触手が海に漂っているが長さは少なく見積もっても15m以上はあった。(基準は船体で約50mだったそうです。)
イカの本体は船体の下に入って確認できず、おそらくすでに死んでいる。
スクリューを逆転させても触手は排除できず、直接取り除く以外ない。

 結局、ロープとカラビナでダイバー要員が二人ナイフとノコギリを持って、潜行作業のため海中へと消えていきました。
2~3分でダイバーが一人浮上し作業は困難で一時間以上はかかるのと、絡まっているのは見たこともないくらいの大型のイカであると言った。
ダイバーは作業に戻り浮き沈みしながら30分ほどたったころ、突然二人のダイバーが一緒に浮いてきて何か叫んでいます。
ふたりは「はやくあげろ!」と叫んでいました。
 わけもわからず船上で数人が二人のロープを引き上げました。
最中に船に少し大きめの衝撃に続き、地震のような揺れがありました。
それはダイバーを引き上げた後も数秒続き、最後にまた大きな衝撃とともにおさまりました。
船上のいる者は一斉に海中を覗き込みます。
みな声を失いました。

 船長以下が水面に見たものは、巨大なイカの本体部分とそれをくわえた有り得ない大きさの鮫の魚影でした
水深は約3mほどを目算で畳六畳ほどのイカと体長20mほどの鮫の魚影。
シルエットでしか目視していないが間違いなくホホジロザメに似た形。
それはそのまま海底へと消えていったそうです。
 おれはこの話を聞いたときマッコウクジラかジンベイを見間違ったのではと疑いましたが、同乗していたベテランも当のダイバーも間違いなくホホジロザメだと譲らないし、ジンベイがそんな大きいものは食さない、とのこと。
結局スクリューはシャフトを曲げられ作動不能になった。
おそらく鮫らしきものが絡まったイカを無理やり引きちぎったのが原因らしい。

 すったもんだして救難信号で通りかかった日本行きのオーストラリアの商船に牽引してもらい、数日後には日本に帰国したそうです。
スクリューに絡まったイカの足はほとんど消えていたそうです。
さて、彼らの見たものはいったいなんだったのでしょう?
いったい船長はどう報告して、航海日誌にはなにを書いたのか興味が湧きます。



















       良栄丸事件





  1927年10月31日、 カナダ西海岸バンクーバー島

 ワシントンのシアトル港への帰路についていたアメリカの貨物船マーガレット・ダラー号は、行方不明になっていた小型漁船良栄丸を発見した。
 ボロボロに朽ち果てた船体、ミイラの転がる甲板、白骨体、足の無い死体。
船室には、頭蓋骨を砕かれた白骨体とミイラがあった。
船室奥の部屋には、おびただしい血痕が染み付いていた。
 船尾の司厨室では、海鳥の白い羽が至るところに散らばっており、コンロの上にあった石油缶の中には、人の腕が入っていた。
船内には食物も飲料水も無く、エンジン機関部は全て破損していた。
そして、船長室から見つかった3冊のノートには、信じられない惨状が書かれていたのだった。




良栄丸の情報


・重量は19tで1本マスト。
・船主は和歌山県の藤井三四郎。
・船長は三鬼時蔵。
・機関長は細井伝次郎。
・乗組員は12名。
・神奈川県の三崎港を出港したのは1926年12月5日。
・約1年間漂流していた。



 1926年12月5日、神奈川県の三崎港を出港した良栄丸は、千葉県銚子沖にマグロを求めて進んでいた。
天候も思わしくなく、エンジンが調子の悪い排気音を立てていたため、翌12月6日に銚子港に寄港した。
 しかし、エンジンに故障はなく、銚子の沖合いで大量のマグロを水揚げした。
が、暴風に見舞われて航行不能に陥ってしまった。
そして12月15日、銚子の東方沖合い1000マイルほど流された時、紀州船によく似た船が現れたので、信号を送ったり船員が叫んだりしたのに、応答も無く通り過ぎてしまったという。
 三鬼船長は漂流を決意、記録には“4ヶ月間は食べられる”と書いてあった。
12月16日にも東洋汽船と書かれた船が近くを通ったが、応答はなかったという。
なんとか日本へ戻ろうと努力したが、どうやっても逆に流されていった。
 記録にはこう書かれている。

「 どう工夫しても西北へ船は走らず絶望。
ただ汽船を待つばかり。
反対にアメリカへ漂着することに決定。
帆に風を七三にうけて北東に進む。
しかし、漁船で米国にたどりつこうとするは、コロンブスのアメリカ大陸発見より困難なりと心得るべし。」



     日記記録


「12月27日。カツオ10本つる。」

「1月27日。外国船を発見。応答なし。雨が降るとオケに雨水をため、これを飲料水とした。」

「2月17日。いよいよ食料少なし。」

「3月6日。魚一匹もとれず。食料はひとつのこらず底をついた。恐ろしい飢えと死神がじょじょにやってきた。」

「3月7日。最初の犠牲者がでた。機関長・細井伝次郎は、“ひとめ見たい、日本の土を一足ふみたい”とうめきながら死んでいった。全員で水葬にする。」

「3月9日。サメの大きなやつが一本つれたが、直江常次は食べる気力もなく、やせおとろえて死亡。水葬に処す。」

「3月15日。それまで航海日誌をつけていた井沢捨次が病死。かわって松本源之助が筆をとる。井沢の遺体を水葬にするのに、やっとのありさま。全員、顔は青白くヤマアラシのごとくヒゲがのび、ふらふらと亡霊そっくりの歩きざまは悲し。」

「3月27日。寺田初造と横田良之助のふたりは、突然うわごとを発し、“おーい富士山だ。アメリカにつきやがった。ああ、にじが見える。”などと狂気を発して、左舷の板にがりがりと歯をくいこませて悶死する。いよいよ地獄の底も近い。」

「3月29日。メバチ一匹を吉田藤吉がつりあげたるを見て、三谷寅吉は突然として逆上し、オノを振りあげるや、吉田藤吉の頭をめった打ちにする。その恐ろしき光景にも、みな立ち上がる気力もなく、しばしぼう然。のこる者は野菜の不足から、壊血病となりて歯という歯から血液したたるは、みな妖怪変化のすさまじき様相となる。ああ、仏様よ。」

「4月4日。三鬼船長は甲板上を低く飛びかすめる大鳥を、ヘビのごとき速さで手づかみにとらえる。全員、人食いアリのごとくむらがり、羽をむしりとって、生きたままの大鳥をむさぼる。血がしたたる生肉をくらうは、これほどの美味なるものはなしと心得たい。これもみな、餓鬼畜生となせる業か。」

「4月6日。辻門良治、血へどを吐きて死亡。」

「4月14日。沢山勘十郎、船室にて不意に狂暴と化して発狂し死骸を切り刻む姿は地獄か。人肉食べる気力あれば、まだ救いあり。」

「4月19日。富山和男、沢村勘十郎の二名、料理室にて人肉を争う。地獄の鬼と化すも、ただ、ただ生きて日本に帰りたき一心のみなり。同夜、二名とも血だるまにて、ころげまわり死亡。」

「5月6日。三鬼船長、ついに一歩も動けず。乗組員十二名のうち残るは船長と日記記録係の私のみ。ふたりとも重いカッケ病で小便、大便にも動けず、そのままたれ流すはしかたなし。」

「5月11日。曇り。北西の風やや強し。南に西に、船はただ風のままに流れる。山影も見えず、陸地も見えず。船影はなし。あまいサトウ粒ひとつなめて死にたし。友の死骸は肉がどろどろに腐り、溶けて流れた血肉の死臭のみがあり。白骨のぞきて、この世の終わりとするや。」


 しかし、記録を調べるうちに、奇怪な事実が浮かびあがった。
数十回に渡って他の船にであっていながら、救助に応答する船は一隻としてなかったことだ。
そして、良栄丸は太平洋横断の途中、たった一つの島さえも発見できなかったのである。
 しかし、アメリカの貨物船ウエスト・アイソン号のリチャード・ヒーリィ船長は、次のように述べている。 

「 1926年12月23日、シアトルから約1000キロの太平洋上で波間に漂う木造船を発見したが、救助信号を送っても返事が無いので近づきました。
しかし、良栄丸の船窓や甲板に立ってこっちを見ていた10人ほどの船員は、誰一人として応えず、馬鹿らしくなって引き上げたのです。」

だが、良栄丸の記録に、このことは書かれていない。

















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9月29日(土)のつぶやき

2018-09-30 07:03:38 | _HOMEページ_






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しづめばこ 9月29日 P532

2018-09-29 19:55:26 | C,しづめばこ



 しづめばこ 9月29日 P532  、大峰正楓の小説書庫で再開しました。


小説“しづめばこ”は読み易いようにbook形式になっています。
下記のリンクに入ってください。
小説“しづめばこ”



大峰正楓の小説書庫です。
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日々の出来事 9月29日 招き猫

2018-09-29 11:28:02 | A,日々の出来事_







 日々の出来事 9月29日 招き猫







 今日は、招き猫の日です。
招き猫の日が9月29日なのは、“来(9)る、福(29)”と言う語呂合わせです。



     招き猫の由来

 江戸時代、彦根藩の井伊直孝が鷹狩りの帰りに雨に会い、東京都世田谷区の豪徳寺の木の下で雨宿りをしていました。
すると、寺に飼われていた一匹の三毛猫が井伊直孝に向かって手招きをしています。
不思議に思った井伊直孝は、その猫に近付いて行ったところ、突如、先程雨宿りしていた木に落雷があって木は丸焦げになってしまいました。
 難を逃れたことに喜んだ井伊直孝は、荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をしました。
そして、境内に招猫堂が建てられ、猫が片手を挙げている招き猫が作られるようになりました。








  招き猫(豪徳寺)


















☆今日の壺々話










   マネキネコ (=^・ω・^=) m” コンニチワァ~♪

・挙げている手

 右手・・金運を招きます。(オスです。)
 左手・・客を招きます。(メスです。)

 京都限定版
 右手・・昼の商売が繁盛します。
 左手・・夜の商売が繁盛します。

・手の高さ

 高ければ高いほど、遠くの福を招きます。

・体の色

 三毛・・・幸運を招きます。
 黒・・・・病除け、厄除け、ストーカー除けです。
 白・・・・福を招きます。
 金・・・・金運を招きます。
 赤・・・・病除け、魔除け、無病息災です。
 ピンク・・恋愛運が向上します。
 黄・緑・・風水で利用します。


・ドルキャット(dollar cat)

 外国人のおみやげ用の青い目をした招き猫です。
 小判のかわりにドル硬貨を持っています。
 手招きは、日本のものと逆で、手の甲をこちらに見せています。

招き猫は、中国やアメリカにも訳も無くゴロゴロいます。

    ~(=^・ω・^)_旦~~ お茶でもどぞニャ~!

















