街中では困った人に手を差し伸べる人が多いのに、心無い人もいることを知らしめさせられるバス路線が表記された看板。
ビナグレッチと呼ばれる油と酢と塩で味付けた細切れ野菜。肉のかたまりやパステル(揚げ物の一種)などに付け合せるとさっぱりしたりする。このブラジルで普及しているビナグレッチのルーツに
中東起源のアラブ料理の一つタブーリ。パセリの比率が圧倒的に高く、ミントなどもはいって酢の代わりにレモンを使われているけれど、さっぱり感と細切れ野菜サラダ的な感覚が似通っている。もしかしてビナグレッチのルーツはタブーリかなあと
その人の父親は第二次世界大戦後、日本領土における離島からブラジルに移民し、30歳ごろにブラジルで交通事故で亡くなった。生きていたら80歳くらいになる。
その人自身は父から見れば日系二世、母から見れば日系三世だった。26歳くらいから在日ブラジル人として労働している。国籍はブラジルのみ。
その人は20歳前後に2人の息子が誕生した。今、息子たちは20歳をとっくに超えている。彼らは日系3世(4世)ということができ、母親は日系ではない。その子供たちも、ブラジルの高校卒業後、日本に渡り、父親の近くで暮らしているらしい。弟の方は、結構自分の好きな道を進んでいるようだ・・・という事を、久々にFacebookで知ることになった。5世は日本で誕生するかもしれない、というか、5世なんて言うものではなく、再び日本人扱いとされる人間として生きるかもしれない。そしてまたブラジルとかアメリカとか、どこかに渡るかもしれない。
外国で、外地で生きる人間は、どの国籍を所有していようと、所有するパスポートに記載された国の辺境人で、本当に文化的に国の際の人になる。特に所属する国の責任者として駐在という立場でない場合、彼らは最も社会で流動的で、不安定で、ややもすると差別される対象になりうるけれど、体も発想も自由に豊かに生きられる可能性を秘めている。
唐の詩人の李白でさえ、100年以上前から先祖が西域(イランの方)の方に移っていたような、唐時代の華僑のようなルーツを持つ家庭の出身らしく、李白は中国に生きたけれど、家庭的遺伝子にはいろんな文化がミックスされていたらしい。その辺が天才的詩人というか、独創的詩人とみなされたゆえんに違いない。先祖の土地を離れても、一族のオリジナルの国に回帰する帰巣本能は、孫やひ孫の世代になって濃厚に現れる場合がある。
今の日本領とされる土地で、かつて倭寇を生み出していた離島では、倭寇となって中国や朝鮮半島沿岸に暮らして生活することも珍しくなかったが(倭寇は海賊行為をする人だけではなく、交易に携わる者の意味を含む)、何十年もすれば、結局はあまり肥沃な土地でもなく、人口維持が厳しい小さな島に戻るということが珍しくなかったらしい。里心というか、帰巣本能以外の何物でもない。
クリスマスを過ぎ、カーニバルを過ぎ、復活祭が近づき、世間一般は古い伝統なら魚を食べる季節に入っているであろう今、魚はやや値上がりしている。
伝統に反し、突如天から降ってきたお恵み冷凍七面鳥を久々にオーブンに放り込む。
冷蔵庫で2日解凍後、ガスオーブンで3時間半、ようやく焼き上がり目印のピンが上がる。その後、3日ほどは連日同じ肉がメインディッシュとなり、最後はビニル袋に入った内臓。(写真右の方に見えかけている) を食べて締めとなる。
傘代わりにもなる大きな木の下で設置されたテント。
都市生活において良いか悪いかは別として、一つの生き方としてだめだとは言い切れないキャンプ生活。誰も良いとは言わないけれど、暗に乞食が一つの肩書きとして認められているような土地で、乞食やホームレス以上に生き残る力を感じさせられたりする何者かの人々。泥棒に入られるという思い煩いもなく暮らせる自由を獲得していたりする。
コーヒーの国なのに、意外と大衆向けには供給の少ない気のするコーヒーチョコ。アロマだけというよりは、焙煎したコーヒー豆そのものが感じられる南米タイプのコーヒーチョコ。
煮だして飲むと、咳やのどの痛みに効くらしい葉っぱ。
どこにでもあるような葉っぱらしい形の葉っぱで、見分けるのも難しければ、2度も3度も名前を聞いたのに発音を聞き取ることのできない名称。とあえず、いざという時には頼りになる民間療法らしい。
ブラジルらしい温かいスープの入れ物は、フレンチスタイルっぽい白いお皿でもなく、マグカップでもなく、ルーツは定かでない物の、
透明の冷たい飲み物用のグラスだったり、
アフリカか先住民に由来していそうな形をしたお椀だったり。