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「失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織」マシュー・サイド著 "ミスの報告は処罰しない!”

2017-12-14 08:20:18 | 本の紹介
ユナイテッド航空173便
この173便の事故は航空業界の分岐点だと言われている。「ヒューマンエラー(人的ミス)」の多くは設計が不十分なシステムによって理解した瞬間から、業界の考え方が変わった。

1978年12月28日 天気は快晴 飛行条件は完璧
乗客8名と乗員2名の計10名が死亡
機長;飛行経験25年以上、
副操縦士;飛行経験5000時間以上
航空機関士;飛行経験3900時間

ポートランドの管制から空港への侵入許可
機長はランディング・ギアのレバーを下げた。
通常はこれでスムーズに車輪が下りて定位置にロックされる。しかしこのときは「ドン!」という大きな音とともに機体がガタガタと揺れた。
機長の判断;
「問題を確認するまで飛行時間を延長したい」
⇒OK、ポートランド郊外上空で旋回飛行へ

車輪ロックは目視確認できないため幾つかのチェックを行った。
・窓越しに、主翼上面にボルトのような突起が出ているかどうかを確認した(車輪がロックされると出る仕組みになっている)。突起は間違いなく出ている。運航整備管理センターに連絡をとるなど、さまざまな手を尽くした。すべての状況から考えて、車輪は正しくロックされていると思われた。
しかし、機長はまだ心配だった。確信が持てなかったからだ。車輪なしでの着陸は大きなリスクを伴う。

統計データによれば、胴体着陸で死者が出る第三次になる確率は極めて低いが、危険なことには違いない。責任ある機長として、確証がほしかった。
上空を旋回しながら、機長は答えを探した。なぜインジケーター・ランプのひとつが緑に点灯していないのか?配線を確認する方法はあるだろうか?彼は頭の中で必死に解決方法を探した。
しかしその間に、新たな問題が現れつつあった。
旋回飛行ができる時間は限られている(燃料切れ)。

17時46分残燃料を示す目盛りが「5」に下がった。危機的状況とは言えないが、失敗の余地は狭まるばかりだ。タイムリミットが迫っている。そのうち残燃料が少ないことを示す警告灯が点滅しはじめ、航空機関士は落ち着かない様子で機長にそれを知らせた。ブラックボックスに残っていた航空機関士の音声には、はっきりと動揺が表れている。
ところが機長はそれに対して何の反応もせず、車輪の問題にこだわった。このフライトの責任者は機長だ。彼には189人の乗客とクルーを守る責任がある。

胴体着陸を敢行して乗客を危険に晒すわけにはいかない。どうしても、車輪が出ている確証がほしかった。機長は考え続けた。車輪は本当に降りているのか?まだ自分たちが気づいていない確認方法があるのではないか?ほかにできることはもうないのか?
17時50分、航空機関士は再度、燃料不足が進んでいると機長に忠告した。すると機長はタンクにまだ「15分」分の燃料が残っているはずだと主張した。
「15分?」航空機関士は驚いて聞き返した。
「そんなに持ちません・・・15分も猶予はありません」

機長は残りの燃料を誤認していた。時間の感覚を失っていたのだ。燃料は刻々と減り続けている。このまま旋回飛行を続ければ90トンのジャンボジェット機が上空から突っ込み、乗客のみならず南ポートランドの住人まで事故に巻き込むことになる。
副操縦士と航空機関士は、なぜ機長が着陸しようとしないのか理解できなかった。今は燃料不足が一番の脅威のはずだ。車輪はもはや問題ではない。しかし権限を持っているのは機長だ。彼は上司であり、最も経験を積んでいる。副操縦士も航空機関士も、彼を「サー(Sir)」と呼んでいた。

18時06分、燃料不足により第4エンジンがフレームアウト(停止)した。副操縦士は言った。「第4エンジンを失ったようです。第4・・・」。しかし機長はこれに気づかない。副操縦士は30秒後にもう一度繰り返した。
「第4エンジンが止まりました」 「・・・なぜだ?」
機長はエンジンが停止したことに驚いているようだった。時間の感覚が完全に麻痺していたのだ。「燃料不足です!」強い口調で返事があった。
実はこのとき、173便は安全に着陸できる状態だった。のちの調査で、車輪は正しく下りてロックされていたことが判明している。