ねこ史





年代 事件
9500年前 キプロス島のねこ、墓に埋められる(Science)
奈良時代 ねこ、中国から日本に渡来か
705 記録された最古の日本ねこ(日本霊異記)
平安時代中期 命婦のおとど、犬に襲われ逃げる(枕草子)
平安時代中期 唐猫のせいで柏木が女三宮を目撃(源氏物語)
鎌倉時代後期 何阿弥陀仏とか、いもしない猫又に腰を抜かす(徒然草)
中世 ヨーロッパのねこ、狩られる
安土桃山時代 化け猫、鍋島家を襲う
江戸時代初期 ねこ、放し飼いになる
1697 粉屋の三男、おかしなねこを相続する(長靴をはいた猫)
1865 チェシャ猫、笑いだけ残して消える(不思議の国のアリス)
1906 ねこ、語る(吾輩は猫である)
1919 猫、配達を始める(ヤマト運輸創業)
1924 山猫、料理に逃げられる(注文の多い料理店)
1926 猫の事務所が廃止される(猫の事務所)
1955 クレイジーキャッツ結成
1963 ねこ、宇宙へ
1965 イリオモテヤマネコが見つかる
1969 ネコ型ロボット、未来からやってくる
1978 猫、探偵を始める(三毛猫ホームズ)
1980 猫「なめんなよ」とグレる
1981 のらねこ、踊りだす(CATS)
1998 食肉目がネコ目になる(文部省学術用語集)
2112 ネコ型ロボット誕生
























その(1)

着替えをしていたら、背中にさくっと爪が立てられました。

「 何するですか。痛いです。」
『 どこへ行くのです。』
「 買い物です。」
『 今日は休みの筈です。』
「 猫缶は重いのです。仕事帰りにはツライです。」
『 あたくしのためにはそのくらいしなさい。』
「 それに帰り道の店にはチャオの焼きかつおが無いのです。」
『 焼きかつお。』
「 そうです。レンジで10秒間暖めてほぐしてさしあげているあの焼きかつおです。」
『 では仕方ないわね。』
「 はい、行ってきます。」
『 お待ちなさい。』
「 痛いです!なんでしょうか。」
『 チャオは本格だし風味よ。いりこはいまひとつだわ。』
「 わかりました、行ってまいります。」

休日はだいたいこんな感じです。



その(2)

掃除機をかけていたら、食卓の調味料を床に落とされました。

「 すみません、ご機嫌斜めの理由がわかりません。」
『 今日も掃除機と戯れているからよ。あたくしがあの子と相性がよくないのは知ってるでしょ。』
「 存じあげておりますが、室内の清潔を保つためには。」
『 箒とちりとりがあるでしょう。』
「 あれは効率が。」
『 言い訳はおよしなさい。あれなら一緒に戯れてあげましょう。』
「 あれは戯れるためのものでは。」
『 あたくしの言うことがきけないというの?』
「 いえそんな事は。」

そんなわけで我が家の掃除はえっらい時間がかかるのです。



その(3)

帰宅したら頭突きをくらいました。

「 びっくりしました。何かあったのですか。」
『 いくら外へ出ないあたくしでも、日曜日が休日だということは知っています。』
「 今日は日曜出勤というものに出かけておりました。」
『 にちようしゅっき。』
「 はい。」
『 そんなもののためにあたくしを12時間も放っておいたのですか。』
「 あ、でも代休が発生します。」
『 では“だいきゅう”の日には、あたくしをいちにちじゅう可愛がるのです。』
「 承知しました。」
『 今日は正座で勘弁してあげましょう。』

えーと、身動きできません。
でも、膝の上があったかいので幸せです。


















猫の一日





・午前5時
昨日は昼寝し過ぎた。
ちょっと早く起きすぎたな。


・午前5時半
二度寝しようと思ったが、目が冴えてしまっている。
仕方が無いので飯でも食うか。


・午前5時35分
ぐーすか寝ている下僕を起こしに行く。
自分で起きろよ、ったく。


・午前5時45分
起きろと言ってるのに起きない。
仕方ないので顔に爪をたてた。


・午前5時50分
情けない声を出して下僕が起きた。
トロいんだよ、全く。
早く飯用意しろよ。


・午前6時
飯も食い終わったし、食後の運動でもするか。


・午前6時5分
二度寝しようとしていた下僕をたたき起こし、ネコジャラシを用意させる。
もっと気持ち込めて振れよ。


・午前6時10分
少し疲れた。
おい下僕、撫でろ。


・午前6時15分
逃げようとする下僕を捕まえ、もっと撫でさせる。
何?
久々の休みなのに、何でこんなに早起きしなくちゃならないの、だと?
知るか、そんなもん。
もっと撫でろ。


・午前6時半
満足した。
ちょっと、昼寝でもするか。
何?そこをどけだと?
このベッドは俺様の物だ。
下僕は床で寝ろ。


・午前7時半
美味しそうな匂いで目が覚める。
おっ、うまそうなベーコンじゃないか。
一切れと言わず、全部よこせ。


・午前8時
下僕がテレビを見ている横でのんびりする。
おい、寝てんのに触んじゃねーよ。


・午前8時10分
友達と用事があるらしい。
下僕は着替えて出かけて行った。
早く帰って来いよ。
暇だろうが。


・午前9時
暇だ。
外に出たいが、鍵が掛かっている。
仕方ないから一番涼しいタンスの上で寝るか。


・午前9時5分
タンスに乗る用の机にあった花瓶落っことした。
こんなとこに花瓶おいとくなよ。
水か掛っただろうが。


・午後1時
寝過ぎた気がするが、気のせいだろう。
用意されていた飯を食うが物足りない。
早く帰ってこいよ、下僕め。


・午後2時
鍵みたいな物が落ちてたので、弾いて遊んでいたら冷蔵庫の下に入ってしまった。
こんなところに置いてある冷蔵庫が悪い。


・午後3時
カーテンにひっついていた虫を捕まえようとしたら、引っかかって降りれなくなった。
必死で取ろうとするが、右手を外したら左手がくっ付く。
左手を外したら、今度は右手がくっ付く。
ヤバい、ヤバい。
どうしよう。


・午後3時20分
結局、一番上まで来てしまった…。
この高さから落ちたら、真面目に死ぬ。
誰か助けて。


・午後3時25分
下僕が帰ってきた!
早く助けてくれ!


・午後3時半
疲れた…。
下僕、コノヤロウ笑ってんじゃねえよ。
もっと早く帰って来いよ。


・午後3時40分
下僕が文句言いながら、壊れた花瓶を片付けていた。
さっきまで笑っていたのに、忙しいやつだ。


・午後4時
下僕がパソコンをしている。
手元のデコボコしている台の上に乗ったら、下僕が叫んだ。
消えちゃったじゃー!とか言いながらパニクっている。
断じて俺様のせいではない。
全部、下僕が悪い。


・午後4時10分
また、眠くなってきた。
下僕はパソコンの前でグッタリしている。
何かあったのだろうか。
まあ、大したことでは無いだろう。


・午後6時半
昼間遊び過ぎたせいで寝過ぎた。
下僕がふてくされて飯を用意しなかった。
腹が立ったので、尻に噛みついてやった。
俺様に逆らおうなど100万年早いわ。


・午後7時
下僕は、もそもそとコンビニ弁当を食べている。
たまにはコイツの膝で寝るのも良いもんだ。


・午後7時半
下僕は弁当を食べ終えた。
ん?なんか変だな。
下僕の足が痙攣している。
気味が悪いので違うとこで寝るか。


・午後8時
気がついたら、外がもう暗かった。
外を眺めてまったりしていると、下僕がカーテン閉めやがった。
空気嫁。


・午後9時
下僕はシャワーを浴びている。
鞄の中に何か光る物があったので、取ろうとしたら抜けなくなった。
チクショウ、下僕め謀ったな。


・午後9時半
下僕が出て来たようだが、ひとしきり笑ったあと、助けずにスルーしやがった。
後で覚えとけよ。


・午後9時40分
何とか自力で脱出した。
今夜は下僕の枕元で大運動会してやる。


・午後10時
下僕がなかなか寝ないので仮眠をとることにする。

・午後11時
なんか凄く眠い。
昼間遊び過ぎたか。
なんかやらなくちゃいけない事があった気がするが、気のせいだろう。

お休み。



















トラ猫





 数年前、我が家の庭先に老齢のメス猫がやってくるようになった。
毛並みが悪く、あちこち傷だらけ、おそらく縄張り争いに負けて我が家に逃げ込んできたのだろう。
いつもなら餌などやらない。
居着かれると困るからだ。
 以前、優しい気持ちで野良猫たちに餌をやったとき、最終的に16匹もの猫たちの世話をすることになってしまい、餌代や避妊手術代もバカにならなかった。
おまけに近所からの苦情もきた。以来、可哀想だとは思いながらも無視することにした。
 が、その老齢のメス猫だけは放っておけなかった。
妊娠していたらしく、今にも産まれんばかりにお腹が大きい。
出産にも体力がいるだろうし、子育てにも体力がいる。
こんな傷だらけで餌も捕れない有様ではと、想像するとあまりに不憫で、思わず固形フードを与えるようになった。
 老猫は我が家の庭のどこかに居着き、そこで子猫たちを生んだ。
しまいには、親子揃って縁側で餌をねだるようになった。
やがて子猫たちも大きくなり、一匹、二匹と親離れをしてどこかへ行ってしまった。
ところが、一匹のトラ猫だけがいつまで経っても親離れしない。
親より大きな体で母親の乳を吸いたがり、餌も獲らない。
最終的に、親猫の方が子猫を我が家に残し、姿を消した。
 残されたオスのトラ猫は、それから一年ほど我が家で餌をもらって過ごした。
たっぷり美味しいものを食べているのだから、近所のどのオス猫より体も大きかった。
それでわたしはある時、そのトラ猫に餌をやりながらこんなことを言った。

「 お前はどんなオス猫より立派で強いんだから、そろそろ自分で餌を獲ったらどうだ?」

 その次の日、トラ猫が庭先から消えてしまった。
最初は死んだのではないかと心配していたが、わたしが近所を散歩してた時、例のトラ猫が元気に歩いている姿を見かけてホッとした。
猫に人間の言葉が理解できるはずもないが、彼はやっとひとり立ちしたのだ。

 それから数年、トラ猫は近所のボス猫として暮らしながらも、我が家の庭先に姿を見せることはなかった。
それがついこの間、突然縁側にやってきて「二ャぁ~」と鳴くのだ。
 初めは空耳かと思っていたが、確かに窓の外で猫の声がする。
のぞいてみると、あのトラ猫が庭木の下にちょこんと座ってわたしを見ていた。
それからまた、「二ャぁ~」と鳴く。
 久しぶりにやってきたトラ猫に嬉しくなって、わたしは急いで冷蔵庫にソーセージを取りに走ると、トラ猫の近くに投げてやった。
ところがトラ猫は見向きもしない。
ただじっとわたしの顔を見つめ、「二ャぁ~」と鳴くと、スタスタと行ってしまった。
 ヘンな気分だった。
まるで挨拶しに立ち寄ったみたいだ。
だが、その時はいくらも気にしなかった。
 次の日、我が家で飼っていた愛犬が突然死した。
前日まで病気の気配すらなかったのに、朝起きて犬小屋に行くと、愛犬はすでに冷たくなっていた。

 それから二週間後、また例のトラ猫が縁側にやって来て「二ャぁ~」と鳴いた。
わたしが顔を出すと、確認するようにもう一度鳴き、どこかへ行ってしまった。
二日後、親しくしていた近所の御夫婦が相次いで脳梗塞で倒れ、搬送先の病院で息を引き取った。

 一ヵ月後、またトラ猫がやってきて「二ャぁ~」と鳴いた。
さすがにわたしも薄気味悪くなっていた。
あの猫が庭先で鳴くと、必ず悪い出来事があると気が付いたのだ。
だから無視していたが、いつまでも鳴いている。
あんまりしつこいので顔を出すと、わたしの目をじっと見つめた後「ニャぁ~」と鳴き、その場を去った。
 その日の晩、実父が網膜はく離で緊急入院の連絡があり、病院へ直行。
命に別状はなかったが、やはり悪いことが起こった。

 以来、トラ猫は6度わたしの家を訪れては「ニャぁ~」と鳴き、その度に不幸が訪れる。
その話を友人にすると、「猫の恩返しじゃないか」と言われたが、ちょっと複雑だ。
あのトラ猫は「虫の知らせ」の使者だろうか。
それとも本当に恩返しのつもりなのだろうか。
猫の声がすると、ちょっとドキドキする。

















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9月28日(金)のつぶやき

2018-09-29 07:56:18 | _HOMEページ_






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日々の恐怖 9月28日 深憂(7)

2018-09-28 18:51:22 | B,日々の恐怖






  日々の恐怖 9月28日 深憂(7)






 彼女は、懐中電灯で押入れの天井を照らすと天板の1枚を押し上げた。
その板だけ、張り付いたお札が切れていた。

「 どうぞ・・・・。」

覗く様に促される。
 俺は逃げ出したかった。
でも、既に理解不能な状態と、展開に頭がついていけてなく、今思うと朦朧としたような形で押入れに入り、その天井の穴に顔を入れた。
 人が住んでいたのだから当然なのだろうが、天井裏のスペースにも小窓がついていることに驚いた。
 薄暗い。
けど見える。
 後ろで何かが動いた気配がした。
慌てて振り返ったが、何もおらず彼女は押入れの外にいる。
 霊感などはまったく無い自分だから、恐怖から来る幻覚だったのだと思ったが、それでも震えは強くなった。
 何かに押されるようにして完全にその部屋に上がり、見渡してみた。
小学校の教科書、テディベア、外国製らしい女の子の人形、漫画が何シリーズか、その辺りが置かれていたのは覚えている。














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日々の出来事 9月28日 ダッカ日航機ハイジャック事件

2018-09-28 10:04:36 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 9月28日 ダッカ日航機ハイジャック事件






