日々の出来事 1月27日 野口雨情
今日は、野口雨情が亡くなった日です。(1945年1月27日)
野口雨情は、茨城県多賀郡磯原町出身の詩人です。
生家は水戸徳川家藩主の御休息所である“観海亭”で、廻船業を営む名家に生まれました。
野口雨情は少年時代より作詞をし、回覧雑誌へ掲載するなど文学的素養に富んでいました。
その後、早稲田大学に入学、坪内逍遥に学び、就職は小樽日報で新聞記者をしており、そのときの同僚は石川啄木でした。
そして、少しの休憩を置いて斎藤佐次郎により創刊された“金の船”で復活、童謡を次々と発表し数多くの名作を残しました。
代表作を並べますが、たくさん知っているものがあると思います。
“赤い靴”、“七つの子”、“シャボン玉”、“雨降りお月さん”、“こがね虫”、“あの町この町”、“十五夜お月さん”、“証城寺の狸囃子”、“兎のダンス”、“俵はごろごろ”。
赤い靴
赤い靴はいてた
女の子
異人さんに
つれられて
行っちゃった
横浜の埠場から
船に乗って
異人さんに
つれられて
行っちゃった
今では青い目に
なっちゃって
異人さんの
お国に
いるんだろう
赤い靴見るたび
考える
異人さんに
逢うたび
考える
赤い靴は、静岡県清水市の岩崎きみ の哀しい物語をモチーフにして作詞されました。
岩崎きみ は未婚の母である岩崎かよ の娘で、母親の再婚とともに北海道の開拓農場へ入植します。
しかし、開拓生活の厳しさから、岩崎きみはアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に養女として託されることになります。
その後、ヒュエット夫妻がアメリカに帰国するとき、岩崎きみは結核に罹っておりアメリカに連れて行けず、東京麻布の孤児院に預けられてしまいます。(当時、結核は不治の病と言われていました。)
そして、岩崎きみは孤児院に預けられたまま、結核のため9才で亡くなりました。
しかし、母親はこの事実を知らず、岩崎きみはアメリカで幸せに暮らしていると思ったまま生涯を終えたと言う話です。
質問
「 “異人さん”を“いい爺さん”とか“ひい爺さん”とか思っている人はいませんかァ~?」
世の中に、ホントに、こう思っている人はいるのです。
☆今日の壺々話
とっても怖い童謡たち
しゃぼん玉
しゃぼん玉とんだ 屋根までとんだ
屋根までとんで こわれて消えた
しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた
うまれてすぐに こわれて消えた
風 風 吹くな
しゃぼん玉とばそ
作詞したのは野口雨情。
彼は30過ぎてから結婚したのだけれども、なかなか子宝に恵まれなかった。
やっと授かったと思った子どもも流産してしまった。
雨情の悲しみ様と言ったら、それはそれはすごいものだったそうだ。
そんなときに作った詞が「しゃぼん玉」だと言われている。
「うまれてすぐに こわれて消えた」という辺りに露骨に書かれていることからも分かるだろう。
しゃぼん玉遊びに、生まれてくることのできなかった子どもへの思いを託しているのである。
通りゃんせ
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちょっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
天満宮に子供を捨てに行く唄。
捨て子が余りに多いため、誰も拾わず見殺しにしていた頃、天満宮の境内で捨てられた子供だけは神社が拾って育てたという噂が広まって、みんな捨てに行った。
警備の人間もそれを分かっているから中々子連れの女を通そうとしない。
で、子供の七つのお祝いにお札を納めに行きます、と嘘を言って捨てに行く。
行きは子連れだからよいが、帰りは「子を捨てた母親」のレッテルを背負って帰るから「怖い」、でもそうしなければ親子共々飢えて死んでしまう。
だから怖いながらも通りゃんせなんだと。
かごめかごめ
かごめかごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ?