もしそうでなかったとしても、ベテランのパイロットなら1人の死者も出さずに胴体着陸できたはずだった。
その夜は雲一つなく、滑走路も明確に目視できる状態だった。しかしいまや173便は、燃料切れ寸前の状態で大都市の上空を旋回している。滑走路までの距離は約12kmだった。だがもう遅すぎた。やがて残りの3つのエンジンもフレームアウトし、すべての希望が途絶えた。機体は1分間に約900m以上の降下を始め、もはや墜落を防ぐ術はなかった。
機長は地平線に目を凝らし、家やアパートが立ち並ぶ町の中に着陸できる空き地を必死で探した。

しかし、彼はまだ何が起こったのかわかっていなかった。燃料はいったどこへ消えてしまったのか?
いつの間にそんな時間が経ったのか?
 地上の住人には奇跡的に死者はでなかった。
 事故のあと数分以内に、米国家運輸安全委員会によって調査チームが任命され、翌朝にはオレゴン州ポートランドの事故現場で徹底的な調査が行われた。

機長は燃料切れが「信じられないほど急に」起こったと答えた(機長は助かったが航空機関士は死亡)。
機長の意識から時間の感覚が抜け落ちていた。
報告書の13ページに、
「乗務員がコックピット・リソース・マネジメントの原則に習熟するよう処置を講ずること。ことに機長は参加型管理の技術、その他のコックピットクルーは主張の技術を習得することが望まれる」
を各担当航空会社に命じる勧告をした。
⇒現在は、クルー・リソース・マネイジメント」

失敗から学んでシステムを改善する方法は、旅客機にも何十年にわたって適用されており、非常に高い成果を上げている。

医療業界には「言い逃れ」の文化が根付いている。ミスは「偶発的な事故」「不測の事態」と捉えられ、意志は「最善を尽くしました」と一言言っておしまいだ。しかし航空業界の対応は劇的に異なる。失敗と誠実に向き合い、そこから学ぶことこそが業界の文化なのだ。彼らは、失敗を「データの山」ととらえる。

ルーズベルト大統領夫人 エレノア・ルーズベルトはこういった。
「人の失敗から学びましょう。自分で全部経験するには、人生は短すぎます」

「ミスの報告」を処罰しない
処罰されると思うと、人は真実を話さず、自分の都合の良いことだけを話す。それでは真実がわからず、真の対策にならない。
本当にミスを減らしたいなら、処罰しない。

いつだってクルーたちは何も恐れずに失敗を認めることができる。それが価値あることだと認識しているからだ。

今でもユナイテッド航空173便の事故は航空業界の分岐点だと言われています。「ヒューマンエラー(人的ミス)の多くは設計が不十分なシステムによって引き起こされると事実を理解した瞬間から、業界の考え方が変わった。

失敗から学ぶことは最も「費用対効果」がよい

爆撃機の弾痕に関するウォルドの分析は、大勢の勇敢なパイロットの命を救った。
軍司令部は爆撃機を強化する装甲が必要だと考えた。ただし、爆撃機全体を装甲で覆うと、機体が重くなりすぎて操縦が困難になる。ウォルドの任務は、装甲が必要な部分の優先順位を調査することだった。
無事に帰還した爆撃機の損傷具合を調べていたのだ。爆撃機の多くは、翼も胴体も蜂の巣のように穴が開いていた。しかしコックピットと尾翼には砲撃を受けた形跡がない。
軍司令部は完璧なアイデアを思いついた。たくさん穴が開いていた機体部分に装甲を施せばいい。砲撃を受けた箇所が強化すべき箇所だ。当然の判断である。
しかしウォルドは反対した。彼は軍司令部が大事なデータを考慮し忘れていることに気づいたのだ。軍は帰還した爆撃機のデータだけを集めていた。つまり帰還しなかった(撃ち落された)爆撃機は入っていない。帰還した爆撃機のコックピットと尾翼に穴の跡がなかったのは、そこを撃たれたら帰還できなかったからだ。
言い換えれば、帰還した爆撃機の穴の跡は、そこなら撃たれても耐えられる場所を示していた。検証データは、装甲が必要な場所ではなく、不要な場所を示していたのだ。コックピットと尾翼を撃たれなければ、パイロットは生還できる。ウォルドの洞察は、爆撃舞台にとってはもちろん、軍事活動全体にとって重要な転機をもたらした。
この一件は、大事なことをいくつか教えてくれる。まず、失敗から学ぶためには、目の前に見えないデータを考慮に入れなければいけない。次に、失敗から学ぶのはいつも簡単というわけではない。そんなときはこのケースのように、注意深く考える力と、物事の奥底にある真実を見抜いてやろうという意志が不可欠だ。これは爆撃機や軍の問題だけでなく、ビジネス、政治、その他さまざまな分野に当てはまる。
爆撃機の弾痕に関するウォルドの分析は、大勢の勇敢なパイロットの命を救い、愛する家族を殺した邪悪なイデオロギーを打ちのめした。