 今日は、ダッカ日航機ハイジャック事件があった日です。(1977年9月28日)
1977年9月28日、日本赤軍の犯人グループ5人が、フランスのシャルル・ド・ゴール国際空港発、羽田行きの日本航空機472便をハイジャック、そして、同機をバングラデシュのダッカ国際空港に強行着陸させました。
 犯人グループは、乗員14名、乗客137名を人質にとり、600万ドル(約16億円)を身代金として要求すると共に、あらかじめ日本赤軍に加えようと目をつけていた日本で服役中の囚人9名の釈放も要求しました。
そして、これが拒否された場合は人質を順次殺害すると警告しました。
 これに対し、福田赳夫首相は、“人命は地球より重い”と身代金の支払いと超法規的措置として囚人の引き渡しを決断します。
日本政府は、身代金と釈放に応じた囚人6名を日本航空特別機でダッカへ輸送、交換に日本航空機472便の乗員乗客のうち118名が解放されました。
 その後、ハイジャック機は残りの人質を乗せたまま離陸、クウェートとシリアのダマスカスを経て人質17名が解放され、最終的にはアルジェリアのダル・エル・ペイダ空港で残りの乗客乗員も全員解放されました。
この事件の日本の対応は、諸外国から“日本はテロまで輸出するのか“などと大きく非難されました。
 また、後に、この対応については、アメリカから日本に強い圧力があったことが言われています。
日本航空機472便には、カーター大統領の友人で、アメリカの有力銀行の頭取であったジョン・ガブリエルが乗っており、ハイジャック犯はこの米国人に眼を付け、真っ先に殺害することを宣言していました。
“人命は地球より重い”は、“アメリカ人の命は地球より重い”と言う訳だったのです。







  ダッカ日航機ハイジャック事件


















☆今日の壺々話







     ロンドンテロ誤射殺事件が他の国で起きていたら



・アメリカ
   とりあえず必死で隠し通そうとする。でも結局バレる。
   警官は裁判にかけられ、涙ながらに“愛する国家のための行為”を主張。
   当然無罪。同僚に肩車をされて『国を護った英雄』を讃えるパレード。

・中国
   射殺されたのはテロ犯だったと意地でも言い張る。
   もちろんマスコミは疑問をもたずに報道。
   ネット上で“実は誤射では?”と書いた男性が、テロ犯の仲間だとして投獄。

・韓国
   なんかよくわかんないけど、日本のせいでいいんじゃね?

・日本
   射殺された男性がいかに素晴らしい人間だったかを特集。
   “殺された奴の自己責任論”が唱えられる。警官は戒告処分。
   一週間後、逆立ちするアライグマが見つかり、みんな事件のことを忘れる。
















テロリスト



テロA:日本でテロをやるぞ!
テロB:どんな?
テロA:そうだな・・・地下鉄で強力な毒ガスを撒く!
テロB:もうそのネタやられ済みだ。しかも俺たちよりマイナーな宗教団体に。
テロA:夏は祭りの時期!潜入して食い物に毒を入れる!
テロB:それに至っては一介の主婦がやったらしい。
テロA:繁華街で車を暴走させ、無差別に通行人をひき殺す!
テロB:単にむしゃくしゃした奴とみなされるのがオチだな。
テロA:じゃあ、高速道路でバスを乗っ取って・・・。
テロB:どこかの17歳と同レベルに思われるからやめてくれ。
テロA:めんどうだ。人の多いところで爆弾をボン!
テロB:それもあの国じゃ高校生クラスの犯罪だ。
テロA:ならもう、ハイジャックだ、ハイジャック!
テロB:またゲーム脳かよ!湾岸橋くぐりは仮想現実の中だけでやれ!・・・と呆れられるだけだな。
テロA:なんなんだよ日本て!いっそ核ミサイルぶちこんでやるぞ。
テロリB:それをやった国といちばん仲良くしてんだぞ日本は・・・。


















ハイジャック防止法




 ここは、某国の議会。
ハイジャック防止に関する議題を、連日のように話あっていた。

「・・・金属探知機等で武器は見つけられるのかもしれんが、武器になる物など日常生活にあふれている。
例えばボールペン。
これを首筋にぐさりとされればイチコロさ。」
「 突起物さえあれば、どんな物でも武器に成り代わりますね・・・。」
「 突き詰めていけば、ベルトも洋服も首を絞める武器となるな・・・。」

結論が出ることはなかった。
 突如、ある若手議員が発言した。

「 いっそのこと、”飛行機に乗るときは服を全部脱がなくてはならない”という法律をつくったらどうでしょう?」
「 なるほど!」

 法案は順調に採決され、新しい法律が生まれた。
その後、ハイジャックが起こることは無かった。
しかし、ある日、一人のスチュワーデスが政府に直訴した。

「 私たちはまだ、突起物に悩まされています!!」


















確率





問題

あなたが旅行で飛行機に乗るとして、爆弾を持ったハイジャック犯と同じ飛行機に乗り合わせてしまう危険を避けるにはどうしたらよいか?


答え

“あなたも爆弾を持って乗り込む”、である。



 ある飛行機に爆弾を持った人間が一人乗っている確率をpとすると、爆弾を持った人間が二人乗っている確率は、統計的独立性から p×pとなる。
明らかに p <<1 であるから、p×p は無視しうるほどに小さくなるであろう。
よってあなたは安心して旅行ができる!

 これは数学者 Mark Kacの自伝 Enigmas of Chance に載っていた小話です。
これはジョークなんですが、私達は、これに類した間違いを日常生活ではしばしば犯しています。
 先日も、ある作家の随筆を読んでいたら、ちょうどガルーダ・インドネシア航空機の墜落事故があった頃の話で、“家族の一人がニューヨークに出かけたが、飛行機が落ちたばかりなので確率的に今は安全だ”と書いてありました。
つまり、2度も続けて飛行機が落ちる確率は p×p ≒0 だと言うことです。
本気で言っているのか、ジョークで言っているのか、さて、さて。




問題

さいころ賭博をします。
二つのサイコロを投げて、目の和が偶数なら“丁”、奇数なら“半”です。
あなたは、丁、半にお金を賭けます。
 さて、今までに丁の目が10回続けて出ました。
あなたは、次に“丁”か“半”、どちらに賭けますか?

(1)、11回も続けて丁が出るはずがない、次ぎは半だ!
(2)、勢いってものがあら~な、この調子なら次も丁!





正解

どちらも正しくありません。
これはイカサマです。
すぐにやめましょう。

















テロリスト “傘取りババアと俺”




 うちの地元に傘取りババアっつう変わり者のババアがいた。
何をするかっていったらその名の通り、誰かれ構わず歩いてる人を襲撃して傘をかっぱらってくって言うタチの悪い盗賊みたいな事してる。
ババアの出没地帯が不確定だったから、実際の被害数は解らんけど小学校の通学路あたりだけでもクラスの5分の1ぐらいは被害にあってた。
学校でも結構マークされてた人で、帰りの会とか長い休みの前には先生から「○○で不審者が出るので無視するか近くの家に逃げなさい」ってお触れが出てたわけです。

 んで、梅雨とか傘を使う日が多い時は頻度が半端無くて、その時期がババアがすごく活動的になる頃なわけ。
そんとき俺が通ってた学校の男児が、通学中に傘取りババアに襲われて傘取られて頭に怪我して泣きながら学校に来たって事件があった。
流石にまずかったんだ。
学校と警察と男児の親が傘取りババアの家に行ってババアを捕らえに行ったんだ。

 ババアvs警察のくだりは聞いた情報だから断定した話はできないんで「だとさ」ってことにする。
ここからは聞いた話になるが、警察と親の後を追って、vsババアのやりとりを隠れて覗いてた奴の話によると、

・ババアは子供も孫もいない。
・縁側からちょっと見えただけでもババアの家の中にはすごい量の傘。
・ババアは「昔は傘がどうのこうの~」で悪びれる様子は無かった
・「むしろ傘を持ってたお前の息子が悪い」と逆ギレ
・傘を振り回して警官と親に応戦

結局、傘を振り回して暴れたのがまずかったらしくババアはそのまま警察に連行。
その後はぱったりと姿を見せなくなった。

 書き忘れたが書き忘れたが、ババアは襲撃する時にいつも傘を持って現れて傘の先で脅して人の傘を奪っていくスタイルの盗賊。
ババアが捕まったのが、俺が小学3年の頃。
 そん時はクラスの奴らで傘ババアが捕まった話で暫く盛り上がってたが、その後はババアの存在を忘れたかのように鎮静化。
というか俺はババアをすっかり忘れてた。

 それから4年後、俺が中学生になった頃にまた不審者情報が出回り始めた。
もともと地元は変なのが通学路に出没しやすくてさ、「女児を手招きして喉元をくすぐって逃走する奴」「無言で道端に座り込んで、通る子供の特徴をもとにひたすら絵を描きつづける奴」とか変人率がいやに多かったから不審者に関してはまたかよ…って感じだったわけ。
 中学は隣の町から来てたり色んなのが混じってたから「へぇ~」とか「変なのーwww」って感じの奴も多かったけど、俺はその話を聞いて記憶がよみがえった。

「 突然現れて、先のとがった傘で相手を突いて、傘を盗んで逃げるおばさんが最近いるらしいよー。」、って。

ビックリした。
 ババアが4年の時を経て、再び世に名を轟かせはじめたんだもん、そりゃビックリするよ。
しかも、今度はパワーアップしたらしく、今までは傘で脅すだけだったのに、今回は傘の先を人を刺せる程鋭く研いで、その強化傘で人を突いて奪ってくんだ。
昔のやり方じゃ、傘を盗れなくなったんだろうか。

 昔は、出没する時間は不確定だったが、日の出てる明るいうちに現れて傘を取っていってたが、今度は情け無用の暗闇からの襲撃も追加。
しかも相手の流血もお構いなし。
 実際刺されて、靭帯をやられて大会に出られなくなった野球部の奴もいた。
あの時はただの盗賊ババアだったけど、今回は完全に情け無用ババアになって帰ってきたわけ。
リアルでやばくなった学校は、会議とかホームルームでババアに対する策を練る時間を授業を潰して作ってたレベルだった。

 余談だけど中学の頃ってクラス内で粋がってるアホっているじゃん、いわゆるDQNみたいなやつ。
そいつがクラスで大声で「俺そいつ捕まえて警察に突き出すわwwww」とか「ババア一人に中学生様が負けるわけねえしwwww」とか言って、わざとババアに勝負を挑みにいった。
 そしたら捕らえに行った次の日から一週間ほどそいつは学校をお休み。
そのまま転校。
同窓会で友達に詳しい話を聞いたら、「(そのDQN)がババアに肩とか腹、足を何十回と刺されまくって大怪我、足は刺された場所が悪くて一生車椅子、頑張ってリハビリしても松葉杖なしじゃ歩けなくて今は親の介護で生きてる」って。

 しかし、DQNはやられながらも最後の抵抗を見せたよ。
ババアがつけた傷の量と深さが決め手になって今度こそババア逮捕確定。
俺があいつに感謝する点といったらそれぐらいだ。
 ちなみに、中学時代に俺も一度だけババアと遭遇。
傘で突かれる前に、傘投げてそのまま回り道して帰った。
持ってて良かった折り畳み傘。
 その後、ババアは檻へ輸送。
奪った傘は全部警察が押収、その数8千強(地元紙で小さな記事になってた情報)。
ババアに前科二犯が付き、再び世に平和が訪れ、俺は残りの中学生活を静かに過ごし、高校もうまく立ち回り不良に目をつけられる事無く卒業。

 大学は地元のじゃなくて、上京した大学に下宿で通ってたからババアとは無縁。
というかババアは檻の中だから追いかけてこねーよと、大学ではババアを完全に忘れてた。
しかも、二度目に捕まった時は結構な高齢だったから、完全に死んでると思ってたからまるでババアの存在自体が無かったかのように大学生活を送っていた。
ババアと戦ったのが今から8、9年前だから完全に昔の話だ。
 大学3年目、夏休みは実家に帰ってのんびり過ごす事にしてたから、その年もやっぱり地元に帰って散歩したり本読んだり、高校の友達と飲んでたりして夜も遅くまで遊んでた。

 その日は友達と飲んで、歩きながら話し込んだ後、橋の上で別れて一人夜風に当たってた。
当日は蒸し暑いくせに曇り空だったから、母親から傘を借りて遊びに行った。
街頭で辺りは明るくはなってたけど、やっぱり少し離れるとまだまだ暗かった。
 もともと近視だったから、先の暗闇に何があるのか全然見えてなかったのがやっぱり危なかった。
橋にもたれて川を眺めてると、なんか右の方から砂利が擦れるような音がする。
 そん時は、

