サンパウロの庶民的生活

わたしの半径1メートル以内で考えたことや感じたことをつづってみようと思います。

森の木陰で

2015-03-31 06:07:54 | Weblog


古くて新しいエコロジカルな生活を長く続けてきたのが南米先住民、かも。



日本で縄文時代の文化を実演できる人はもはやいないだろうけれど、ブラジルに生き続けるインディオの場合は、今も昔から受け継がれてきた生活自体がきっと素朴なものなんだろう。



自称“現代人”とどうしようもない現代の政治経済システムのほころびは、インディオが受け継いできた精神性から学ぶべきものがありそう。






ピリキット

2015-03-29 05:15:16 | Weblog

 どう見ても黄緑インコとしか表現できないのに、子供はピリキットとしきりに教えてくれる。
 ピリキットというブラジルじゃあ有名な鳥らしい。
 その土地に暮らしているだけで、異邦人の大人にはなかなか身に付かない土地の文化を、子供はすごい勢いでどこからともなく吸収している。 
 こうなるともう、幼稚園の子どもに追いつけ、追いこせ!
 

神の目

2015-03-28 06:08:15 | Weblog
 ブラジルの子どもがよく飛ばしている凧をモチーフにした作品を吊るしているのかと思ったら、南米先住民の工芸品でおなじみの、「神の目」というものらしい。
 そう言われてみればぐるぐる巻きの糸が目に見えてくる。

景教東漸史

2015-03-27 05:56:21 | Weblog

 アミーゴのブラジレイロの牧師が研究する東洋、日本のキリスト教。
 教えを受けるために一緒に出かけた先で、ジョン・ステュアートという人が書いた、教科書でうすら覚えのネストリウス派(=景教)に関する著書を見せていただく。
 色々な日本研究が西洋人にも行われてきたのだろうけれど、その日本語訳にまわりまわってブラジルでお目見えできるとは...

 

まずは自分の安全第一か...

2015-03-25 06:45:59 | Weblog

 とあるビルの横の歩道に立つ街路樹。
 大雨で木が倒れるのはいつもの話だけれど、まずはビル側に倒れてこないような保護木を木につけている辺り、やっぱり自分の身(ビル)の安全が第一、いや、歩行者を守っているのだろうか。
 現実に多くの人にとって困るのは、車道側に木が倒れて、交通渋滞を引き起こす事なんだけど...なんだか、この保護木自体の意味がよく分からなくなってきた。

言うべきか言わぬべきか...

2015-03-21 06:29:04 | Weblog
 いつの時代もどこの国でも老いも若きも、女って同じだなあと思う現場に遭遇している。
 去年から10歳くらいの女の子二人と毎週居合わせている。
 その二人は去年はいつも一緒におやつの時間を一緒に過ごしていた。でも今年から様子が変わった。
 一人の女の子が明らかにもう一人の女の子から逃げている。他の女の子にはお菓子もあげる。でも避けられている女の子が何度近づいてもその女の子は徹底して無視される。両方ともごく普通のブラジルの女の子。
 その事に気付いた先生は、無視される女の子に声をかけて別の所で一緒に過ごそうと促した。さすが女の先生。短絡に無視している女の子に注意したりはしない。
 同じように女同士で子供時代を過ごしてきた者としては、無視する方の気持ちも何かしら感情的かつ理論的な理由があるのだろうと分かる。大人は一、二度初めての人でも会えば、いつも付き合うべき人かそうでないか判断もできるし、ずるずると関わって最後に意地悪みたいに無視攻撃に出ると言う非常手段を行使しなくても済むように人と関わる術をそれなりに身につけている。10歳くらいの女の子は、そのことを学習中なんだと思う。
 だけど、悲しい、かわいそうという気持ちがぬぐえない状況だった。無視されている方はあまりにもせつない。結構、重度の無視攻撃だった。 
 結局、無視された女の子は一人でお菓子を食べて休み時間を過ごした。どういう気持ちだったのか分からない。無視される理由が分かっていない雰囲気だった。
 正直言えば、無視されている方は、日本で一般の学校に通えば、女同士の間でいじめられがちなタイプだと思う。良くも悪くも人間関係力は無視した女の子よりは低いと見受ける。
 無視した方は、シャンシャンとした自分の思いを素直に出すタイプだと思う。別に意地悪をしている気持ちは無いと思う。そう、それなりに女特有の鬱積した理由があるのだと思う。
 昨今、日本で未成年の凶悪事件のニュースを耳にすることが多いだけに、ブラジルといえどもこういう小さな芽を見過ごしていいものかを非常に迷った。つまり、ここで最大の問題は、やっぱり無視された方の子供の親が、ちゃんと把握しているかということである。子供の最後の砦は、やっぱり家庭の保護者からの救いだと思う。
 親の役割は、無視した子供に反撃する事ではない。無視された方の子どもに無視されるような状況が悩むべきほどの事ではないと教え、無視される中でも強かに生きるだけのパワーを補給できる心に癒しの場を
提供することだろうと思う。余力があれば、先生と無視してきた保護者にはあまり期待をしすぎず軽く相談しておく事だと思う。
 実は、無視された子供は、いつもベビーシッターが学校に連れてきている。そのこと自体はブラジルではごく普通の事。そして、授業中は用事で学校では待っていない。無視した方の親も授業中は私用で学校にはいない。少なくても、無視された子供の両親は、この事態を知ることのできる場から最も遠い場所に立たされている。
 去年までは二人ともそれぞれベビーシッターと母親が休み時間にも学校で待っていた。そういう監視の目があったから、仲がよさそうに過ごしていただけの事かも知れない。 
 こういう現場を目撃した身としては、ベビーシッターに事態を重く見て告げるべきか、もうしばらく経過を見てから(関係が良くなる可能性もある)告げるべきか。迷った末、今回はベビーシッターと会えなかったので経過を見守る事に。
 凶悪犯罪を招くほどの雰囲気ではない、どこにでもある人間関係のこじれだと思うけれど、同じように育児する保護者の一人としてはどうも気になる現場だった。
↓幼稚園の年長クラスの作品