科学は常に「仮説」である
「科学の歴史は、人類のあらゆる思想の歴史と同様、失敗の歴史である。しかし科学は、失敗が徹底的に論じられ、さらにそのほとんどは修正されてしかるべきときに修正されるしかるべきときに修正される、数少ない、おそらくはたったひとつ、人間活動だ。だからこそ、科学は失敗から学ぶ学問だと言えるのであり、その賢明な行動によって進歩がもたらされるのある」カール・ポパー

フィードバックは道を示す「明かり」である。
間違いを教えてくれるフィードバックがなければ、訓練や経験を何年積んでも何も向上しない。

失敗に対してオープンで正直な文化があれば、組織全体が失敗から学べます。そこから改善が進んでいくのです。

失敗から学ぶにはふたつの要素が不可欠だということだ。
1つ目はシステム。失敗という学習チャンスを最大限に活かすシステム作りが欠かせない。
2つ目に不可欠な要素はスタッフだ。どんなにすばらしいシステムを導入しても、中で働くスタッフからの情報提供がなければ何も始まらない。

報告者をバックアップせよ
ピーター・プロノボスト
中心静脈カテーテル感染(点滴などのため、中心静脈にカテーテルを挿入した際に起こる感染)に関する改善策だ。彼はこの感染によってアメリカ国内で年間3万~6万人の患者が死亡している事実に目を留め、調査の末に原因を明らかにした。一番大きな要因となっていたのは、カテーテル挿入後、医師や看護師がマスクや滅菌ガウンを着けずに患者と接していいたことだった。時間に追われ、重要な手順を飛ばしていたのである。
そこでプロボストはすべての手順が守られるよう、簡単な5ステップの「チェックリスト」を作成した。もし、従わない医師がいれば、看護師が忠告できるように権限を与えた。またそれを躊躇しないように、運営陣からのバックアップも保証した。するとあっという間に、カテーテル挿入から10日間の感染率は11%から0%に下がった。この結果に注目してチェックリストを導入したミシガン州では、18カ月で1,500人の命が救われ、1億ドル(約100億円)の医療経費削となった。

「自尊心」が学びを妨げる
ダートマス大学の経営学教授、シドニー・フィンケルシュタインは名著「名経営者が、なぜ失敗するのか?」で、致命的な失敗を犯した50社強の企業を調査した。すると組織の上層部に行けば行くほど、失敗を認めないことが明らかになった。

