
セーターとジャンパーが必須な夜が続いたかと思うと、上半身裸でサッカーができるくらい温暖な日中が訪れる。5月から6月の悪性の風邪の要因だったりする。

時々、普通の家庭から姿を消した人らしい尋ね人の張り紙を見かける。たまたま目に入った張り紙の内容は、28歳のごく普通の若者を探しているようだった。28歳ならそれなりに思うところがあっていなくなっただけで、探す方は必死でも、探される方は案外構わず放っておいてくれというところかもしれないけれど、家族のめいいっぱいの愛情表現にも思われる。

よくあるブラジルの子供の集まる場所でのパーティー。一人一品持ち寄りで、サウガード(甘くないおつまみ)担当となり、以前、知人が細巻きを持っていったらとても人気があったと言っていたのを思い出し、きゅうりの細巻きを持っていくことにした・・・が、どちらかといえば、何世紀もご先祖様からブラジルに暮らしているに違いない、ある意味、真にブラジルらしいブラジル人の多い場で、あまり手をつけられなかったようだった。
細巻きが受けた学校は、きっと日系の子供が多いとか、移民という人生とその文化に関心の高い人の多い場だったのかもしれない。
風邪ウイルスも色々あるのは当然だけど、サンパウロに来てから身近になったのは胃腸風邪専門のウイルスというもの。のどを痛ませるだけのウイルスとは明らかに違う症状を示してくれる。
胃腸風邪ウイルスが空気中に多いのか、それともブラジルの食生活ではかかりやすくなるウイルスなのか・・・おまけの頭痛の方がたちが悪かったりもする。

結局、取りっこともいわれる領土問題、特に国境問題。ポイントの一つは、結局それぞれの国の国民が腹の中でどれほどその土地に思い入れがあり、教育されているかということかなあとも思う。
中国黒龍江省生まれのロシア人女性は、彼女が生まれた頃というか、20世紀始めくらいのことを言ったのだと思うのだけれど、黒龍江省辺りはロシアの土地だったと言い、思わず、あの時代、つまり、日露戦争の後から第二次大戦くらいまでは満州といって日本の土地の時代があったと習った気がするけれど・・・と言いそうになったけれど、楽しい午後の一時に低い教養を披露して争いを巻き起こす必要性もなく、とりあえず家にある高校の世界史の資料集をよくよく再び眺めてみた。
適当に高校時代は条約名をひたすら覚えていて中身までは記憶していなかったけれど、確かに、19世紀までに、ロシアと中国の間で度々条約によって国境線が変化していたいわく尽きの土地だったことを再認識する。ちょっと戦争に勝ったからといって離れ島の日本は大陸から見れば後発の身分で...というのが人情と言うものかもしれないけれど、色んな利害が巻き込んで時代は進んできたのだろう。
外国の人の口から、特に、普通の一般市民が問題になっている土地をどこの領土だと意識しているか、どう教育されているかというのは、密かに力を持つように感じた。


いつから販売されているんだろう。ブラジルマニアなら味よりもダイレクトにパッケージにインパクトを受けるような、ブラジル発見1500年にちなんだデザインのビール。カブラルの顔とカブラル一行が先住民に囲まれた風景のラベル。
当たり前のことだけれど、会議とか何か待ち合わせの前に、たくさんの人数に気前よくコーヒー、お茶、ちょっとしたビスケットやら軽食でおもてなしできるというのは、あらゆる余裕から生まれもの...


ロールケーキは時々見かけるけれど、ブラジリアンロールはふんわり新鮮な生クリームではなく、チョコとかグァバのジャムとか濃い甘クリームが挟み込まれている。
霧の朝、灰色の空に、雑貨屋の前から弧を描いた虹全体を眺める。そこから50メートルも行くとビルに挟まれてあまり見えなくなり、5分後には急速に消え始める。一瞬に虹を見ることのできた日は、何か運気も上がりそうだけど...