「 あー、誰か来てるなぁ。」

程度でしか考えて無くて、ちょっとそっちの方を軽く見たわけ。
 暗闇でジャリジャリ鳴ってるけど、全貌が見えないと、ただ何かがモゴモゴ動いてこっちに向かってる。
じっと目を凝らして見てると、腰の曲がりようから年寄りだと解った。
 そんで、杖ついて歩いてるなってのも解った。
だけどね、ついてるのは杖じゃなかったんだ。
傘だった。

うん、ババアだったよ。

 中学で遭遇した時は、腰は曲がってなかったし、ただの人違いかと思ってたけど、皺だらけでたるみきったその顔は、間違いなく傘取りババア本人。
 つまり、あれだ。
俺が高校、大学と過ごしてた頃に、ババアは檻から解き放たれてたんだ。
で、また傘取り稼業を始めたんだ。
俺に近づいてくるババア、傘は杖の代わりだと思っていたら立派な武器でした。

 先制攻撃はババア。
一撃目は大きく振り被ってのスイング。
いきなりの攻撃に、対処できず腕でガードが精一杯の俺。
 そのまま二撃目に入るババア。
今度はとがった傘の先で斬り裂くように横振り。
そのまま後ろに下がってかわす俺。
 カーチャンの傘をなんとか守ろうと、カーチャンの傘を片手に構える。
ババアは攻撃の度にモゴモゴ呻きながら攻撃してくる。
何て言ってたんだろう。
とにかく、こわかった。
 三撃目、左に振り抜いた傘をそのまま右にスイングするババア。
傘でババアの傘を止めて押し返す。
 四撃目、中学時代にDQNを沈めたという伝説の突きが入る。
一突目は傘で、残りは後ろに下がって射程範囲内から外れて対処。
 五撃目、ババア、得物の傘を俺に向かって投擲。
腕をかすめてシャツが破れる。
一瞬怯むが、そのまま傘を橋の下に落とす。
 武器を失ったババアは、叫びながら素手で近づいてカーチャンの傘を奪おうと体当たり。
酒で酔ってた俺は、バランスを崩し転倒。
 馬乗りになって傘を取ろうとするババア、させまいと傘を掴んで離さない俺。
外の騒ぎを聞きつけた近くの家の明かりが灯る。
窓を開けて様子をうかがうおっさんが現れる。
 たまらず「助けてください!!助けてください!!」と叫ぶ俺。
おっさん無言で姿を消す。
望みが断たれた俺は一度傘から手を放す。
 お互い力強く引っ張りあい、俺が急に力を抜いたせいでバランスを崩し後ろに転がるババア。
馬乗りから解放された俺はババアからカーチャンの傘を奪い返し抑え込みにかかる。
 が、ババア、俺の脛を蹴っ飛ばして抵抗。
痛みで腕の力を緩めた時にババア脱出。
立ちあがり、そのまま腕を振り回しながら俺に再び体当たり。
しかし怪人とはいえ老人、えらくモッサリしたスピードのパンチを受け止める俺。
 そのまま関節を決めてババアの動きを封じ、ようとしたらババア噛みついてきた。
ビックリしてババアの頭を腕で押して噛みつきから放す。
ババア、離れる瞬間に俺の顔を思いっきしビンタ。
 ババア、三度目の体当たり。
鍔迫り合いの要領で、カーチャンの傘で体当たりに真っ向から体当たりで返す。
意外と軽かったババアはバランスを崩して横倒しに。
 そのまま身体全体で抑え込んでたら、さっきのおっさんが通報したのであろうパトカーがすっ飛んできて、中から警官Aと警官Bが飛び出してきた。
 警官に引きはがされ、ババアは警官に掴まりながらも抵抗。
パトカーの陰に連れ込まれていった。
パトカーの裏で警官が「うわ!」とか金属を蹴ったような音がするまま、俺はもう一人の警官に事情を説明。
 警官B、話の中盤辺りで「またか…」と呟く。
どうも傘取りババア、今回の襲撃が初めてで無いらしい。
 そのまま警察に行き事情を聞く。
傘取りババア、檻から出所した後は傘を押収されていた事を知り一時期は静かにしていたものの、再び傘を集め始めたという。
 今度は子供襲撃に加え、ゴミ捨て場や駅のホームに置き忘れた傘にも手を出していたらしく、何度か警察に注意、マークをされてたそうな。

 どうやらババア、俺が上京していた時もかなりの戦場を乗り越えていたらしく、小学生からはその戦闘能力と身軽さから「ニンジャババア」と新たな称号を手に入れたという。
 その後、身よりの無いババアは役所の職員の説得により老人ホームに行く事となったらしい。その際にも職員をそうとう痛めつけたらしく、職員は心労により家族で引っ越したらしい。
老人ホームでは傘は集める事はできずにいたらしいが、傘取りババア、かなりの凶暴老人だったそうで職員を殴る蹴る、他の老人を脅かし、夜は勝手に出歩いては今回のような襲撃を繰り返していたという。

警官B「 あの人はだいぶ昔から揉めてたらしいけど・・・。」
俺「 小学生の頃からです。」
警官B「 えっ。」
俺「 自分が小学生の頃からやってました。」
警官B「 ・・・・・・。(警官B、呻く)」


 しばらくして、老人ホームの職員の女性が登場。
着いた途端大泣きで俺に謝罪「本当に申し訳ないです!すみません!すみません!」。
 警官曰くこの展開も初めてでは無く、被害者に泣いて謝罪の繰り返しで相当気が参っているそうだ。
しかもこの職員、最近入ってきたばかりで心労で相当ボロボロらしい。
 それから十数分後、警察から連絡の入った親が到着。
何故かトーチャンとカーチャンからも謝られる。
「せっかく実家に帰ってきてくれたのにこんなことになって……」的な感じだったと記憶している。
 謝る必要は無いだろうと宥める俺。
とりあえずトーチャンは、傘取りババアと警官に話をしに行き、俺はカーチャンに謝った。

「 カーチャン、借りた傘さ、壊しちゃった。ごめん。」
「 カーチャンの傘より、アンタの心配しなさい!」

カーチャン、傘壊してゴメン。


 ある程度話がまとまったらしく、警官の話では、

・とりあえず示談。
・傘代と俺の医療費は老人ホーム側が負担。
・ババアを夜は部屋から出さない。
・老人ホームはババアをちゃんと見張ってるように。
・俺も夜遅くまで出歩くな。

との事。
 夏休みが終わり、下宿先に戻り大学生活に戻った後、そこの老人ホームはどこかの老人ホームと合併した事はその後親から聞いた。


 それから時が経ち現在に至る。
ババアと対決したのが丁度、今ぐらいの時期だったから毎年この時期になると思い出す。
今でこそ親や友達とその話をして笑い話になるが、当時の傘取りババアの存在はあまりにも大きく、当時の小学生たちに大きなトラウマを植え付けたんだろうなと思う。
ババアの生死は不明。
なんか生きてそうで怖い。
















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9月27日(木)のつぶやき

2018-09-28 07:57:08 | _HOMEページ_



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日々の出来事 9月27日 ベン・ジョンソン

2018-09-27 11:08:20 | A,日々の出来事_





  日々の出来事 9月27日 ベン・ジョンソン






 今日は、ベン・ジョンソンのドーピングが発覚し、オリンピックの金メダルを剥奪されると同時に、その記録も抹消された日です。(1988年9月27日)
 1988年9月24日、ベン・ジョンソンは、ソウルオリンピックの100メートル決勝で9秒79の驚異的な世界新記録でカール・ルイスを抑えて優勝しましたが、2日後、筋肉増強剤のスタノゾロールを使用していたことが発覚し優勝取り消し、2位であったカール・ルイスが、9秒92の世界新記録で100mの覇者となりました。
 このベン・ジョンソンの記録は、2002年にティム・モンゴメリが9秒78を出すまで、ギネスブックに“薬物の助けを得たにせよ、人類が到達した最速記録”と言う但し書き付きで記録されていました。
当時の表現で言うと、“世界最速の男”が“世界最悪の男”になってしまいました。







  ベン・ジョンソン














☆今日の壺々話









    イタリア旅行




ローマの繁華街ベメスト通り(2000年7月12日)

「 いい天気だなァ~。
 あれっ、あそこに10歳ぐらいの少女がいるぞ。
 こちらを見ているが、どうしたのかな・・・・・?
 言葉が分からないかも知れないが、声をかけてみるか・・。
 あの~、お嬢ちゃん、どうしたの?
  ん、お腹に手を当てて・・・・。
 あっ、分かった、お腹ペコペコなのか・・。
 じゃ、これで何かを買いなさい。」

「 いただきぃ~、ぴゅ~!!」

「 うわっ、財布ごと引っ手繰られた!
 こら~っ、ワシを誰だと思ってるんだ!
 バカな奴だ、逃げられる訳が無いだろ!
 それっ、全速力だ!」

“ タタタタタタタタタタタ・・・。”

「 ハァ、ハァ、ハァ、ハァ。
 必死に追い駆けたのに・・。
 に、逃げられちゃった・・・・。」 Σ(゚Д゚;)ノ・・・!

ベン・ジョンソンの財布の中には、現金1千万リラ(約53万円)と免許証が入っていました。















    運動音痴にありがちなこと





・障害物もないのにこける。

・パスが貰えない。

・とりあえずやる気がないことをアピール。

・ボールはライバル。

・ボールがきてもドリブルを一切しない。
 その場でパス。

・スキップすると途端に動きが中国産ロボットのようになる。

・よく迷子になる。

・ドッジボールではだいたい避け専門か外野。

・ポジションはライト、
 しかもフライがきてもとれない。

・後ろ向きで走ってきた奴の背中にあたる。

・バスケで邪魔にならないように走り回る。

・持久走で一番大きな拍手を受ける。

・跳び箱は跳べない。

・二人組作れない。

・ボールを認識するのが一般人より2秒遅い。

・跳び箱直前にキョンシーのステップになる。

・歩くと疲れる

・水泳の息継ぎがいまだにできない。

・クロールをすると溺れてる人みたいになる。

・個人種目は気が楽。

・まぐれで活躍すると歓声が上がる。
















体育祭



 高校最後の体育祭の時、もう運動会なんてどーでもいいや・・・・、と冷めた感じの生徒が多い中で、数少ない青春のメモリーとして有終の美を飾らなければ!、と自分の中だけで妙にテンションが高くなってた。
 そして、私が出場する最後の競技として学年別・団対抗の“動く玉入れ”があり、どういうものかというと、グラウンド上で逃げ回る各団の応援団長の背中にくくりつけられた籠の中に、学年全員参加で追いかけまわして玉を入れるという非常にエキサイティングな競技であった。
 いざ委員の発砲の音で一斉にスタート、目の色を変えて大量に玉を抱え込んで相手方団長を追いかける私。
笑いながら走りまどっていた団長が、ちらりと私のほうを見て、妙におびえたような表情を浮かべた気がしたけど、ハッスル状態の私はそれどころではない。
 スタート地点で、同級生や部の後輩が手を必死で横に振ってくるので、私も負けずに手を振り返す。
その時点で、何で学年全員参加なのに同級生が参加していないのか疑問に思わないほど私は自分を失っていた。
 ホイッスルが鳴り響き各々戻っていく中、ふと参加者に見知った顔がいないことに気づく。
何てことだ、テンション高すぎて三年生の私は間違って一年生といっしょに参加していたらしい。(後日聞いたところによると青色ジャージの中の赤色の私は非常に目立ったとのこと)
 もう周りの目とか一切合財どうでもよくなり、素知らぬふりをして興奮しながら、次の二年生とも一緒に参加する私。
もはやヒンシュクを買うのを通り越し、観衆のみんなはポカンとした顔をしてました。



















ポケット



 ガキの頃、学年に一人や二人変な同級生がいたよな?
鼻くそ食うやつとか、授業中に鼻血出すやつとか、泣くと椅子ぶん回すやつとか。
 俺の同級生には、いつもヘラヘラ笑って何でもポケットに入れる女がいたんだ。
摘んだ花から消しカスまで、手にしたものは何でもポケットに入れやがる。
そいつのズボンは端から見ても膨れ上がっていて湿ってることすらあったから当然のようにハブられてた。
当時は社交的だった俺も何となく気持ち悪くて関わり合いは避けてた。

 そんでまあ、このまま関わらずにクラス替えになればよかったんだがそうもいかなかった。
運動会でダンスを踊ることになったんだ。所謂フォークダンスってやつだ。
出席番号の近い男女がペア組まされることになって、俺とポケット女が組むことになった。
内心ウエッと思ったけど外っつらの良い子だった俺は大人しく従ったよ。