「かごめ」はそのまま篭め、つまり「閉じ込めろ」
「かごの中のとりは」・・・籠の中の虜(とり)は
「いついつ出やる」・・・いつとも知れない(出てくることはないという暗喩)
「夜明けの晩に」・・・目隠しされて出てくる
「鶴と亀がすべった」・・・長寿の逆だから寿命を待たずして死ぬ
「後ろの正面だあれ?」・・・目隠しされた身には後ろも正面もないが、真後ろには首切り役人が立っている。
・・・つまり昔の罪人が刑死する歌です。
怖いですネ!
あめふり
誰もが一度は耳にしたことがあるだろう童謡の1つに、“あめふり”ってのがある。
僕は子供時代、その歌が嫌いで嫌いでたまらなかった。
小学校にあがる少し前、母は僕の入学式に出席することができないままこの世を去った。
車での買い物の帰り道、軽トラックと正面衝突をして、軽トラックの運転手ともども即死だった。
覚えているのは人の大きさをした大きな布の膨らみと、それにすがりつきながら「痛かったろう、痛かったろう」と大声で泣き喚く父の後ろ姿だけ。
あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン
ちょうど事故で母が死んだ日も、路面が滑りやすい雨の日だった。
この歌が雨の日の給食時間に放送で流れると、保育園に迎えに来てくれた優しい母の顔を思い出し、僕は耳をふさいだ。
その日もそんな雨の日で、ごたぶんに漏れず給食時間の放送からはあの歌が流れていたと思う。
朝の天気予報では晴れマークが出ていたので、傘を持ってくるのを忘れた僕は、下校のときのことを想像するたび憂鬱な気分になっていた。
母の件のせいにするつもりは毛頭ないけれど、その頃の僕はおせじにも可愛い子供ではなかった。
当然友達なんかいないから傘に入れてくる人なんかいるはずないし、父は仕事で今日も遅いから、まさか僕の傘のために仕事を抜け出して迎えに来てくれるはずもない。
むしろ当時の僕は本当に可愛くなくって、
“もし父がそんな風に迎えに来てくれたとしたら、一体どんな顔をしたらいいんだろう。”
なんていう風に、子供らしくないネガティブな悩みかたをしていたのを覚えている。
でもそんな悩みなんかもとから不必要で、結局父が迎えに来てくれることはなかった。
当然だ。片親で子供一人を学校に通わせるのは今思えば楽なことではない。
大工であった父はその日も屋根の上で雨に濡れながら家族のために必死に働いていたんだろう。
どんどん強まっていく雨足と、ぽつりぽつりとクラスメイトが減っていった薄暗い教室は、今思い出しても寂しい気分になる。
一度寂しいと思うと、その寂しさはどんどん膨らんでいくもので、そんな時に母の顔を思い出してしまった僕はもうどうしようもなかった。
もしお母さんがいてくれて、傘をさして迎えにきてくれたら、この雨もどんなに楽しいだろう。
そう考えたとたん、涙がぽろぽろこぼれてきて、僕はまだクラスメイトもちらほら残っている放課後の教室で泣き出してしまった。
それに気づいたクラスメイト達も何事だとこっちをうかがいはするが、もちろんなぐさめてはくれない。
やりきれなさと寂しさで胸がいっぱいになっていたところへ、担任の先生が声をかけてくれた。
当時僕の担任の先生というのは、結構なお年の女性の方で杉本先生といった。
ぽっちゃりした体型と人懐っこい笑顔に派手めな眼鏡で、生徒からはおばあちゃん先生なんて呼ばれていたけど、本人はむしろその呼び方に愛着を感じているらしく、微笑みながら応対していたように思う。
どしゃ降りの雨がふる教室のなかで、小学校2年生の子供が泣きじゃくりながら事情を説明する言葉なんて、一体どれだけ聞き取れただろうか。
先生は膝をおって同じ高さまで顔をもってくると、僕の背中を優しくさすりながら「そうね、そうね」と独特の九州なまりであいづちを打ってくれていた。
僕がやっと泣き止むと、杉本先生は僕に「そんなら先生と一緒に帰ろうか」というと、やっぱり派手めな赤いチェックのはいった小さな傘を差し出した。
途中、杉本先生の家にあがらせてもらい、色んな話をした。
「今度から雨の日は先生と一緒に帰ろう」と言ってくれたのが、僕は嬉しくてたまらなかった。
なんだかんだで恥ずかしさも伴い、一緒に下校したのはそれっきりだったけど、僕はそれからは雨がそれほど嫌ではなくなっていた。
杉本先生、お元気にしてらっしゃいますか?
