幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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尾身会長がNHKで“職務放棄”の仰天発言!コロナ対策は自助で、犠牲は国民の「許容度」の問題 ”前は褌締め直して! 今回は自分の首を絞めるのでしょうか?”

2022-07-25 17:12:28 | 新型コロナウイルス
https://news.yahoo.co.jp/articles/bbf6c5a1347727b4ac9001925e3013f8b0bc2f74 7/25(月) 14:03日刊ゲンダイDIGITAL

 第7波の感染拡大が止まらない。24日の新型コロナウイルスの新規感染者数は17万人を超え、日曜日として過去最多を更新した。感染拡大は、8月中旬まで続く可能性が高い。不安を強めている国民も多いはずだ。ところが、新型コロナ政府分科会の尾身茂会長から、専門家とは思えない驚きの発言が飛び出した。

【写真】吉村知事肝いりのコロナ療養施設「すさまじい閑古鳥」が鳴いていた…

 ◇  ◇  ◇

 耳を疑った視聴者もいたのではないか──。24日のNHK日曜討論で尾身氏は「従来までは国、自治体が国民にお願いし、国民が従うというフェーズだった。今は、いろんなことを学んできたので一般市民が主体的に自分で判断していろいろと工夫するフェーズに入った」と強調した。

「一般市民が自分で判断」とは聞こえがいいが、要するに「自助で何とかしろ」ということだ。コロナ禍の2年半、コロナ対策は的外れなものが多く、後手対応も目立った。政府に従った国民は多大な犠牲を強いられた。その張本人である政府分科会の責任者が、今度は「一般市民が主体的に」とは、視聴者が呆気に取られても不思議はない。

第7波は“お手上げ”ということなのか

 さらに、驚きの発言は続く。「このまま放っておくと、体力が悪い、体の脆弱な高齢者の死亡者数は第6波を超える可能性がある」と危機感を示した。第6波では高齢者を中心に1万2000人超の死者を出した。第7波では、それを超える犠牲者数になる可能性があると明言したのだ。

 なのに、肝心の「感染対策」については、こう続けた。

「重症者数、感染者数、一般医療の制限をどこまで我々が許容するか、国民的なコンセンサスが必要だ」

 感染に伴うさまざまな「犠牲」は、国民の「許容度」の問題だというのである。無責任な発言は、もはや第7波は“お手上げ”ということなのか。


「世論に委ねるかのような尾身氏の発言は、もはや科学ではありません。たとえ、一定の犠牲に対し、国民が許容していたとしても、それを“よし”とはせず、科学的に最善の感染対策を考えるのが専門家の仕事です。これまでの6度の波に対して政府分科会は有効な対策を打ち出せませんでした。過去をはるかに上回る第7波がやって来て、職務放棄したようにしか見えません。尾身氏は会長職を退くべきだと思います」(西武学園医学技術専門学校東京校校長の中原英臣氏=感染症学)

 科学を忘れた尾身氏が居座れば、第7波はとんでもない事態になりかねない。

感想
尾身会長を会長にした悲劇
ハッキリ言って、科学者ではないです。
文学者というと、文学者から怒られそうです。

OCR検査を民間もOKにしないので、PCR検査が頭打ち。
保健所を通しているので、そこでもパンク。
医系技官が保健所に拘っているからです。

第7波は高齢者が死んでいくのを加速させるのかもしれません。
・年金支出が減る
・高齢者の医療費が減る
・介護施設に空きが増える
自公の高齢者は自分は手厚い医療を受けられるので、死ぬ心配はないのでしょう。
そういえば、松野長官はその日のうちにPCR検査結果が出たとか。
まさにいのちのトレアージが大阪府だけでなく、政権トップの意向で全国に広がっているのかもしれません。

保健所の職員も、国民の健康より、自分たちの仕事が増えることを心配しています。

おかしなことをおかしいという声も弱く、また変えようとしない政権。
国葬が、多くの国民の死者を悼むものにならないことを願います。

人は人を傷つけるけれども、救ってくれるのも、また人なんだ ”池田小の犠牲者 当時小学2年生の本郷優希ちゃんの母親 本郷由美子さん”