 事件つうか、俺がそれを体験しちまったのは練習時間だ。
ダンスが始まる前、隣あって立ってるだけでも何か悪寒がした。
相変わらずポケットは膨れ上がってるし、何が楽しいのかずっとニヤけてやがる。
 俺の憂鬱な気分とは裏腹に呑気な音楽が流れてきて、仕方なくそいつの手を握った。
俺はこの女の特徴を、今ひとつ飲み込めてなかったんだ。
そう、あいつは「手にしたものは何でもポケットに入れる」んだ。
 ポケットの中の感触は今でもたまに思い出す。
俺の拙い語彙でお前らに伝わるかは分からないが、言うなればあれは蛆の蒸し風呂だった。















部活対抗リレー





 体育祭で部活対抗リレーっていうのがあった。
そしたら、野球部はバトンを普通ならバットにするべきところをグローブとボールにしやがった。
スタートと同時に第一走者が第二走者に遠投。
2から3、3からアンカーへ。
アンカーだけが走ってゴール。
それを見た陸上部のアホエースが、“まけるかー!”って叫んでバトンの代わりに持っていた槍投げの槍を振りかぶったから、周りのランナー全員が必死でタックル、投げるのを阻止。
 次の年、陸上部はハードルを持って普通に走ってたけど、剣道部が木刀で前のランナーを突いて乱闘になった。
科学部は人体模型持って走ってたけど、肝臓や胃が散らばってカオスだった。
俺の学校馬鹿ばっかりだ。



















まみちゃん






 息子が幼稚園の年少組だった時のことです。

「 今日はまみちゃんとどろだんご作って遊んだよ!」
「 今日はまみちゃんと虫を探して遊んだよ!」

息子は毎日のように、まみちゃんという女の子の話ばかりしていました。

 私はよほど仲がいいのだろうと思っていました。
ある時 幼稚園に行く機会があり、園の先生に、

「 いつもまみちゃんと遊んでもらっているみたいなんですけど、何組の子なんでしょうか?」

と、何気なく聞いたところ、

「 まみちゃんですか・・・えぇと、(しばし考えて)そういう名前の子は年少さんにはいませんね~。まなちゃんならいますけど。」

との答えが返ってきた。
 所詮三歳児、きっとまなちゃんとまみちゃんを間違えて言ってるんだろうな~とその時は思いました。
その後も毎日のように、

「 今日はね、まみちゃんは髪の毛をね、こっちは緑色のゴム、こっちはオレンジ色のゴムで縛ってたんだよ~。」
「 まみちゃんイチゴのスカートはいてるんだよ~。」

と、あいかわらずまみちゃんのことばかり話していました。

 そして幼稚園の運動会の日。
息子の行っている幼稚園は園庭が狭いので、運動会は近くの広い運動公園を借りて行われていました。
その日、私は初めて息子に、

「 いつも遊んでいるまみちゃんってどの子なの?ママに教えて。」

と聞いてみました。
 すると、

「 今日はね、まみちゃんいないんだよ。
幼稚園にはいつもいるのに、なんでいないんだろ。」

と寂しそうに言ったんです。
ここで初めて私は何かおかしいと感じ、先生に聞いてまなちゃんという子を見つけ、、

「 いつも遊んでいるのはあの子なんでしょう?」

と息子に聞いてみました。
すると息子は言いました。

「 あの子はまなちゃんだよ。
僕遊んでいるのはまみちゃんだよ。
でも今日いないんだよ。」

どういうことだろう。
たまたま今日の運動会は休んだんだろうか。
 でも先生もまみちゃんという子はいないと言っていた。
まさか・・・と言う思いはあったんですが、その時はあまり深くは追求せずに終わりました。

 それから何日かが過ぎ、いつのころからか息子は「まみちゃん」のことを口にしなくなりました。
あれほど毎日遊んでいたのに、どうしたんだろうと疑問に思い、ある時息子に聞いてみました。

「 ねぇ、最近まみちゃんのお話しないね。
もう幼稚園でまみちゃんと遊んでないの?」

すると息子は言いました。

「 まみちゃんてだあれ?」
「 あんなに毎日遊んでたじゃない、イチゴのスカートはいてる女の子、どろだんご作ったりしてたでしょ?」
「 知らない、だあれ?」

私は深く追求も出来ませんでした。
 ずっと遊んでいたはずのまみちゃんは 一体誰だったのか、なんだったのか、今だにわかりません。
三歳の息子の作り話? 
それにしては服装や髪型や、ゴムの色まで細かく話してたし。
幼稚園には毎日いて、運動会にはこられなかったまみちゃん。
息子の記憶から まったく消えてしまったまみちゃん。
今、その息子も小学校二年生になります。

















運動会



 単に偶然が積み重なっただけかもしれないけど、俺の爺ちゃんの話。
俺の爺ちゃんは俺が五歳の時に死んだ。
そしてその爺ちゃんの葬式の時に不思議なことがおこったらしい。
 当時幼かった俺は爺ちゃんの葬式のことなんてほとんど覚えてないんだけど、婆ちゃんが言うには爺ちゃんの葬式が始まるとどこからともなく黒アゲハが飛んできて、爺ちゃんの写真の上に止まった。
そしてその黒アゲハは葬式が終わるとまたどこかへ飛んでいったらしい。
きっと爺ちゃんはあの黒アゲハに生まれ変わったんだと婆ちゃんは言っていて、子供の俺もずっとそれを信じていた。

 その後、俺は当然小学生になったんだけど、不思議なことに運動会などの行事がある度に俺は校内で黒アゲハを見かけた。
俺は爺ちゃんが見に来てくれてるんだと思い、本当に嬉しかった。
でも中学になった頃から俺は黒アゲハを見かけなくなった。
運動会の日など、それとなく辺りを探してみても蝶なんてどこにもいなかった。

 黒アゲハを見かけないまま数年たち俺は大学生になった。
そんなある日、中学になった妹の運動会があるというので俺も家族と一緒に見学に行った。
ちなみに妹は爺ちゃんが死んだ一年後に生まれたので爺ちゃんとの思い出はまったく無い。
 運動会を見学しつつ、ふと上を見るとそこには一匹の黒アゲハが飛んでいた。
ただの偶然かもしれないけど、俺には爺ちゃんが妹を見に来てくれたんだと思えて恥ずかしながら数年ぶりに泣いてしまった。


















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9月26日(水)のつぶやき

2018-09-27 07:59:10 | _HOMEページ_



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日々の出来事 9月26日 小泉八雲

2018-09-26 09:55:57 | A,日々の出来事_






  日々の出来事 9月26日 小泉八雲






 今日は、小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)が亡くなった日です。(1904年9月26日)
 小泉八雲は、1850年6月27日ギリシャのレフカダ島で生まれました。
その後、イギリスやフランスで教育を受け、アメリカへ渡った後は、新聞記者となり外国文学の翻訳、創作を発表していました。
 日本には、1890年記者として来日しています。
その後、東京大学のチェンバレン教授の紹介で、松江の師範学校の英語教師を勤めます。
この時、小泉セツと結婚し松江の武家屋敷で1年3ヶ月ほど生活した後、移転し東京大学や早稲田大学に勤務しました。
 小泉八雲は、日本の伝統的精神や文化に興味を持ち、数多くの民話を元に作品を発表しています。
代表作としては、“知られざる日本の面影”、“仏陀の国の落穂”、“影”、“骨董”、“怪談”等があります。
これらの中には、“雪女”、“耳なし芳一”、“むじな”、“ろくろ首”、“破られた約束”などのよく知られた話が含まれています。
また、“Kotto”や“Kwaidan”のように、多くの作品が翻訳され、日本を広く世界に紹介しました。






  小泉八雲
















☆今日の壺々話










      日本昔話 “かけひき”



 ある殿様が、過ちを犯した使用人を刀で処刑しようとしました。
使用人は、殿様と家臣に言い放ちます。

「 私を殺せば、おまえたちを呪ってやる!」

殿様は使用人に答えます。

「 もし私たちを呪うと言うのなら、首を落とされても目の前の石に齧り
 付いて怨みのほどを見せてみよ!」
「 きっと齧り付いて恨みを示してやる!」

殿様が使用人の首を刎ねました。
そして、使用人の生首は庭石にしっかり齧り付き、家臣たちは震え上がりました。

「 我らは、呪われる・・・。
 とにかく供養しなければ・・・。」

殿様は、笑いながら家臣たちに力強く宣言します。

「 ワハハハハハ!
 その心配は無い!!」
「 どうしてですか?」
「 怨霊となって人を呪おうとするには強い末期の怨みが必要だが、あの
 罪人は私の挑発に乗って石に齧り付くことのみを念じて死んだ。
 あいつは怨霊となることは出来ないだろう。」
「 でもォ・・・・・。」
「 ん・・、まだ何か疑問があるのか?」
「 やっぱり、供養した方が・・・。」
「 うるさい、わしの話が分からんのか!」
「 そう言われてもなァ・・・・。」
「 大丈夫だって言ってるだろが!!」
「 あの~、変なものが殿様の頭に齧り付いているんですけど・・・・。」



















日本昔話 “杭”





 俺はド田舎で兼業農家をやってるんだが、農作業やってる時にふと気になったことがあって、それをウチの爺さんに訊ねてみたんだ。
その時に聞いた話。
 農作業でビニールシートを固定したりする時などに、木の杭を使用することがあるんだが、ウチで使ってる木の杭には、全てある一文字の漢字が彫りこんである。
今まで、特に気にしていなかったんだが、近所の農家で使ってる杭を見てみたところそんな文字は書いてない。
ウチの杭と他所の杭を見分けるための目印かとも思ったのだが、彫ってある漢字はウチの苗字と何の関係も無い字だったので不思議に思い、ウチの爺さんにその理由を聞いてみた。

 爺さんの父親(俺の曾爺さんにあたる)から聞いた話で、自分が直接体験したことではないから、真偽の程はわからんがとの前置きをした後、爺さんはその理由を話してくれた。
 大正時代の初め、爺さんが生まれる前、曾爺さんが若かりし頃の話。
事の発端は、曾爺さんの村に住む若者二人(A、B)が、薪を求めて山に入ったことから始まる。
二人は山に入り、お互いの姿が確認できる距離で薪集めに勤しんでいた。
 正午に近くになり、Aが“そろそろメシにするか”と、もう一人に声をかけようとした時だった。
突然、Bが、

「 ああああアアア、ああアアアぁアアアァ、あああああアアアア~!」

人間にかくも大きな叫び声が上げられるのかと思うほどの絶叫を上げた。
 突然の出来事にAが呆然としている中、Bは肺中の空気を出し切るまで絶叫を続け、その後、ガクリと地面に崩れ落ちた。
Aは慌ててBに駆け寄ると、Bは焦点の定まらない虚ろな目で虚空を見つめている。
体を揺すったり、頬を張ったりしてみても、全く正気を取り戻す様子がない。
そこでAは慌ててBを背負って山を降りた。
 その後、1日経っても、Bは正気に戻らなかった。
家族のものは山の物怪にでも憑かれたのだと思い、近所の寺に連れて行きお祓いを受けさせた。
しかし、Bが正気に戻ることはなかった。
 そんな出来事があってから1週間ほど経った頃。
昼下がりののどかな農村に、身の毛もよだつ絶叫が響き渡った。

「 ああああアアア、ああアアアぁアアアァ、あああああアアアア~!」

 何事かと近くに居た村のものが向かってみると、たった今まで畑仕事をしていたと思われる壮年の男が虚空を見つめ放心状態で立ち竦んでいた。
駆けつけたものが肩を強くつかんで揺さぶっても全く反応がない。
様子は先のBの時と同じだった。
 その後、家族のものが医者に見せても、心身喪失状態であること以外はわからず、近所の寺や神社に行ってお祓いを受けさせても状況は変わらなかった。
迷信深い年寄り達は山の物の怪が里に下りてきたのだと震え上がった。
 しばらくすると、曾爺さんの村だけでなく近隣の村々でも、絶叫の後に心身喪失状態に陥る者が現れ始めた。
しかもそれは、起こる時間帯もマチマチで、被害にあう人物にも共通するものが何も無く、まさしく無差別と言った様相だった。
 曾爺さんが怪異に出くわしたのはそんな時だった。
その日、曾爺さんは弟と二人して田んぼ仕事に精を出していた。
 夕方になり仕事を終えて帰ろうとした時、自分が耕していた場所に木の杭が立てられているのが目に入った。
つい先程まではそんなものは全くなく、それは忽然と眼前に現れたとしか言い様がなかった。
 突如として現れた木の杭を不思議に思い、まじまじと見つめていた曾爺さんだったが、

“ 誰だ?こんなふざけた事をしたのは。”

とわずかな怒りを覚え、

“ こんな邪魔なものを、他人んちの田んぼにブッ刺しやがって・・・!”