僕は今年、夢だった教師になることが出来ました。
先生に報告に来ました、なんていう言い訳を抱えて、実家に帰省した折にはご挨拶に伺わせて頂きたいと思っています。
赤い靴
小学校4年のときのこと。
当時、俺は仲良しグループの中で楽しく遊んでいた。
仲良しグループとは、俺、俺の親友のKと、TとR(どちらも女)の4人。
この4人は小2~3と連続で同じクラスになり、席も何回か近くなったりして、自然と仲良くなった。
小4でKとTとはクラスが離れてしまったが、それでも放課後に、皆で廊下で待ち合わせしてよく遊んでいた。
ある夏の暑い日、いつものように放課後廊下に集まって、今日は何して遊ぶかを話し合った。
少しして、Kが窓の向こうを指さして言った。
「 あの高いマンション行ってみない?まだ行ったこと無いよね?」
そのマンションは15階建て。
ここらの町の中でも一番高さのあるマンション。
当時のここらのマンションは、住民以外でも自由に出入りでき、よくこのグループで、近くの色んなマンションに行っていた。
だが、あの高いマンションは少し遠く、友達も一人も住んでいなかったので、何か近寄り難い感じだった。
するとRが言った。
「 あそこはダメだよ…。」
意味深に言ったものだから、Kは「何で?」と勢いよく返した。
「 よくわからないけど…。
親から『あそこは行っちゃダメ』って言われた。」
そうRは言った。
俺は何がダメなのか気になり、「 何だよ、それ。行ってみようよ!気になるじゃん。」と言って、全体を行く雰囲気に促した。
するとRは、「 んじゃうちイイや…ごめんね。」と言って先に帰った。
TはRが帰った事を少々気にしていて、行ってみたい的なことも言っていたが、気を遣い、結局Kと2人で行くことにした。
そのマンションまでは3kmぐらいあっただろうか。
着いたときは、もう、時間は遅く、夕暮れ時になっていた。
それに、道のりが遠かったので、少々足がくたびれていた。
いつもマンションを探検する時は、エレベーターを使わず階段で一番上まで上がり、徐々に階段で降りていたが、この日は疲れていたので、上へはエレベーターで行き、上から階段を降りながら探検しようという事になった。
しかし、Kが「疲れたから休もう」と言い出したので、探検の前に、エレベーターホールの奥にあるベンチで一休みする事にした。
10分ぐらい学校の話など色々していたら、2つあるうち片方のエレベーターが1階へ降りてきた。
エレベーターはベンチから斜め前の少し離れたところにあり、扉は開いたが誰も出て来なかった。
あれ?と思って、俺がトコトコ歩きエレベーターを覗きに行ったら、エレベーターの中、ベンチから死角になったところに、真っ赤な女物の靴が揃えて置いてあった。
人は誰も乗ってない。
俺は不思議に思って、Kを呼びにベンチに戻った。
んで、Kに、その赤い靴を見せようとした。
「 靴、靴!」
「 何?」
しかし、次に2人でエレベーターを覗きに行くと、何故かその赤い靴が無くなっていた。
「 あれ・・・、さっきはあったのに・・・・。」
「 見間違えじゃネ?」
少し奇妙に思いながらも、まあ、いいか・・。
で、2人で15階までそのエレベーターで上ることにした。
このエレベーターの停止階は1・3・5・8・11・14で、停止階以外の階に行く時は、最寄りの階から階段で行く形になっている。
俺は最初「あれ、14階しかないのか?」と言ったら、Kがそう教えてくれて14のボタンを押し上に昇る。
「 どうして15階まで、エレベーターを作らなかったんだろ?」
「 さあ、知らない・・・。」
Kの返事に期待してもムダだった。
エレベーターは、どんどん上に上がる。
エレベーターの扉の窓からは各階のフロアが見え、上から下に移動して行く。
それで、5階の停止階を過ぎる時だった。
通り過ぎる一瞬、向こうにさっきの赤い靴が置いてあるのが見えた。
それは、通路にこちらを向いて二つキチンと並んでいる。