2022-07-25 13:03:45 | 社会
https://news.line.me/detail/oa-nhknews/o7h6u7g9cxys?mediadetail=1&utm_source=line&utm_medium=share&utm_campaign=none 2022年7月25日 10:46NHK NEWS
「人は人を傷つけるけれども、救ってくれるのも、また人なんだ」

これは、今から21年前に大阪で起きた事件の、被害者の遺族のことばです。

大阪教育大学附属池田小事件の遺族、本郷由美子さん(56)は、事件後、深い悲しみとともに、長い間憎しみや怒りの感情から抜け出せずに苦しめられてきたと言いますが、人と関わり、ことばをかけてもらう中で、次第に穏やかな気持ちを取り戻していったそうです。

そして、おととし、自分と同じような思いをしている人たちの“居場所を作りたい”と、東京・台東区の寺に、ある施設をつくりました。

その場所には「傷ついても新たな一歩を踏み出すことができる」という願いと祈りが込められています。
(大阪放送局 ディレクター 白瀧愛芽)

当たり前の日常が突然奪われたあの日
今から21年前の2001年6月8日。本郷さんの日常は、突然奪われました。

本郷由美子さん
「行ってきますっていって、ただいまって帰ってくるのが当たり前で、その当たり前がいきなりなくなっちゃうってことですから。とても受け止められないんですね」

刃物を持った男が学校に侵入し児童と教員を無差別に切りつけた大阪教育大学附属池田小事件。8人が死亡。15人が重軽傷を負いました。

亡くなった本郷優希ちゃんは、当時小学2年生。
花や歌うことが大好きで、将来の夢は学校の先生でした。

悲しみと憎しみに飲み込まれそうに
最愛の娘を奪われた本郷さんを襲ったのは、経験したことのない絶望と深い悲しみ。さらに、犯人への怒りや憎しみの感情でした。

犯人への憎悪の感情で、見えているものすべてが憎く見えたという本郷さん。例えば、学校の前の信号機にさえ「この信号が赤だったら犯人の侵入が遅れて優希は助かっていたかもしれない」と激しく怒りを覚えたそうです。

やり場のない怒りは自分自身にも向けられ、みずから命を絶とうとしたこともあったといいます。

本郷由美子さん
「言葉では言い表せないほどひどい憎悪の感情で、自死を試みたことがあるんですが、悲しいというだけではなくて、人を憎む感情というのはとてもつらかったんですね。どうしたらこの感情を私は消すことができるか、でもそんなの消せるわけがない、娘が戻ってこないんだからという闘いです」

娘の最後の”68歩”が教えてくれた「生きることの尊さ」
苦しみからなかなか抜け出せない中で、本郷さんを支え、生きる力に変えていかなければと思わせたきっかけは、2つのことだったといいます。

1つは、優希ちゃんが亡くなる直前に見せてくれた”生き切る姿”です。

現場検証で分かった優希ちゃんの最期。
当初は教室で刺され即死とみられていた優希ちゃんですが、実は、致命傷を負いながら、廊下に出て出口に向かって歩いていたのです。
その距離、本郷さんの歩幅で68歩、39メートルありました。

娘は最期に何を思ったのか。
本郷さんは、毎日のように廊下に通い、1歩1歩よろけたり、手をつきそうになったりしたことが分かる優希ちゃんの血の跡を辿っていきました。

そうする中で、やがて「生きることの尊さ」というメッセージを受け取っていきます。

本郷由美子さん
「たどっていくうちに、苦しいとか悲しいとか痛いということもあったかもしれないけど、それだけじゃない。生きたいという気持ちがここに詰まっていると思ったときに、一生懸命、本当に死力を尽くして、この子が伝えようとしたことは、それだけではなくて、生きることの素晴らしさや尊さということを、一歩一歩に伝えているなと私には感じてきて」