と思っていると、そのうち、心の中に、

“ 邪魔だ、邪魔だ。
ジャマダ、ジャマダ、ジャマ、ジャマジャマジャマジャマジャマジャマジャマ!”

と、杭を今すぐにでも引き抜きたい衝動で頭が埋め尽くされたようになった。
そして、その衝動に任せて、力一杯その杭を引き抜こうとしたその時、弟に肩を掴まれ我に返ったという。
 落ち着いて辺りを見渡して見ると、先程の杭は何処にも見当たらなかった。
弟に問い質してみたところ、弟はそんな木の杭は全く見ていないという。
一緒に帰ろうとしていた兄(曾爺さん)が、ふと何かに目を留めた素振りを見せ、何も無い虚空を見つめていたかと思うと、何も無いところで、何かを引き抜く時するような、腰を屈めて力を溜める姿勢をとったので、何をしているのかと肩を叩いたのだと言う。
 その時、曾爺さんは、昨今村を騒がせている出来事を思い出し、もし弟に止められることなく木の杭を抜いてしまっていれば、自分も廃人同様になっていたに違いに無いという事に思い至り、肝を潰したのだそうだ。

 そんなことがあってからしばらくして、曾爺さんの住む村での犠牲者が10人を越えた頃、
村長と村役達によって村人が集められた。
村長は、昨今の出来事に触れ、それがこの村だけでなく近隣の村でも起きており、現在、近隣の村々と協議し、怪異への対策を進めている最中である事を村人達に伝えた。
 解決するまでには今しばらく時間がかかるとのことで、それまでの間、怪異に対する当面の対処が伝えられた。
それは“見慣れない木の杭を見かけても決してソレを引き抜かない”ということだった。
曾爺さんの予想は当たっていた。
 さらに村長は、“農作業で使用する杭には、自分達が打ち込んだものであることが明確にわかるように、何らかの目印を彫り込むように”と続けた。
これは自分が打ち込んだ杭の中に、例の杭が紛れ込んでいた時に、誤って引き抜いてしまう事への防御策だった。
 一通りの説明を聞いて、今の事態を引き起こしているのは何者なのかを問う者がいたが、村長は、

「 人の怨霊、動物霊や物の怪といったものの類ではないこと以外は良くわからない。
影響範囲が広範なことから、非常に力を持った何かだとしか言えないのだ。」

と答えるのみだった。
 仮に被害に遭ってしまった場合は、なんとかなるのかと言う問いに対しては、

「 二度と元に戻すことは出来ない。
そうなった者をお祓いしてもらいに行った時に、ある神社の神主に“彼には祓うべきものは何も憑いていない”と言われたのだ。」

と、村長は答えた。
 神主が言うには、あれは狐に憑かれたりしたせいであのような状態になっているのではなく、今の事態を引き起こしている何かの力の一端に触れたせいで、心が壊れてしまった結果、この状態になっているのだそうだ。
つまり、何かの影響下にあって心身喪失状態に陥っているのではなく、何かの影響を受けた結果が心身喪失状態であるため、寺だろうが神社だろうが、どうすることもできないということらしい。
 最後に村長は、

「 杭さえ引き抜かなければ、何も恐れることは無い。」

と締めくくり、冷静に対処する事を村人たちに求め、解散となった。
 村人達が去った後、曾爺さんは自分がその体験をしたこともあってか、村長のところに行って、その何かについて、なおも食い下がって問い質すと、

「 幽霊や物の怪や人の祀る神様と人との間には、曖昧ながらもお約束というべきものがある。
相手の領域に無闇に立ち入らないことだったり、定期的に祈りを捧げたりとな。
彼らはそれを破ったものには祟りをなすが、約束事を守る限りは問題は無い。
 しかし、今回の事態を引き起こしている何かに、それは当てはまらない。
聞いた話では その何かは、自らがが在るがままに、ただそこに在ると言うだけで、人を正常でいられなくし、発狂させるほどの影響与えるのだそうだ。
 わしもそこまでしか聞かされていない。
呪ってやるだとか祟ってやるだとか、そういう意図も持たないにもかかわらず、存在そのものが人を狂わせる。
そういうものに対しては、人は必要以上に知らない方がいいのかも知れん。」

と言い残し、村長は去って行ったそうだ。

 それから暫くして、曾爺さんの住む村で神社の建立が始まった。
怪異による犠牲者は、近隣の村々を含めて出続けていたが、その数は収束に向かっていき、神社が完成した頃には全く起きなくなったという。
 今にして思えば、木の杭は、何かを封じた霊的な呪いの類で、それを引き抜いてしまったことで、何かの力の一部が解放され、それに触れた人間が狂ってしまうということだったのかも知れん。
神社が立てられたことで、その何かは再び強固に封印され、怪異が起きなくなったということなのだろうと曾爺さんは、爺さんに話してくれたそうだ。
 そんな経緯で、ウチで使う木の杭には、ウチのものである事を示す目印を今でも彫り込んでいるんだそうだ。
近所では、そんなのを見たことがないことを指摘してみたら、

「 人ってのは喉もと過ぎるとなんとやらで、今ではあんまりやってる家を見かけないが、この近所だと、どこそこのSさんとことか、Mさんとこは今でもやってるから見てくるがいい。」

と、爺さん言われた。
 見に行ってみると、確かにSさんちとMさんちで使ってる木の杭には漢字一文字の彫りこみがあった。

「 今でもやってる家ってのは、大概が犠牲者を出した家か、その親族の家だろうな。」

と爺さんは言って、話は終わった。


















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9月25日(火)のつぶやき

2018-09-26 07:57:03 | _HOMEページ_



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日々の出来事 9月25日 バイオスフィア2

2018-09-25 10:54:48 | A,日々の出来事_







 日々の出来事 9月25日 バイオスフィア2







 今日は、バイオスフィア2の実験が開始された日です。(1991年9月25日)
1991年9月26日には、アメリカ合衆国アリゾナ州オラクルに建設された巨大な密閉空間バイオスフィア2に8人の科学者が入りました。
 このバイオスフィア2は、人類が宇宙空間に移住する場合、閉鎖された狭い生態系で果たして生存することが出来るのかを検証するための実験施設です。
そして、この実験はバイオスフィア1(つまり地球)の環境問題について研究することも目的としていました。
 砂漠の中に建てられた巨大なガラス張りのこの施設は、熱帯雨林、サバンナ、海、湿地帯などの環境を世界各地から持ち込んだ動植物で再現しています。
実験は、この中で農耕や牧畜を行い、食料や水分、そして酸素を自給自足し、究極のリサイクルを目指しました。
実験は、科学者8人が2年交代で100年間続けられる予定でしたが、残念ながら2年で途切れてしまいます。
 原因は、第一に大気の不安定でした。
日照不足による植物の光合成の不足と土壌中の微生物の働きによる酸素不足、また、光合成に必要な二酸化炭素も、建物のコンクリートに吸収されてしまい不足していました。
第二に大気の不安定により、植物が育たず、延いては家畜の多くが死んでしまい食料が不足したことです。
第三に閉じられた空間では、人間は情緒不安定になり、食糧不足と相まって精神的ストレスが大きくなりました。
 この壮大な実験は結果としては失敗に終わりましたが、バイオスフィア2は1995年にコロンビア大学に教育施設として売却され、生態系に関する研究活動が継続されています。
この実験によって、地球環境は微妙なバランス上で成り立っていることが証明されただけでも、現在の環境問題に大きく警鐘を鳴らしました。
そう言う意味では、大きな成果は得られたと考えて良いでしょう。






  バイオスフィア2















☆今日の壺々話








  バイオスフィア3の失敗



「 うわァ~!!」
「 も~、うるさいなァ~。」
「 出してくれェ~~~!!」
「 もうちょっと我慢しろよ!」
「 ダメだァ~!」
「 静かにしろよォ~。」
「 もう我慢できない~~!」
「 誰だ、あの心理学者を入れようって言ったのは・・・。」
「 うぎゃ~~、うぎゃ~~!」
「 何とかならないのかァ・・・。」
「 ふぎゃ~、ふぎゃ~!
 もぎゃ~~~~~~~!
 出してくれェ~~~!!」
「 扉が開くのは、あと、1年と364日か・・・・。
 だから、閉所恐怖症はダメだって言ったのに・・・。
 う~ん、仕方が無い、メンタルヘルスクリニックに電話をしてみよう。」

“ ピポ、ピポ、ピポ、ピポ、・・・・・。
 プルルルルルル・・・・・、ガチャ!”


   メンタルヘルスクリニック


お電話ありがとうございます、こちらはメンタルヘルスクリニックです。
該当する症状ごとの指示に従ってください。
物忘れが激しい方は0番を押してください。
強迫神経症の方は1番を何度も何度も押してください。
依存症の方は誰かに2番を押してもらうよう頼んでください。
多重人格の方は3番と4番と5番を交代で押してください。
物忘れが激しい方は0番を押してください。
精神分裂症の方は何番を押すかささやく声が聞こえたら、それを押してください。
過食症の方はピザ3枚の配達依頼をしてください。
鬱症状の方は何番でも押してください、返事をする人はいません。
物忘れが激しい方は0番を押してください。
罪の意識で苦しんでいる方は、電話をかけてくるべきじゃなかったんです。
痴呆症の方は7番を押してください、私はあなたのお母さんですよ。
自己嫌悪が激しい方は電話を切ってください、誰もあなたなんかと話しません。
物忘れが激しい方は0番を押してください。
中毒症状の方は*を押してこのメッセージを最初から聞いてください。


















コンピュータ診断装置




 ある男が友人に、“ひじが痛むから、医者に行かなきゃ”とこぼしていた。
友人は男にアドバイスした。

「 そんな必要ないよ。
あの薬局の中にコンピュータの診断装置があって、何でも診断してくれて治療法も教えてくれるんだ。
そりゃぁ~、医者よりずっと安いし速いんだ。」
「 そいつぁ、どうやったら動くんだい?」
「 機械に小便を入れて10ドル入れればすぐに診断してくれて、どうすればいいか教えてくれるんだ。
たった10ドルだぜ。」

 試してみる価値はあるかなと思った彼は、小さなポットに小便を取り、例の薬局へ行ってみた。
コンピュータを見つけた彼は、小便を入れて10ドルを投入した。
コンピュータは何やらピーピー言い出して、ランプも点滅し出した。
 そして、しばらくすると、紙切れが飛び出してきた。
その紙切れには、こう書いてあった。

『 あなたは、テニスをしてひじを痛めています。
毎日、ひじをお湯につけなさい。
ひじに負担をかける作業をしてはいけません。
2週間でよくなる確率は90%です。』

 その夜、面白い技術ができたものだとか、この診断装置は医学にどんな影響を及ぼすのだろうか、などと思っている最中、この診断装置をからかってみたらどうなるんだろうと思いついた。
彼は水道の水と、飼ってる犬の大便と、妻と娘のオシッコをミックスし、挙げ句の果てに、自分でマスターベーションして出したモノも加えてしまった。
そして薬局へ行き、混合物と10ドルを入れた。
 機械から、また前と同じように紙切れが出てきた。
そこにはこう書いてあった。

『 水道の水は硬水です。軟水化装置を購入してください。
飼っている犬には寄生虫がわいています。適切な治療が望まれます。
娘はドラッグをやっています。更正施設に入れなさい。
奥さんは妊娠しています。でも、あなたの子どもではありません。
それからあなたですが、マスターベーションをやめなければひじは完治しません。』

















