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幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「宗教改革の物語」 佐藤優著 ”人生の転機”

2016-05-21 01:55:55 | 本の紹介
職業作家になるつもりはまったくなかった2002年に吹き荒れた鈴木宗男事件の嵐に巻き込まれ、人生の軌道が変わってしまった。今になって思うと、それが神の導きだった。逮捕され裁判にかけられ、外交の現場から去ることになった。いくつかの本質的な問題に取り組まざるを得なくなった。こういう問題と取り組むために、職業作家は最適の職業だ。

母は14歳のときに沖縄戦に遭遇した。母たち三姉妹は最前線で軍と行動をともにした。前田高知の激戦で母は米軍のガス弾を浴びた。幸い、すぐそばに軍医がいて、注射などの処置を受けたので命拾いした。軍人の中にはすぐに大声で怒鳴り、ビンタをはたく乱暴者もいたが、「米軍は女子供を殺すことはしない。捕虜になりなさい」とそっと耳打ちする英語に堪能な東京外事専門学校(現東京外国語大学)出身の兵士もいた。その他にも「捕虜になって生き残れ」という予言をしてくれた将校や兵卒が何人もいた。

その後も、母は摩文仁の海岸にある自然の洞窟に数週間潜んでいた。小さな洞窟で、17人が潜んでいた。7月に入ってからのことだ。母たちは米兵に発見された。訛りの強い日本語で米兵が「デテキナサイ。テヲアゲテ、デテキナサイ」と投降を呼びかける。母は自決用に渡されていた二つの手榴弾のうちの一つをポケットから取り出し、安全ピンを抜いた。信管(起爆装置)を洞窟の壁に叩きつければ、4~5秒で手榴弾が爆発する。母は一瞬ためらった。そのとき、母の隣にいた「アヤメ」という名の北海道出身の伍長が、「死ぬのは捕虜になってからでもできる。ここはまず生き残ろう」と言って手を上げた。

母は命拾いした。私は子供の頃から何度も「ひげ面のアヤメ伍長があのとき手を上げなければ、お母さんは手榴弾を爆発させていた。そうしたらみんな死んだので、優君が生まれてくることもなかった。お母さんは北海道の兵隊さんに救われた」という話を聞かされた。

2002年5月14日に私は逮捕され、独房に512泊することになった。仮釈放になったのは翌年の10月8日だった。あえてこの日に調整してもらったのは、この日が母の73歳の誕生日だからだった。母は私の顔を見るなり、涙を少しだけ浮かべ、「私はあの戦争で弾に一度もあたらなかった。運がとても良かった。優君は、私から生まれたのだから運がいいはずだ。逮捕あれたこと、牢屋に入ったことなどたいした話ではない。命までもっていかれるわけだはないから」と言った。

「国家の罠」を上梓して2カ月経ったとき、井上ひさし先生から先生の義姉の米原万理さんを通して「一度、是非、会いたい」と言われた。
井上「これからあなたが書きたいテーマは何ですか」
佐藤「自分の身の回りに生じた出来事について記憶を整理して『国家の罠』にまとめるのが精一杯だったので、これからのテーマについて考えていません」
井上「いや、『国家の罠』を読むと、あなたには書きたいテーマがたくさんあることがわかります」
佐藤「私にはその自覚がありません」
井上「作家が作品を発表すると、読者に対する責任が生じます。その作品を読んだ読者の『もっと読みたい、もっと知りたい』という要請に応えなければならなくなります」
佐藤「理屈ではわかりますが、皮膚感覚に馴染みません」
井上「馴染むようになります。『国家の罠』であなたが書き足りなかったことは何ですか」
佐藤「獄中の生活についてが、舌足らずになりました。それから、ソ連崩壊の前後に私が体験したことが、その後、北方領土問題の解決にのめり込んでいく理由になったことについても『国家の罠』では詳しく書けませんでした」
井上「もうあなたの中で、少なくとも二つのテーマが決まっています。一度、あなたが何に関心があるかについて、紙に書きだしてみることを勧めます。おそらく100を軽く超えるテーマがあります。それに大雑把な優先順位をつけていくことです。作家になると時間に追われることになります。持ち時間がほんとうに少ない。だから、仕事の優先順位をつける必要があるのです」