若き医師の勇気
ある再発性のヘルニア患者の手術が始まって90分が経ったとき、患者の呼吸がせいぜいと苦しそうに変わった。顔は赤らみ、血圧も急激に下がっている。プロノボストは、患者がラテックスアレルギー(天然ゴムの成分によって起こるアレルギー)で、執刀外科医の手術用手袋に反応しているのではないかと強く疑った。そこで彼がエピネフリンを投与すると、患者の症状は治まった。そしてプロノボストは執刀医に、隣の準備室に保管してある別の手袋に取り替えた方がいいと助言した。しかし執刀医はこれに同意せず、「君は間違っている」と言い始めた。「ラテックスアレルギーのはずがない。手術を始めてからもう1時間半も経っているが、ここまでの処置で何の反応も出なかったじゃないか」
執刀医は今、自分の判断を下した。彼はこの場の責任者で、ピラミッドの頂上にいる。
しかしプロノボストは引き下がらなかった。アレルギーに関して深い知識がある彼は、論拠を説明した。「ラテックスアレルギーは、この患者のように何度も手術を受けている間に発症することがよくあります。もういつ起こってもおかしくないんです」。彼はさらに続けた。「今はまだ開腹したばかりで、ラテックスが血液に直接触れてからさほど時間が経っていません。だからさっきまで反応がなかったんです」。
だがプロノボストの説得は通じなかった。執刀医はそのまま手術を続け、間もなく患者の症状がぶり返した。プロノボストは再度エピネフィリンを投与しなければならなかった。彼はあらためて執刀医に、手袋のラテックスが患者の命を危険に晒していると説明した。しかしそれでも執刀医は手袋を替えることに同意しない。アレルギーは内科的な問題であり、外科医よりプロノボストの方が知識が深い。しかし、この場の責任者である嫉妬医は一歩も引かなかった。
ここで手袋を取り替えなければ命が危ない。
「こう考えてみてはどうでしょう?」彼はやんわりと言った。「もし私が間違っていたら、先生が手袋を取り替える5分間が無駄になります。もし先生が間違っていたら、患者が命を落とします。手間とリスクの割合からいって、手袋を取り替えた方がいいと思うんですがいかがでしょうか?」
ここまで言えば、執刀医も事実を受け入れるしかない。どう考えてもこれ以上意地を通せるはずがない。しかし、認知的不協和が絡むと話は別だ。この執刀医にとっては、手間とリスクの比較は、「手袋を取り替える時間」と「患者の命」の比較ではない。「患者の命」と「外科医としての威信」の問題だ。しかもこの威信は、医者は絶対にミスなどしないという信念に基づいている。
プロノボストの努力は何の気休めにもならなかった。それどころか執刀医はますます態度を硬化させ、自分の判断は絶対に正しいと信じて疑わない。彼は比較の提案をじっくり考えることさえせず、こう言った。「君は間違っている。これは明らかにアレルギー反応じゃない。だから私が手袋を替える必要もない」
普通なら、話はここで終わっていただろう。手術室には、執刀医に刃向ってはならないという暗黙の了解がある。しかしプロノボストは違った。自分の父親を医療過誤で亡くし、人生を患者のために捧げると誓ってこの道に入った彼は、その意志を貫き通した。彼は看護師に、ションズ・ホプキンス病院の院長と理事長に電話するように指示を出した。この②人なら執刀医の判断を無効にできる。
手術室はいまや静まり返っていた。看護師は受話器をとったものの躊躇し、プロノボストを執刀医の顔色を窺いながら、次の行動を決めかねていた。その間に患者の命は危険に晒されている。時間がない。もう一度ラテックスの手袋で患者に触れれば、一貫の終わりかもしれない。
「早く2人を呼びだして!」プロノボストは断固とした口調で言った。「この患者はラテックスアレルギーだ。僕たちが手袋を替えなかったせいで死なせるわけにはいかない」
看護師がダイヤルを回し始めたその瞬間、ついに執刀医が折れた。彼は悪態をつくと、手袋を脱ぎ捨て、別の手袋を取りに出ていった。手術室の緊張感はやっと解けた。
手術後の検査の結果、プロノボストが疑った通り、患者はラテックスアレルギーだったことがわかった。執刀医がそのまま自分の意志を通していれば、患者はほぼ間違いなく命を落としていただろう。

イデオロギーが科学を殺す
トコフィルム・ルイセンコは,1920年代に作物の収穫量を増やす新たな農法を考案し、共産主義革命の政治指導者から非常に目をかけられた。
メンデルの「生物の形質は細胞中の遺伝子によって決まり、それが特定の法則に従って次世代に伝わる」という法則を無数の交配実験を経て統計学的に導き出していた。ルイセンコは真っ向から否定し、新たな学説「遺伝子は環境によって変化し、その後天的な獲得形質も自省台へ伝わる」と主張した。
ルイセンコは、論理でメンデル派の遺伝学者たちを黙らせることはできなかった。メンデルの法則には裏付けとなるデータがあり、ソ連中の何千人という科学者が、価値ある説と考えて学問的追求を始めていたからだ。
そこでルイセンコは戦略を変えた。議論などせず、弾圧してしまえばいい。立ち回りのうまいルイセンコは、スターリンにメンデルの学説を非合法化してほしいと直訴した。するとスターリンは共産主義のイデオロギーに都合が悪い学説を排斥する絶交のチャンスと捉え、これを承諾。その結果、メンデルの学説は「ブルジョア的」「反マルクス主義的」だとして糾弾の対象となり、ルイセンコの学説が公式見解となった。
当時のソ連では、共産党の方針から外れる者は容赦なく迫害される運命にあった。大勢の遺伝学者が処刑され、処刑を逃れた者は強制収容所に送られた。
「ロシアの科学の進歩は遅れた。止まってしまったといってもいい。何百万人もの大学生や高校生が歪んだ教育を受けた」。それだけでない。ルイセンコの発案した農法にはほぼ効果がなく、貴重な作物を無駄にして、何百万人という国民の生活の質に多大な悪影響を及ぼした。

毛沢東による「人類史上最大級」の飢餓
同じくルイセンコの農法を採用した協賛政権下の中国では、さらに悲惨な結果が生まれてしまう。ルイセンコは、作物の生産量を増やす策として極端な密植(高密度の田植え)を提唱していた。「同種の植物は互いの成長を阻害しない」
歴史学者の推定によれば、中国史上のみならず人類史上においても最大級の飢餓によって、2,000万人から4,300万人が死亡したと言われている。