お兄ちゃん




妹「お兄ちゃんって落ち込んだ時どうする?」
俺「んー、そういう時にはバイクに乗るかな。」
妹「ふーん・・。」
俺「どうした?何かあったか?」
俺「ううん、ちょっとね。」
俺「何だよ水くさいな、言ってみろよ。」
俺「う、うんとさ・・。・」
俺「おう。」
俺「お兄ちゃん、この間一緒に歩いてた人、彼女?」
俺「・・・は?」
俺「前学校の近くで話してたじゃん。」
俺「ああ・・・あいつか。なわけないだろ、ただのクラスメートだよ。」
俺「ほんと?」
俺「嘘言ってどうすんだよ。」
俺「そっか。」
俺「てかそんな話はいいんだよ。落ち込んでたんじゃなかったのか?」
俺「ううん、それならいいんだ!えへへ。」
俺「おかしな奴だな。」
俺「ふふ♪お兄ちゃんに彼女なんてできるわけないよね、よく考えたら。」
俺「こらこら、失礼だぞ。」
俺「お兄ちゃんクリスマスイブなのに一人なの?」
俺「うるせーよ、俺は一人が好きなの。女なんてうざったいだけだよ。」
俺「ふ~ん、それじゃ私が彼女になってあげるって言ったら?」
俺「ちょ、ふざけんじゃないよ誰がお前なんか。」
俺「えー、一緒に渋谷とか歩いてあげちゃうよ~。」
俺「ま、マジで?」
俺「何本気にしちゃってるのお兄ちゃん、はずかしー。」
俺「誰がお前なんかと!!!」
医「薬2週間分出しときますね、年明けにまた来てください。」
母「ありがとうございました。」
俺「ありがとうございました。」


















精神科医





 伯父さんは地元の病院で精神科医・・・というより、
『薬とかの治療で治せない患者さんの話し相手になって、症状を精神的な面から改善させる』みたいな仕事をしてた。
カウンセラーって言葉を使えばわかりやすいかな。
 親父とは二人っきりの兄弟ってこともあったんだろうけど仲が良くて、よくうちに遊びに来ては、まだ小学校1,2年くらいだった俺と遊んでくれたり、やっぱお医者様だから羽振り良かったのか、お小遣いくれたりして本当大好きな伯父さんだった。

 で、その伯父さんに最後に会った時のこと。
今から4年前の冬休み。
その年の4月から地元を出て札幌の高校に行っていた俺は、母さんから「××さん(伯父さん)も来るから、お正月くらい帰ってきなよ」って言われてて、どーせ大掃除手伝わされるんだろマンドクセとか思いながらも、母さんの栗きんとんと伯父(およびお年玉)目当てに、久しぶりに帰省してきた。

 伯父さんはいつものように客間に泊まってたんだけど、挨拶しに行ってまずびっくりした。
俺の記憶の中の伯父さんは、やせ気味の貧乏神ライクな親父と対照的に、100キロくらいありそうな縦も横もでっかい人だったんだが、それが親父以上にガリガリになってた。
髪もぼっさぼさで、ものごっつアウトローな感じに。
まあ、その時は「どーしたの伯父さん。めっちゃかっこよくなってんじゃん」とか言って笑ってたけど。

 その夜、飯食ったあとに、なんか解らんけど親父が風呂行って、母さんが台所に引っ込んでーって、居間で俺と伯父さんだけになった。
最初は昔話とか『おまえ札幌でちゃんとやってるか』的なこと聞かれたりとか、ふつーに話してたんだけど、ふと伯父さん真顔になって、

「 今、子供の声聞こえたか?」

って。
 伯父さんは酒ダメだったし、別にふざけてるとか俺を脅かそうってわけでもないっぽい雰囲気だったので、ちょっと怖くなりながらも(当然ながら我が家で最年少は俺)、

「 聞こえんかったよ。」
「 そうか、やっぱりな・・・。」

って哀しそうな顔でこんな風に言うんだよ。

「 伯父さんさ、最近聞こえるんだよ。
どこにいても、子供の声がいろいろ命令して来るんだよ。」

 伯父さんの仕事は前述の通りなんだけど、その病院ってのが医療施設というより、もはや『本気で重症な奴の隔離場』みたいなとこで、建ってるのは山の中だし、窓には全部鉄格子がはめてあるようなとこなんだよ。
いつか患者が逃げたってニュースやってたから、それでテレビに出たのを見た人もいるかも。
 それで、そのカウンセラーの仕事自体も紙一重なところがあって、電波が移るっていうの?、あんまし真面目な人だと、電波さんの話をちゃんと聞きすぎて、影響受けて自分もいろいろ支障をきたしちゃったり、ってこともよくあるらしい。
 伯父さんの話だと、同僚の女の人が一人「音波が脳に刺さるのが見えてきた」とか言って、自分ちで首吊っちゃったってことが、その頃あったんだって。
 他にもいろいろ話してくれたけど、『音波が脳に刺さる』ってフレーズだけやたら印象に残ってる。
「俺もそろそろかなぁ」って伯父さん、空元気ってのとも違う感じで、妙に楽しそうに笑ってたよ。
で、伯父さんおもむろにテーブルに置いてあったみかん掴んだ。

「 見えるか?」
「 何が?」
「 くっつき虫だよ。
ほら、またにゅるにゅる出てきてるだろ。
白いのにゅるにゅるうごめいてるだろ・・・。
何食べようとしてもこいつら出てくんだよ。
食ったら身体乗っ取られちゃうよ。」

伯父さんがここまで痩せた理由もそれだったという。
 ろくに飯も食えてないっつってた。
近頃は寝るのもつらいとも言ってた。
寝てる伯父さんを、天井から誰かが見てるんだって。
 最後に「ごめんな」って言って、伯父さんは居間を出て行った。
でも、そういえばその時はまだ、俺は伯父さんが怖い話をして脅かしてやろうとしたんだと思っていた。

 次の日、家族の誰も起きる前に伯父さんは帰ったらしい。
布団も片づけてなくて、本当に着の身着のまま、まるで何かから逃げるように。
母さんの話では、その後は電話とかしても全然つながらなくなっちゃったらしい。
 その一ヶ月くらい後に、伯父さんは事故で亡くなった。
中央分離帯に突っ込んだらしいんだけど、葬式の時、親戚からこんな話を聞いた。
伯父さんは自殺だったんじゃないかって。
 見てた人が証言したらしいんだけど、伯父さんの車、地面が凍ってたわけでもない道路で今までまっすぐ走ってたのを、急に自分から分離帯に突っ込んだそうだ。
よく解らないんだけど、そーいうのを勉強してる専門家なら、自分がそろそろやばいってこととかもわかるもんなのかね。
 なら伯父さん、自分がイッちゃう前に、最後に親父やお袋や俺に会いに来てくれて、それで廃人になる前に自分で命を絶ったのかなー・・・なんて。
 ま、それで終わってればの話なんだけど、親父が葬式の後、帰りの車でぽつりと、

「 そういや、アレは事故の前の日だったんだな。
夜中に留守電入ってて、それが兄貴だったんだよ。
なんか気持ち悪くて消しちゃったんだけど、あの病院って子供もいるのかな。」

親父の話だと、伯父さんのメッセージは酔ったような声でたった一言、

『 俺、命令されちゃったよ。』

それで、その声に隠れるように、子供っぽい声が何人も『死ね』『死ね』っつってたらしい。
そんな兄が死んだのネタに怖い話するような局面でもないし、本当のことなんだろうけど・・・。
親父は今も元気なので、別に電波受信したりはしてないようですが。

















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9月24日(月)のつぶやき

2018-09-25 07:57:55 | _HOMEページ_



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日々の出来事 9月24日 丹波哲郎と大霊界

2018-09-24 10:57:49 | A,日々の出来事_







   日々の出来事 9月24日 丹波哲郎と大霊界







 今日は、丹波哲郎が大霊界に旅立った日です。(2006年9月24日)
丹波哲郎は、日本ではちょっとアブナイ人に見られがちですが、ヨーロッパやアメリカでは、1967年の映画“007は二度死ぬ”などに出演するなどで、三船敏郎に次ぐ国際俳優として知られています。
丹波哲郎の俳優活動は50年以上に及び、映画出演作品は300本以上、映画の代表作は1974年の“砂の器”、テレビドラマでは“三匹の侍”や“Gメン75”、舞台では得意の心霊分野の“大霊界”があります。
 丹波哲郎のモットーは、出演依頼は二度断り三度目に応諾することと、5ページ以上台詞のある仕事は受けないことです。
それでも、こんな台詞が少ない状態でも台詞を覚えてくることは無く、撮影ではカンニングペーパーが必ず準備されていました。
 雑誌社の記者が丹波哲郎に尋ねます。

「 丹波さん、どうして台詞を覚えて来ないんですか?」
「 仕事は家庭に持ち込まない主義だから!!」

そして、マネージャーの条件は“仕事を取って来ないこと”で、仕事を取り過ぎると言う理由で解雇されたマネージャーも多数いました。
 丹波哲郎で有名な話は、スピード違反の話です。
丹波哲郎が乗った車を付き人が運転していました。
しかし、調子に乗ってスピードを出し過ぎ、スピード違反で警察官に捕まってしまったので、何とか付き人は誤魔化そうとしましたが埒が明きません。
そこに、おもむろに丹波哲郎が車を降りて、真顔で警察官に向かって一言言います。

「 Gメンの丹波だが・・。」

警察官は、無視して反則切符を切りました。
 丹波哲郎は、“霊界はすばらしいところだ”と言いながら、2006年9月24日亡くなりました。
葬儀の際、孫が“祖父はいつも女性の身体を触っていた”と突然暴露します。
これで、丹波哲郎が“霊界はすばらしいところだ”と言った理由が理解出来た気がしました。









 丹波哲郎
















☆今日の壺々話








ホテル





 今から10年程前のはなしです。
当時、入社二年目の会社員だった私は、上司二人に連れられて栃木にある某洋酒メーカーの工場へ出張する事になりました。
 勤めていた会社が関西にあったもので日帰りは難しく、宿泊施設が必要でした。
早速、事務員にホテルの手配をお願いしたところ、部長の同行ということもあって、そこそこなホテルを宛って貰えることになりました。
 栃木に着いて打ち合わせまで少し時間があったので、先にホテルにチェックインする事になりました。

 「 三名様でございますね。ご予約承ってございます。」

フロントの小太りな中年男性が対応してくれました。
言葉こそ丁寧ですが、どこか含んだ表情のある男性だったのを覚えてます。

 「 こちらに住所と名前を記入して戴けますでしょうか。
それから、只今当ホテルの新館を改装いたしておりまして、お客様にお泊まり戴くのは旧館になります。」

先程から気になっていたその男の含んだ表情は目でした。
なんとなく、目が笑っているように見えました。
少なくとも私にはそう映ったのですが、上司二人はそれほど気にしていない様子でした。

 「 では、お部屋の鍵をお渡し致します。」

先に上司二人に鍵を渡し、その後私に、

 「 貴方はこちらです。」

と、何故か僕だけ部屋を指定してきました。

 “見るからに僕が新入社員なんで、部屋に差を付けているのだろう。”

その場はその程度でした。
 結構広い敷地に大きなロビー、フロントから左に進み右へ曲がれば旧館に続く廊下があり、その奥に廻り階段がありました。

 私 「 客が全然入って無いですね。」
 上司「 平日だからだろ。特に遊ぶ所も無い様だし。」

旧館までの廊下と階段を結構歩いたのですが、その間別の宿泊者とすれ違うことはありませんでした。
 階段を上がると左側が便所で、右側に客室が続いていました。

 私 「 この階は僕らだけですかね。」
 上司「 そうみたいだね。」
 部長「 じゃあ、5分後にロビーに集合な。」
 私 「 わかりました。」

階段から一番手前が私の部屋でした。

 鍵を開け部屋に入った瞬間、一種の不快感に見舞われました。
臭いのです。
それは、RC造独特のコンクリートの臭いというか、黴びた臭いというか、埃っぽいというか、明らかに久しく使われず換気不足な時に出る臭いがしました。

 “ 最悪だな…。”

しかも風呂と便所がありません。

 “ そこそこなホテルねぇ…。”

事務員から見せられたパンフレットからはイメージ出来そうもない客室にがっかりしました。
 仕事での宿泊、しかも一番若輩な者の不快感など主張出来る訳も無く、まして部屋を代えて欲しいなど言える筈もありませんでした。
私はそのまま荷物を置いて直ぐにロビーに向かいました。
 打ち合わせに向かう途中のタクシーの中で、

 私 「 部屋、臭く無いですか?」
 上司「 そうでもないけど、君んところは臭いのか?」
 私 「 なんか臭うんですけど。」
 上司「 仕事で一泊だけだし、我慢しろよな。」

