Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

椿姫

2015年05月20日 | 音楽
 新国立劇場の「椿姫」新制作。演出のヴァンサン・ブサールは、フランクフルト歌劇場でグルックの「エツィオ」を観て感銘を受けたことがある。今回もひじょうに楽しみだった。また指揮のイヴ・アベルも、新国立劇場はもちろん、ベルリン・ドイツ歌劇場でも何度か聴いて、どれもよかった。

 まず演出から。「エツィオ」のときもそうだったが、舞台の床に鏡を張り、その反射光を壁に投影する。縦、横、斜めから照明を当てるので、その角度によって壁にうつる影は複雑に変化する。今回はさらに舞台の左側を(天井まで届く)巨大な鏡にした。その反射光もあるので複雑を極める。すべてが計算された複雑さだ。

 大事な点は、そういった影の変化が、自己目的化していないことだ。音楽の陰影を表現し、また登場人物の心の揺れを表現する。簡潔かつ的確な語り口のドラマだ。

 古いピアノ(19世紀のものだそうだ)がつねに舞台にあった。第2幕ではヴィオレッタがアルフレードへの別れの手紙を書く机になり、また第3幕では瀕死のヴィオレッタが横たわるベッドになり――という具合だ。あのピアノはなんだろうと思った。帰宅後、ブサールのインタビュー記事を読んだら、原作のモデルとなった高級娼婦の象徴だそうだ(「ジ・アトレ」2014年11月号)。なるほど。でも、わたしはこのオペラを作曲中のヴェルディの象徴だと思った。そんな想像も楽しい。

 第2幕の前半、ヴィオレッタとアルフレードとの愛のすみかの場面では、日傘が宙に浮き、その奥を渡り鳥の群れが飛んでいた。あれはなんだろう。美しかった。

 第3幕の巨大な紗幕にも触れておきたい。前述した舞台左側の巨大な鏡を覆う紗幕。そのインパクトの強さは、実際に見ないと分からないかもしれない。

 イヴ・アベルの指揮は期待どおりだった。とくに第2幕でのヴィオレッタとジェルモンとの二重唱の、刻々と変化する音楽の推移に感心した。少しも一本調子にならない。ヴィオレッタ役のベルナルダ・ボブロの丁寧な歌唱もさることながら、イヴ・アベルの克明なテンポの変化が歌手たちを主導していた。

 ボブロは各幕で性格の異なるヴィオレッタ像を、歌唱はもちろん、演技でもよく描き分けていた。アルフレード役のアントニオ・ポーリも文句なし。ジェルモン役のアルフレード・ギザは、歌唱はいいのだが、役作りは無個性だった。ジェルモンの造形は意外に難しいのかも‥。
(2015.5.19.新国立劇場)

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