ゴミ置き場と化した作者の画才を感じさせる忍者のようなミイラの絵。
鯉が水面で口をパクパクさせるのは飢えているか酸素不足か。
酸欠はともかく、少しくらい飢えている方が健康らしい。飽食の時代、飽食のサンパウロ、人間も同じことが言えるかもしれない。
日本語が社会の言葉ではない土地で子供に日本語を教えようとする時、家庭の言語が日本語以外の子供と一緒に、日本語を教えるのはとても難しいと実感する。
異なる言語文化の家庭の子供同士が一緒に遊びだした場合、その土地の社会で優勢の言語が、勉強する部屋でも優勢になって、その土地での外国語(日本語)を教えるのが非効率的になる。言葉の教育だけでなく、ノンバーバルコミュニケーションに関する文化継承にも同じことが言える気がする。
第二次世界大戦前、朝鮮半島や台湾などでは、小学生を日本語を話す家庭(日本文化圏)の子供と、現地の言葉を話す家庭の子供では、学校を分けていた。
その事実を聞いただけの時は、なんだか排他的な政策と思っていたけれど、今は異なる見方をするようになった。
その土地で優勢ではない言語を子供に教える場合、小さな子供の場合は、同じ言語を話す子供同士を一緒に学ばせる方が、教えようとする外国語を効率的に習得させることができると思う。異言語を話す家庭の子供が一緒になると、効率的どころか、教えたい外国語を全く習得できない環境にもなりうる、と、子供の観察の結果、自分自身の中だけでは確信めいた持論を持つようになった。
戦前の朝鮮半島や台湾でも、優秀な現地の子供は中学校から日本語の家庭の子供と勉強するようなシステムだった。ある程度の年齢から、外国語を修得できた優秀な生徒を一緒に勉強させるのは、何語であってもむしろ合理的なやり方で、その場合は、例えば、戦前の朝鮮半島や台湾だとしたら、日本語メインの学校であるにもかかわらず、日本から移り住んでいた家庭の子供よりも、現地の家庭の子供の方が優秀というのも珍しい現象ではなかったと思う。
小学生くらいまでの子供への言語教育の場合、何語を話すかで教育するグループを分けるのは、民族差別ではなく区別であり、特に、その土地の言語でない言語を教えて維持させる場合には、隔離しないと、社会的劣勢の言語を維持するのは難しくなる。
昨今の日本での英語教育でも外国における日本語教育でも、言語教育は考えさせられるけれど、子供時代からの、将来世界で役立つための言語教育の方法論は、意外と、日本語に関しては、ヒントになるのは過去にさかのぼってみることだったり、日本の中でも国境地帯の昔からの教育環境にヒントがあるように思う。
何語であっても、外国で外国語を子供に効率的に学習させる方法に大差はないように思う。
毎日働いている家庭でのお手伝いさんがメイド服を着ているのを目撃したのは二回目だった。
お手伝いさんが働いている家庭はブラジルではそれほど珍しい話ではないけれど、裕福な資本家の家庭で働いているお手伝いさんは嬉々として働いている。訪問者への応対も家族のような温かいおもてなし。庶民の家で勤務するお手伝いさんも多いけれど、嬉々として働いているお手伝いさんは少ないように見える。外で雇用されている人に雇用されるというのは、単純に俗世の人間社会だけの物差しで見れば、多分、面白い話ではない。
玄関だけでなく、自宅前に止まるエレベーターにまで鍵がついているのも驚かされた。
去年からアラビア語が話せなくて申し訳ないと思った人々に何人か出会った。ブラジルにいると、日本人移民の80歳や90歳、日本人移民の2世の70歳、80歳くらいの方々に話す機会に恵まれる。1世はもちろん、2世の方からも、日本で生まれ育ったから日本語だけしか芸がないにもかかわらず、日本語でコミュニケーションができて日本的な空気を備えていることで、親しみを持たれるきっかけになったりもする。
これは、民族に関わらず、世界のどこの国から移民してきた一世、二世にも共通の心理で、ブラジル(異文化が共存できる社会)にいればいるほど、自分と共通の文化を持つ存在の者に親近感を持つようになるのだと思う。特に年齢を重ねればより一層その傾向が強まる事もあるかもしれない。
(えらばるわけではないけれど)高齢の日本人と関わることができる時、とりあえず日本文化を身に付けていたことで貢献できたような気がすることがある。それと同じようなちょっと異なるケースで、高齢のアラブ移民の2世とつたないポルトガル語で話すくらいだったら、つたないアラビア語でも話せた方が喜んでもらえるような気がした。
身についている文化というのは身についたものしかなく、それ以上のものは、たたいてもつねっても出てこないものだと改めて思い知る。また、身についている文化とは、単純に表に出ている言語や顔かたちだけではなく、心にどの文化が宿っているかという事が基本的な要素となる気がした。
公共の大きなゴミ箱に、捨ててはいけない物リストの一つとして「便器」が挙げられていた。
以前から気にはなっていたけれど、確かに、やっぱり、時々便器が捨てられている。
↑右は教会、左は食料雑貨店
普通の食料雑貨店のような感覚で教会が存在し、シャッターが上がっていた。両方とも来訪者ゼロの瞬間だった。「人はパン(食べ物)のみで生きるのではない」が、文字通り再現された日常風景。