俺が「あ!さっきの…!」と言った時には、5階を完全に通り過ぎていた。
Kが「何?」と聞き、俺は「さっき1階で見たはずの赤い靴が5階にあったんだ!」と言ったが、Kは俺が何を言っているのか分からない様子で、信じないというよりは“どうでもいい”という反応だった。
俺は何か気掛かりになって、8のボタンを押した。
それは、エレベーターを途中で降り、5階のエレベーターホールまで降りて、確かめようと思ったのだ。
俺はKに「先に上行って、待ってて。」と言い、8階で降りた。
8階のエレベーターホールには何も無く、俺はそこから7、6…と階段で降りていった。
そして5階に着いて、周辺を見渡してもあの赤い靴はなかった。
“さっきのは何だったんだろう…。”と思いながら、5階からエレベーターを呼んだ。
片方のエレベーターは『14』を表示していて、“あぁ、Kはもう着いたんだな。”と思い、急いで向かおうとした。
エレベーターが5階に着き、俺は乗り込んで14階へ上がって行く。
途中、10階を通過したとき、俺は「うわ!」と声をあげてしまった。
エレベーターホールに、あの真っ赤な靴が揃えて置いてあったのだ。
周りに人はいない。
エレベーターはそのまま14階に上がって行く。
「 14階にあったら、イヤだな・・・・。」
俺は何か、そのエレベーターで上に上がるのが怖くなった。
しかし、上ではKが待っている。
14階に着いて、エレベーターの扉の窓から外を注意して見ても、靴は無かった。
俺はホッとして、エレベーターを出、階段を駆け足で15階まで上る。
何か俺は焦っていた。
早くKに会いたい、という妙な孤独感に襲われていた。
そして15階に着いた。
しかし、15階のどこを探してもKはいない。
もしかして、俺が遅すぎるのに腹を立てて、先に下に降りたのか。
俺は寂しくなり、Kの名前を大声で叫んだ。
「 K~!どこだ~!」
マンション中に俺の声がこだまする。
近くにいるなら聞こえるはずだ。
しかし、返事が無い。
もっと下にいるのか。
はたまた声が聞こえていながら無視しているのか。
俺の声を聞いて通路に出て来る住人もいない。
俺の精神状態はだんだんおかしくなっていった。
不気味な光景をたて続けに見た恐怖感。
それをKに伝えられないで一人で彷徨う孤独感。
俺は15階にKがいないことが分かると、一刻も早くこのマンションから抜け出したいと思った。
“ マンションの外でKを待とう・・・。”
俺は14階に降りて、エレベーターを呼び、乗る。
そして1のボタンを押し、早く着いてくれと思いながら目をつぶり待っていた。
エレベーターは降りて行く。
俺は怖くて仕方なかった。
目をつぶりながら屈み、エレベーターの向こうを見ようとしなかった。
そしてエレベーターが止まった。
ドアが開いたが、俺は怖さで顔を上げようとしなかった。
すると、大人の男の声がした。
「 子供一人発見しました、小学生のようです。」
「 え…?」
顔を上げると警察官が2人、俺を見下ろしていた。
1人は無線で会話していた。
そして、もう1人が俺に話しかけてきた。
「 どうした?何でこんな所にいるんだ?」
俺は訳がわからなかったが、安堵感からその警察官に思い切り抱きつき号泣した。
そして、俺は、その場で警察官に色々聞かれた。
その最中に、Kが降りてきたエレベーターからノコノコ出て来て、一言。
「 何、やってんだよ!?
ずっと、待ってたのに・・・。
あれっ、警察、なんでいるの?」
俺とKは、警察からさらに詳しく事情を聞かれた。
警察がやって来た理由は、付近の住民から、女の人が飛び降りたと通報があったから。
でも、マンションの周辺に飛び降りた人は見付からなかったし、結局、悪質なイタズラとして処理された。
俺とKは、何故15階で会えなかったのか・・・。
そして、あの赤い靴は・・・・?
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