予想通りの答えでした。

 仕事が終わって、夕食を部長がご馳走してくれる事になりました。
その後、一軒、二軒と梯子となり、部屋に戻った時はほろ酔い気分で臭いの事などすっかり忘れていました。
風呂に入るのも面倒になり、私はそのまま寝ることにしました。
 何分経ったのでしょうか。まだまだアルコールが残っていたので、それ程経ってなかった様に思います。
突然目が覚めました。
しかし、身体が動きません。
みるみる内に酔いが覚めていったのを今でも覚えてます。
 そのとき、見たこともない女性のイメージが脳裏に浮かびました。
パーマを当てただけの無精なヘアースタイルのオバさんの顔だけが、二度、三度私の脳裏に浮かぶのです。
しばらくそれが続いた後、目を開けると天井が見えました。
 そして、廊下を歩くスリッパの音が聞こえました。

『 誰かが起きてトイレにでも行くんだ。』

そう思った時、体が動きました。
それで、トイレに行った人のおかげで救われたと思いました。

“ そのうち、トイレに行った人が戻って来るな。”

と思いつつ、しばらく寝付けないでいました。
 しかし、トイレから戻って来る足音がいつまで経っても聞こえてこないのです。
おかしいな、と思いました。
それで、トイレに確かめに行ったのです。
 私は部屋を出て、向かって左側にあるトイレに入ってみました。
トイレの蛍光灯は点いていません。
真っ暗な便所の中は並んだ便器だけで人は無く、3つ在った個室からも人の気配が全くしませんでした。
 階段から向こうの廊下はトイレしかなく行き止まりです。
確かにスリッパの足音は階段を上り下りすることなく、トイレへ向かっていました。

 「 これって、もしかして霊体験なのか?」

私自身、どちらかというと霊現象の様な超常現象は否定的な方でして、まして大事な取引のある出張中にそんな非現実な考えが入る余地などなかったのですが、程良く酔って眠りに就いていた私の目が覚める程の体験に、その時はじめてそう考えました。

 次の日、三人で朝食を採りながら、

 私 「 昨日の夜中に誰かトイレに行かれました?」

答えはNOでした。

 私 「 じつは・・・・・・。」

昨晩の出来事を話しました。

 上司「 夢だろ?(笑)」
 私 「 でも、程良く酒が入ってて夜中に目覚めたことなんて、今まで一度も無かったんですけどね。
お陰で寝不足ですよ。」
 上司「 帰りの新幹線でゆっくり眠ればいいじゃん。」
 私 「 そうします。」

外に陽があると、私の中でも昨夜の出来事は夢か錯覚だったのかと感じる様になっていました。

 しかし、チェックアウトの時です。
フロントの小太り中年男の目が、私には昨日にも増して笑っているように見えました。
それで、私はこの男は確信犯なんじゃないだろうかと思いました。
最初、私だけにあの部屋を指定してきたことや、寝不足気味の私の顔をみて昨日以上に笑っているその目を見て思ったんです。
 鍵を手渡す際に私はその手をしばらく離さず、その男を睨み付けました。
それで、

私 「 お陰様で、よく眠れましたよ。」

私は皮肉混じりに声に出して見ました。

「 それは、ありがとうございます。」

男は素っ気無く答えました。
そして私達はホテルを出ました。

 話はこれで終わりです。
私が泊まる以前にあの部屋で何があったのかは知りません。
真相は何も解らないままですし真相など何も無いのかも知れません。
ただ私が十年経った今も忘れられない嫌な思いをしたホテルでの出来事です。
当時、怖い体験と共にあのフロントの男の行動に憤りを感じていて、あのホテルにはもう二度と泊まるものかと思っていました。



















    徳永君物語 第一章「英雄の宿命」




 徳永くんと俺は今は中三で、小三からずっと一緒のクラスなんだけど、彼は小五までは普通に友達もたくさんいて活発で明るい、いいデブだったんだ。
彼が変わってしまったきっかけは、本当に些細なことだった。
 小五の夏休み、彼は盲腸の手術で入院してしまったんだ。
その時のお見舞いに、徳永くんと仲のよかった柴田くんが「地獄先生ぬーべー」全巻を持って行った。
それが、悪夢の始まりだったんだ。

 俺たちが異変に気付いたのは始業式だった。
その日、徳永君は“眼帯”をしてきたんだ。
“ものもらいにでもなったのかな?”と思った俺は、

「 どうしたん、その眼帯??」

そう彼に聞いてみた。
彼は“決して他言しないこと!”と俺に念を押すと、こう答えた。

「 実は…、退院してから左目で霊が見えるようになったんだ。
今この教室にも沢山いやがる…。
霊と目を合わちまうと憑かれる。
だから眼帯で見えないようにしているんだ。
もっとも、俺に憑けるような強い霊はめったにいないがね…。」

 放課後、俺は柴田君にそのことを話した。
他言するなとは言われていたが、胸のうちにしまっておくには余りにも香ばしい話だったからだ。
しかし、何故か柴田君はそのことを知っていた。
一緒にいた吉田君も、田沢さんも、クラスのほぼ全員が知っていた。
担任の西川先生さえも知っていた。
そう…、彼はクラスの全員に、能力に目覚めたことを話していたのであった。

 翌日から、クラスでは徳永君の霊能力の真偽をめぐる小競り合いが多発した。
ほとんどの人間は信じていなかったが、こっくりさんが大好きな一部の女子グループが徳永君を擁護した。
徳永君は、

「 信じる信じないは自由だよ。
覗かないほうがいい闇もこの世にはある。」

と言っていた。

 数日間に渡って繰り広げられた徳永君の霊能力の真偽をめぐる議論は、ある日徳永君が右目に眼帯をかけてきたことで唐突に終わりを迎えた。
徳永君の霊能力を信じるものはいなくなった。
そして約一カ月後、待ちに待った自然教室で悲劇はおこった。

 待ちに待った自然教室。
行き先は隣の市の海辺にある少年自然の家。
バスの席のくじで徳永君の隣になった俺は、恐ろしい体験をすることになる。
 俺は徳永君が嘘つきだとわかってからは、徳永君となるだけ関わらないようにしていた。
学校を出発してから20分程経ち、バスが高速道路に乗った頃、通路を挟んだ隣の角谷さんと楽しくお喋りをしていた俺は、ある不思議な“声”を耳にした。

「 ちっ、嫌な予感がしやがるぜ。」

窓際の席の徳永君は窓の反射を利用してこちらを伺いながら、わざと聞こえるようにそう呟いた。
 俺と角谷さんは顔を見合わせ、聞こえてないふりをした。
すると徳永君は先ほどより少し声のトーンをあげ、

「 ちっ!嫌な予感がしやがるぜ!」

と繰り返す。
 俺と角谷さんは尚も聞こえていないふりをする。
徳永君は声のトーンを上げ続ける。
徳永君が六回目の嫌な予感を感じたときだった。

「 徳永君、どーしたの?」

前の席に座っていた副担任の内海先生が俺達を助けてくれた。

「 いや、独り言だよ。」

そう徳永君は言った。
 内海先生は徳永君が心霊系の話が大好きだということを知っていたのだろう。
そしておそらくこの後の肝試しの前フリも兼ねて、徳永君にこう話した。

「 今からいく少年自然の家は、昔たくさんの人が戦争で死んだところに建てられてるんだ。
幽霊が出るって噂もあるよ。」

徳永君は、

「 やはりな…。
いわくつきの場所だったってわけか…。」

と言い、窓の外を眺めていた。
その後、少年自然の家に到着するまで徳永君の“感じる”との呟きがやむことはなかった。

 少年自然の家に着いてからは、俺はひたすら徳永君と距離をおき、楽しい時間を過ごしていた。
ヤギやウサギなどの動物とのふれあい、ボート訓練、初めての二段ベッド、全てが新鮮だった。
そんな平和なときもつかの間、最終日の夜、悲劇は起こった。
 ボート訓練が終わり夕食の時間、食堂で内海先生がこう言った。

「 自然教室は楽しかったですか?
今から最後のイベント、肝試しをします!!
お風呂が終わったら、先生の指示に従って外に集合してください!」

「 ぎゃーっ」
「 やだーっ!!」
「 えーーーっ!!」

食堂が悲鳴と歓声に包まれる中、俺は聞き逃さなかった。
徳永君の“余計なことを、奴らを怒らせるだけだ”との呟きを…。

 入浴が終わり、肝試しの時間がやってきた。
真っ暗闇の中、生徒たちはドキドキしながら外に並び、内海先生の怖い話が始まった。
怖い雰囲気のテープの影響もあって、普段やんちゃなガキどもも、終始無言で話に聞きいった。
 話も佳境に差し掛かったとき、眼帯をした一人の少年が勢いよく立ち上がった。
周りにいた生徒が驚き悲鳴をあげる。

「 それ以上はやめときな!!
内海先生!!!」

凍り付く人々、止まる時間。
今この場の全員にとって、彼の行動は予想外であった。
彼は続ける。

「 気付いてねえのかい?
こうしてる間にも、ここにいちゃいけないはずの奴らが、集まってきてるぜ!」

徳永君の絶叫が響いた。
徳永君の顔は凄く誇らしげだった。
 内海先生が何日もかけてこの日のために考えたであろう怪談話は、徳永君の乱入によってオチをつけられ、水泡に帰した。
悔しかっただろうが、大人の内海先生、

「 わかった。
うかうかしていられないね。
始めよう。
クラスごとに別れて、その中で班で別れてくださーい!」

と、めげずに指示。
 幸いにも絶えず呪文のような何かを呟いている徳永君と違う班になった俺は、暗い茂みから口さけ女や人面犬に紛した先生達やカメラマンが飛び出してくるコースを怖がりながらも楽しみ、自然教室の最後の夜は更けていった。
そうして全ては終わったかに見えた。
しかし、悲劇は終わってはいなかったのだ。

 楽しかった自然教室も終わり、日常に戻った俺達。
前述の騒ぎで、他のクラスにも名を轟かせた徳永君は、相変わらず眼帯着用で登校し、以前よりさらに黒い闇、近寄りがたい雰囲気をまとっていた。
 そして、その日出された宿題、これが第二の悲劇のきっかけであった。
内容は文集を作るために、各自、自然教室の感想分を原稿用紙に書いてくるというものだった。
そして翌日、悲劇は起こった。

 翌日、朝の会で宿題の作文を各自提出し、後は文集の完成を待つのみであった。
そう、そのはずであった。
 五時限目のHRの時間、担任の西川先生が入ってくるなり教卓に名簿をたたき付けた。
凍り付く教室。

「 徳永くん!!!」

ビクッとなる霊感少年。

「 え?何ですか?」
「 何ですかじゃないよ!
何ね、この作文は!
それと眼帯外しなさい!」

夏休み以降、度々授業中に呪文を唱えたりする徳永君を、ときには見てみぬふりをし、ときには優しくフォローしてあげていた西川先生。
しかし、遂に勘忍袋の尾が切れたのであろう。
 作文の内容はこうであった。

「 自然教室の思い出はろくなものではなかったです。
呑気なクラスメイトに近付いてくる悪霊を払うのに多大な霊力を費やし、皆が寝てからも結界を張って霊の襲撃を防ぎ、身体がもつか不安だった。
最終日の肝試しでは、今まで見たこともないような強大な怨みの力を持った悪霊と戦った。
霊力を使い果たしてバラバラにはできたが、その際に一緒の班のメンバーにバラバラになった悪霊の悪い念が憑いてしまったので、時間をかけて除霊していきたい。
本当に最悪な三泊四日だった。」

以上の内容をクラスの全員の前で読み上げさせられた徳永君。
 クラスは凍り付いていたが、徳永君は読み上げた後、悪びれもせず西川先生に向かってこう言った。

「 真実ですが何か?
僕が霊能力を持っていなかったら、死人も出ていたでしょう。
見えているものだけが真実じゃないんですよ!!!!」

“ バチィッ!!”

という音とともに、跳ね上がる徳永君のアゴ。
吹っ飛ぶ眼鏡。
先生は泣きながら徳永君をビンタした。
 汚い顔で泣きながら、尚も真実を書いて何が悪いと主張する徳永君に、クラスメイトの信じられないといった眼差しが向けられる。
書き直しを拒む徳永君に西川先生はこう告げた。

「 わかりました。
今日の夜、徳永君の家におじゃまします。」

 数日後、文集が完成した。
自宅でも霊能力を主張し続けたのであろう。
徳永君の感想文は明らかに大人の字で、この上ない素晴らしいものだった。
こうして闇の自然教室は完全に幕を閉じた。
 しかし、徳永君の霊との戦いが終わったわけではない…。
彼は今もまだ、襲い来る悪霊たちと戦っているのだ。

頑張れ徳永!
負けるな徳永!!
輝く我らの星となれ!!!






       徳永君物語 第一章「英雄の宿命」完。



















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