井上氏の指摘は正しかった。私の獄中生活については、「獄中記」、ソ連崩壊前後の体験は、「自壊する帝国」、「甦る怪物」、「甦るロシア帝国」という作品になった。

井上氏の助言に従って、私はときどき「今やりたいことは何か」をノートに書き出すことにしている。そして、大雑把な優先順位をつけていく。2014年1月時点でのやりたいテーマは次の38件になる。
第一優先(12件)
・ヤン・フスの宗教改革をまとめる。
・母の沖縄戦体験についてのまとめ

今回の本がまさにやりたい第一優先だったようです。

フスは宗教改革(ルター前)を行おうとしたが、ローマ法王庁によって火あぶりの刑で殺されてしまいました。

フスの考えを現代人に理解可能な言語に置き換えてみる人間が信仰を貫くことができない理由は主に三つある。
第一は、信仰が弱い場合である。キリスト教信仰に自分は弱い人間なのでついていくことができないと考える人だ。
第二は、イエスの教えを部分的にしか信じることができない人だ。信仰は、体系的である。イエスの教説を一部だけつまみ食いすることはできない。
第三は、信仰を頭では理解しているつもりになっているが、行動が伴わない人である。

「テトスへの手紙」1章16節に、
「こういう者たちは、神を知っていると公言しながら、行いではそれを否定しているのです」したがって、上記の3つのいずれでも、人は確固たる信仰を欠くことになる。

フスは、<それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も多いなる者は愛である。>(コリントの信徒への手紙13章13節)というパウロの言葉を念頭に置いている。その上で、信仰と希望の関係について、希望を先行させるのである。
第一に、信仰が過去に関する出来事であるのに対し、希望は未来を先取りすることである。イエス・キリストが救い主として現れたという過去の事実は、信仰を担保するとともに、未来の希望を先取りしているのである。
第二に、信仰は確実であるが、希望は不確実である。未来において、この信仰をもつキリスト教徒が救われるという希望が確実であるとは言えないそれだから、希望には不信の要素が内包されている。
第三に、希望は良い事柄だけを含んでいるのに対し、信仰には良い事柄とともに悪い事柄が含まれている。

信仰とは、神からの命令に徹底的に従うことである。徹底的に従うことによって人間は救われるとフスは信じる。神の啓示について、キリスト教徒が知ることができるのは、聖書のテキストを通じてのみである。
神は人間をだますこともなければ、人間によってだまされることもないとフスは考える。これに対して、ローマ教皇を含む高位聖職者は、人間をだますこともあれば、人間によってだまされることもある。だましたり、だまされたりする高位聖職者を信仰の基準としてはならない。フスは信仰を貫くならば、キリスト教徒はローマ教会のくびきから脱しなくてはならないと考える。信仰の基準は、教会のヒエラルキーではなく、聖書である。このような形でフスは「聖書のみ」というプロテスタンティズムの原理を先取りしている。
原罪を負った人間は弱い存在だそれはペテロですら一時、キリストを裏切ったことからも明らかだ。このような弱い人間が信仰を維持するためには、外部からの支えが不可欠だ。この支えが教会の土台(岩)なのである。

ヤン・フスは、15世紀初頭の中央ヨーロッパという現実の中で、イエス・キリストに徹底的に従い、具体的人間との関係の中で、愛を実践しようとしたのである。当時の教会指導部には、フスが捉える愛のリアリティーを理解することができなかった。その結果、フスは異端として断罪され、1415年7月6日、ドイツのコンスタンツで火刑に処せられた。遺灰はライン川に捨てられた。
フスは処刑される直前に、異端であること認めれば命を助けると言われたが、拒否した。チェコ人の間では、フスの最後の言葉は「真実は勝つ」だという伝承がある。「真実は勝つ」という言葉は、その後、チェコ人を団結させる象徴的意味を持つ。「真実は勝つ」という言葉の中に、愛のリアリティーが凝縮されている。

ヤン・フスの両親はチェコ人。佐藤優氏の母親は戦後キリスト教信者。佐藤優氏は同志社大学大学院神学研究修了

感想
鈴木宗男さんに連座して逮捕されなければ、今の佐藤さんはありませんでした。
自分で望んだ転機ではありませんでしたが、佐藤さんは受け入れて、そして自分のやりたいことをされたのだと思います。
それを支えたのはそれまでまじめに一生懸命されて来られたからだと思いました。

大きな権力に立ち向かうことの難しさ、変えることの難しさを改めて思いました。
キリスト教の高位聖職者もキリスト教から離れ、自分たちの保守を第一に考えてしまう、人間の弱さがいつの時代にもあるのでしょう。



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