Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

「岸田吟香・劉生・麗子」展

2014年04月07日 | 美術
 「岸田吟香・劉生・麗子」展。会期末ぎりぎりで飛び込んだ。半ば諦めていたが、ともかく行けてよかった。同展は今後岡山県立美術館に巡回する。

 岸田劉生展はあちこちでよくやるが、本展はユニークだ。劉生の父「吟香」と娘「麗子」にもスポットを当て、三代続いた‘精神の系譜’を描きだそうとしている。DNAがどう受け継がれたかを辿る試みだ。

 鑑賞者の側からいうと、劉生という興味深い個性が、どこから生まれてきたかを、実感として理解することができる展観だ。劉生の面白さは、第一にその画風の変遷――ポスト印象派からデューラーなどの北方ルネサンス、さらには中国や日本の絵画・浮世絵へ――だが、第二に独自の思索・言葉づかいであり、第三に‘在野精神’だと思う。なかでも独自の言葉づかいと在野精神は、ポンと生まれたものではなく、吟香から受け継いだものなのだということが、よくわかった。

 吟香(1833‐1905)はジャーナリストとして健筆をふるうほか、液体目薬の製造・販売をおこなうなど実業家の面もあり、また盲学校を設立するなど、一つの枠に収まらない明治の‘傑物’だったようだ。そんな吟香の生涯が、膨大な資料を通して、生き生きと紹介されていた。

 次の劉生(1891‐1929)の展示では、やはりその作品が面白かった。麗子像も何点かあった。そのなかでは「麗子坐像」(1919)↓に惹かれた。麗子を初めて描いた「麗子五歳の像」(1918)の翌年の作品だ。ちょっと機嫌の悪い表情がよく捉えられている。パンパンに張った右手の膨らみが微笑ましい。「童女図(麗子立像)」(1923)(↑チラシの作品)も展示されていて、聖女らしさの点ではこのほうが優っているが、今回は「麗子坐像」の子どもらしさに惹かれた。

 これらの麗子像はどこかで見かけたことのある作品だが、初めて見る作品もあった。それは初期の水彩画↓↓だ。1907‐1910の作品。劉生がポスト印象派に倣った作品を描く前の時期だ。瑞々しい抒情が漂っている。「初めはこういう作品を描いていたのか」という発見があった。

 麗子(1914‐1962)の生涯も紹介されていた。晩年――といっても、まだ40代だが――劉生の評伝を書こうと決意し、膨大な量の日記を精読し、「父岸田劉生」を書き上げた直後に急逝。なんとも宿命的な人生だ。そういえば、まだその評伝を読んでいないなと気付かされた。
(2014.4.6.世田谷美術館)

↓「麗子坐像」
http://www.polamuseum.or.jp/collection/006-0550/

↓↓水彩画「落合村ノ新緑」
http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=3776

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