サンパウロの庶民的生活

わたしの半径1メートル以内で考えたことや感じたことをつづってみようと思います。

大ブーイングvsスト代の授業

2015-06-26 06:49:38 | Weblog

 ブラジルの学生たちはもうすぐフェリアス(長期休暇)だというのに、多発してきた各公立学校ではこのフェリアスに先生たちも大変だろうに、先生が授業を休んだ分、穴埋め授業が実施されるという説明会。
 それはよかったと思っている、生真面目なジャポネースみたいなのはどうも少ないらしく、活況を呈する大ブーイングの嵐が巻きおこる。

ジューンブライドとキロンボの攻略法

2015-06-23 06:40:29 | Weblog

↑ジューンブライドはジューンブライドでも、フェスタジュニーナのジューンブライド。

 子どものブラジルの地理教科書で、植民地時代に黒人奴隷が逃亡して作った集落キロンボを滅ぼすために、ポルトガル人は武力で滅ぼすのではなく、病人の着ていた服なんかを投げ入れたりして病気を蔓延させて滅ぼそうとしたとか、書かれていた。それでその作戦はそれなりに成果があったらしい。それでも、その服を投げ入れる人も病気がうつりそうだけど一体どうしていたのか...
 病気の人を隔離するという話は聞いた事があるけれど、わざわざ感染症を広げる病原菌の付いた服を投げ入れるなんて、子どもみたいな発想だけど、なるほど、生物兵器なんていうのは、何も近代に始まったものではなかったんだ!
 なんか、すごい事を教えるブラジルの教科書。

やっぱりアフリカの時代

2015-06-21 06:42:15 | Weblog
 移民博物館の第二十回移民祭り。いろんな国の飲食ブースのある中で、気になるアフリカの国々。

 
 暗黒大陸なんていうのは勝手にアフリカ以外の人が称した名前で、大航海時代以降、新大陸に奴隷として運ばれてきたアフリカの人々を思うと、暗黒時代もあったかもしれない。 
 植民地時代はグローバル化が早かったということで、異文化の出合いであり衝突で、今やアフリカの人は英語やフランス語やポルトガル語といったヨーロッパ言語と現地語を結構使い分ける事が出来る人も珍しくなく、世界の舞台には決して遠くなかったりする。




 中東やヨーロッパ、もしかしてインドだってもっと昔からアフリカとは交流がありそうだけど、日本からは何だか遠くまだまだ未知なアフリカ。
 それゆえにサンパウロで出合いやすいアフリカは、興味津々。
↓モザンビーク料理のモクサ。モザンビークの料理はブラジル料理と同じ感覚で食べられると言っていたけれど、スープの方は毎日食べても飽きないかも。


↓モザンビーク料理のバジア




↓カーボべルデのダンス。アフリカとヨーロッパを感じる素敵なダンス


カヤツリグサ

2015-06-18 07:39:35 | Weblog
 日本ではそこら辺に当たり前に繁殖していたカヤツリグサも、似て非なるものはあるにしても、ブラジルにこれば貴重品になったりする。
 種をわざわざブラジルまで持ちこんで育てると、日本よりもたくましく成長したらしいカヤツリグサ。