“静かな寄り添い”が何よりの心の支えに
本郷さんが少しでも前を向こうと思ったもう1つのきっかけは、友人や近所の人たちから、まったく知らなかった犯罪被害者の家族まで、多くの人たちから受けた”寄り添い”です。
静かに寄り添ってくれたことで「1人じゃないんだ」と感じたといいます。

例えば、事件直後に声をかけてくれた、同じように犯罪で家族を奪われた遺族の人たち。

新全国犯罪被害者の会 岡村勲さんと本郷由美子さん

事件で妻を奪われた岡村勲さんは、「がんばらなくていいんですよ。これ以上がんばれるはずがありませんよ」と声をかけてくれました。

新全国犯罪被害者の会 土師守さんと本郷由美子さ

また、神戸児童連続殺傷事件で次男を奪われた土師守さんは、自身の経験から「残されたお子さんを大事にしてください」と言ってくれたそうです。

本郷由美子さん
「事件後初めて被害者の方に会って、子どもを失った、犯罪にあった立場の人が来てくださって、心が許せるというか話せるというか、一緒にいてもらいたいというか、そういう不思議な気持ちになりました。目で本当に心配しているという眼差しをくださり安心できたというのが記憶に残っています」

友人たちから届いた絵本も“寄り添い”に
周囲の友人たちから届いた絵本も支えになりました。事件後から、次々と届く絵本。最初は、ショックで文字も目に入らず、ただそばに置いておきました。

次第に、届けてくれた人のことを思い浮かべながら手に取ってみたところ、絵本のイラストや色彩、文字に引き込まれていったと言います。絵本を通じて様々な感情に触れることで、自分の気持ちと向き合えるようになっていったそうです。

本郷由美子さん
「事件直後は、文字も色も何も感じないんだけれども、届けてくれた人の気持ちが嬉しかったからそばにおいていたんです。そして、”この人が選んでくれたんだな”と思っているうちにふと、目が行く。開いてみると自分の気持ちと重なるところがあり、絵や色に癒やされるというか、心の中で対話ができている気がして、気づいたら読めていました。主人公と気持ちが同一化して、だんだんと自分の気持ちに向き合えるようになっていきました」


ほかにも、たくさんの人が心配して声をかけてくれました。

その時は気持ちを受け止めきれずに関係が途絶えてしまったこともあったと言いますが、時間をかけてみんなの思いに気づき、「あのときはごめんね、私はほんとうに余裕がなかった。私のことを心配してくれたんだね」と伝えて、関係が再構築できたこともあったそうです。

本郷由美子さん
「その支えがなかったら、私はたぶん、いま生きていないんです。それは本当に言えることだと思いますね。人の命の力をもらったんだなっていうのは、私の中で確かなことだと思います」

傷ついた人たちに“寄り添える”場所を作りたい
娘の最後のメッセージと周囲の人たちの寄り添いによって、次第に穏やかな気持ちを取り戻していった本郷さん。

今度は、”自分と同じように傷ついて悲しんだり苦しんだりしている人たちに寄り添える場所を作りたい”、“悲しんでいる人たちの居場所を作りたい”と、おととし11月、東京・台東区の寺の一角に、ある施設をつくりました。

グリーフケアライブラリー「ひこばえ」です。グリーフケアとは、「悲しみを癒やす」という意味で、様々な喪失体験をした人に寄り添い、希望を持てるように支えることです。

ひこばえは、「切り株から生える新しい芽」を意味しています。
本郷さんはこの場所に、”再生への願い”を込めました。

予約制で利用は無料。悲しみや死別などをテーマとした約900冊の本が並び、利用者は自分の好きなように過ごしながら、悲しみや苦しみの感情を安心して吐き出すことができます。

本郷由美子さん
「私たちって、周りからみると悲しいこと暗いことマイナスな感情を人に話すことで周りに迷惑をかけちゃうとかそういう気持ちになってしまう。
そういう感情と向き合いながら生きている人たちはほかにもいるということなどを伝えることで、少しでも気持ちが和らいでくれたらいいなと」

