Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パーヴォ・ヤルヴィ/N響

2016年09月09日 | 音楽
 パーヴォ・ヤルヴィ/N響のマーラーの交響曲第8番「一千人の交響曲」。これは前から楽しみにしていた演奏会だ。マーラーの交響曲の中では、よく分からないところがあるこの曲の、何かがつかめるかもしれないという期待があった。

 今まで聴いた演奏の中には、考えてみると、第1部「賛歌『来たれ、創造主である聖霊よ』」では感動的な演奏もあった気がする。問題は第2部「『ファウスト』終幕の場」だ。そこに来て急に方向感を見失う演奏があった。ウロウロと迷走して、最後に盛り上がって終わるという演奏。ゲーテの原作の表面をなでるだけの演奏。

 今回はさすがにパーヴォ/N響だと思ったが、第2部でのドラマの道筋がつねに明瞭に辿られていた。テンポや強弱、音色の変化、どれをとってもドラマの進行が意識されていた。

 とくに感心した箇所は、終盤になって聖母マリアが顕現した直後の、オーケストラの柔らかい音色だった。聖母マリアの恵みが遍在しているような幸福感が漂った。ミサ曲におけるベネディクトゥス~アニュス・デイの音楽や、イエスの生誕の音楽などに通じるものが、この箇所にはあると思った。

 それが分かると、その直前のグレートヒェンの出現も(ファウストの魂の救済という)ドラマの中にしっくり収まり、さらにまた最後の神秘の合唱の「永遠に女性的なるものが/私たちを引き上げる!」につながる一貫した流れが実感できた。

 同時に、マーラーがこの曲を書いたときの気持ちも分かる気がした。マーラーにとっての「永遠に女性的なるもの」は妻アルマに他ならないが、その溢れる想いを(ゲーテの原作に寄せて)忍び込ませた。そして本作をアルマに捧げた。今になってみると、なんたる誤解という気もするが、マーラーにはミューズが必要だった‥と。

 合唱は新国立劇場合唱団と栗友会合唱団。第1部の冒頭では発声に硬さを感じたが、徐々にこなれてきて、第2部ではよく揃ったハーモニーを聴かせた。児童合唱はNHK東京児童合唱団。人数も多くて存在感があった。

 独唱者の中ではアルトのアンネリー・ペーボAnnely Peeboという未知の歌手に注目した(この人は第2部ではエジプトのマリアを歌った)。豊かな声の持ち主だ。テノールのミヒャエル・シャーデは名歌手だと思うが、当夜は調子が悪かったのかもしれない。声に伸びがなく、無理をしているようだった。
(2016.9.8.NHKホール)

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