テクノロジーの進歩の裏には、論理的知識と実践的知識の両方の存在があって、それぞれが複雑に交差し合いながら前進を支えている。

完璧主義の罠に陥る要因は二つの誤解にある。

1つ目は、ベッドルームでひたすら考え抜けば最適解を得られるという誤解
2つ目は、失敗への恐怖。

小さな改善、大きな飛躍
「小さな改善の積み重ねですよ」
「大きなゴールを小さく分解して、一つひとつ改善して積み重ねていけば、大きく前進できるんです」「マージナル・ゲイン」というアプローチ
小林尊「0ベース思考」国際ホットドッグ早食い選手権
・半分に割ってから食べる
・パンを水につける
・さまざまな噛み方や飲み込み方
それまでの世界記録25.125本/12分 ⇒50本

懲罰は本当に人を勤勉にするのか
大失敗は一部の「腐ったリンゴ」のせいだとすれば、企業のイメージを損なわずに済む。
「悪いのは会社じゃない。ほんの一部の社員のせいなんです!」というわけだ
「非難すると、相手はかえって責任を果たさなくなる可能性がある。ミスの報告を避け、状況の改善のために意見をだすこともしなくなる」

ハーバード・ビジネス・スクールのエイミー・エドモンドソン教授
懲罰志向の組織文化がもたらす影響について調査を行った。
・懲罰志向のチームでは、たしかに看護師からのミスの報告は少なかったが、実際にはほかのチームより多くのミスを犯していた。
・非難傾向が低いチームでは、逆の結果が出た。ミスの報告数は多かったが、実際に犯したミスで比べてみると、懲罰志向のチームより少なかったのだ。

プロジェクトにおける非難の6段階
1)期待
2)幻滅
3)パニック
4)犯人探し
5)無実の人を処罰
6)無関係な人を報奨

公正な文化では、失敗から学ぶことが奨励される。失敗の報告を促す開放的な組織文化を構築するには、まず早計な非難をやめることだ。
哲学者カール・ポパーは言った。
真の無知とは、知識の無知ではない。学習の拒絶である

サッカーのベッカムの母親のサンドラは、いつも夕食の準備をしながらキッチンの窓から彼の練習を見ていた。「本当に驚くほど熱心に練習していました。学校から帰るとすぐに始めて、父親が仕事から帰ってくるまでずっとです。そのあとは父親と一緒に公園に行って、また練習するんですよ。とにかく粘り強く物事に挑戦する子でした」
ベッカムはじわじわと上達していった。半年もするとリフティングの回数は50回になり、さらにその半年後には200回に達した。そして9歳になる頃には。2003回という新記録を達成した。持続時間は約15分。
失敗は「してもいい」ではなく「欠かせない」

生長が遅い人は失敗の理由を「知性」に求める
「きっとボクはあまり頭がよくないんだ」「前から記憶力が悪かったから」「こういうもはもともと苦手なんだ」

知力や体力よりも、「やり抜く力」の高さのほうが重要。失敗しても根気強く「やり抜く力」

自分の考えや行動が間違っていると指摘されるほどありがたいものはない。そのおかげで、間違いが大きいほど、大きな進歩を遂げられるのだから。批判を歓迎し、それに対して行動を起こす者は、友情よりもそうした指摘を尊ぶと言っていい。己の地位に固執して批判を拒絶する者に成長は訪れない、

すべてを「失敗ありき」で設計せよ
・あなたは判断を間違えることがありますか?
・自分が間違っていることを知る手段はありますか?
・客観的なデータを参照して、自分の判断の是非を問う機会はありますか?
すべて「いいえ」と答えた人は、ほぼ間違いなく学習していない。

「事前検死(pre-moretem)」
プロジェクトが終わったあとでなく、実施前に行う検証を指す。
あらかじめプロジェクトが失敗した状態を想定し、「なぜうまくいかなかったのか?」をチームで事前検証していくのだ。

感想
ミスは人のせいにしがちであるが、その背景には大きな問題を抱えていることがよくわかりました。
その大きな問題を片付けないと、ミスは無くならないと言うことなのだと思います。

日産自動車が公表した後も、無資格者が検査し続けたのを、「課長から係長への連絡不備」と下位の者のせいにして、企業イメージを低下を避けようとしましたが、この本によれば、下位の者にしようとした経営陣に問題があるとのことです。
日産自動車の経営陣が、問題は自分たちの考え方と経営に問題があったと認識されていると良いのですが・・・。
45年間、ずっと日産自動車だったので、しっかりして欲しいです。
TVで”技術の日産”とCMを続けていますが、ミスを下位者のものにする”(経営者の責任回避)技術”の日産でないことを願います。