新たに立ち上げた「ひこばえ」には開設から1年半余りで、大切な人と事件や事故、災害、病気などで死別した人や、現在、病気や障害に悩まされる人など、のべ160人以上が訪問。

利用者からは「自分の中の悲しみと心ゆくまで向き合うことができる」「自分はそのままでいいんだよと言ってもらえた気持ちに」といった感想が寄せられています。

”父親の最期に立ち会えなかった” 平間優希さん

平間優希さん

この日「ひこばえ」を訪れた平間優希さん(33)は、大切な家族の最期に立ち会えなかった後悔を抱えていました。

平間さんは、中学生のとき本郷さんの手記を手にし、亡くなった優希ちゃんと同じ名前であることを知り、本郷さんと文通などで交流してきました。

平間さんの父親 良雄さん

去年亡くなった平間さんの父親の良雄さんです。
平間さんは、膵臓がんで余命宣告を受けた良雄さんのもとにかけつけ、それから1年1か月、一緒に暮らしながら身の回りの世話や看病を続けました。

良雄さんが亡くなった日の早朝、隣の部屋で休んでいたため、最期に立ち会えなかった平間さん。血を吐いて亡くなっている姿を見て、もっと事前にできることがあったのではないかという大きな後悔に襲われました。

平間優希さん
「もうちょっと病院に相談していればよかったなとか、寝る向きを変えていたら変わっていたかなとか、苦しそうではなかったが、服が汚れて亡くなっている姿は、思い出してしまいますね」

本郷さんが、平間さんに紹介したのは「かぜのでんわ」という絵本。

くまのおじいさんが山の上に置いた「線のつながっていない電話」。うさぎやキツネが、会えなくなった家族と話がしたいとやってきます。

そして、物語の最後は、「みんなの思いが届いた」と結ばれています。
父親を亡くしてから、心の中で「幸せだった?」と何度も問いかけてきたという平間さん。読み終えて口にしたのは、亡き父への思いでした。

平間優希さん
「私が何を後悔しているって、一番は、本当の最期の最期にいてあげられなかった。いたんですけど、気づけなかったのが、なんでなんでって思っちゃって。そんなこと言ったってしょうがないだろうって言われるんですけど」

本郷さんも、あの日、ニュースで事件のことを知り学校に駆け付けますが、運ばれた娘の近くまで行っていたものの、大混乱の中で気がつくことができず、最期に立ち会えていませんでした。

本郷さんは、そのときの気持ちとどう向き合ってきたかを平間さんに伝えました。

本郷さんと平間優希さん

本郷由美子さん
「私も優希の運ばれたすぐ近くにいたんだけど会えなかったのね。
そのときに、必死に探せば会えたはずじゃないってすごく責めたの。でもヘリコプターの音とかがひどくて、誰の声も聞こえなくて、誰も確認に行けなかったね。それを後悔したの。

でもね、いろいろな意見を聞いて、いろいろ考えて『ママにそんな顔見せたくなかったかもしれない』という考え方をした。

本当に揺れ動いた。すぐにはそんな気持ちになれなかったけど、そうだったかもしれないね。でも答えは分からないけど、あなたを愛する気持ちは変わってないということでね、長いことかかった」

長い時間をかけて、悲しみと向き合ってきた本郷さんの言葉に、平間さんは「まだまだ立ち直れていないけど、私なりに今日を生きていこうと思います」と話していました。

平間優希さん
「由美子さんに聞いてもらえて、悲しんでいるのは私だけじゃないし、それぞれ乗り越え方があって、ステップがあって、いまの自分でいいかなって」

”不安がよぎる”という加藤悠記子さん

加藤悠記子さん

3年前、妊娠した子どもを人工死産した経験をもつ加藤悠記子さん(41)は、ふとした時に襲う不安を抱えながら「ひこばえ」にやってきました。

お腹に日向子ちゃんがいる加藤悠記子さんと夫の洋平さん

当時、お腹の中にいた赤ちゃんの名前は日向子ちゃん。この写真は、最後の思い出にと、旅行にいったときのものです。医師からは、赤ちゃんは重い横隔膜ヘルニアなどで「産まれても生きられない」と告げられていました。

悲しいお別れのおよそ1年後、加藤さん夫婦は新しい命を授かりました。

いまは、夫の洋平さんと新たに授かった大翔(はると)くんとともに穏やかな日々を送る加藤さんですが、この日常が突然奪われるのではないかと不安に襲われることがあるといいます。

加藤悠記子さん
「まさかと思っていたことが起こったからだと思うんですけどね。この子をまた失ったらどうしようとか、失ったときに自分はどうなってしまうんだろうって」

この日やってきた「ひこばえ」で、大翔くんがたまたま手にした絵本に加藤さんの目が留まりました。

絵本のタイトルは「もうさみしくないよ」。もともとは知り合いではなかった、奥さんを亡くしたおじいさんと、おばあさんを亡くした女の子が、天国の亡くなった2人のはからいで出会い、久しぶりに手を取り合い笑うという物語です。

読み終えた加藤さんは、ふだん家族にもなかなか口にできない気持ちを話しだしました。

加藤悠記子さん
「今は元気に育っててすごく幸せなんですけど、その幸せなのがいつまで続くのか、すごく怖くなっちゃう時が時々あって」

本郷由美子さん
「そうだよね、まさかということが自分の身に降りかかったもんね」

加藤悠記子さん
「そうなったときに自分が立ち直れないような気がして」


本郷さんは、自分が経験してきたことを話し、加藤さんの思いに共感していました。

本郷由美子さん
「7歳で亡くなったでしょ。(次女は)絶対超えられないて思っていて。その日の夜中の12時を迎えるのがすごく怖くて。

悲しいけど、グリーフって一生続くし、背負うというよりも大事に抱えて生きていこうっていうふうに考えないと。
それになかなか人に言えないしね。だから今をしっかり見ようって」

加藤悠記子さんと本郷さん

2人は、対話の中で自然と笑顔になっていました。
加藤さんは、「共感してもらえるだけでも気持ちがちがう」と話していました。

加藤悠記子さん
「不安がこみ上げるときってこれからもいっぱいあると思うんですけど、いまを見るしかないと私も思っていて、そうやって生きていくしかないかなって思います」


人は人を傷つけるけれども 救ってくれるのも人なんだ
最愛の娘を奪われた事件から21年がたちました。

本郷さんは、これまでに多くの人たちから支えてもらった恩を、これからも、自分がほかの人たちを支えることでつないでいきたいと考えています。

本郷由美子さん
「人ってすごいなって。一人一人生きる力があって、命の力に気づいたときって、生きる力につながったり、人と人とがつながって次にもつながることができる。

人は人を傷つけるけれども、本当に救ってくれるのも助けてくれるのも人なんだなっていうことを、感じています」


感想
「虹とひまわりの娘」本郷由美子著 ”大阪教育大附属池田小学校の8人の犠牲者の一人”

どんなに辛いことがあっても、遺された人は生きていくことが、亡くなった人の願いであると信じることなのでしょう。
なにより、亡くなった人のことを一番よく知っているのは自分なんです。
知っている人が亡くなると、その人と一緒に、亡くなった人のことも消えていきます。

生きて伝えること、それが大切であり、またそれが多くの人に生きる力を与えてくれるのではないでしょうか?

ひょっとすると、神様は亡くなった子と自分にその使命を託されたのかもしれません。
亡くなった子は、神様の使命を果たして天国へ旅立ちました。
そして今は私が神様から託された使命を果たすことなのです。
亡くなった子と自分の二人の力を合わせて完成します。
それを投げ出すと、天国で先に行って待ってくれている子どもに合わせる顔がありません。

どう思うか、どう解釈するかそれは自分の思いです。
本郷由美子さんはそれを今も日々実践されています。

本郷由美子さんのお話を直接聞く機会があり、それで本『虹とひまわりの娘』を読みました。
ずーっと悲しみ、悔やんで生きるか、亡くなった子と一緒に辛い体験を生かして生きるか、まさに、どう生きるかが問われているように思いました。